2017年05月04日

アニメ「ピンポン #4 絶対に負けない唯一の方法は闘わないことだ」闘い続ける事なかれ主義



わたしは事なかれ主義だと揶揄されやすいです。

まるくおさめようとする。

争いを好まない。

坪田信貴先生の
「人間は9タイプ 子どもとあなたの伸ばし方説明書」
でエニアグラムを中心にいくつかの心理テストを
坪田先生なりに組み合わせた
オリジナルの性格診断テストがついています。

それによるとわたしはタイプ7の「楽天家」
これは予想通りだったのですが、
まったく同点でタイプ9の「調停者」
という診断結果が…

インターネットで普通のエニアグラムの
解説などを読んでみても

平穏を求めるのんびり屋
調和に重きを置く
争いごとを好まず、何事も穏便に済ませようとする

などなど、いかにも『事なかれ主義』
と言われるための性格じゃないかと
言わんばかりの解説です
自分でもびっくりするぐらい納得の結果でした。

大和魂・・・とは簡単に言えば
日本人本来の考え方や精神性を表している
という意味らしいのですが、

わたしは大いなる調和をもたらす魂
と読んで字のごとく翻訳するようにしてきました。

調和、バランス…そこに心を砕く。
それもできるだけ広い意味で。

まさに心を砕くんです。

争いを起こさないためには闘う必要がある。

事なかれ主義を卑怯者呼ばわりする人には
ぜひその闘いについても理解して欲しいところです。



今日は息子と一日遊ぶ約束をしている日です。
GWにわたしも休みを取れてよかった…
朝から映画を見て、午後は…また卓球!?
まあ、そのあとスーパー銭湯に行くからいいか…

アニメ「ピンポン」
第4話「絶対に負けない唯一の方法は闘わないことだ」


チャイナと対戦しスマイルは敗れます。

小泉はその試合を見て怒りをあらわにしました。

「たいして勝つ気もないやつが、
ひやかしで打つんじゃないよ!」

そんな小泉にタムラのオババが声をかけました。

「昔とダブるかい?50年以上前の自分と」

ペコの対戦相手はアクマです。

アクマから見たペコは
小さいころからやることなすこと垢抜けていて
なんでも上手くできるやつ…でした。

そのペコをなんとしてでも倒す。

アクマの決意は強固なものでした…。



「絶対に負けない唯一の方法は闘わないことだ」

アクマがペコに嫌味のように言うセリフです。

つまり、負けたくなければ戦いの場に
出てこなくてもいいんだぜ。

と挑発しているわけですね。

それでも勝負に挑む、挑み続ける。
そういう強さも必要ですよね。

…確かに。

負けることを恐れ戦わないのは弱虫だ。

そういうことを感じさせたくて、ここでこの表現が
使われているのかな…と思いますし、
実際、効き目のある秀逸なセリフだと思います。

だから、そこでグッとメッセージを受け取るのはいい。

でも、非常によく似たフレーズで
しかもとても紙一重なので説明も難しいのですが
もっとずっと前向きで、深い意味を込められた
わたしの大好きな映画の大好きなフレーズがあります。

わたしが少年の頃衝撃を受けた…まさに感銘を受けた
フレーズです。

紙一重だけれども全く異質…というか正反対と
言ってしまってもいいくらいだと思う使われ方です。

「勝つためには、戦わないことだ」

以前にも何かの機会で紹介したことがあると思います。

混同して使ってもらいたくないから
今回は違いを明確にしたいと思います。

「ウォー・ゲーム」
というマシュー・ブロデリックの主演作品。

まだ、インターネットが世に出る前。
確かマイコンという言い方からパソコンという言い方に
変わりつつあったころのように記憶しています。

パソコン通信というものがコンピューターの世界では
流行り始めていました。

「ウォー・ゲーム」は
コンピューターオタクの青年が軍事AI(人工知能)の
ジョシュアとパソコン通信でつながってしまい
彼はゲームだと勘違いして
やりとりしていたら現実では
ジョシュアが世界に戦争を仕掛けようと
動き出してしまう話です。

最後は青年自身が当局でジョシュアと対面し
攻撃を止めさせるために奮闘する・・・
というハラハラドキドキの
サスペンス作品でした。



ラストでジョシュア自身に○×ゲームをさせて
膨大な計算をし尽くしたジョシュアが
最後に出した答えが

「勝つためには、戦わないことだ」

ということばでした。

軍事コンピューターなのに
キリのない戦争の無意味さを学んだ。
軍事コンピューターなのに
自問自答して戦争を否定した。

子どもながらにこのラストが大好きで
洋画番組をとったビデオテープで
何度も見返していました。

「勝つためには、戦わないことだ」

わたしはコレを実生活で実践したい。
子どものころから強くそう思い、
今日まで生きてきました。

でも、今回の「ピンポン」のセリフと
非常によく似ていますよね。

今回の「ピンポン」の状況で、このセリフを
使うなら「負けたくなきゃ、闘わなければいい」

となるのでしょうか?

