2018年07月13日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #13 空虚な朝(Do Not Send Us Astray)」何を経験してきたか聞くのをやめて指示をくれ



初めてのアルバイトに行ったとき
就職して初めて職場に行ったとき

「こんな仕事、できそうにない!」
「本当にわたしにできるの!?」

と途方に暮れた経験はありますか?

きっと多くの人が経験しているはず。

「こんな仕事できない!嫌だ!」

って即行で辞めたという経験が
ある人も多いでしょう。

わたしもあります。
あろう事か、就職氷河期時代に
なんとか就職できて
親戚中を巻き込んで上京した上で、
1日目にそう思って2日目に職場で
業務に就きながら決断して
3日目の朝一番で辞表を出しました。

ホップステップジャンプ!の勢いです(笑)

辞める事がわるいとはまったく思っていません。
今でもあの時は辞めて正解だと
自信を持って言えます。

でも、腹をくくってやらないといけない
場面ももちろんありますよね。

うわ〜、これできそうにない。
と思っても、コレやるしかねぇ!
という時もあるんですよね。

辞めてしまった職場でも
続けられた職場でも
酷い先輩も、サバける先輩も、
優しい先輩も・・・
人は、いろいろな人がいました。

でも、結局は自分がどんな覚悟で
挑んでいるか?です。

自分の人生をひとつの仕事と捉えれば
そこに関しちゃ絶対的に自分の覚悟次第ですよね。

人にはゆだねられない。

人はいろいろ言ってきますよ。
でもわたしは建設的じゃないことを
グジグジ言われるのは嫌いなので
先に進もうとします。

相手が先に進む気がないなら
自分が舵をとってとにかく先に進む。

そのためのお手本みたいな
いいシーンに出会いました。



過去への不満、未来への不安にしばられて
毎日を送っている人のほとんどが
それを自分以外の人や物事のせいにしてます。
今に生きればどれだけ無意味な事かわかるはず。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」 
第13話「空虚な朝(Do Not Send Us Astray)」


を観ました。

リックの襲撃を受けて
行方不明になったニーガン。

サイモンはこれ幸いと
自分がリーダーになろうとします。

ニーガンの計画はヒルトップを
脅すことでしたが、それでは生ぬるい
と思っていたサイモンは
脅しではなく皆殺しを企みます。

そんなサイモン率いる救世主の一団が
とうとうヒルトップに乗り込んできます。

襲撃にそなえ準備していたヒルトップ。

マギーが指揮を執り救世主たちを
巧みな作戦で次々に撃退していきます。

兄を救世主に殺された子どもヘンリーは
今回の戦いでもキャロルに参加をとめられます。

ヘンリーは銃をこっそり持ち出し
救世主たちが捕らわれている捕獲場へ出向きます。

兄を殺した人物が名乗り出なければ
1人ずつ殺していくと宣言し、
なだめるグレゴリーたちを無視し
カウントダウンをはじめるのでした。

そのとき…。



一旦、全話を見終えてみて
改めて思い返すと、視聴者の感情を
揺さぶるための伏線が
かなり前の話から張られていたことが
わかります。

このころマギーはリーダーとして
成長していて、リックに
「あなたをお手本にした」なんて
言ってるんですね〜

それをどういうふうに視聴者の
感情につなげていくのか
最後まで、是非観てくださいね。

さて、カールに助けられたセディクは
終末の世界になる前は研修医でした。

それを聞いたマギーは
セディクに診療所を任せます。

しかし、そこにはカーソン医師が
いなくなったあとも、
彼の代わりをつとめていたと思われる
女性がいました。

看護士でしょうか?

終末の世界での医療行為については
かなり肝が座っているようで
「銃を撃ちながら手当てができるか?」

などと聴いてきます。
セディクが一人前の医者ではなく
研修医だったときいて
あきらかにバカにしたような態度になります。

バカにしたというと言い方が悪いですね。

サバけるお姉さんが
「つかえねぇヤツは要らん。
どうせお前もその程度だろう、
こっちはさんざんそんなヤツに
迷惑かけられてきたんだ。
中途半端に医療知識があるくらいなら
全く知らないヤツの方がまだ
現場では使えるよ」
と、ずばずばと言っているような感じ。

それは態度の話で実際には
アレは経験したことあるのか?
コレはやったことあるのか?
と「どうせやったことないんだろ」
という態度でそんなことばかりきいてくる。

セディクははじめは戸惑いながらも
素直に質問に答えますが
さすがにサバける姉さんとの
建設的ではないやりとりに業を煮やして
ズバッと言いました。

「何を経験してきたか聞くのをやめて指示をくれ」

素晴らしい!

