2017年10月08日

アニメ「タツノコ・レジェンズ インフィニティ フォース #1 ISOLATED FLOWER」その2 テクノロジーの意味



わたしは子どものころ
ガッチャマンが大好きでした。

とはいえ欲しいものは何でも
買ってもらえるわけではありません。
ごく普通の家庭です。

貧乏ではなくもお金持ちではない。
だからそうそうおもちゃも買ってもらえません。

その代わり母がよく切り絵のように
紙をハサミで切ってガッチャマンの
シルエットのような紙人形を作ってくれました。

今、大人になったわたしが挑戦しても
あんなにクオリティ高くは切れない
というくらい高いクオリティの
ガッチャマン人形。

体型を変えて、ガッチャマン全員分
作ってもらったりしていました。

幼稚園児のころ、いじめっ子がいて
わたしは帰り道でよくイジメられていました。

でもあるとき、母が連れていってくれた
ガッチャマンの舞台ショーで
着ぐるみのガッチャマンたちがつかった
格闘の技を観ました。

ちょうど翌日、幼稚園の帰り道で
いじめっ子に羽交い締めにされて
ガッチャマンの舞台で観た技を披露。

いじめっ子が道路に転がりました。

それから暴力も振るわれなくなりました。

わたしはとにかくガッチャマンが好き。
とは言っても、大人になってから
DVDをそろえるとか、アニメを
見返すということはしていません。

あのスタイルやフォルム、シルエットが
大好きだったんですね。



気がついたら今日までに合計4回観ています。

アニメ「タツノコ・レジェンズ インフィニティ フォース」
第1話「ISOLATED FLOWER」


現代の渋谷で暮らす女子高生の前に
突然現れる4人のヒーロー。

科学忍者隊ガッチャマン1号
破裏拳ポリマー
宇宙の騎士テッカマン
新造人間キャシャーン

別の世界からなぜか現代日本に
やってきてしまった彼らも
戸惑いながら女子高生、笑を守ります。

彼らはなぜこの世界に現れたのか?
なぞの男ゼットとは?

親の愛を知らずに自暴自棄になっている
少女、笑が手にした物の正体は・・・?



昭和50年、1975年前後、
タツノコプロのアニメのヒーローたちを
3DCGアニメーションと言う形で
カッコよく現代によみがえらせています。

正直、1回目の鑑賞の時は
ストーリーが薄っぺらいとか
少女キャラクターが人形みたいだとか
好き勝手なことを思って
このブログの記事にも書きました。

何ヶ月も密かにワクワクしてきたので
今さらガッカリもしたくなくて
はじめからそういうものだと思い込もうとしていた。

・・・ということだと思います。

本当はしっかりガッチリきっちりと、
ハマってしまった様子です。

放送の翌日に初見、
翌々日には2回観てしまいました。
そして、今朝ももう1回(笑)

これでハマっていないとは言えない。
書いてたらまた観たくなってきちゃいました。

人間の動きがモーションキャプチャーで
役者の演技からちゃんとキャプチャされていて
細かいところまでちゃんと演技されている。

このあと、話も膨らんでいきそうな期待感もあるし
編集や映像のテンポ、物語のテンポも
とても心地いい。

素直に見れば何度も観れる・・・
何度も観たくなる。
もちろん、ヒーローたちのカッコよさあってですが。

前回、ヒーローたちが車の中で
スマホとガラケーに翻弄される様子から
わたしが得たインスピレーションについて
書きました。

遠い未来を描いたSFの世界のヒーローたちが
現代の日本にやってきてわたしたちが
生活に使っているテクノロジーに触れて
戸惑っている。

SFアニメが描いた世界とはだいぶ違うけど
技術としてはすでに追いついている。

追いついているけど違う、交わらない。
パラレルワールド。

SFの世界はフィクションです。
わたしたちの世界は現実です。
そんなことはみんながわかっている。

でもこの現実と言う言葉を「生活」に
置き換えたらどうでしょうか?

科学技術、商品、サービス・・・
全て生活を支えるモノ、生活の延長にある。

わたしたちひとりひとりが子どものころに
思い描いていた夢も
SFアニメのようにパラレルワールドなら、
そのイメージの中にある本質を
今のわたしたちの生活に密着したもに
近づけてみると、夢のかなえ方も
叶ったときの夢のあるべきカタチも
もっともっと具体的に見えるのではないか?