混同して使って欲しくないから取り上げていますが、
正直非常に似ていますよね?

「絶対に負けない唯一の方法は闘わないことだ」
「勝つためには、戦わないことだ」

注目したいのは

『戦う』 『闘う』

の違いです。

『戦う』…は、
武器などを用いて争う、戦争する。
あるいは、技量を競う、競争する、試合する。

『闘う』…は、
思想や利害の対立する者どうしが利益や要求の獲得のために争う。
あるいは、苦痛や障害を乗りきろうとする。打ち勝とうと努力する。

どちらも、戦争に通じる重なる部分はありながらも
その意味から使われる場面が全く違うことが
わかりますよね。

アニメ「ピンポン」ではあえて『闘う』という感じを
使っています。

卓球の試合で言うなら『戦う』を使ってもいいはずです。

だから、「ウォー・ゲーム」と
「ピンポン」で似たようなセリフを
逆の意味で使っているけれども、
それらは全く意味が違う。

「ピンポン」でいう
「絶対に負けない唯一の方法は闘わないことだ」
は、いわゆる事なかれ主義と揶揄する場合も
こちらに入るでしょう。

しかし、

「ウォー・ゲーム」で言う、
「勝つためには、戦わないことだ」
事なかれ主義とは違います。

むしろ

戦わずして勝つためには闘い続ける必要がある。

わたしが事なかれ主義と揶揄され続けても
「いいや、違うぞ」と闘い続けられるのは
この違いを明確に持っているからです。

物事には割り切れないことが多い。
でも、ライン引きしてハッキリクッキリ分けて
整理して考えていかなければならないことがある。

「勝つためには、戦わないことだ」

という信念を持っている人に「事なかれ主義」だと
揶揄する人は、自らの中でのその区別を学び
理解するという闘いから逃げていることに
なりはしませんか?


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2017年05月03日

アニメ「ピンポン #3 卓球に人生かけるなんて気味が悪い」命がけを忘れないことと、命なんかかけないことの大切さ



本気で挑んでいる人の前では
なんだか後ろめたい気分になることがあります。

それは自分がそこまで本気でないときに
感じることなのは間違いありません。

でも、時と場合によっては、
同じような状況でも後ろめたさではなく
相手に嫌悪感を抱くこともあります。

自分が本気ではなく、相手が本気。
その関係は変わらないのに
自分の気分は真逆の反応をすることがある。

おもしろいですね。

でも、嫌悪感を抱くときは
それはそれで自分の生き方、在り方に
何かしら本気であると言うことなのだと思います。

本気でなまけているのに、本気で手を抜いたのに、
本気で怠惰でいるのに、
自分のバランスを本気で保とうとしているのに
踏み込んでくるんじゃねえよ!