サバけるお姉さんの反応も

「・・・気に入ったわ」

です。
セディク・・・素晴らしい!

サバける姉さんに言われっぱなしで、
シュンととしてても前に進みません。

こういうことは社会で働いていれば
いくらでも経験することです。

年齢や経験を積んでくると
言われなくなりますが
そうなったら自分で自分をしっかりと
成長できるように管理できないと
魂が腐ります。

あるいは、新しい場所にどんどん入っていって
自らこういう風に言われる経験を
求めて行こうなんて人もいるくらい。

いずれにせよ大切なのは
セディクが持っている覚悟ですよね。

今ここから前向きに生きる。

どんな瞬間からもそれを
覚悟として持っている自分で在ろうと
しているのでしょう。

そうでなくちゃ、経験がなければ
いつまでも経験できないままだし、
失敗をしたら人生終わりか?

ってことになってしまう。

過去がどうあれ生きていくなら
今をどう生きるか、未来をどう創るか、
ってことをやっていくしかないわけですから。

「アンタ、どうせコレやったことないんでしょ?
あんなこともこんなこともやったことないんでしょ?
使えないなら邪魔よ」

だけじゃあなんにも進まない。

このサバける姉さん自身は
こういう性格ですから自分では
できるできないじゃなくてやるのよって
感じでじゃんじゃん進んできたのでしょう。

でも、後輩育成としては
使えない人を観てあげる余裕はないの!
って感じです。

いますね〜こういう人。

フツーに沢山いますよ。
男性でも女性でも。

でも、もともと肝は座っている人ですから
こちらも腹を据えていることを見せれば
案外あっさり認めてくれたりする。

失敗しても言い訳せず受け止めて
さらに前進しようと行動し続ければ
ちゃんと教えてくれたりします。

今そこで前進することが
人生の停滞になるならさっさと辞めて
「逃げた」と思われようがなんだろうが
自分の人生を前に進める方を
優先すればいい。

セディクにはその覚悟が見えますよね。

「ウォーキング・デッド」の世界で
人間性を失わずに闘っている人たちは
みんなそうです。

だからこの作品が好きなんですよね。


          全ての物語のために










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2018年07月12日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #12 生残る鍵(The Key)」ボクの大事なもの、アナタの大事なもの



断捨離のやましたひでこさんは
人のものを勝手に断捨離するのは
タブーだと言います。

わかる話です。
わたしには非常によくわかる。

でも、片付けやしつけの事を語るとき
我が子のものを勝手に捨てることを
良しとする考え方もある。

しつけ上、パフォーマンスとして
子どものものを捨てるフリをする・・・

というのも実際まったくやらなかったか?
と言われるとやっちゃった気がしますが
これもグレーです。

人によってはそれも同じくらいの罪だと
言う人もいるでしょう。

そう。

人の物を勝手に捨てる、傷つける。

これもまた、魂の殺人と同じです。
つまりパワハラ、モラハラになる。

非常に興味深くて腹立たしいことですが
そんな甘いこと言ってると片づかん!
とか、しつけにならん!

と言って人の物へのジャッジをする人は
自分の物を人が勝手にジャッジすると
烈火のごとく怒るんですね。

ジャイアン症候群というやつです。

人のことを勝手に捨てることが
魂の殺人に当たるということが
理解できない方は、
他の面でも境界線を理解できていないことが
多いので、一度本気で自分を見つめ直すことを
おすすめします。

しつけなどでどうしても必要なときでも
そのことを知っているのと
知らないのとでは全く違いますから。



「僕のヒーローアカデミア the movie 2人の英雄」
のロサンゼルスでのプレミアの模様がYouTubeで
公開されました。主人公出久くんの声の
山下大輝さんら声を務めた人が壇上。
海外の作品は自国語に吹き替えられるのが
日本以外では常識ですが、今や日本のアニメは
世界のファンにとっても声優も込み何ですね〜。
さて、吹替ファンのわたしが唯一!
字幕で観ているドラマ・・・