改めて整理してみると
そんなひらめきだったわけです。

そして、そのことに考えを巡らせていて
ふと思いました。

でも、もしもこの「インフィニティ フォース」が
3DCG作品ではなくて、普通のアニメーションだったら?
あるいは普通の実写映画だったら?

こんなインスピレーション、こんな気づきは
得られなかったんじゃないだろうか?

・・・と。

いくら、現代の渋谷の街を描いているとはいえ
つくりモノの映像の世界。絵空事です。

でも、よりリアルにわたしたちの生活に
密着している景色です。

絵空事寄りのアニメでも生々し過ぎる実写でもなく
その中間的な3DCGアニメだったから、
夢と現実の橋渡し的なインスピレーションを
得られたんじゃないだろうか?

正直、CGアニメで映画やアニメのように
お話の世界に入り込めるのかな?

と映画好きのオジサンとしては懐疑的でした。
「トイ・ストーリー」のようにCGと言えど
アニメらしい世界ならまだしも
まるでプレイステーションか何かの
ゲームのCGのような、人形が動いているような
無機質な映像で感情移入出来るのだろうか?

・・・と。

でも、それもまた古い感覚で、
わたしの場合は劇場用映画「キャプテンハーロック」で
その懐疑的な考えは完全に捨てました。

その前に弟が「バイオハザード」のCG映画を
見せてくれていたのも抵抗が少なかった要因です。

SFの世界ではコンピューターが人間にとって代わり
AIと人間の戦争みたいな話も沢山つくられます。

でも、現にわたしたちの生活に視線を落とすと、
ロボットもAIもクローン技術も
わたしたちのこの先の生活・・・高齢化社会を
支える必要不可欠なテクノロジーになってきている。

VR(バーチャルリアリティ)で歩いている
ときのようなリアルな映像を見たら
歩けない人の治療に効果がある・・・
なんてことももうわかってきている。

エンターテインメントの世界も、
わたしたちの新しい感受性を少しだけ広げる。
感性が感じる可能性を少し広げる。

そういう意味で3DCGアニメも
わたしたちの生活に密着した
新しい身近なテクノロジーになってきているんですね。


           全ての物語のために













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2017年10月07日

ドラマ「奥様は、取り扱い注意 #1」あなたは自分の怖さを知っていますか?



わたしは常に正しくありたいと思っています。

でもわたしがわたし自身に言い聞かせている
「正しさ」の中には
間違いや怠惰やズルやウソなど
普通なら「正しくない」と言われそうなことも
含まれています。

要するに、完璧な人間なんていないし
人間が人間である以上は
死ぬまで完璧にはなれない。

それをわかった上で、
自分をそんな人間のひとりとして
バランスのとれた人間でありたい。

という意味での「正しさ」ですね。

人間は死ぬまで完璧にはなれない。
だから成長努力なんて無駄・・・は正しくなく
だから死ぬまで1ミリずつでも成長を続ける。

これも正しさ。

でも、自分の正しさを人に押しつけると
それは正しさではなく間違い。

そういうことも理解し
バランス良く実践できている自分で在りたい。
そう在るように努めよう
少しでもそんな自分になれるように
にじりよって行こう。

そんな感覚なのですが、
その自分の在り方全てにおいて
本当にコレで大丈夫なのか?

と不安になることがあります。



今シーズンのドラマスタート!
他のドラマも始まってはいるようですが
わたしにとっての第1弾はこれでした。

ドラマ「奥様は、取り扱い注意」
第1話


を観ました。

伊佐山菜美(綾瀬はるか)は、
高級住宅街に暮らす専業主婦です。

合コンでひとめ惚れしたIT企業経営者、
勇輝(西島秀俊)と穏やかな新婚生活を
始めて半年。

料理が下手で、夫が夕食を
自宅で食べてくれないことが悩みです。

実は、菜美は夫にも隠している
過去がありました。

ある国家の秘密工作員だった過去を捨て
命がけで普通の暖かい家庭を
手に入れたのです。

しかし、平和な暮らしに
飽きはじめてもいました。

そんなある日、菜美は隣人の主婦、
優里(広末涼子)と京子(本田翼)に誘われて
料理教室に通うことになります。

経験豊富なお姉さん的存在の優里と、
好奇心旺盛で人懐っこい妹的存在の京子。

料理の味付けから、夫をその気にさせる
ムードの作り方など、
今まで縁のなかった“主婦の知恵”を
2人からアドバイスを受けます。

そんな中、同じ料理教室に通う知花(倉科カナ)が
夫からDVを受けていることを
見抜いてしまった菜美。

優里と京子に相談し、
知花の本音を聞き出すために、
3人はまずは知花の“親友”になろうとします。

゙少しずつ菜美たちに心を開き始めた知花は、
夫の喬史に支配されている生活について
話し始め菜美たちに助けを求めました。

菜美たちは知花を救うために
喬史に直接話をしますが
知り合ってわずか数週間の菜美たちには
手のだしようがない溝がありました。

“ただの主婦”がこれ以上介入することは
できないと知った元秘密工作員、菜美は…



さすが金城一紀さんの作品です。
エンターテイメントのツボを押さえています。

次回からどのような流れになるのか
これからのお楽しみですが
今回は「必殺仕事人」みたいなお話でした。

昔は「ザ・ハングマン」なんて
作品もありましたね。

それの主婦版みたいな感じかな。

息子も「オレの好きな感じ。
録ってて良かった」と気に入っていました。

さて、画に描いたように悪いDV夫、喬史。

彼は高校生のころから知花を取り込み
喬史なしでは生きられないと
思いこませていました・・・

というのは優里の解釈ですが、
喬史が意識していようがいまいが
実際にそういう面はあるのでしょう。

わたしは自分でもウブだなと反省したのですが
喬史本人は本当に「知花のため」
だと思って暴力を振るっているのだと
解釈して観ていました。

だからたちが悪いな〜と。

でも、なんだ。
自分が悪いことをしているって自覚
あるんですね。

自分の暴力を隠しているのが
何よりの証拠です。

喬史が自覚しながらやっていることを
見抜けなかったわたしは
知花と感覚が近いのでしょうか?

わたしが女性だったら
知花のように「逃げられない!」
って思ってしまうのかな。

自分が悪いことをしている自覚があるなら
まだ周囲は救いがありますね。

今回、菜美がしたことは
喬史に自覚があるからこそ
効果のある方法でした。

しかし、コレ自覚がなかったらどうでしょう。
そっちの方が怖いですね。

自分が本当に正しいと思ってやっていたら?

わたしは正しく在ろうとする自分や
そういう自分に少しでもなろうとしている自分
常に成長を意識している自分を
正しいと思っています。

なぜなら人はそうあるべきだと思っているし
大人はそういう姿を子たちに見せるという
責任がある。

それをわかっていないなら大人失格だし
もちろん大人失格者が親や教師なんて
やって良いわけがない。

という理論になっていきます。

主観・個人的感情もきっと多分に
含まれています。

でもそれを押しつけると、
自分も含めたほとんどの大人が
大人失格になってしまう。

なぜなら誰もが成長過程だから。

大人も常に成長が必要だなんて認識を
全く持っていない大人モドキさんが
いたとして、
その人でさえも「気づく前」という
成長段階の一過程のある時点にいるに過ぎない。

だとすると、
「大人モドキが大人みたいな顔するな!」
と腹の中にわき上がる自分の感情が
間違いということになってしまいます。

だから自分が正しく在りたいと思い
正しさとはどんなことか?
というものを持っていることは
在る意味大事なのですが、
それが絶対でもないということも
理解しておかないと
正しさだけで生きるという間違いを犯す。

ということですよね。

だから、自分の悪さ、自分の間違いを
認識できないことが一番怖い。

喬史は「おまえの成長のため」だと言って
知花を殴っていました。

それが本当は悪いことだとわかっていた。
だから最終的に知花が救われる道があった。

でも、わたしが正しい在り方だと
思っていることをわたしが一切疑わなければ
わたしの家族や周囲の人たちは
迷惑せんばんですよね。

それ、怖い。

        全ての物語のために








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2017年10月06日

アニメ「タツノコ・レジェンズ インフィニティ フォース #1 ISOLATED FLOWER」夢と現実がパラレルワールドなら・・・夢の叶え方が見えてこないか?