みたいな。
本気じゃないはずなのに、
本気じゃないことを本気で目指している。

言葉遊びじゃないですよ。

本気で、こういうことを感じて考えるの、
大事なことだと思っていますから。



息子とよく卓球をしにいきます。
息子が卓球にハマっているいいタイミングで
この作品に触れています。

アニメ「ピンポン」
第3話「卓球に人生かけるなんて気味が悪い」


を観ました。

インターハイ予選の開幕です。
準々決勝で勝てれば、ベスト4入りして
全国大会へ進めます。

ペコの準々決勝の相手は
アクマこと佐久間に決まりました。

ペコとスマイル、アクマはタムラ卓球場で
一緒に卓球をやっていた仲でした。

アクマは風間竜一(ドラゴン)率いる
常勝の海王学園へと進学していました。

そのドラゴンはチャイナの試合を観戦しながら
スマイルに話しかけます。

「私はね、月本君。君のプレーが嫌いだ」

・・・と。

そして、スマイルの対戦相手はチャイナでした。



このドラゴンはスマイルを
ワザと挑発しているようです。

才能があるのに勝ちたいという欲がないスマイル。

周囲はそんな彼を放っておかないんですね。

しかし、素直なのがスマイルのいいところ。
見事にドラゴンに挑発させられます。

チャイナ対戦前には、観客席のドラゴンを
睨みつけるようにいいます。

「卓球に人生かけるなんて気味が悪い」

怒ったり笑ったり、そういうのが疲れるからと、
なかなか感情を表に出さないスマイル。

彼にしては珍しいほど嫌悪感を
むき出しにしていました。

人生をかける・・・命がけでやる・・・

比喩です。

でもそれくらいの気持ちで
挑まなければならないこともある。

時に、死ぬ気でとか、本気でとか、
そういう表現がふさわしいくらいの気持ちで
やらなければどうしようもないときがあります。

仕事の中には文字通り人や自分も
命がけの局面であったり
人生がかかっているという仕事はあります。

医者、消防士、弁護士、検事などなど。

でもよくよく考えると、のほほんと生きている
ように見えるフツーの人たちも
命がけで生きていますよね。

交通事故はいつ起こるかわからない。
地震だっていつ起こるかわからない。

もともと不安定な中で奇跡的なバランスを
保っている大地の上で生活しているという
事実こそがすでに命がけです。

どんな瞬間だって人生がかかっているわけです。

だからこそ一瞬一瞬を大切に
本気でいきなければもったいない。

時間を無駄にしちゃダメ・・・と、
そういう意味で常に本気!という人もいます。

尊いことですが、

卓球に・・・仕事に、スポーツに、勉強に・・・
人生かけるなんて気味が悪い・・・
おかしいんじゃないか・・・

という気分もわかるし、わたしも自分の中に
そんな気分を持っています。

一瞬一瞬が大切で尊い瞬間だからこそ
しゃっちょこばってばかりもいられない。

もっと伸びやかに、おおらかに、
そして時には怠惰にダラダラと、
無駄を楽しみたいときもある。

楽しむわけですから、真理としてすでに
それは無駄ではない、貴重な時間ですよね。

そのくらいの気分を持っていないと
人生をかけたもので身を立てられなかったとき、
大成できなかったときに、
まるで人生が終わったかのような感覚に
捕らわれてしまう人がいます。

これは、第4話でも出てきますが、
負けたら、人生かけたモノでよい結果を出せず
終わったらそれで人生が終わりではない。
そこからまた始まるわけです。

だから、スマイルがあんなに感情的に
「卓球に人生かけるなんて気味が悪い」
と感情を露わにするほど本気になったことが
もう矛盾で皮肉です。

そして、そんな矛盾と皮肉を楽しんだり
味わったりするおおらかさを持つには
しゃっちょこばりすぎないこと。

どっちも大事で、どっちも大したことじゃない。

ギスギス苦しみたいのではなく
「幸せ」に生きたいのなら、大切なバランスです。


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2017年05月02日

アニメ「終物語 そだちリドル #2」察しないわたし、世界の中心で「説明してください!」と叫びたくもなる



書店によく行くわたしは
「察しない男 説明しない女」という
ベストセラーにも非常に興味があります。

でもこの本に手を出せていない理由が
今回少し客観的に観れてきました。
腹まで落としこめず
小骨として引っかかっているから
なのでしょう。

でも、このような本がベストセラーに
なるということは
一般的に女性から観て
男性とはなかなか察しないモノだと
思われているのだということは理解しています。

自分がそんな男の典型なのだなとも
以前から意識はしていました。

説明しない女・・・という部分には
男としてとても共感しますから(笑)

でも、今以上に察せない自分が悪いのか?
それは悪いことなのか?
それを悪いと決めるのはオレ自身だろ?