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」
第12話「生残る鍵(The Key)」


を紹介します。

ヒルトップの監視台から見えた
怪しげなもの…

近づいてみると、
「未来へのカギを教える」という
怪しげなメッセージが見つかります。

救世主たちで無ければ
深刻化してきた食料不足の解消に
なるかもしれない。

マギーたちは警戒をしながら
指定された場所へ行ってみます。

そこに現れたのは
とジョージーと名乗る女性。

一方、聖域ではヒルトップを襲撃するための
準備が行われていました。

今回はウォーカーの内臓を
武器に塗り脅すだけの作戦。

襲撃に向かう救世主一行の中に
ニーガンが1人で乗っている車を
見つけたリックは自身の車で追突し…



リック・・・暴走気味?

ひとりの勝手な行動が後々
甚大な被害につながる・・・

その様を何度も見てきたはずなのに
リックは各所についている見張り役との
約束を無視して突っ走りました。

怖いですね〜面白いですね〜

はい。でも今日は取り上げるのは
そこではありません。

アマゾンで買えることを知って
笑ってしまいましたが・・・ルシールです。

ルシールとはニーガンが
いつも持っている木製のバットですね。

しかも有刺鉄線が巻き付けられている。

なんとも悪趣味なアレです。

前にゲイブリエルと小屋に
2人きりになったときだったか、
ルシールに対して異様な執着を
臭わせた瞬間がありませいた。

冷酷、非情のニーガンが
もっとも人間らしい素の感情を
少しだけ垣間見せたんですね。

今回はいよいよそれが
あからさまに爆発します。

ニーガンにって唯一、
絶対に大切なもの、
無くしてはならないもの。

心の底から大切にしていることがわかる。
武器として有刺鉄線があるバットなら
何でもいいのではなく、
そのルシールでなければならない訳が
何かあるんだな・・・というのが
わかるんですね。

その訳は、この話ではまだ明かされません。

でも、人のものって値段や
一般的な価値では推し量れないものが
ありますよね。

人の命を奪うのとは違うので
人の物を明らかに要らんだろう、
明らかに邪魔だろうと
善意で掃除、片付けのときに捨ててしまう。

これって実際の生活では
よくあることです。

わたしも妻に汚く見えるひげ剃りを
杖ごと捨てられているのを見つけて
怒ったことがありました。

妻はびっくりです。
どう考えてももう刃もボロボロで
剃れないでしょう!?

というT字のひげ剃り。

でも、それは弟がわたしの雑費の負担を
おもんばかって、カミソリの部分は
取り替え可能だからとくれたモノでした。

男性ならわかると思いますが
schickのアレですね・・・3枚刃、4枚刃のアレ。

わたしは3枚刃用と、4枚刃用の
二種類もっていてどちらの杖も
弟からもらったものです。

妻もT字カミソリは知ってますが
ホテルや100円ショップで買うような
使い捨てのモノがスタンダードだと思っている。

だから、高価なT字カミソリの
試供品をもらって使えなくなったなら
もう捨てるしかないものと思っていたようです。

でもわたしにとっては、
全く違う価値があったわけですよね。

こんな些細な日常品について
こんなに面倒なことまで説明していなかった
ことも悪いのかもしれませんが
実際、何でもかんでも自分のモノに対して
「コレはこんなふうに大切」なんで
家族に事細かに説明はしないでしょう。

だから、たまに「なんで捨てた!?」

ってことが起こる。

だからこそ、片づけのプロ、
ものを捨てることのプロ、
断捨離のやましたひでこさんは
「但し」をつけて重要なこととして

人の物を勝手に捨てるのはタブー

だと言うんですよね。

断捨離はヨガから来ています。
禅ともつながっている深い思想のもとで
自分自身と向き合い
自分自身を整理する行動です。

なんでもかんでも独善で
捨ててスッキリしてしまえばいいのではない。

それは気に入らないヤツは殺せという
身勝手さと同じになってしまいますからね。


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2018年07月11日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #11 捨て身(Dead or Alive or)」あの人は素晴らしい!がキケン!



