2017年07月28日

ドラマ「ハロー張りネズミ #2」曇っていたのはわたしの目でした



クレームの対応をしていると
人間が見えて面白いな〜
と思うことがあります。

ただお金を払いたくなくて
とにかく難癖ばかりつけて
なんとか減免を引き出そうとするお客さん。

自社スタッフの気のゆるみから
お客さんに迷惑がなかかること。

こういうことなら分かりやすいのですが
何がうまくいっていないのかが
わかりにくいこともある。

よくよく調べると、
関わったみんなが100%以上の
パフォーマンスで仕事をしている。

しかも、100%を超えた部分も
全部、善意だったりする。

それでも、偶然が重なって
運悪くことがうまく行かない。

クレームとして表出するときは
そのうまく行っていないことがあって
わたしたちはそこから調査を始めるから
「なんで、こんなことになってるんだ!」
とまるで犯人探しみたいな気分で
始めてしまうこともあるんです。

誰かが手を抜いただろう!
誰かが自分だけ得しようとしてるだろう!
誰かが責任逃れをしようと逃げてるだろう!

ついつい、そういう視点を持ってしまいがち。

でもそれは自分の気持ちだ
ささくれてしまってるんだな〜

そういう目でしか見れなくなると
責めちゃいけない人を
責めてしまいかねないですよね。



やはり、最近のドラマとはちょっと違う懐かしさが
ただよっている感じしますね。
ストーリーの種類がそもそも今時のドラマっぽくない。

ドラマ「ハロー張りネズミ」
第2話


を観ました。

「あかつか探偵事務所」を訪ねてきた美女、
四俵蘭子(深田恭子)。

五郎(瑛太)とグレ(森田剛)が
依頼内容を聞くと、蘭子は
25年前の新聞記事を差し出します。

「サンダー貿易副社長・自殺」の記事。

副社長飛び降り自殺の記事ですが、
本当は殺されたのだと主張する蘭子。
殺された四俵乙吉(平田満)は
蘭子の父だといいます。

裏に潜む危険を感じ取った
かほる(山口智子)は、
全てを聞かずに蘭子の話を遮り
依頼を断ってしまいます。

商店街を駅へと戻る蘭子を呼び止めたのは
五郎でした。

「困っている美人は放っておけない」
という五郎は、蘭子から
25年前に起こった事件について
改めて聞きます。

それは、サンダー貿易の贈収賄および
詐欺事件に関することでした。

結局、かほるも乗り気になり
調査がスタート。

五郎と蘭子は南(リリー・フランキー)
という男と接触します・・・



リリー・フランキーさん演じる南という男…

うちの息子も見ながら「…キモイ…」
というほどの怪演でした。

ずっと、蘭子をしげしげと見つめながら
応対をするんですね〜(笑)

汚い狭い事務所で出版社を営んでいる南。

いかにも怪しい風貌なのですが、
面白かったのはその後です。

狭い事務所に山積みになっている資料の山から、
25年前の資料を探し出してくれるという話になって
ひとりで一生懸命探してくれているんですね。

「あ〜、あいつらにも手伝わせればよかった…」

とか言いながら。

怪しい人かと思ったら、結構いい人なんですね(笑)

そのバランスがとても嬉しくて
笑ってしまいました。

五郎も蘭子も、南の事務所を出てからも
手がかりが見つかるかどうかは別にして
探してみると言ってくれた南を
完全に信じているようでした。

贈収賄だ詐欺だって事件の調査なのに、
疑っちゃったのは視聴者だけ?

いや、わたしだけ?

警戒心が強いんでしょうね。
つまりビビっている。

でも、それでは
『困ったときはお互い様』
という平和に生きていくための
幸せ力を発揮できないですよね。

まだまだ、はフラットに
人を観る心構えが必要だな〜と
笑いながら痛感しました。

わたしが対応したクレーム。

みんなの善意から起きてしまったクレームは
何が起きたのか?を
関わったスタッフとお客さんに説明したら
解決も迅速でした。

もともとそれだけの善意で
事に当たれる人たちの集まりですから
当然なのかもしれませんが、
素晴らしいですよね。


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2017年07月27日

ドラマ「僕たちがやりました #1」ドラマを楽しみながらわが子の安全意識確認



心がねじれていなくても思春期を迎えると
正論をいう大人や優等生に
反発心を抱いてしまうことがあります。

「そんなふうにアタマだけで割り切れるかよ!」

ただ反発心を抱くだけ、それここそ
「そこまで」と自分に割り切らせることが
出来るのなら大した問題でもないのですが、
そもそも割り切れない心が問題なわけですから
反発心は反発心だけで終わってくれません。