それはオレの課題だ。
そして周囲がそれに対してどう思うかは
オレの課題じゃなくて周囲の人の課題だ。

…って、飲み込めないでいる自分がいる。
でも気になっているのも確か。
だから小骨としてひっかかっている。


DVDでまとめてみるより、HD画質で
週に1話ずつじっくり観ると
1話の濃さというか深みがより感じ取れる
怪作で秀作で傑作のシリーズの一篇

アニメ「終物語」
「そだちリドル」第2話


を観ました。

老倉育のことを思い出すために
阿良々木くんは忍野扇と一緒に
ある廃墟を訪れていました。

中学1年の期末テストの成績により
焦っていたまだ少年のように
まっすぐで純粋だった頃の彼は、
その年の夏休みに毎日、
この廃墟を訪れていたのです。

名前も聞かないと約束させられた
少女と一緒に数学の勉強をするために。

その夏の思い出を阿良々木くんから聞いた
扇は、探偵よろしく真実にたどり着きます。

その少女が老倉育であったこと
そして老倉がなぜ、何を求めて、
そんな行動をとっていたのか・・・に。

しかし翌日、友人の羽川翼に
そのことを話すと・・・。



阿良々木くんは老倉育と高校1年で
同じクラスになったときが
初対面だと思っていました。

「自分が何でできているかを知らないヤツが嫌い」

復学した老倉が阿良々木くんを
罵ったときの言葉です。

廃墟でのひと夏を思い出した阿良々木くんは
自分が得意な数学に救われていること
そして数学を好きで居続けられたのは
老倉のおかげだったことを思い知ります。

ボクは老倉によってできていた・・・

でも、阿良々木くんにも
言い分はありました。

あの夏、少女老倉は数学を教えること
意外は詮索をさせなかったし
挨拶もなく突然いなくなりました。
高校で再会したときも、なぜ、
自分から名乗り出てくれなかったんだ?
などなど

そんなことを言う阿良々木くんに
扇はいいます。

なぜ老倉先輩が自分から言い出せなかったのか?
阿良々木先輩はそれを考えるべきなのでしょうと。

実はここ、このシリーズで
わたしがもっとも飲み込めないでいる箇所
なんですね。

わたしは現時点で刊行されている
原作小説の最新刊「結物語」以外は
全て読破しています。

ですから老倉の行動にも合点はいっています。

扇が言うように、そこは
阿良々木くんも察してあげなきゃ

・・・とも思っています。
わかっているのですが、この察してあげる
という部分がどうしても
魚の小骨のようにのどにひっかかるんです。

なぜでしょう。

それはわたしが苦手なことだから?
正確にはわたしが自分で苦手だと
感じているからでしょう。

実際に察しが悪いことで、
多くの人、特に女性・・・とくに妻に
不満な思いをさせてきたことは
数え切れないほどあります。

でも、わたしは客観的にみれば
そんなに言うほど察しが悪いほうでは
ないはずなのです。

ただ、阿良々木くんのように
「なんで自分から言わないんだ?
説明してくれたらわかるのに」
とは思ってしまう。

なんなら、「嫌われる勇気」よろしく
言わないという決断、察してという思いも
勝手に相手がしていることで
それよって相手がどのような気分になるかも
相手の課題であってわたしの課題ではない。

と本気で思っています。

だから、阿良々木くんは優しいなと関心します。
高校生でここまで自分を改善できる。
とても大人です。

わたしも人に学んで欲しい、成長して欲しい
と思うことはたくさんあります。

でも、馬を水辺に連れて行くことはできても
水を飲ませることはできない。
水を飲むかどうかはその馬の課題。

と言われるように、相手が自ら学びたいと
思わない限り無理に押しつけても
横暴なだけ・・・

そう思っています。

察しないわたしが、
「察しない男 説明しない女」を
気になって買わないでいること。

「終物語」のこの部分が
どうしてものどにひっかかって飲み込めないこと。

それは、わたし自身が察するということについて
水辺にたたされている状態・・・

だということなのでしょう。

さて、わたしはどうするのか・・・?


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2017年05月01日

アニメ「進撃の巨人Season2 #29 兵士」生きてるうちに最善をつくせ…最善の中身は?



41歳、あと2ヶ月強で42歳になります。

のんびりやでなんとかなるさ
と思っているわたしと、
いい加減これからの時代のことを考えて
この先自分や家族が生きていくために
真剣に考えないとイカンぞ・・・と
焦る自分がいます。

実は、かなり焦っているのですが、
時間というモノは怖いですね。

どんどん過ぎていく。

昨年暮れに「金持ち父さん貧乏父さん」を
読み返してからやっと

お金のこと

を今まで真剣に考えるようになりました。

実は10数年前に一度開眼したかのように
考え始めたのですが、
それは「稼ぐ」ということに関してだけ。

当時、フリーターでしたので当然ですね。

でも「貯める」「増やす」という概念は
なかなか頭に入ってこなかった。

頭にはいらないものは心にも届きません。

それがやっと今になって届き始めた。
ここ数ヶ月で結構勉強しました。

でも、お恥ずかしい話。
まだ行動には移せていません。

焦りとのんびりや気質がせめぎ合っています。



少年マンガと青年マンガ、コロコロコミック
なら少年マンガっぽいけど、ジャンプや
サンデー、チャンピオンなんかだとそんなに
区別できないですよね。

アニメ「進撃の巨人Season2」
第29話 「兵士」


を観ました。

コニーやライナー、ベルトルトのいる南班、
そしてクリスタとユミルがいた西班。

暗闇の中で合流し、
ウトガルド城という古城跡で
共に夜を明かすことになりました。

ところが、深夜、城の周りを大勢の巨人に
取り囲まれてしまいます。

戦闘用の装備を持たない104期生たちは
塔の中へ一時避難しますが、

城の入口はすでに破られていて
どこまで侵入されているか
わからない状態でした。

手分けして侵入口をふさぐことになった
104期生たち。

ライナーが降りる階段で巨人と出くわします。

孤軍奮闘するライナー。

彼はある過去の出来事を
思い出していました。



訳ありという感じのクリスタとユミル。
その秘密の一部が明かされる話です。

調査兵団の先輩たちが自分たちが巨人と戦い
その間、装備のない104期生たちは
城内にもどって巨人の進入口をふさげ
と指示を出しながらいいました。

「生きてるうちに最善を尽くせ」

104期生は立体機動装置がないので
巨人たちに向かっていくことはできません。

ただし、城内に戻れとは言っても
もう巨人が侵入してきているはず。
巨人はどこまで上がってきているか
わかりません。

だから、できるだけ早い段階で
くい止められるように
進入路をふさげということです。

武器があるからといって先輩たちが
生きていられる保証もなし、
104期生も武器もなしで
城内で巨人と出くわす可能性だってある。

それでも今、やれるだけのことをやれ。
生き残る可能性を上げるための努力は
生きているうちにしかできない。

ということですね。


周囲からはぼうっとしているように見える
わたしですが、その実当人が
暇を持て余しているのかと言えば
そんなことはありません。

超多忙です。

やりたいこともやらなければならないことも
たくさんあります。

実際かなりのことをやっているはずです。

サラリーマンですから、日中は人なみに
働いているわけです。

その上で、他の仕事もしたり、
このブログも書いている。

こんなブログですからもちろん
その元になっているエンターテインメント作品
はどんどん観ています。

家族も大切にしている。
家族が大切にされていると
思ってくれているかは疑問ですが(笑)

息子などはどんどん成長しますから
常にその時その時、一瞬一瞬が
本当は見逃したくない大切な一瞬です。

それでも逐一監視するように見続けている
なんてこともできるわけがありません。

だから、時間を作れるときは
できる限りのことはしておきたい。

本だって平均的なサラリーマンの読書量の
数十倍か、下手をすると数百倍は読んでいる。

そういった様々なことをやっていくには、
やり続けて行くには、
できるだけ体調を整えて
すっきりとした頭で、
気持ちも安定させておきたい。

だから睡眠時間もできるだけ削らないし
早起きは心がける。

どうでしょうか?暇そうに見えますか?

そんな中で、お金のことを後回しにしてきた。
ずるずると、なんとなく後回しにしていたら
いつのまにか40代になっていたんですね。

今になって思いますが、よくもまあ
こんな大事なこと今まで後まわしにしてきたな
と自分でも自分の脳天気さがが怖くなります。

つくづく“のんびり”しているなと。

でも、気付いた今が残りの人生で
一番若いときでもあります。

だから今やれることをやっていかなきゃ。

家族のこと、息子のこと、
そいて教育のこと、仕事のこともそうなんです。

生きているうちに最善をつくしたい。

のんびりするという時間の大切さも
生きているうちに尽くしている
最善のことの一部なんですよね。

ならそれでいい。
でも、やりたいと思っている自分がいるから
のんびりしてきた分を取り戻すための
工夫をわたしは考えて行動しなければ
ならないわけですね。

のんびりも味わいながら…わたしの最善なあんばい(笑)


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2017年04月30日

ドラマ「CRISISクライシス 公安機動捜査隊特捜班 #3」絶望は何度でも



土曜日、休日の朝、
わたしの次に起きてきた息子。

感心なことにその日の勉強を始めました。
早く終わらせて遊びに出たいのでしょう。
漢字の書き取りです。

その最中に息子が語りかけてきました。

「なんか最近、イヤイヤすると」

漢字をノートに書きながら
ザワザワしてイライラしてノートを
グチャグチャっと塗りつぶしてしまいたくなる
という話でした。

そんな自分の感情を観察して
言葉にできている息子に感心しながら伝えました。

よくわかるよ。父も同じ年の頃
いっぱいそんな気分になっていたから。
でも、正常に成長している証拠。
体の中が、今までよりも早く激しく
大人になろうと暴れてるんだよ。
だから安心して良い。それで正常。

「え〜」

(笑)

いつまででしょうか?
まあ、中学生の頃より高校生では
落ち着くし大学生くらいの年齢でも
さらに落ち着く。

ただ、この間にはいろいろな
感情的な経験をします。

難しい言い方をすれば、
彼はこの思春期という期間を
健全に乗り越えなければならない。

ここからも母性の力は絶大ですが
今まで以上に父性の役割が大幅に増えます。

そして、それは安定した情緒で見守るのが
もっとも望ましいと思っています。

本当の意味で強くたくましい
健全な心を育んでもらうために。



最後に大きく盛り上げてくれるのでしょうか。
あまり期待し過ぎてもよくないのでしょうが
スカッと終わらせてもらいたいですね。

ドラマ「CRISISクライシス 公安機動捜査隊特捜班」
第3話


を観ました。

白昼堂々の議員宅前、しかも報道カメラの前で
議員が射殺されます。

犯行声明を出してきたのは
権力の悪用を断罪する謎のテロ集団
“平成維新軍”。

この先も権力を利用して
私腹を肥やす者たちを排除すると、
テロの続行を宣言していました。

犯人を逮捕してテロを未然に防ぐよう
命じられる特捜班。

班長の吉永(田中哲司)から、
襲撃犯が使用していた特殊な拳銃をたどって
実行犯を洗い出すよう指示された
稲見(小栗 旬)と田丸(西島秀俊)は、
銃器マニアの暴力団組長が同じ型の拳銃を
買い集めていたという情報を得ます。

早速組長に接触する2人。

やはり拳銃は組長が所持していたもので、
しかも保管していた拳銃はすべて
組長の息子の譲(大和孔太)に
盗まれていたことがわかります。

やがて譲の潜伏先を突き止めた特捜班は、
拳銃を装備して現場へう。

吉永、樫井(野間口徹)、大山(新木優子)が
建物の周囲を固め、
稲見と田丸が部屋へ近づくと、
外出しようとしていた譲と鉢合わせ。

次の瞬間、譲は部屋の中の仲間に
「逃げろ!」と叫び、
同時に素早く拳銃を抜き、稲見と田丸に
銃口を向けるのでした・・・。



衝撃のラスト。どのようなラストかは
ここではあかしませんが
田丸が最後に言った言葉は印象的でした。

「俺たちに勝ち目はあるのか?」

第1話で田丸が言っていました

「この腐ったシステムを変えてみせる」

純粋な正義感。
田丸は目の前で、その正義感が絶望した
結果を見せつけられて、
「勝ち目があるのか?」と
自問自答してしまったのでしょう。

でも、田丸が突きつけられた
純粋な正義感の絶望と田丸自身の正義感とでは
その純粋さ、根っこの部分は
まったく同じなのに決定的な違いがある。

絶望しきってしまうか
絶望からはい上がれるか・・・?

はい、まあそれもあるかもしれませんが、
自分の生を肯定できるかどうかです。

自分の命を大事にできるかどうか。

正義感にあふれ、純粋で思いやりがあり、
自分のことよりも人のことを大切にできる。

とてもすばらしいことですが、
だからといって自分の価値が人より劣る
なんてことはないわけです。

人のことを思うなら自分のことも
大切にしなければ、
本当に人のことを
大切にしていることにはならない。

厳しい言い方をすれば、
それは自己満足だと言われても仕方がない。

この感覚を伝えようとすると
「幸せに育ってこれた人間の戯れ言だ」
みたいな言われ方をすることもありますが
ほとんどの場合、自分が親になればわかります。

それでも、やはり人を愛するだけで、
親になるだけでわかるというものでもない。

人間はどこまで行っても主観の生き物ですが
それを承知の上で、自分を客観しする。

専門的にはメタ認知とも言われますが、
その感覚を持てるかどうか?

が、健全に思春期を乗り越え、
大人の世界の絶望を突きつけられても
そこから希望を見いだし
何度でも立ち上がりながら、

自分を含めた他社を大切に、
よりよく在ろうと生きていけるようになる。

健全で強い情緒を育み
健全な大人になるとはそういうことでしょう。


          全ての物語のために










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