人から相談を受ける仕事があります。

心理カウンセラー、医者、弁護士、
コンサルタント、ファイナンシャルプランナー、
などなど。

・・・いや

他の職業だってそうですよね。
各サービス業の接客や
カスタマーサポートの人たち、
水道や電気やガスだって
サービスマンの方にいろいろと
おたずねしますもんね。

学校の先生やお寺のお坊さん、
教会の神父さん。

わたしは精神年齢的に
まだまだ幼かった頃。

そういう仕事をしている人たちは
みんな人格者なのだろうと言う
思い込みを持っていました。

でもそれは、居もしない聖人君主を
盲信しているようなもので
本当はみんな、自分と変わらない
等身大の普通の人たち何ですよね。

自分が頼れる人間像という
理想のイメージがあって、

こちらから相談をするときに
頼れる人であって欲しいと
無意識にその理想を押しつけちゃう。

それはそれで迷惑でしょうじゃ、
本当は失礼な事ですよね。



誕生日を迎え43歳になりました。
自分の年齢だけではなく、
息子の年齢を考えると踏ん張りどころは
これからって感じです。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」
第11話「捨て身(Dead or Alive or)」


を観ました。

ダリルはヒルトップを目指して
アレクサンドリアの人々を引き連れていました。

通常の道は救世主に見つかる可能性が高いので
できるだけ森の人が通らない場所を選びます。

ドワイトは救世主の仲間を殺し
ダリルたちと共に行動しています。

そんなドワイトの扱いに納得いかないタラ。

彼女はドワイトを殺す機会を
うかがっているようです。

ヒルトップでは食料や物資が不足し、
捕虜たちにまで配給を回すかどうか
マギーは悩んでいました。

またカーソン医師と逃走中の
ゲイブリエルも、感染症に苦しみながら
“神の導き”を信じ、
ヒルトップへ向かっています。

聖域ではニーガンがユージーンに
弾丸製造を命じていました。



最近、日本のアニメの質の高さを
ひしひしと感じ、その中で
こんなにレベルの高い海外ドラマを観ると、
日本のアニメが負けてないので
そこは誇らしいのですが、
日本のテレビドラマが少し心配です。

日本の映画も実写のほうは
少し心配をしているところです。

今週月曜からは「絶対零度」が
始まりましたね。

まもなく「この世界の片隅に」が
日曜劇場で始まります。
自宅のHDDには弟がCSで録画してくれた
アニメ映画の同作が入っています。
未見ですが、きっとアニメは
いい作品なのでしょう。

ドラマもがんばって欲しい!

さて、これまたガッツリハマらせて頂いた
「ウォーキング・デッド8」
先日ラストまで見終えましたが
はやる気持ちを抑えて
今回は第11話の紹介です。

あ、その前に思い出した。
数回前、このシリーズはシーズン16まで
構想があるらしいと書いたのですが、嘘でした。
ごめんなさい。

当初の予定はシーズン12まで。

予定通り行けば今ちょうど3分の1が
終わったところ。
来シーズンからが第3幕。

最後の盛り上がりということになるそうです。
が、それは人気次第。
実際そこまで続けられるかは未定。

とりあえず今年の秋からは
シーズン9が予定されていますから
しっかり応援していきたいところです。

はい。本題です。

今回気になったのはゲイブリエル神父です。

神の導き・・・を盲信し始めました。

神父ですから、神を信じ、
その教えに従って人々の懺悔を聴き
その苦しみから解放させるのも
ゲイブリエルの仕事です。

そして彼自身、こんな終末の世界がきてから
怖くて、自分だけが助かりたくて
人々を見殺しにしてしまった自分を省みて
苦しんできました。

シリーズを通して彼も成長し
強くなり、リック達も彼のことを
信頼するようになってきました。

ニーガンに懺悔を促したときは
ニーガンが初めて人間らしい感情を
にじませて少しだけ過去を
さらけ出しました。

でもやっぱり人間です。
成長し強くなったとは言え、完璧ではない。

救いを求め、神を信じる心が
偏り始めてしまいます。
窮地の中での偶然を
神の思し召しだと信じすぎて危険な状態に・・・

そんなゲイブリエルに少し
がっかりした自分を反省しました。

わたしは家族や友人、そして自分も含め
身近な人が「あの人は素晴らしい」
と尊敬していた人の良くない面を知り、
失望するのを何度か観たり
自分ががっかりした経験から、
無闇に人を盲信しないようにしています。

神様なんて更なりです。

わたしの中では神様は擬人化されていません。
様も意識的に外しています。

神=宇宙の法則

それだけ。
信じるも何もただ事実として存在するもの。
もちろん人間にはとうてい理解の及ばない事、
まだまだ科学では解明できていないことまで
含めてですよ。

だからスピリチュアルな事も
否定はしない。

それと同じで、幼少のころから大ファンである
ジャッキー・チェンだって
素晴らしいけど、変に傾倒はしない。

若い頃はありました。
講演などで感動したら「あの人は素晴らしい」
本を読んで感動しても「この人は素晴らしい」
って・・・

でも、そういう人たちと会って
お話しできた機会も何度かありますが
彼らも等身大の人間です。

実際には本当に素晴らしい部分は
本当に本当に素晴らしいんです(笑)

本当に尊敬に値する人は
沢山いました。

まだまだ彼らに人間的にも
技術的にも追いつけていないのは
ひしひしと感じますから
わたしも自己研鑽中。

でも大事なのは素晴らしいのは
「部分は」という点。

先日わたしが社内のある研修で
講師をしていると
サポートをしてくれていた先輩が
わたしのことを

「社内では目立たないけど
一般の社会に出たら人間的に
なかりすばらしい人物だよ」

と紹介してくれました。
恥ずかしくなりました。
家では鼻くそほじってるのに。

でも、わたしもその先輩を尊敬しています。
正確には尊敬している部分が沢山あります。

わたしも講師なんて偉そうなこと・・・
と思うとなかなか上手くできませんでした。

最近になってやっと
自信をもって伝えられるようになりました。

でも考えてみれば
これまで何万人もの人たちの相談に
乗ってきているんですよね。
1対1の電話相談というかたちでは。

でも相談を受けるからって
立派な人間でもなんでもありません。
普通に小心者の人間です。

わたしたちは等身大の人同士で
お互いに相談したりされたりしあっている。

信頼、信用は最低限必要ですが
相手も自分も
聖人君主である必要はありませんよね。

人が困っていたら自分にできることで助ける。
自分が困っていたら誰かに
可能な限りでいいから助けて欲しい。

そうやってわたしたちは
一緒に生きているのですから。


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2018年07月10日

アニメ「はねバド! #2 運動の後の肉は格別ッす!」あたしには特別な才能ないから



わたしは昔から
自分の好きなことばかりやってきました。

探究、追及と言ってしまうと、
恥ずかしい気持が湧いて来ます。

なぜなら、上には上がいることを
嫌と言うほど思い知らされていて
わたしのやってきたことなんて
彼らからみたら「ごっこ」みたいなもの…

だと思っているから。

そんなこと思いたくなくて、
「自分なりに」やってきたじゃないか!

と自分を鼓舞しようとしますが、
心の中では
やっぱり彼らには叶わない
という思いが根強く生きている。

子どものころ好きだった
画を描くことも
プラモデル作りも

大人になったら…
と学生時代からやっと
やれるようになった映画作りも
中国武術も…

上には上がいる…

いま、マーケティングの勉強もしていますが
これすら時々俺そうになります。

やっぱり、感覚、センス…才能

…が必要なのかな…



まずい。またいつものように
番組改編中に一気観した作品を
全部紹介しきれないうちに
新番組が続々とスタートしています。

アニメ「はねバド!」
第2話「運動の後の肉は格別ッす!」

を観ました。

綾乃となぎさの対決…

やはり綾乃優勢。

しかし、綾乃は途中でやる気がなくなり
試合を投げてしまいます。

新任コーチの立花、幼なじみのエレナに
恵まれた才能を活かせと強く
説得されるのが綾乃には
押し付けに感じるようです。

それでも嫌だと辞めようとする綾乃。

自分にいつでもくっついてくる
綾乃のことをよく分かっているエレナは、
自らバドミントン部の
マネージャーをやることを宣言しました。

一方、なぎさは綾乃を意識しているためか
スランプはさらに悪くなっているようです。

自分へのイライラが止められず、
練習は相変わらず厳しく、
他の部員へ求めるものもそれなりです。

綾乃とダブルスをさせられて
まったく息が合わない2人。

コーチはなぎさに理子と変わるよう命じ、
理子はしっかりと綾乃と息を合わせます。

なぎさがいかに周りが見えていないかを
分からせるためでしたが、

なぎさは
「才能のない人間は…才能のある人間の
引き立て役でしかないのかよ!」
と、立花の言いたいことも
素直に受け止められない様子。

そんななぎさに、立花は…



うん。良いですね。

第2話もしっかりと見ごたえありました。
ちゃんと重さが詰まっていて良いです。

やっぱり女子キャラが
「セーラームーン」みたいな髪形の
女子が出てきたりして、
まだちょっと心配な部分がありますが…

途中のCMで出てきた原作コミックスの
カバーやエンディングの時の
イラストを観ていると、
ちゃんと圧のあるドラマ作品のようなので
もう少し観て行こうと思います。

クライマックスでコーチの立花の
なぎさとの一対一でのコーチングは
いいクライマックスでした。

今回取り上げたいのはそこではなく
途中です。

なぎさは小学生のころから
背の高さがコンプレックスだったようです。

男みたいだと言われたり
試合で勝っても
背が高いから当然だと言われたり、
背の高さがズルいとまで言われる。

いっぱい練習してきたのに
背の高さのせいにされる…

そのことと綾乃の登場により
才能の違いを意識して、
余計にスランプ状態が悪化している。


そんななぎさに、前回、なぎさの厳しさを
「八つ当たり」だと非難して、
部活を辞めて行った同級生。

友香というらしいですが、
その友香が声をかけてきました。

「まだ後輩に八つ当たりしてるの?」

と詰め寄ってくる。

でも、その後に続けました。

「私はずっとなぎさが羨ましかった…」

なぎさは自分には才能なんてないと
否定しようとしますが、

逆に、そうじゃないんだと友香に否定されます。

「私がうらやましかったのは、
アンタがバドミントンをとことん好きだってこと」

これは、ちょっと頭を叩かれたような
感覚を味わいました。

わたしが好きでやっていること。

実はこのブログもそうですが、
何かしら自分で考えて感じて
「コレだ!」って思うことを
わたしはわたしなりに
いつも何かしらやってきています。

何もしない時期はない。

周囲はそんなわたしをいつも
遠い目で見ます。

そしてこう言います。

「自分にはそんな才能はない」

わたしはいいます

「いや、オレ、才能なんかあったら
今頃もっと他のところにいるよ…」

やっぱりどこかコンプレックスがある。

でも、周囲から観たら
自分で考えていろいろと精力的に
取り組んでいることが
「楽しそう」で精力的に見えるようです。

つまり、自分なりに自分を探究する。

そこには“物語”がいつもある。

映画や小説、その作り手たちのドラマ。

そしてそれらを観て
感じている人たちの人生。

そこに何かを感じ、
自分と照らし合わせてまた自分を知る。

取り組んでいることが何であれ
わたしはそのことをずっと続けてきた
…のかもしれません。

そうでなかったとしても、何かしら、
わたしはやり続けて行くのでしょう。

結局、それがわたしの才能
と言うことなのかもしれません。

今回のお話のラストで、
新しいキャラクターが…

…なんんか違うアニメのキャラクターが
登場したのかと思うような
セーラームーン的ヘアスタイルで
ちょっと心配になる要因なのですが…

…その別アニメ少女が
海に向かって自分自身のことが
大好きだと高らかと叫んでいました。

彼女の背景も今後描かれて行くのでしょうが、
あれくらいあっけらかんと
自分のことを好きだと言える自分を
取り戻すことも、わたしには
求められているのかもしれません。

立花が、なぎさにさせたのも
結局そういうことだったような気がします。


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2018年07月09日

アニメ「BANANA FISH(バナナフィッシュ) #1 バナナ・フィッシュにうってつけの日」大和魂をもったなごみ系



10数年前、
ロサンゼルスに行ったことがあります。

初めてのアメリカ大陸。

ロサンゼルス空港に降りて
緊張しながらイエローキャブに乗って
ホテルの住所が書いてあるメモを
運転手に渡しながら

たぶん「プリーズ、ゴートゥーヒア」
なんて言ったんだと思います。

ちょっと多めに払って
降りたったのはレドンドビーチにあるホテル。

片言の英語でチェックインを済ませ
荷物を置いて、地図をもって
知人が住んでいると聞いていた
場所を目指して街に出ました。

ホテルを出た瞬間は良かったんです。

大通りですから。

ジョギングしていたお姉さんが
笑顔で「ハーイ♪」と挨拶してくれました。

おお!さすがアメリカ!
なんて感激したりして。

でも、知人の住まいは観光客が
行くようなところではなく
メインストリートからくねくねと
入っていかなければなりません。

昼間でしたが、人気のない裏路地は
映画でも裏取引とかされてそうな
雰囲気があります。

すると、大きな体つきの
黒人に声をかけられました。
もちろん英語。

めっちゃ怖かったです。
明らかにマジメな世界の人ではない…
しかも片手でひねりつぶされそうな迫力が…

でも、変に警戒するのも逆に
逆上させたり、あるいは堅気じゃないと
思っているのは偏見で、
怖がることで傷つけたりしたら悪いな…

なんて思っていると
始め険しかったその大男が
警戒を見せながらも近づいてきました!





20〜30年以上前のマンガを今の技術で
アニメ化してくれるのはとてもいいですね。
「キャプテン翼」も「ゲゲゲの鬼太郎」も
ワイド画面によく映えています。
この作品は今だからわたしも観ることが
できるのかも・・・

アニメ「BANANA FISH(バナナフィッシュ)」
第1話「バナナ・フィッシュにうってつけの日」


を観ました。

舞台はニューヨーク。

並外れて整った容姿と、
卓越した戦闘能力を持つ17歳の少年、
アッシュ・リンクスは、
ストリート・ギャングをまとめ上げていました。

ある夜、アッシュは
自分の手下によって銃撃された男から
ある住所とともに「バナナフィッシュ」という言葉を
伝えられます。

それは戦場から
廃人同然となって戻ってきた兄、
グリフィンからも聞いたことのある言葉でした。

アッシュの手下を勝手に使い
その男性を殺させたマフィアたちと
アッシュの間に緊張が走る中、

日本から雑誌の取材で
カメラマンのアシスタントとが
アッシュを訪ねてきます。

アシスタントをしているのは
まだ19歳の学生、奥村英二。

ニューヨーク市警の協力の下、
アッシュたちがまつ
地下のバーへ向かう日本人2人。

明らかに場違いな2人は
本場の危険な空気に気圧され
身を縮めながらアッシュに挨拶をします。

17歳のアッシュよりも子どものように見える
英二は純粋にアッシュの腰の拳銃に
興味がわいてしまします。

英二がアッシュに拳銃を触らせてもらえるかと
訪ねたとき、場の空気が凍り・・・



わたしが少年マンガを一生懸命読んでいた
中学、高校生のころ、
たしかこの作品は少女マンガ雑誌に
連載されていたんじゃなかったかな?

単行本も書店でよく目にしていたのか、
妹が持っていたのか、
うろ覚えですが、黄色いカバーで
2人の青年が銃を持っていたり
少女マンガらしくない感じに
違和感を持っていたのを覚えています。

少女マンガだったので
一度も手に取ったことはなかったのですが
ヒットしていたせいか
単行本のカバーはよく目にしていました。

今回、こうやってアニメ化されることがなければ
この作品に触れることは
なかったでしょう。

このアニメでは登場人物が
スマホを使っているので
まだ携帯電話も普及していなかったころの
原作とは設定が変わっている部分も
だいぶあるかもしれませんね。

でもなぜこの作品が少女マンガだったのでしょう?
イケメン2人が主人公だから?

内容はハードアクションという感じです。

今シーズンは
「そんなに期待してなかったけど
一応観てみたら、1話目が意外と内容濃くて
2回も観ちゃった」
という作品が、「はねバド!」に続き
2作目です。

どちらも次回が楽しみな「掴みはオッケー」
な内容でした。

この作品でわたしが惹かれたのは
英二くんがいかにも日本の学生で、
幼いというところです。

アッシュにも「ガキだな」と言われちゃう。

悪く言えば一言で言い切れます。

「平和ボケ」

でも、平和ボケできる国で
純粋育つことが悪いことだとは
言い切れないのでは?

という雰囲気が感じられる内容。

確かに平和ボケのアタマで
海外に行くのは危険です。

わたしは学生時代、
大学の研修旅行でハワイに行きましたが
メインストリートでも売春婦が寄ってくるし
夜で歩くと麻薬の売人も近づいてきます。

ロサンゼルスに行った時は
ツアーではなく本当に独りでしたから
いきなりあの大男に出くわした時は
内心は本当に怖かったんです。

でも彼は「困ってるのか?」
と警戒も見せつつも聞いてきました。

内心手の届く距離に来られるのは
めちゃくちゃ怖かったのですが、
そんな態度は見せず、
ぎゃくに無防備に地図を見せて
慣れない英語で「ここに行きたい」
と伝えました。

こっちが礼儀を欠くような態度を取ると
怒らせてどうなるかわからないので、
素直に「お兄さんを頼らせて下さい」と
言う雰囲気をこちらも出しながら

「知ってますか?」とたずねると
今度は向こうが困ったような顔をしました。

そのときにわかりました。
「この若者に悪いことしちゃいかんな」
見たいに思ってくれている雰囲気を…

それで、彼は道を丁寧に教えてくれました。
「あっち行って、こう曲がって」
みたいなことを身振り手振りも交えて。

わたしが丁寧にお辞儀をしながら
「サンキュー」と伝えて
立ち去ろうとすると、
その大男は少し迷うような態度を見せました。

マズイかな?と思ったけど、
ちゃんと接してくれたので最後まで
礼を尽くそうと思って「?」という顔をしてみせると
彼はためらいながら「セックスは要らないか?」
と聞いてきました。

ちゃんと英語がわからない日本人に
伝わるように、自分のチンチンを指示しながら…

さあ、正念場。

ここでの態度で自分の運命が決まる
と思いましたがそれも一瞬の逡巡、
相手を軽蔑したりするような態度にならないように
きちんと尊重しつつ「ノーサンキュー」
と伝えました。

するとその大男の方が手のひらを見せて
「OK、グッドラック」と言って
わたしはまた会釈をして、
無事に立ち去れました。

わあ、やっぱりコワイ世界のお兄さんだ…(汗)

なんて思いながらも最後に
手を振ってくれた彼の表情は
マジメな青年に悪いことしたな…という
バツの悪そうな雰囲気でした。

怖い世界のお兄さんの良心に
ちゃんとわたしは訴えかけることが
出来ていたんだな。
ありがとう大きい黒人のお兄さん。

なんて思いながら少し歩くと、
裏路地というよりも、普通の住宅街になってきて
知人宅に到着しました。

わたしは運が良かったんです。
それは明らか。

もし、出会ったのが同じあっちの世界の人で
あの大男のように
良心ももっている人じゃなかったら
もっと危険な目に合ってたかもしれません。

近づいてきても礼を尽くさねばなんて、
正直お人好しも良いところなのかも知れません。

でも当時20第後半のわたしは
アメリカ人から見たら下手をすると
10代に見えていたかもしれません。

汚れていない純粋な青年に
見えたんだと思います。

一概には言えないけれど、
日本人の多くが持っているモノで
海外の人たちとは明らかに違う雰囲気。

それが、幼さ、ガキっぽさ、
につながるものですが、
少し視点を変えると純粋さ。

平和ボケだけども、平和な中で
育ってこれたからこその雰囲気。

不良も普通は2〜3歳の子どもには
悪いことをしないと思います。

そんなイタイケな子どもを怪我しちゃダメ…みたいな。

恥ずかしいことかもしれませんが
そういう雰囲気をあのとき
相手が醸し出してくれたんですね。

コレって、平和への可能性も感じるんです。

だから、わたしは大和魂って
大いなる調和をもたらす魂なんだ…
人の毒気を抜いて、
争う気を削いでしまうような
そんな雰囲気をもっている民族。
それが和人、和む人なんだ…

って思うようにしているんです。


            全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする