2017年10月13日

アニメ「タツノコ・レジェンズ インフィニティ フォース #2 IMMEDIATE FAMILY」子どもたちの育とうとする力に祈りを込めて



先月、息子と久しぶりに大きなケンカをしました。
ケンカと言ってもわたしは親の絶対権力を
振りかざしただけ、まさに理不尽。

息子にとってはさぞ屈辱的だっただろうと思います。

発端はあまりにもしょうもないことです。

普段は仲のいい父子ですが、
このときは親の力で理不尽に息子の要求を
聞き入れませんでした。
そんな頑固な親に対する怒りで
夜、家を飛び出そうとした息子を
とっ捕まえようとしたところ、
床に張り倒すカタチになりました。

いわゆる取っ組み合いのケンカ状態です。

それでもそのケンカの最中、
怒り心頭だったのは息子だけ。

わたしはいたって冷静でした。
ただ、ぜったいに譲らない親父を演じただけ。

それは、まだ成長過程の10代の息子を持つ
親の責任で甘い顔を見せる時ではないと
判断してのことでしたが、そんなことを考えながら…
息子の恐れと悔しさや寂しさが混ざった強い視線に
睨まれ、胸を痛めながら…

それでもわたしはその瞬間の
幸せを感じつくすことも意識していました。
この瞬間もまた感謝すべき最高の瞬間なのだと…



仕事から帰ると息子がニンマリとして
「アレ、面白かったよ〜」と先に観たことを自慢してきました。
第1話でヒーローが集い派手に立ち回るのを観て
興奮していたのはわたしだけでしたが、
息子は今回の方が惹かれたようです。

アニメ「タツノコ・レジェンズ インフィニティ フォース」
第2話「IMMEDIATE FAMILY」


を観ました。

「俺の名は、キャシャーン」

と名乗った男の強さに圧倒されながら
ガッチャマンは彼が何者かに
操られていることに気づきます。

渋谷の交差点での騒動が報道される中、
笑の家にかくまわれるかたちとなった
ガッチャマン健、ポリマー武士、テッカマン城二、
そしてキャシャーンこと鉄也の4人。

笑の寂しい生活に気づきながらも
自己紹介を兼ね世界に何が起きているか
現時点で掴めていることを話す面々。

先にいくつもの次元を旅していた
城二がわざと次元をずらして見せ
笑も含めZ(ゼット)と呼ばれる男が
“ケース”を使って世界を滅ぼしまわっている
ということを説明します。

そしてあることから武士はZの正体に気づき…



1話目でまったく興味を示さなかった息子。
まあ、わたしが幼年のころのヒーローたちの競演
ですから今の12歳に思い入れがあるはずもなく
当然と言えば当然。

…と思っていたのですが、2話目はこの作品の
世界観が主人公たちのセリフによって説明される話。

ここで、息子はグッと興味を惹かれたようです。

一方、ヒーローの競演アクションシーンが少なくて
ちょっとフラストレーションを溜める父…
どっちが大人かわかりませんね〜

どうやら第1話のスマホの件といい、
ガッチャマン健は現代の科学や文化に戸惑う
大人世代目線の役割を担っているようです。

高校生の笑にオッサン呼ばわりされて
ウザがられながらも昔風の実直な
正論を振りかざすオジサン臭さ全開。

パラレルワールドの最先端ヒーロー“科学忍者隊”も
現代科学や文化にたじたじです。

スマホに出てくるパスタのレシピを見ながら
「いつからスパゲティをパスタと言うようになった?」とか
IHクッキングヒーターを観て
「つまみが無い」とガスコンロと間違えたり。

慣れない異世界(現代日本)に戸惑いイラつく健に
テッカマン城二が言いました。

「健、そんなにカリカリせずに
この幸せを噛みしめてみたらどうだ?」

もしも、全ての世界がすでに滅ぼされていて
この世界が自分たちが住める最後の世界になるなら
ワタシたちは仲間だ…
仲間がいるからケンカもできる…
こんなに幸せなことは無い…

と・・・

わたしが心理カウンセリングを学んだ先生は
御子息がまだ小さい頃、小児がんで
大人になるまで生きられないかもと
思っていた時期があったそうです。

幸い病気を克服して元気に育っているそうですが
その御子息が反抗期になって
取っ組み合いのケンカをするようになったときも
幸せと感謝でいっぱいだったと話されていました。

小児がん病棟では大人になるという夢を
果たせず亡くなる子やその親御さんたちと
先生は一緒に過ごされていました。

そんなときに、カウンセラーとして
普通の人の悩みを聴いても理解できなかったそうです。
「子どもが言うことを聞いてくれない」
「息子が反抗的だ」

この人たちは一体何を悩んでいるのだろう
と思ってしまい共感するのが難しかったと。

自分の息子も反抗できるくらい元気になって欲しい
そう言う風にしか考えられなかったんですね。

少し前にテレビに出ていた先生を拝見しました。
当時と変わらないメッセージを今でも
伝え続けていました。

『私たちは私があの病棟で出会った子や
親御さんたちの夢の世界を生きている』
…と。

わたしが先生から学んでいる頃、
息子はまだ3〜4歳でした。

今、思春期に差し掛かったころです。
大人から見ていると本当に小さな世界で
悩んだり腹を立てたりしているように見えます。

それでも、その躍動感、生命力は
嫉妬するほどの爆発力とパワーを持っています。

まだまだ、負けんぞと思いながらも
やはり嬉しい。

数日前、偏頭痛持ちのわたしが休日に
ソファでうなだれていました。
息子の話も上の空でウトウトしていると
「まったく…」と言って呆れた様子の息子は
外に出ていってしまいました。

ふて腐れて出ていったのかと思ったら
少し経ってスーパーの袋を下げて帰ってきました。

「チチの好きなチョコとカフェオレ買ってきたよ。
甘いものが足りてないっちゃろ?」

と・・・

いつの間にこんなに育ったのか…

子どもたちの生きる力、育つ力というのは
心身ともに親にも計りしれないものがあります。

わたしも妻も息子も、お陰さまで
今まで健康に暮らせています。
でも、この先はもちろんわからない。

だから、今ここに在るという事実。

とにかくコレを味わいつくしながら
一瞬一瞬を積み重ねる。

願わくばこの先もケンカしたり腹を立てたり
時にほっこりしたりという日常を
今と同じように繰り返していけますように…


           全ての物語のために








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2017年10月12日

「エイリアンVSプレデター」絶望的な隔たりの中に厳然とある希望という現実



先日インターネットで
韓国と日本の感情的な文化の違いを知り
非常に勉強になりました。

それはある礼儀について。

親しき仲にも礼儀あり。

それはどちらも同じなのに
その礼儀の中身が違うんですね。

例えば親友、親しい友達。

学校で親しい友達に
ちょっと消しゴムを借りるような場合。

日本人的な「親しき仲にも礼儀あり」は
「ごめん消しゴム借りて良い?」と
確認をしてから借ります。
使い終わったら「ありがとう」といって返す。

当然のこと・・・のように感じますね。

しかし、韓国ではこれは逆に
礼儀に反した行為になるそうです。

韓国での親しさの礼儀は自分と他者の
境界を廃すこと。

だからむしろ、自分のものを使うように
当たり前に友人のものも使う。

それが親しき仲の礼儀なのだそうです。

そのことを知ったときに
お互いが礼節を重んじたつもりが
真逆の失礼に感じられてしまうなら
争いって避けられないんじゃないか??

と平和の難しさに
途方に暮れそうになりました。

でも、ちょっと考えれば
もちろんそんなことはありませんね。



昔、あまり評価していなかった映画を
そのときの評価基準の期待で見返すと
思っていた以上におもしろくて
再発見のうれしさを感じることがあります。

「エイリアンVSプレデター」

を観ました。

2004年10月4日、人工衛星が
南極のブーヴェ島に熱反応を発見します。

地中深くの遺跡であると判明。

大企業ウェイランド社の社長、
ビショップ・ウェイランドは、
発掘資金に困窮する南アメリカ史専門の
考古学者で女性登山家のレックスや、
考古学者のセバスチャン・ウェルズ、
地層学者のグラハム・ミラー、
傭兵のマックス・スタッフォード、
採掘業者クインなど、
各部門のプロフェッショナルを編成した
遺跡調査チームを率いて
他に先を超されまいと急ぎブーヴェ島へ。

遺跡調査チームがやってきたのは
100年前に全住民が失踪した捕鯨基地。

何者かの手によって開けられた大穴から
地下に降りると、
様々な古代文明の特徴を含んだ
巨大な地下ピラミッドを発見します。

調査隊が発見したメカのようなものを
持ち帰ろうと手に取ったとき
遺跡全体が動き始めの動く壁によって
彼らは散り散りになってしまいます。

同時にメカを取られたことに気づいた
3人のプレデターは現場へと急ぎます。

その頃、地下深くでは
冷凍睡眠させられたエイリアン・クイーンが
目覚めて卵を大量に産み始めていました。

複数のエイリアンとプレデターに
次々と襲われる調査隊。

生きて地上に帰るために
レックスはセバスチャンに
あるアイディアを話すのでした・・・



監督・脚本はポール・W・S・アンダーソン
「バイオハザード」シリーズの人なんですね。

2004年の作品。
「エイリアン」も「プレデター」も
少年の頃に観たオリジナルの衝撃が強いので
10年ほど前にこの作品を観たときは
「まあ、こんなものかな」と
あまり良い印象は持ちませんでした。

今回、地上波で再放送されて
気が向いたので観てみると
記憶に残っていたよりもずっと
見応えがあって驚きました。

原案はダン・オバノン、
製作にはウォルター・ヒルの名前が・・・

ともに監督として80年代、90年代の
ヒットメーカーですよね。

調べてみるとこの二人の名前は
最初の「エイリアン」から
全シリーズにクレジットされていました。

始めて知って驚きです。

さて、この「エイリアンVSプレデター」
わたしが好きなのは
日本の少年マンガのような展開です。

強敵と手を組んでさらなる強敵を倒す。

この作品のセリフでも出てきます
「敵の敵は味方」
宇宙の猛獣であるエイリアンに比べると
プレデターは文明を持っている戦士です。

コミュニケーションがとれる。
ということです。

戦士でありハンターでもある
プレデターにとって人間は
狩りの対象です。

しかも今回は、強い狩りの対象である
エイリアンのための餌として
人間が位置づけられているのがわかる。

彼らにとっては、わたしたちが
ミミズを捕まえて魚釣りをするような感覚。

わたしたちにとってのミミズが
彼らにとっての人間・・・だったのかもしれません。

それは言い過ぎにしても
お互いの間に「対等」などという価値観は
一切ない。絶望的にない。皆無。

そんな中で、ラストのクライマックスへ
向けて奇跡的な展開をみせます。

人間とプレデターの共闘。

まさにコミュニケーションから始まる。

ココからラストまでの展開が
いかにも少年マンガ的でわたしは大好き。

わくわくします。
もちろん、異文化コミュニケーションで
特に戦場ともなると
これは「甘い」ということになるでしょう。

こんなことで喜ぶ日本人・・・いやわたしは、
大甘ちゃんなのでしょう。

でもわくわくする。

大きな溝、隔たりのある文化で
相手を尊重するという心がお互いに生まれる。

それはコミュニケーションをとれる
という事実が厳然とあり、
その厳然たる事実・現実が希望の光になっている。

この現実をみようとしないのもまた
甘ちゃんですよね。
だって厳然とそこにある事実なんですから。

韓国と日本の親しき仲での礼儀の違いも
たしかにそこには難しさを感じますが
言葉にして説明されることで
「なるほどそういうことなのか!」
と理解ができる。

これがコミュニケーションによる理解
という紛れもない現実です。

「なんて礼儀知らずな奴らなんだ!」

とお互いに反感を持つのは簡単。
でも知ってみればなんのことはない。

お互い礼節を重んじようとしたのに
自分たちの持っている常識とは礼節の中身が
正反対だっただけ。

それを知らずに「礼儀知らず」と
決めつけただけです。

根底には相手を尊重する気持ちが
ちゃんとあったということです。

プレデターが人間の顔に
エイリアンの酸性の血液を使って、
傷を付けるシーンがあります。

何も知らなければ虐待です。
でも事前にそれが戦士の勲章的な印だと
学ぶことができた。

だから、それを重んじ受け入れることができる。

とてもアツい、カッコいいラストでした。


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2017年10月11日

ドラマ「ガリレオ 第1シリーズ #5 絞殺る(しめる)」ドラマを批判できる人の幸せ力



映画が好きで映画監督を目指したり
シナリオの勉強をして
自分もシナリオを書いたり

そういうことを始める少し前から
「自分だったらこうするのに!」
というフラストレーションを持って
作品を観ることはよくありました。

今でもネットを観ていると
そういう批評家的な感想は
レビューサイトなどでもたくさん
拝読できますね。

わたしもこのブログでたまに
批評的なことを書いてしまいます。

とくに思い入れが強すぎる作品や
俳優、監督の作品などは。

みんな期待をして作品を観ているし
そうやって見終えた後に
もっとこうあって欲しかったと思い返すのも
またある意味では心が動かされた証拠。

むやみに批判して、
悪戯にその作品を好きな人の
気分を害するくらいに悪口を書くのは
好きではありませんが、

「もっと、こうだったらいいのに」
「自分だったらこう作る」

という視点を持てることは
素晴らしいことですよね。
自分の世界を広げる可能性を
持っている証拠ですから。



あと2話残っているのですが、
10月期のドラマもアニメも出始めています。
どこかで時間作って見終えることができるか?

ドラマ「ガリレオ 第1シリーズ」
第5話「絞殺る(しめる)」


を観ました。

湯川(福山雅治)は、薫(柴咲コウ)から、
管内のホテルで起きた密室殺人について
意見を求められます。

被害者は、東京近県でペンションを経営する
矢島(岡本光太郎)という男。

死亡推定時刻は、
ホテルにチェックインしてから1時間後の
午後6時ということでした。

矢島が部屋に入る少し前から、
部屋の前の廊下で電気配線の
チェックが行われていたのです。

作業は3時間近くに及び
その間、部屋に入ったのは
矢島だけだったとのこと。

しかし、部屋にはふたり分の
コーヒーの容器が残されており、
一方の容器からは睡眠薬も検出。

また、ホテルの対面にある
オフィスビルで働く会社員は、
矢島の部屋で火の玉が飛んだと証言。

矢島が数カ月の間に、
複数の生命保険に加入していることから、
妻の貴子(水野美紀)を疑う警察。

しかし貴子は、事件の時刻、
地元のスーパーで買い物をしている姿が
目撃されていました。

興味を抱いた湯川は、薫とともに
貴子に会いに行き、
矢島の娘・秋穂(大後寿々花)の様子を
気にかけるのでした・・・。



家族のために頑張るお父さんの話には
とても心が揺さぶられます。

自分が父親になってからは特にそう。

父親になって12年強、
色々なことが起こるし
寂しい思いや、腹を立てることも
妻や息子にそういう思いをさせることも
何度もありましたね。

これからだってきっと何度も
起こることでしょう。

高校生の秋穂は父親のことを
嫌っていました。

「お前のため」だと言われるのも
お金がないことも色々なことが
父親を嫌悪する要因だったのでしょう。

しかし、父親は娘と妻を愛し続けた。

そういうお話でした。

でも、この父親の選択は間違っていた。
お金が妻と娘の幸せではないし、
お金が必要だったのであれば
他にお金を稼ぐ方法はあった。

「お前のため」と言われて
親に死なれる子どもは
それをどう受け止めれば良いのでしょうか?
パートナーだってそうですよね。

こういう話をすると、
家族の為に自分の夢を諦めて
身を粉にして、自分を犠牲にして頑張る
みたいな父親を英雄視する見方も出ますが、

わたしはそれも好きではありません。

家族こそが自分の生き甲斐だと
心の底から思えているならまだしも
そうではなく「自分だけ」が
「我慢」して「犠牲」になっているなら
家族は迷惑です。

おまえたちは幸せになれ
そのためにオレが犠牲になるから・・・

で、家族がその気持ちを受け取れるか!
って話なんですがそれがわからない。

家族にとってはみんな家族ですから
自分が幸せを目指すように
父親にも幸せになって欲しいと
願って当然ですよね。

「オレのことはいいから」

この自己犠牲は暴力でもあります。

本当に命の危機に瀕している瞬間。
例えば「タイタニック」で描かれた
最後の救命ボートの様なシーンなら
わかります。

秋穂はどんな父親だったら
嫌わずに済んだのでしょうか?

お金がなくても腐らず努力は続けつつ
お金がないことを卑屈に思わず
秋穂が喘息であることで自分を責めず
家族が元気であること、今ここにあることを
心の底から喜び
自分の人生も楽しみ、家族の未来を
いつも信じて自らが笑顔で生きている。

そんな父親だったらどうでしょうか?

もちろん母親とのバランスや
秋穂の個人的な性格にもよるでしょうが
間違いなくこのドラマで表現された世界とは
この家族の世界も違っていたはずです。

現実はドラマのようにはいかないし
頭で考えるようにもいきません。

それでも、まずは考えることから始まる。

人の行動は感情から生まれますが
人の感情は思考から生まれます。

日頃、どんなことを考えているか
何を思っているかという習慣が
目の前に起きる現実への捉え方を作り
感情を生み出し選択、行動を促す。

自分が出す結果はその現れです。

わたしは家族の幸せのために、
自分の幸せのために、
どんな思考の習慣を持てばいいか?

ドラマや映画はその訓練にも最適ですね。


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2017年10月10日

アニメ「終物語オワリモノガタリ おうぎダーク #3」大人になるってそういうことなのか?



自分の中の悪と向き合う物語の描き方には
いくつか種類がありますよね。

自分の中の悪の象徴を倒す。

お前は俺だ…と昔の自分に良く似た敵を倒す。

しかし、よく考えられた情緒的な作品だと
自分の中の悪も自分の一部だと
受け入れること。

つまりあるがままの自分を受け止める
という意味で自分の中の悪と和解する。

そういうお話の描き方もあります。

あるいは自分が向き合うのは
自分の中の悪というよりも
自分の中の弱さ…というのも多い。

人が成長する物語の多くは
そういうものだと言ってもいいのかもしれません。

特に勇気がテーマの少年漫画や
少年向けのアニメには多いですよね。

でも、この物語の主人公が向かった自分。
退治しなきゃと対峙した自分は、
悪でもなく、弱さでもありませんでした。

それは、間違いを許せない厳しさ
という自分。



この夏、お盆の時期に満を持して
2夜連続放送された「終物語」
原作小説では「上」「中」「下」巻で発売されたうち
まだアニメ化されていなかった部分。
「下」巻のアニメ化作品。そのクライマックス。

「終物語オワリモノガタリ」
「おうぎダーク」第3話


を見返しました。

彼女の正体は暗闇では?

間違いを正すそんざい。
あってはならないものを消滅させる『非存在』
それが暗闇。

阿良々木くんの後輩、
同じ高校の1年生の女子
忍野扇。

これまでの登場の仕方から
主人公の阿良々木くんも、
うすうす彼女の正体は暗闇だと
思っていたようです。

しかしそうではなかった。

扇ちゃんは怪異、明らかに化物。

何でもしっているお姉さん
臥煙伊豆湖はそう言いました。

そして、阿良々木くんが独りで
対峙しないといけない相手なのだと。

そう。彼女の正体は阿良々木くん自信。

阿良々木くんの自分への厳しさが
怪異となって現れた存在。

自分の間違いを許さない
自分が犯した過ちを強制的に
正そうとする怪異。

そして、その決戦の時・・・



そして、少年は大人になる…
的なお話かという流れで進んでいくのです。

阿良々木くんの高校生活の終わり
青春の終わり…だと。

確かに自分への気真面目さの象徴である
忍野扇を退治するということは
青臭さを切り捨てることにつながる。

大人になるとはよく言ったものです。

でも、阿良々木くんはそれを選びません。

そう、あるがままの自分を受け入れるタイプの
決着のつけ方ですよね。

阿良々木くんが退治しようとして
できなかった忍野扇ちゃん。

彼は扇ちゃんを助けて言います。

他人を助けたんじゃない。
自分を助けたんだ…と。

これは、多くの大人にとってとても難しいこと。
認められない事ではないでしょうか?

自分の悪を受け入れると言って
悪に負けてしまう大人もいるし

わたしのように自分の弱さも
自分の一部だと言いわけのように唱え
自分を甘やかしている大人

そう言う人は多いですが
どうでしょうか?

青臭さを捨てずにいられる大人というのは
なかなかいないのではないでしょうか?

いや、青臭さを手放せなくて幼いままの大人
というのは沢山います。

しかし、青臭さを大切に胸に抱いたまま
ちゃんと大人になれているという人は
本当に少ないと思うんですよね。

わたしはそういう大人を目指しているけれど
まだまだ全然です。

要らない幼さが残ったり、
手放したくない青臭さをいつの間にか失っていたり。

青臭さ、言い換えれば純粋さ、
それを守るのは本当に大変ですね。

ただ手放したくなくて、変わりたくなくて、
成長しないというやり方を選ぶと
それは青臭いというより幼さになります。

幼稚。

でも、ここで言う守るというのはそういうことではない。

大人の世界では「キレイ事」だと言われ
「大人になれよ」と言われて
捨てることを促される純粋さ。

確かにそれを手放せばラクに生きられる。
反面、それを大切にするということは
貫くということ、つまり、
戦わないといけないということ。

戦うには敵を知る必要がある。

つまりそれを手放せとささやいてくる
大人の世界のことを知る必要がある。

幼稚で成長がないやり方は
大人の世界を見ないようにしている。

でも、本当に守る人は大人の世界に
どっぷり生きているように見えても
純粋さ青臭さを自分の軸にきちんと持っている。

多くはないけど少なからずそういう人は
確実にいますよね。

それは、明らかにイバラの道なのですが、
阿良々木くんがそういう道を選ぶのは
やはりわたしにとっては涙ものでした。

「自分はもう子どもじゃない」
というときにまるで純粋さを失って
汚れた自分になったことのように言う大人がいます。

汚れること、諦めることは簡単です。
戦わなくていい。

でも守るなら闘う必要がある。
闘い続ける必要がある。

あなたがどちらを選ぶかはあなた次第。
そこで闘わずに「大人」になったって、
他にも闘わなければならない事は
いくらでもありますからね。

でも、わたしにとっての戦いの舞台は
そこが一つ目の大きな門だと思っています。


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2017年10月09日

ドラマ「ガリレオ 第1シリーズ #4 壊死る(くさる)」その2 美しさを感じる心



「殺せんせーQ」といアニメの一挙放送を
息子が観ていました。

ナイスバディの魔女に誘惑され
言いなりになってしまう男たち。

オトコは美女の色香に弱いものです。

「あまいぞ男吾!」という
わたしが大好きなマンガがあります。

昭和50年生まれの巴男吾の
小学生から中学卒業後の
教師生活までを描いた熱血マンガ。

この作品できらびやかな生活をしている
お嬢様が出てきます。

優雅で気品あふれる美しいスポーツ、
フェンシングをたしなむ彼女は
汗臭い男くさい野蛮で不潔な武道を
毛嫌いしていました。

そんな彼女が汗だくホコリまみれで
身をていして彼女を守った巴男吾を見て
「…美しい…」
と魅せられてしまいます。

月間コロコロコミックで読んでいて
元気をもらったシーンでした。



さて、10月期の新番組がスタートし始めたので
慌てて再放送のこのドラマを見倒しています。

ドラマ「ガリレオ 第1シリーズ」
第4話「壊死る(くさる)」


を観ました。

ある豪邸の室内プールで
若い女性の水死体が発見されます。

検死の結果、死因は
心臓まひによるものとのこと。

しかし、何故か胸の皮膚の一部だけが
壊死していました。

気になった薫(柴咲コウ)は
湯川(福山雅治)のもとを訪れ
何故皮膚が壊死したのか尋ねます。

ところが「それは物理学の範疇じゃない」と
湯川に言われ追い返されてしまいます。

翌日、ある大学で開かれた物理学会で
講演を終えた湯川は、
ひとりの学生に呼び止められます。

講演の内容に感銘を受けたという彼は、
田上昇一(香取慎吾)。
その大学の院生です。

田上の名前に覚えがあった湯川は、
記憶をたぐり、ある論文を思い出します。

その論文の内容に興味を持っていた湯川は、
田上に名刺を手渡すと、
いつでも連絡してくれ、と伝えます。

するとそこで、聞き込みにきていた薫と
ばったり会います。

水死した女性は、この大学の学生でした。

湯川の姿を見つけた薫は、
再度彼に相談しますが
全く取り合ってもらえません。

ふと掲示板を見た薫はそこで
「皮膚疾患の先端技術」という文字を見つけます。

何かわかるのではないかと思った薫が
その研究室を訪ねてみると、そこには
白衣姿の田上がいて・・・。



湯川先生の美意識がバチーンと
閃光を放つお話。

湯川先生はきっと純粋な少年で
純粋に世の中の不思議に引かれて
純粋にニュートンやガリレオなどの
科学者に憧れて
そのまま大人になったんだろうな…

と想像しちゃいますね。

生意気だっただろうけれど(笑)

田上のことを久しぶりに見込みのある
気持ちのいい青年だと思った湯川でしたが
その思いが見事に裏切られる。

最初に女子大生を殺すのが
田上ですから、わたしたち視聴者には
湯川が裏切られるのはわかっている。

でも、田上が思っていることを
聞いてしまったときの湯川の表情は
わかっていた視聴者をも惹きつけます。

わたしたちは美しいものが好き。
醜いものは嫌いです。

でも、心が醜いのに妖麗な美女に
誘惑されてしまったりもする。

ついついズルをしたくなった時、
ついついな負けたくなった時、
金銭的、性的な誘惑…

わたしたちはその誘惑に負けるのと
打ち勝つのと、どちらが美しいか?

自分の中にちゃんと答えを持っていますよね。

田上は持っていなかったようです。
でも、そんな田上が持っている美意識にも
湯川先生は圧倒的に勝って魅せるんですね〜

そのあたりが本物と言うことなのでしょう。
カッコイイです。
地味で目立たないひねくれハードボイルド。
でも、カッコイイ。

ついついナマケたくなって
躊躇なくナマケる自分が恥ずかしいです(笑)


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