エスカレートして憎しみに変わってしまうこともある。

…というか、反発する=憎いは
その心理状態ではほぼ同じものに感じられている。

わたしも思春期特有の不満は
感じて、通り越してきた身なので
覚えがあります。

しかし、普通はそれも
成長のための通過点に過ぎません。

問題は心がねじれてしまっている状態で
そういう時期を迎えることと、
そういう人も日常にたくさんいるということ。

そうなると割り切れないのは心、感情のみならず
見境のない暴力へと易々と変化します。

彼らには寄り添う必要もありますが
彼らからわが身を守るという術も必要になる。

特に、『わが子』を守る立場の親にしてみれば
何ものにも代えがたい大切なものを守るという
絶対的な宿題ですよね。



さてさて、紹介を忘れていましたらもう
第2話の放送まで終わってしまいましたね。

ドラマ「僕たちがやりました」
第1話


を観ました。

凡下(ぼけ)高校2年生の
増渕トビオ(窪田正孝)は、
大それた夢は持たず
そこそこで生きられればいいと考える
イマドキの高校生なのだそうです。

新しい彼女、新里今宵(川栄李奈)ができて
浮かれている同級生、
伊佐美翔(間宮祥太朗)や、
“マル”こと丸山友貴(葉山奨之)、
卒業生の“パイセン”こと小坂秀郎(今野浩喜)。

気の合う4人組で
毎日バカを言い合っては
ボウリングやカラオケなど、
そこそこ楽しい日々を送っていました。

しかし不良の巣窟として知られる
凡下高の隣にある矢波(やば)高の
市橋哲人(新田真剣佑)に目をつけられます。

矢波高生たちは毎日のように
凡下高の生徒たちを脅し暴力を振るっては
警察に目をつけられていました。

ある日、マルが市橋たちに拉致され
ボコボコにされる暴行事件が起こります。

市橋におびえていたトビオも
今度ばかりは本気で仕返しを考えます。

そして4人はあることを計画します。

一方トビオは、幼なじみの
蒼川蓮子(永野芽郁)が、
市橋と一緒に朝帰りする姿を目撃し、
2人の仲を気にしていました。

ところがひょんなことから蓮子と2人で
カラオケに行けることになり・・・

そしていよいよ作戦決行の時。

トビオたちは手製のおもちゃの爆弾を
仕掛けに矢波高に忍び込み・・・



身勝手な暴力。

気にいらないという理由で振るわれる暴力。

そもそも気に入らないと思うことが
身勝手なことなのですが、
そんなことを本当の意味での割り切り、
つまり区別が自分の中でできていない人間は
大人の世界にもたくさんいます。

正しさ=ムカつく=暴力で解決。

そういう人には、正しさもまともさも
ただ『気に入らない』対象であって
そんな自分と向き合う余裕なんてありません。

とにかく正しい人、まともな人が気に入らず攻撃する。

そんな人に正しさで話をしようとしても
解決になるはずがない。

同じような経験をして、なおかつ立派に乗り越えた大人。
彼らの気持ちを本当の意味で理解でき
「でも、そうじゃないんだよ」と自分で本当に
納得できるような経験をしてきた強い大人が
彼らと向き合って時間をかけて
ねじれを自らほどいていくのを見守るのが
もっと現実的で確実性の高い方法のように思われます。

しかし、多くの人は彼らと全力で向き合う余裕がない。

わたしも中学生の息子がいますが、
もしもそういう子たちと関わるようなことになれば
わが子を守ることで手一杯にななるでしょう。

これは、マンガが原作ですから
ドラマチックになるほうに作られていますが
わたしも中学高校と普通に通った経験から
実際には身近に当たり前に存在している世界であることは
知っています。

トビオが関わらないようにしていたように
子どもたちは子どもたちで身を守るすべを
“それなりに”持ってはいるでしょう。

それでもこの話でも2人のフツーの高校生が
拉致されてめちゃくちゃなことをされます。
このような状況になると身の守りようもない。

こういったドラマを楽しむときは
同時に、こうなったら自分たちはどうするか?
親子で話し合えるのはいいですね。

同時に、大人や正しさそのもの
あるいはそういうことを押し付けてくる人間への恨みや
幸せそうにしている人への憎しみなどが
なぜ湧いてくるのか?

ただ、否定するだけではなく、
自分たちの中にもその感情の種になる部分を探して
感じてみるというのも無駄ではないと思います。


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2017年07月26日

アニメ「僕のヒーローアカデミア 第1期 #1 緑谷出久:オリジン・#2 ヒーローの条件」わが子の魂を応援する言葉とは?



夢みたいなことばかり言ってないで
現実をみさい!

これほどわかりやすく
夢を否定してくれればまだいいですよね。

反発しやすいから。

わが子を心配する親心とわかっていても
ここまでストレートだと
反対の方向に跳ね返せばいいから
反発する方も楽なんです。

もちろん言われる側の
性格にもよりますけどね。

ところが違う親心の表現、
一見、理解ある親、優しい親に見える表現の方が
真正面からの否定よりも
深く子どもの心を傷つけることがあります。



中一の息子が友達と新たなトレーディングカードにハマり
そのアニメを観たいと言い出しました。
週刊少年ジャンプの人気マンガが原作のようです。
DVDを借りて見せていたら、とても真剣に観ていたので
「チチも1話目から見ていい?」と初めから観てみました。

アニメ「僕のヒーローアカデミア」
第1話「緑谷出久:オリジン」
第2話「ヒーローの条件」


を観ました。

総人口の約8割が
何らかの超常能力“個性”を持ち、
社会を守る“ヒーロー”という職業が
確立された世界。

緑谷出久はヒーローになることを夢見て、
名門・雄英高校ヒーロー科への入学を
目指していました。

しかし、彼は何の“個性”も持たない“無個性”。

“個性”がある者とない者の格差という
現実を痛感する日々を過ごしていました。

ある日、出久は強盗をはたらき逃亡中だった
敵(ヴィラン)に襲われてしまいます。

そこに現れたのは、
出久が幼い頃から憧れていた
人気・実力共にNo.1のヒーロー、
オールマイトでした。

オールマイトはヘドロヴィランから
出久を救出します。

出久が勇気を振り絞り立ち去るかれに
「個性がなくてもヒーローになれますか?」
と彼に問いかけます。

オールマイトは過去の戦いにおける
古傷を見せ、未だに引きずる秘密をさらし、
「ヒーローはいつだって命がけ」だと、
無個性の人間に無責任なことは言えないと告げ
去っていきます。

夢を叶える厳しさを憧れの人から告げられ、
出久が絶望していたとき、
街で爆煙が上がります。

いつもの癖でヒーロー見たさに
現場に向かった出久。

彼の目に飛び込んできたのは
いつも無個性の自分をいじめてきた
幼なじみのクラスメート爆豪を
取り込もうとするヘドロヴィランでした。

一方、野次馬の中から
その様子を見ていたオールマイトは
先の変身で力を使い果たし
しばらく変身出来ない自分に
歯噛みをしています。

爆豪の苦しむ顔を見た出久は・・・



主人公の出久がまだ4歳の頃、
彼が心を痛める大きな出来事がありました。

ヒーローに憧れていた出来は
自分にどんな“個性”が現れるか
心待ちにしていました。

ところが平均的に
“個性”が表れるとされている4歳の時、
医師の診察により
“無個性”と診断を受けます。

暇さえあれば
オールマイトの動画をせがんで見ていた
出久の夢を知っていた母親は
見るからに大きなショックを受けている
幼いわが子を抱きして言いました。

「ゴメンね、出久・・・ゴメンね・・・」

出久は更に涙を流します・・・

それでも夢を諦められず
雄英高校ヒーロー科を目指してきた
中学生の出久。

彼は、幼なじみ爆豪が救出されたあと
オールマイトの言葉に自分の胸ぐらをつかみ
泣き崩れてしまいます。

「僕があの時、
母さんに言って欲しかったのは・・・」

・・・

「弱虫ペダル」以来、久しぶりに
少年マンガで泣いてしまいました!

4歳の出久は当時、母の言葉に傷つきます。
母が傷ついているのも分かりますから
反発もできない。

反発できれば「なにくそ!」
という力を生み出しやすくなります。

一緒に傷つき一緒に泣いてくれる母を
恨めるような子ではありません。
でも、母の言葉は現実を容赦なく
突き付けることと同じでした。

それでも出久は諦めず
夢を追ってきたおかげで
10年越しに報われることになります。

母もまた、あの時に
ひどいことを言ってしまったと
自分を責めていたようです。

子どもが親に求めていること・・・
出久が母に求めていたことは
全ての子が親に渇望していることです。
魂の原点レベルで求めていること。

それはわが子への絶対的な信頼。

出久は少年マンガの主人公ですから
強い思いを持ち続けていましたが、
本来はこの強い気持ちを育めるかどうか
という重要なポイントでもありますよね。

夢を叶えられるか?

それはもちろん誰にもわかりませんよね。
それでも、夢に向かって精一杯生きること
もって生まれた才能を精一杯使うような
生き方をする事は誰にでも出来ることです。

誰にでも平等に与えられている力。
命を使い尽くす力。

それを信じてあげることはできるはずですよね。


          全ての物語のために









ラベル:アニメ 僕のヒーローアカデミア 第1期 #1 緑谷出久:オリジン #2 ヒーローの条件 わが子の魂を応援する言葉とは? 夢みたいなことばかり言ってないで 現実をみさい! これほどわかりやすく 夢を否定してくれればまだいい 反発しやすい わが子を心配する親心 ストレート 反対の方向に跳ね返せばいい 反発する方も楽 言われる側の 性格 違う親心の表現 一見、理解ある親、優しい親に見える表現 真正面からの否定よりも 深く子どもの心を傷つけることが 新たなトレーディングカード アニメを観たい 週刊少年ジャンプ 人気マンガ 原作 中一の息子が とても真剣に観ていた チチも1話目から見ていい? 第1話 第2話 ヒーロー 個性 無個性 ヴィラン オールマイト 緑谷出久 個性がなくてもヒーローになれますか? 暇さえあれば せがんで見ていた ゴメンね・・・ 「弱虫ペダル」以来 少年マンガで泣いて 母もまた 自分を責めていた 子どもが親に求めていること 母に求めていたこと 全ての子が親に渇望していること 魂の原点レベルで求めていること 夢を叶えられるか? それはもちろん誰にもわかりません それでも、夢に向かって精一杯生きる 才能を精一杯使うような 生き方をする事 誰にでも平等に与えられている力 命を使い尽くす力
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2017年07月25日

スペシャルドラマ「ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編(後)」悟りきったと思った時点で退化している



自分の常識以外の世界に目を向けること
自分の経験則以外のことを信じること

それを苦手な大人がいます。

沢山います。

それはとっても残念なこと。

さとり世代が今回の作品の中でも
取り上げられますが、
「悟った」と勘違いして
わかったつもりになっているのは
さとり世代に限らず
大人・・・いや、オトナモドキの中には
沢山いますよね。

「悟った」ってなんなんでしょうね。

わたしは父が禅をやっている影響で
「悟り」というものがどういうものか
幼少のころから教えられてきたし考えてきました。

「悟り」というのは全てを分かるということではなく
ひとつの気づきであって、一つ悟ったら更に
その上の悟りがある。

つまり、死ぬまで永遠に「悟り切る」という状態はこない。

ですからわかった風な顔をしている大人こそ
何もわかっていない。
悟りということそのものを分かっていないオトナモドキ
だと、わたしは早い時期から捉えるようになっていました。

分かった風な物言いをする大人の言うことは
自分が知らないことなら素直に学び
同時に「本当にそうか?」「本当にそれだけか?」
とも考え始める。

自分自身の気づきについてももちろんそうです。
「わかった」と思ったら次の理解、もっと広かったり
もっと深かったりする認識がないかと感が始める。

そういう視点が持てる人と
自分の常識の殻から飛び出そうとしない人の
違いってなんなんだろうと、常に考えています。



さて、夏休み間近、息子や姪たちが受験生になる前に
もう一度みんなで実家に集まる予定。
いい夏になりますように。

スペシャルドラマ
「ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編」
後編


を観ました。

山路が教員をやめていなくなった!

正和とまりぶは慌てて山路の行方を捜します。

情報は意外なところからもたらされました…
元ゆとりモンスターの山岸です。

ネットで「山ちゃん」と検索すると
山路が故郷のホームセンターで
女性と映っている写真が出てきました。

山路の故郷へ行く正和とまりぶ。

故郷では「山ちゃん」はヒーローでした。
そんな山ちゃんを傷つけてしまったと
自己嫌悪に陥る正和でしたが、
やっとのこと実家を突き止めて
山路の父母に話を聴くと…

実は、東京での失恋がもとで
帰って来たとのこと。
しかも、当の本人は
いきなり久美と娘を連れてきて
両親に駆け落ち宣言。

そのまままた居なくなってしまったというのです。

そのころ山路は坂間酒造を訪ねており…



坂間家は茜にとっては家族じゃなくて社会…
だなんて言いながらも
久美との対比でやはり茜にとっても
家族になりつつあることが見えてきます。

久美も山路の同級生なのでゆとり世代ですが
久美に言わせれば世代論なんて
東京での話だろうという意見でした。

少なくとも久美の田舎では
誰もそんなことを言う人はいないし、
なによりも中卒の久美にとってはそんなことは
気にしている余裕もなかった…

これから母親になろうとしている茜と
久美の対話を聴きながら、世代論なんて
本当にその程度のものなんだろうなと思いました。

さて、そんな久美ですが、
若くして結婚した旦那もまた未熟で
久美に暴力をふるうし、娘にも手を挙げる。

久美は一旦暴力をふるうと手が付けられない夫を
「どうしようもない」と思っている。

さらに、これもリアルなのかもしれませんが、
久美は男とはそういうものだと思っているんですね。

最初は優しいけれど一緒になると
暴力をふるいだすものだと。

だから、山路のこともそうなると諦めている。

寂しい話です。

イケイケな感じのまりぶでさえそんなことはしない。

久美の娘が「山路はそんなことはないよ!」
と母に力説しますが、それをきいたまりぶも
「おじさんもそう思う」と穏やかに言い添えました。

理想と現実のギャップにやられやすい性格
というのもあるようです。

思い描いていた理想を現実が打ち砕いたとき
そのショックに耐えられない。

だから次から理想を持たないようになる。
初めから「こんなもんなんだ」と思っていれば
「ほらやっぱり」と思えるだけなので
傷つかなくて済む。

…という理屈ですね。

そのこと自体は悪いことではないし
むしろ幸せ力のひとつでもあると思います。

過大な期待をして傷つかないための防衛策。
もっと上手になると、過大な期待をしない、
悪くても文句は言わない。
その代り、ほんのちょっとでも良いと
めちゃくちゃ感動できる、喜べる…

そんな風に使えるスキルでもありますからね。

でも、だからと言って世界を決めつけるのとは
やっぱり違いますよね。

もう自分はわかってしまった
悟ってしまったと思っている大人

自分が知っていること以外の可能性を
受け入れようとしない…オトナモドキ

彼らはなぜオトナモドキになってしまうのでしょうか?

彼らが自覚しているしていないに関わらず
怖いからです。

恐れている。

未知のこと、分からないことを恐れている。

分かったと思って分かっていることの範囲内で
生きていれば怖がる必要がないんですね。

久美のように暴力を振るわれても怖くないの?

という疑問も生まれると思いますが、
未経験、未体験の得体のしれない恐怖よりも
既に知っている恐怖の方が人間は耐えやすい。

恐れている自分と向き合うのが怖かったり
認めたくなかったりすると
さらに頑なさを幾重にもまとって
がんじがらめに心の防壁を作ってしまう。

わたしたちにできることは、せめて
その勇気を持てるように語りかけることと
目の前でその壁の外に飛び出す自分を
見せてあげることくらい。

それしかできないけど、
それだけは徹底的にやらないといけないんだろうな
と思っています。

そして、どこかに「それしかできない」
という答えに対しても「もっとあるかも」という
視点は忘れないように。



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2017年07月24日

スペシャルドラマ「ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編(前)」わたしたちが使えなかった脳の使い方をしている人たちに託せ!



人が普段使っている能力は
人間の脳の本の一部だそうです。

まだまだ脳には未知の領域が
たくさんあって
その部分に秘めた能力が
引き出されたときにどうなるのか?

そんなことを考えると
おっかなびっくりとわくわくで
ロマンが広がっていきます。



さすが宮藤官九郎脚本作品
と言える大好きなドラマ


スペシャルドラマ
「ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編」
前編


を観ました。

いつも賑やかな坂間家では
嫁にきた茜が何やら不満そうです。

坂間正和(岡田将生)はなぜか
派遣会社の営業、富田(清野菜名)に
職の斡旋を依頼している様子。

坂間酒造は土地開発で
モノレールが通ることになり
立ち退きの対象となっているとのこと。

行政から3億5千万円の立ち退き料が入る
という話で坂間家はバブルが再来。

バブルの気配を嗅ぎ取った
麻生(吉田鋼太郎)まで乗り出して
不動産仲介を始める騒動に・・・

坂間酒造は立ち退きと同時に
借金を返して閉店。
正和は跡を継ぐ必要が無くなるため
就職先を探しているのでした。

一方、山路(松坂桃李)は
勤務先の学校では学年主任を押し付けられ
保護者のクレームと先輩教師の板挟み。

おまけに恋人の佐倉悦子(吉岡里帆)が
嘘をついて他の男と会っているのを
見てしまいます。

そんな折り、正和が山路を呼び出し
2人で飲んでいると、
偶然大学の同期と飲んでいた
まりぶ(柳楽優弥)もいて3人で飲むことに・・・

まりぶはOB訪問で企業を回っている様子。

それぞれ胸に抱えるものを持つ3人。

まりぶが妻と一緒に店を出たあと
飲み過ぎた坂間に山路が
その日が茜ちゃんの誕生日なのに
こんな時間まで飲んでいて大丈夫か?
と問います。

慌てた坂間でしたが、酔いのせいで
その慌てぶりは山路への八つ当たりに
転化して・・・



世代論を考えるのは面白いですね。

この「ゆとりですがなにか」は
社会に出始めたゆとり世代を主人公にした
ドラマでした。

世間からのゆとり世代の捉えられ方や
そのなかでの彼らの苦悩、
同じゆとり世代でもゆとりモンスターと化した
後輩など、様々な問題が取り上げられました。

今回のお話では、脱ゆとり世代…
ゆとり世代の次の世代が登場します。

“さとり世代”というのだとか…

正和が勤め先を探すときに頼りにしている
派遣会社の営業担当・富田が
まさにさとり世代でした。

彼女自身の解説によると、
ゆとり世代までの上の世代を観ていて
社会や未来に大きな期待をしてもムダだと
「さとった」世代なのだとか…

聞いていると「悟り」というより「諦め」でしょう?
とオジサンとしては説教したくもなります(笑)
本来「悟り」とは「明らめ」からくるものなので
そのあたりのよくある履き違えだろうと…。

結局、正和にしても、山路やまりぶにしても、
若者らしく、生きがいを求める熱さを持って
一生懸命生きていました。

さとり世代もドラマの中で富田1人が
わかりやすくさとり世代という言葉を
説明して見せただけで、
結局は、それぞれに抱えた問題があり
一生懸命生きているのだろうと思います。

わたしが世代について考えるのことを
面白いと感じるのは、父親をやっているから
というのは大きいと思います。

息子たちの世代にとっては、
カセットテープやMDなんて化石でしょうし
ビデオテープも知らない子も多い。

インターネットもケータイも物心ついた時から
当たり前にあって、気が付いたら世の中は
ケータイからスマホに代わっていて…

ゲームもカセット(ソフト)を入れて遊ぶ
ゲーム機よりもスマホやタブレットが主流になり
AIだのVRだのが世にすでに出始めている…。

親は、いつからネットやスマホを持たせていいか?
悩んでみても、周囲にはそんなものはいくらでもあり
どんどんそういうものに触れていきます。

そんな幼少期を過ごした子たちが
いったいどんな風に世の中を感じとり
どんな感覚で社会を観ているのか…

大人からしたら、おっかなびっくりですよね…

でも、そう考えるとわたしたちよりも上の世代、
バブル世代、団塊世代も戦時中の世代から
同じように観られていたことでしょう。

わたしたち団塊ジュニア世代も
引きこもりやニートなんていう問題があったように
多かれ少なかれどの世代もそういうものを抱えている。

でも、古い世代から見て理解できないから
「わからないもの」をせめる気持ちが先に立つ
ということはあると思いますが、
正直、そこはわたしにはワクワクでもあります。

わたしたちが使わなかった脳の使い方をしている。
わたしたちができなかった物事の捉え方をしている。
わたしたちが持てなかった感覚を持っている。

そう考えると、やはり人間は進化している。
進化していく。

と考えられますよね。

わたしは不可解さよりも、未知の可能性に
目を向けてワクワクするように
自分自身を仕向けています。

なぜなら親だから。

親だからわが子に未来という未知の世界が
開けていることを全面的に喜んで
その未知の人生をわが子が
自ら切り開いていくことを全面的に信頼する。

それが親に求められる
わが子への信頼だと思っているからです。


          全ての物語のために










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