夢を実現できる人と夢が夢で終わる人。

その違いには行動力や意志の強さ
才能や努力などの差がある。
運というのもあるのかもしれません。

でも、それだけではない
本当はもっと大きなある見落としが
あるのかもしれません。

わたしはずっと感じていました。

小説やマンガ、映画やドラマを観るのが
大好きなわたしですが
一方ではビジネス書や自己啓発系の
本も大好きでどんどん読んでいます。

いわゆる成功者、とくに
ただ富や名声を得たというだけではなく、
幸せに生きている人たち。

つまり“成幸者”たちは、
凡人が思う努力や才能や行動力などとは
また違う次元の“何か”をわかっている。

わたしはそれが彼らとわたしたちの
精神の違いだと感じていました。

そして、精神は思考の上の次元。
だからその精神を学ぶ手がかりとして
彼らの思考を学び、精神を知ろうとしてきた。

それでもなかなか見えない
彼らにわかっていて、
わたしにわかっていないこと・・・

その一つ、ほんの片鱗かもしれませんが
今回かいま見えた気がしました。


この作品の放送決定を知ってから待ちに待ちました!
やっとこの日がやってきた〜!!

アニメ「タツノコ・レジェンズ インフィニティ フォース」
第1話「ISOLATED FLOWER」


現代、東京渋谷に暮らす女子高生、
界堂笑は、高級住宅地の邸宅に一人で
暮らしているようです。

裕福ではあるが孤独な生活・・・
親は海外で仕事をしていて
高額な仕送りで不自由はない。

しかし、それで自分が
大切に思われていることが伝わるほど
十代の心は大人じゃない。

笑は渋谷のど真ん中でバイクを飛ばし
信号無視をしてわざと命を粗末に扱う。

そんな日々を送っています。

ある日、駅前の交差点で突如上空に現れた
謎の光に身体を貫かれた笑は、
気づくと一本の大きな鉛筆を握っていました。

そして時空を超えて空から降り注ぐ
瓦礫の山と、正体不明のロボットの群れ。

戸惑う彼女を救ったのは、
まるでヒーローショーのような
コスチュームを着た男たち。

彼らもそれぞれ別の世界から突如
この世界にとばされた様で戸惑いながら
笑を助けます。

彼らとはガッチャマン、ポリマー、
テッカマンの3人でした。

そこには、いくつも存在している異世界を
全て壊滅させて理想の世界を作ろうとする
何者かの陰謀が働いていました・・・



第1話目ということで
4人のヒーローをカッコ良く登場させる
という必要があったからこんな感じなのかな?

と思うほど正直言いますと
ストーリーというか設定が非常に薄く
感じてしまいました。

特に女性のキャラクターは人形みたいで
全く感情移入できない。

そのあたりは始まった瞬間から
感じていたのですが息子の前で叫んでいました。

「そんなのどうでもいい!
カッコいい!完璧!!!」

・・・と(笑)

息子もあきれていました。
息子はどちらかというとスマートな
かっこいい孤高のヒーローよりも
楽しげな明るさ、親しみやすさの中に
かっこよさも見いだすタイプなので、
このヒーローたちは響かないようです。

キャシャーンを観て「ガンダムやん!」
とつっこんでいました(笑)。

ドラマが今後どのように展開し
どんな設定が浮き彫りになってくるのか?

それによっては良い作品になるのかも
しれませんがわたしはそこは期待していません。
(タツノコさんごめんなさい)

ただし、画づくりは完璧です。
ヒーローデザインも動きも完璧。

でも、ドラマ部分で良かったのは
ヒーローたちのキャラクターです。

お互い知らない世界のヒーローたちですが
一瞬で悪人ではないことを理解し
あり得ないほどのチームワークを魅せる。

それはまあどちらかというと
アクションシーン、画づくりの部分か・・・

わたしが気に入ったのはコスチュームを
縫いだガッチャマン、ポリマー、テッカマンが
現代日本の自動車の中で
ガラケーとスマホの操作に戸惑いながら
「オレはボタンが付いている方がいい!」
と取り合うシーンでした。

40年以上前に作られたアニメ。

当時描いた未来の世界。

パラレルワールド的な彼らの世界。
冒頭でガッチャマンの世界が
少しだけ出てきますが
現代よりは遙かに科学技術も発達している
というのはわかります。

でも、やはり独特の世界。違う世界。

そんな彼らの世界から観たら
現代のわたしたちの世界ももう
「高度に科学技術が発達した」異世界
に見えてもおかしくないのかもなと思えます。

言い換えればそれだけ発達している。

わたしたちが子どものころに
思い描いていたSFの世界を
いつの間にか実現してしまっている
ということではないでしょうか?

そのことを普段あまり意識しないのは
そういった科学技術が生活に密着していて
未来感よりも生活感がありすぎるから。

思い描いた未来が夢の世界だとすると
実現しているのに気づいていない。

これに気づけないということは
逆に言えばいつまでも夢は夢、現実は現実
ということになってしまわないでしょうか?

わたしが夢として追いかけてきたもの・・・

それが生活の延長として捉えられていない。

いわば生活臭漂う今と夢の世界は
パラレルワールド。

もともと交わることのない世界。

「夢ばかり見ずに現実を見ろ」

これは本来、夢や希望を持つな
ということではなく
生活臭漂う今このときのままの世界の
延長線上に、その夢の世界で描いていることを
持ち込んで適用させろということではないか?

あのガッチャマンやポリマーたちが
スマホに戸惑う姿を見てそんな感覚に
襲われました。

わかっている人にとっては
「何を当たり前のことを」
と思われることでしょう。

しかし、きっと多くの夢見がちな人たちには
これって夢を実現する大きな
手がかりになるはずなんですよね。

ごめんなさい。

わたしもかいま見えただけ
掴みかけただけの感覚を言葉にしようと
努力してみているのですが
イマイチ伝わっているかどうか自信がありません。

これからもっと、この感じ方を
検証して生活臭ささの世界に
夢を引きずり降ろして
適用させてみたいと思います。


       全ての物語のために








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2017年10月05日

ドラマ「ガリレオ 第1シリーズ #2 離脱る(ぬける)」その2 デート、結婚式の挨拶・・・etc…緊張する余裕すらなくなるとき



初デートで緊張するのは
全ての男女が抱える悩みですよね。

そこを何度か乗り越えて
家庭を持っている身からすると
その悩みは解決するというよりも
むしろ思いっきり味わって
いい思い出にしてほしいなと
微笑ましく感じてしまいます。

とは言え、わたしも人前で話をする機会が
たまにあるのですが
何度やっても緊張します。

それに関しては解決したい!
(笑)

それには、同じ用な状態なのに
緊張しなかったな・・・

という経験が一度でもあると
解決の糸口になりますよね。



残念ながら本放送当時に時間延長で
放送された回に関してはカットされているので
保存版にはせず観たら消していますが
この作品はDVDでも良いので保存版を
持っていても良いかな〜と思うほど。

ドラマ「ガリレオ 第1シリーズ」
第2話「離脱る(ぬける)」


を観ました。

薫(柴咲コウ)は、再び
湯川(福山雅治)のもとを訪れ
捜査協力を頼んでいました。

今回問題になっているのは1枚の絵です。

その絵は、殺人事件のアリバイを裏付ける
証拠になるかもしれないもの。

しかし、簡単にその絵を
信じるわけにもいきません。

その絵は、10歳の少年が
幽体離脱して見た風景を描いたもの
という証言だったのです。

管内のワンルームマンションで
OLが腐乱死体で発見されていました。

監察医の桜子(真矢みき)によれば、
死因は扼殺による窒息死。
死後4週間が経過しているとのこと。

薫や弓削(品川祐)たちは、
死亡推定時刻から、事件があった時刻に
被害者を訪ねたと思われる
保険外交員・栗田(石井正則)から
事情を聴いていました。

しかし栗田は、その時間は川沿いに
車を停めて寝ていたと言います。

そんな折、事件を知った
上村(小市慢太郎)が、
息子の忠広(今井悠貴)が描いたという
赤い車が停まっている川の絵を
送りつけてきたのでした。



忠宏が熱を出して自室で休んでいる時に
川沿いの車や自宅を訪ねてくる
近所の幸恵(虻川美穂子)の姿が
見えたのは本当のようです。

しかし金に困っていた上村が
息子の話を誇張して
幽体離脱説にでっち上げています。

とは言え、忠宏の部屋と
問題の川沿いの間には大きな工場があり
そもそも川沿いが見えるはずが無い。

そこを解明するのが湯川先生の仕事。

ですが、湯川先生は子どもが苦手です。
本人は「苦手じゃない嫌いなんだ」
とおっしゃっていますが、苦手のようです。

この話のラストでそれは顕著に観られます(笑)

そんな湯川先生が、
父親に嘘をつかされているであろうことを
察して忠広の隣に自ら腰掛けて
話をするシーンがありました。

また、問題のラストシーン直前は
忠広と湯川は目を観て思いを確認し合います。

それぞれ、なぜ子供嫌いの湯川先生が
自らそんなことをやれたのか?

これは人前で緊張する人の悩みを
解決する一番大事なポイントです。

湯川先生は、このときだけは、
相手が自分の苦手な子どもだとか
そういうことは考えていなかった。

ただ純粋にシンプルに忠広の心中を
心配していた・・・という事です。

純粋に伝えたいことがあった。
純粋に相手のことを考えていた。
自分の苦手意識が吹っ飛ぶくらい純粋に。

これがポイントですよね。

わたしも人前で何かを伝えたいとき
最初は緊張していても
自分の伝えたいことに熱がこもってくると
「伝わってるかな?」「届いているかな?」
「伝わってくれ!」
という気持ちが優先して
今自分が大勢の人の前ではなしているんだ
ということを忘れてしまっている瞬間が
ありました。

つまり緊張することを忘れている(笑)

デートのときもそうですね。
「伝えたい」「この人の話を聞きたい」
その欲求に集中すると
緊張のことを忘れてしまいます。

プロのスピーカーは、本気で相手のために
と思っていたら緊張する余裕はないよ
・・・と言います。

しかし、そこまでの自分になるには
簡単にはいきません。

人は自分のことで精一杯になりやすい。
でも、伝えたい、知りたい、聞きたい、
という欲求は自分のものです。

もちろん伝わらなければ意味がないし
相手の話を理解しなければ意味はない。

だから自分の欲求に集中することも
結果的には相手に対して誠実な態度です。

まずはそこからで良い。
伝えたい、この人のことを知りたい
その欲求に集中して話をしてみる。

そこから始めれば緊張する回数も
どんどん減っていきますよ。


        全ての物語のために







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2017年10月04日

「スタンド・バイ・ミー」自分の目標を応援してくれる存在



わたしは身近な人に常に支えられています。

例えば妻や息子の存在?
それはもちろんなのですが、
単に存在そのものがという事ではありません。

それはとても需要で尊いことなのですが
今回はそういうお話とはすこし違います。

自分が目標に向かってやっていること
あるいは目標への思い。

そういう物事を認めて、応援してくれる人。

具体的な計画や行動の意味を知っていてくれて
励ましてくれる人。

そういう存在のことです。

常にそのときそのときで、
自分が為そうとしていることを
応援してくれる人がいる。

これって達成するためにはとても
大きな力だと思うのです。

いや、達成するためには自分の中からわき出す
本気度がなによりも必要なのですが、
うまく行かないとき、迷いが生じるとき、
見失ってしまいそうなとき、
諦めてしまいそうなとき・・・

そういうときに、
そんな人たちの言葉のおかげで
諦めずに頑張れる。

その力をくれる存在がいるかいないかって
とても大きく人生を左右してしまいますね。



久しぶりにテレビで放送されたのを録画して
ふと再生してしまったら思わず最後まで
一気に鑑賞してしまいました。
本編が長くないというのもあるでしょうが、
名作は最初から最後までちゃんと観客を
引きつけるんですね。

「スタンド・バイ・ミー」

を恐らく10数年ぶりに観ました。

作家ゴードン・ラチャンスはある日、
『弁護士クリストファー・チェンパーズ刺殺される』
という新聞記事に目をとめ、
少年だった頃をふと思い起こします。

12歳だった頃、
ゴーディ(ゴードンの愛称)は、
オレゴン州キャッスルロックで育ちました。

ゴーディ、クリス、テディ、バーンの4人は、
性格も個性もバラバラでしたが
ウマが合い、いつも一緒に遊んでいました。

木の上に組み立てた秘密小屋。
そこに集まっては、タバコを喫ったり、
トランプをしたり、少年期特有の
仲間意識・・・絆は強くあります。

ある日、ポッチャリ目でトロいバーンは
不良グループである兄たちの会話を
盗み聞きします。

3日前から行方不明になっている
ブラワーという少年が、
30キロ先の森の奥で列車に跳ねられ
死体のまま野ざらしになっている
というのです。

そのことをゴーディたちに話すバーン。

「死体を見つければ有名になる。
英雄になれる」
興奮した仲良し4人は
意気揚々と死体探しの旅に出かけます。

喧嘩をしたり、助け合ったりしながら、
線路に沿って、冒険気分。

物語を書く才能があるゴーディは、
一番の理解者であった兄の死と
親に嫌われているという思いが
心の傷になっていて、
将来の夢も持てずにいました。

リーダー的なクリスは
コーディの物書きの才能は本物だから
諦めるなと力強く励ましまします。

クリスは家庭環境のも悪く
自分もワルぶっていましたが
教師の私利私欲に利用されたことで
ひどく傷ついていました。
ゴーディはクリスに進学を勧め励まします。

翌日、町の不良連中も死体探しに乗り出し
徒歩の4人とは違い車で死体の目撃現場を
目指し始めていました・・・



4人の旅だということ、線路沿いの画、
列車が迫る橋のシーン、
コーディーが語るパイの大食い大会、
不良たちとの対峙、ノスタルジックな雰囲気、
そういうことは覚えていたのですが、
4人が抱えている家庭環境など
背景にあるドラマに関しては全く
覚えていませんでした。

ああ、また観れてよかったな・・・

と素直に腑に落ちてくる名作。

ホラー作家として知られる
スティーブン・キング原作。
「ショーシャンクの空に」
「グリーンマイル」
と並ぶ彼のヒューマンドラマの名作ですね。

若くしてなくなった俳優リバー・フェニックス。
彼のまだ少年らしさ残る顔立ちに
凛とした雰囲気はすでに健在で
繊細でしっかりとした演技で惹きつけます。

ゴーディは賢くとも痩せていて
ひ弱な印象も受けますが
クリスはいかにもガキ大将です。

けれど頭もよく人望も厚いからこその
リーダー的存在。

リーダーといっても威張っているわけでもなく
4人は全員対等な仲間でした。

ゴーディとクリスがとくに
深く信頼しあっているのは
それぞれの知的な雰囲気による
共鳴があったのでしょう。

ゴーディもクリスも自分の中には
夢を追いたいどうしようもない衝動がある。
魂の奥の奥では自分が何者なのかを
わかっているのに現実がそれを
「夢だ」「幻だ」「叶いっこない」
と否定的な要素としておそってくる。

その苦しみをよ〜く味わってしまっている。

そんな2人だから、明らかに物語を語る
才能があるコーディが夢を諦めそうになると
クリスは黙っていられない。

本当はとても頭がいいのに
家庭環境のせいで自分は育ちも頭も悪いし
誰からも認められないと思っている
クリスを観るとコーディも黙っていられない。

この2人は明らかにお互いが
なりたい自分になるために強烈に
支え合った2人でしょう。

その強い根っこが形成される瞬間を
描いた作品だから名作なんですね。

わたしもそのもどかしさ苦しさは
人一倍感じている方です。

いっそ諦めてしまえれば
もっと楽なのかもしれませんが
諦め方がわからない。

だからラクではないけれど、
そのおかげで才能を持ち魂も
そうしたがっていると感じる人が
迷っていたりすると黙っていられません。

背中を押したり、諦めるなと応援したり
してしまう。
どうしてもそうしたくなる。

あなたの中にもそんな葛藤があるのなら
背中を押したいと思っています。

だからこんなブログも書き続けています。

あなたの身近にも誰か励みになる人、
励ましの言葉をくれる人がいることを
願っていますが、
「誰もわかってくれない」
「誰にも言えない」
という時期にいる人もいるかもしれない。

そういうときは、じっくりと
自分が自分の話し相手になって、
自分の中から力や可能性を見いだす時期です。

それは読書からだったり誰かの何気ない
たわいもない会話からだったり、
ドラマや映画のせりふだったり、
名も知らないミュージシャンの歌の中だったり
そういうものがきっかけになることも
あるかもしれません。

そういうメッセージを受け取れるのも
自分が自分と対話をしているからこそです。

魂がうごめいているなら諦める必要はない。

夢を、目標を叶えるつもりで
その可能性を探っていきましょう。


       全ての物語のために







posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする