2017年05月14日

ドラマ「母になる #5」真剣ゴッコ、気合いゴッコしてない?



多くの結婚式をみています。

新郎新婦ともに両親がいて
幸せそうに見守ってくれる式もあれば
片親しかいない家庭や親が参加していない
家庭もあります。

お母さんがお父さんの遺影を持っている
という光景があったり
なんとなくご両親の事には触れないほうが
良さそうだなという雰囲気が流れていたり、
様々です。

わたしは幸いにも両親は健在です。
2人とも仲良く実家で暮らしています。

わたしや妹・弟はそんな両親の
“幸せとの格闘”の中で育てられたのだと
今ならよくわかります。

生徒・学生のころは幸せな家庭で
育ってこられた幸運を別段幸運とも思わず
脳天気なものでした。

社会に出るといろいろな家庭で育った人たち、
そもそも家庭なんてなかったという人、
いろいろな人がいることに気づかされ
しあわせ家庭で育ってきたというだけで
突き刺すような目で見られ、
ひどいことを言われたりする・・・なんて
経験もするようになりました。

幸せな家庭でぬくぬくと育ったやつ。

そんな言われ方はわたしを萎縮させるには
十分な社会の洗礼だったわけです。

だからそのことをコンプレックスに
感じるなんて、今にしてみれば
本当にばかばかしい時期も経験しました。

いや、それはそれで良い経験だったのでしょう。
今の自分がいるわけですから。

もう社会に出て20年ほどたちますので
幸せな家庭でぬくぬくと育ったわたしが
このようなことを書くと
あなたがわたしを嫌いになるかもしれない
という可能性は充分承知しています。

でも、そんなことを理由に
幸せ家庭に対して一種憎しみの様なものを
抱いている人たちと水と油のように
なっていたって何の進歩もない。

そもそも、幸せ家庭で育ったか
そうでないかなんて違いは乗り越えて
仲良くできている人たちも
沢山いるわけですから。



深刻な問題と心和む人々の描き方の
バランスが素敵な

ドラマ「母になる」
第5話


を観ました。

施設に戻ることになった広(道枝駿佑)。

木野(中島裕翔)が自販機でジュースを
買っているすきに姿を消します。

結衣(沢尻エリカ)は広が麻子(小池栄子)の
ところに行ったのではないか
麻子が変な入れ知恵をしたのではないか
と不安を抱いてしまいます。

そんなところに木野から連絡があり
今偉(望月歩)と一緒にネットカフェにいる
と知らされ一安心。

2人は行方不明になっている今偉の母親が、
ネット上の地図に写りこんでいるのを知り、
居場所探しで結託していたのです。

そんな広と今偉に立ち会う木野。

ようやくヒントを掴んだ広達は、
母親に逢いにいくと言い出します。

その頃麻子は、一緒に飲みに行って意気投合
した琴音(高橋メアリージュン)から、
新しい仕事を紹介してもらうこになります。

それが柏崎オートの仕事とは知らないまま、
里恵(風吹ジュン)にも会い、
気に入られます。

しかし里恵から、
孫だという広の写真を見せられて…。



今偉が広に伝えたかったのは
例えどんなにひどい親でも
自分を生んでくれた母親は世界にたったひとり、
それはかけがえのないことなのだ・・・
ということでした。

それを、自分の心を傷つけられながらも
まざまざと広に見せつけます。

今偉が母を探しているときに、
木野に言います。

もし、母親が見つかって会うことができても、
そこで例え何が起きても木野さんは口を出さず
黙っていてくれと。

大人が出てくると、きれいにまとめてしまう。
そうはしたくない。まとまらなくても
ありのままの状況を見守っていて欲しいと。

今偉は誰よりもオトナでした。

自分の境遇をありのまま受け止める。
それも悲観せず、
怒りで自分を守ろうともせずです。

こんな真似はなかなかできるものじゃない。

しあわせな家庭でぬくぬくと育ったやつ。
そんな刺すような怒りは
自分の寂しさや悲しさから自分を守る
自己防衛の怒りの矛先を
平和に育った人に向ける八つ当たりです。

そして、平和に育った人たちの中にもまた
そういう仕打ちをしてくる人たちに対し
「育ちの悪い奴は精神も素行も悪い」
と敵意を抱いたり、見下したつもりになって
自分をショックから守ろうとする人も
沢山いるのも事実です。

でも、世の中にはそんな自分の境遇なんて
真っ正面から受け止めて、
しっかりとオトナになっている人が
沢山います。

いがみ合わずにお互いの境遇から学び合い
成長し合ってパートナーとして
幸せを創っている人たちも沢山いるんです。

幸せ家庭で育った人、
家族や親にいい思い出がない人、
そんな両者がいがみ合うのは
どちらも自分の人生を生きれていない証拠です。

あるがまま受け止めきれていない証拠です。

若いときにナニクソ!と奮起するのはいい。
しかし、そのときに使った怒りの
パワーにしがみついていると、
結局は自分が家庭を持つ立場になったときに
大切なはずの人たちを傷つける。

それは、幸せ家庭で育っていようが
そうではなかろうが同じです。

幸せになる。「なる」というのは
自分で努力することであって、
結婚とか家族とか、ましてやお金とか
自分以外の条件にゆだねるものではありません。

自分で「なる」もの、
自分をそう在り続けさせるために
自分の精神を常に成長させること。

自分を成長させ続けること。

結婚の誓い、幸せの誓いとはそういうものです。

妻が優しくない、夫がわかってくれない、
わが子が言うことをきかない。

周囲に幸せの条件を求めていると
それだけで不幸になります。

しかし、優しくない妻に嘆くことができる事実
夫がわかってくれないと嘆くことができる事実
言うことをきかないわが子に悩める事実

その事実を、大切な人が一緒に
元気に暮らしている証拠だと、
なによりもかけがえのないものが
今のこのときこの場所に存在しているんだと
感謝をして生きている人もいる。

悲しめること、寂しい思いをできること、
それだって大切に思う相手がいるという
幸せのひとつなわけです。

そんな相手を亡くしてから
大切だったことに気づたという人も
世の中には沢山いるわけですから…

わたしは幸せな家庭で育ててもらう中で
そういう風に思える大人になるという
父や母の成長との格闘というのを
まざまざと体感しながら育てられたわけです。

それはいま思い返すと、
そうとうハードな激闘だったはずです。
まさにわたしたちの幸せは
なみなみならぬ“気迫”の中で守られていました。

はっきり言います。
他者に怒りをぶつけているうちは
ガキです。

開き直っても独り相撲です。

今回のドラマの今偉は、
幸せになる覚悟を強烈に
見せつけてくれました。

幸せに「なる」と決めるのは自分自身。
そして、幸せには今この瞬間に一瞬でなれる。

それをキレイゴトだというなら
まだまだ自分がコドモだと言うことです。

キレイゴトを「実践」する気迫がないのに
人に怒りをぶつける資格なんて
本当はないのです。

そんなものは気合い「ゴッコ」です。
真剣モドキです。自分を守っているだけ。
自分を守るために相手を傷つけているだけ。
そして、結果自分も傷ついている。

完全無意味な本末転倒ゲーム。
怒りにかまけていつまでも
そんなことやってないで、

自分を見つめて、あるがまま受け止めて
幸せになってやりましょうや!


         全ての物語のために



水橋文美江脚本作品、わたしが大好きな!






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2017年05月13日

アニメ「終物語 そだちロスト #1」大切な人をもう一段上のレベルで大切にする方法



いつでもなんでも開けっぴろげ
ではいられませんよね?

人に話したくないことはあります。

それが「いつまで」という一定の期間は
黙っておきたいことなのか、
あるいは「いつまでも永遠に」
黙っていたいことなのか、
それもそれぞれあるでしょう。

それぞれあると言えば、
自分で意識して言いたくないということと
自分でも無意識に触れたくないこと
触れられたくないことというのも
あるのではないでしょうか?

経験上、自分の人生が何か上手く行かない、
どこか行き詰まっていると感じるときは
無意識に自分をもごまかしているようなこと、
自分で見えていない自分の中身に
気付いていくことで道が開けていくことが
多いように感じています。

ただしそれは、非常に強固に
無意識の壁に守られていますので
他人が無理にこじ開けようとすると
よけいに防壁が強固になり
逆効果になりかねないという
デリケートな面ももっている。

大切な人の幸せを願うなら、
そういうことを学ぶのもまた
大切な人を大切にするということに
なるのではないでしょうか?



西尾維新さんの原作小説が基本的には
会話劇です。わたしも映画を撮ったり
脚本を買いたりしてきましたから
ある程度わかりますが、この小説を
映像化しようとするとかなり大変なはずです。
でも、この映像化シリーズはそこが非常に
上手いんですよね〜

アニメ「終物語」
「そだちロスト」第1話


を思わず2回繰り返して観ちゃいました。

副委員長でもある阿良々木くんは
委員長の羽川翼と2人で、
再び学校に来なくなった
老倉育の家に向かっていました。

委員長、副委員長として
登校拒否のクラスメイトに
登校を促すという役目というのは
とってつけたこじつけでした。

本当は阿良々木くんがきちんと
老倉と話をしたかったのです。

阿良々木くんは羽川に言われて
老倉のことを両親や妹たち
そして小学生のころよく家に遊びに来ていた
千石撫子に聞いてみたのです。

両親と千石ははっきりと覚えていました。
幼なじみとは言わないまでも
先日思い出した中学1年生の夏どころか
もっと以前から、老倉とは会っていたのです。

自分は薄情だな・・・なんて反省しながら
羽川と歩く阿良々木くん。

しかし、実は2人で老倉を訪ねることが
決定するまでに一波乱あったのです。

当初、老倉と同じタイミングで
学校に来なくなった戦場ヶ原ひたぎを
羽川が見舞い、老倉を阿良々木くんが
という役割分担でした。

阿良々木くんがひとりで校門を出ると
そこに忍野扇がいました。

阿良々木先輩にお供するという扇に
阿良々木くんが承諾仕掛けたとき
嫌な予感に突き動かされた羽川がやってきて
止めに入ったのです。

そこから羽川翼vs忍野扇の戦々恐々とした
論争の火蓋が切って落とされたのでした・・・



小説でも迫力のある羽川翼vs忍野扇の論争。
アニメでも迫力ありますよ。上手いですね〜。

さて、その論争後に冒頭のように
羽川と阿良々木くんは2人で
老倉を訪ねることになるのですが
羽川は忍野扇の尾行や先回りを気にします。

そんな羽川にちょっと気にしすぎだよと
諭す阿良々木くん。

しかし、羽川はそんな彼と彼の物言いを
とても冷静に受け止めていました。

2人の話が噛み合わないのです。

まるで阿良々木くんが意図的に話を
逸らしているようなズレかたをする。

羽川はそのことを指摘してみますが
阿良々木くん本人は本当に
意味が分かっていない様子。

今は、そういう話ができないって
ことなんでしょうね。
と自分の中でひとまずの決着をつける羽川。

とても、大人ですね。

わたしたち日本人・・・いや、先進国で
暮らしている大人たちの多くに必要な
本当の意味での大人の思慮深さ
なのだと思います。

妻や息子と接していても、仕事で
後輩と接していてもこう言った場面は
多々訪れます。

最近は弟と話をする機会も多いのですが
弟にそういう思いをさせているな・・・
つまり、わたし自身が自分の無意識の
防壁を作っていて、話を逸らしたがっている
というのを感じさせてしまっている
ということに気付くことがあります。

弟は数年前からわたしに言っていました。

わたしが自分で無意識の防壁に気づけた
ということはもう無意識ではない、
意識の上に上ってきているということです。

だから、正確には数年前に弟に
今回の羽川のような大人の決断を
させていたのでしょう。

貯金が苦手なわたしに弟は
貯蓄の習慣づけを意識することの大切さを、
以前から説いていました。

さかのぼると、結婚当初から妻にも
散々言われてることです。

それが、今になってやっと
「金持ち父さん貧乏父さん」を読破し
内容が自分の腑に落ちたことから
自分自身で向き合い初めているんですね。

それでも今でも、周囲から言われると
「わかってるって!」と
言いたくなっちゃいます。

でも、それこそ自己防衛本能に脊髄反射して
怒っているだけで、そっちに走ると
わたしはまた自分を正当化して
無意識の底に閉じこめてしまいかねません。

デリケートです。だから自分でも
大切に取り扱うようにしています。
自分の心を、そして周囲の意見と
周囲の意見に対する自分の感情も。

それができるのは、何度も何度も伝えながらも
今はこれ以上、その話ができるときはないと
妻や弟が引いてくれていたからに
他なりません。

無理にこじ開けようとされていたら
わたしのなかの防壁は意地を張って
もっともっと強固になっていたのは
間違いありません。

だから他のことで、妻や妹・弟、
そして息子と話していて
明確にしろなんとなくにしろ
今はこの話題は避けたいときなんだな
と感じたらできるだけ身を引くように
気を配っています。

彼らがその問題と自分で向き合えるときが
最良のタイミングだとわかっているから。

でも、わたしたちは相手がその話題から
避けたがっているのを感じ取ると
さらに問いつめたり、厳しく指摘したく
なったりしますよね。

そこには「相手のため」という思いが
強く存在しているはずです。

確かにそれだけ強く相手を心配しているから、
相手のことを自分のことのように思っているから、
であることは間違いありません。

でも、だからこそ本当の意味での「効果」
を考えなければならないのではないでしょうか?

いま、感情的に無理矢理論破するのが
正しいことなのか?
逆に閉じこめてしまうことではないのか?

この選択の分かれ目は、最終的に
ガマンできないという自分を大切にするか
自分のわがままよりも
相手の人生の最良のタイミングを大切にするか
という選択に他なりません。

本当に大切な人だからこそ大切にする。

その大切な選択はわたしたち自身の
心の成長とは切り離せないのです。


        全ての物語のために









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2017年05月12日

アニメ「進撃の巨人Season2 #31 戦士」大切なことはそこにさりげなく存在している



知りたいことがあるとすぐに書店に行きます。

悪く言えば、なんでも本に頼っちゃう。

さすがに自分でも読書家としてある程度の
バランス感覚は身につけている自負もあるので
何でもかんでも「本に書いてあったから」
なんて鵜呑みにしたりはしません。

それでも、
知りたいことをテーマとして扱っている本を探す
というのは王道過ぎるなというのと、
まだまだ知識や知恵の得かたとしては
初歩の初歩だなと思ってもいます。

それは、例えば本で得た知識を
ただ知って終わるだけではなく
ちゃんと実践してみようとか、

いろいろな本から得た知識を
組み合わせてオリジナルを創ってみようとか、

そういう話しではありません。

もちろん、それも本当に重要なことなのですが、
今回話したいのはもっと根本的なこと。

根本的だけど、下手をするとスピリチュアルか?
と胡散臭がられそうな“感度”の話です。



サラリーマンでありながらサラリーマンだけで
身を立てていこうとは思っていないわたしは
自分の価値観が狭まらないように気をつけています。
でも、仲間のサラリーマンの方が自由だなぁ〜
って思うこともいっぱいあるんですよ。
それが、マンガなんかをバンバン読んでいたりすること。
うらやましいな…。マンガは買えないけど、
これは見逃さないよ!

アニメ「進撃の巨人Season2」
第31話「戦士」


を観ました。

ウトガルド城を取り囲んだ巨人の群れは
自ら巨人に変身したユミルの活躍と、
駆けつけた調査兵団の主力部隊によって
撃退されました。

奇跡的に命を取り留めたとはいえ
重傷を負ったユミルは、治療のため
トロスト区に送られることとなります。

残った調査兵団は壁の修復作戦を
再開しようとします。

しかし、穴の位置を知らせに来たはずの
ハンネスによると、穴はどこにもないとのこと。

そうはいっても現に壁の内側に巨人は現れている。

疑問を抱えたまま、
エレンたちはトロスト区で待機するのですが…



驚愕の展開でした。マジか!?

原作を読まずに順番にアニメを見てきた人は
みんな驚いたのではないでしょうか?

エレンたちにとってもわたしたち視聴者にとっても
衝撃的な事実が明かされます。

面白かったのは、その衝撃の事実の明し方の演出です。

これまでの日常の会話の流れや
トーンとなんら変わることなく
画面の隅っこで平然と語られた対話が
よく聞くととんでもない内容なのです。

もちろん、最終的にはそこがクローズアップ
されますが、視聴者の方も下手をすると
聞き逃しかねないくらいの演出でした。

画面上も、セリフの音量も、
指揮をとっている調査兵団がメインなのに
その向こう、バックグラウンド的にエレンたちがいて
語られている内容。

「ん?あれ?なんか今スゴイこと言ってなかった?」

っと、自分の脳が何をキャッチしたのかを
瞬時に把握できずにわたしも思わず
巻き戻して聴き直してしまいました。

ニクイ演出するね〜!

と、一本取られた感じです。久しぶりに。

でも、よくよく考えると、大切なコトの答えって
実は日常に平然と転がっていたりします。

あまりに当たり前に存在していて、
意識にのぼってこないくらい平然とそこにある。

巨人にまつわる物語を観ている…
「進撃の巨人」を観ているんだという認識があるから
あのセリフを聴き取れましたが、
例えばこれが「弱虫ペダル」で、
坂道くんたちが走っている後ろにいる観客たちの
ガヤの中の一つだったら、
脳が認識せずスルーしていたかもしれません。

要は、何か知りたいとき、
答えを見つけたいとき、ヒントを見つけたいとき、
書店で本を探す、ネットで検索するというのも
一つの手としてはもちろん有効ですが、

本当に必要な答えは自分の生活の範囲内に
隠れもせずにまるで石ころのように
転がっていたりするということ。

そして、それは自分の感度…アンテナの調節によって
受信できるかどうかが変わってくるということ。

わたしも、思い返してみるとそういう瞬間てありました。

営業やチラシでお客さまを集める経験も
知識もなかったころ、演劇を観に行って
アンケートを書いたときにこれだ!
とひらめいて、アンケート営業で成功したり。

気になる女性を誘う方法がヘタクソで
悩んでいる時期にたまたま別のことで
紹介されたマーケティングの本を読んでいて
女性への声のかけ方を閃いたり。

そして、そういう経験がもっとも多いのが
映画や小説、アニメやマンガ等に触れている時、
あるいは「面白かったな〜」とそれらを
思い出している時だったりするんですね。

本を読むというのはその感度を
広げる訓練をしている
ということになるのかもしれません。

そういう意味で言えば、このストセラのブログは
わたしのそういうアンテナ感度を広げる
訓練にもなっているのかもしれません。

願わくば、あなたにとっても
そうで在って欲しい。

チューニングの合わせ方の練習…ということかな。

わたしたちの日常は、あなどれません。
宝の山です。


             全ての物語のために









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2017年05月11日

アニメ「ピンポン #5 どこで間違えた?」才能がないことを突きつけられると才能も夢も倍々で増える



ああ、自分には才能がないんだな・・・

そんな風にまざまざと
現実を突きつけられたことが
何度もあります。

根が楽天家だからでしょうか?

その時はそれなりにショックを受けるのですが
すぐに立ち直ります。

人によっては
「アンタにとってその程度のものだったんだろう」
と言われるかもしれません。

それは否定しません。

好きなことをに人生をかけている人の中には
本当にそれ一本でそれ以外何も要らないと
必死でやっている人も大勢います。

でも、たとえば野球が大好きで
プロを目指していた人が
自分には才能がないと気づかされて
挫折した・・・という話はよくありますが
それは人生における挫折だと
本当に言えるのでしょうか?

正直なことを言いますと、それって
野球に対しても失礼じゃないか?

って思います。

その感覚を理解できれば、プロなんて
目標の一つに過ぎないということに気づいて
幸せに野球と向き合っていけるはずなんです。

野球をやめるならやめてもいい。

その感覚がわかれば、野球じゃなくても
他のことを楽しく追求していくことだって
できるはず・・・なんですよね。



思わぬ名作と言うのもあるもんですね〜
いや、原作は昔からロングセラーなので
その言い方もおかしいのでしょうが、
ハリウッドではじゃんじゃん
映画やドラマが作られているように
日本では掃いて捨てるほどアニメが
量産されています。
その中から思わぬ宝石を見つけたような
そんな感覚です。

アニメ「ピンポン」
第5話「どこで間違えた?」


インターハイで優勝したドラゴンは
さらにユースオリンピックのシングルでも
優勝し凱旋帰国します。

記者会見で、海王には月本選手レベルの
プレーヤーが必要だと語るドラゴン。

その発言は海王学園のチーム内に
波紋を広げます。

そのころ、チャイナやペコも
それぞれの時間を過ごしていました。

そして月本=スマイルは人が変わったように
猛特訓に励んでいました。

そして、ドラゴンの言葉に
ショックを隠せないアクマは・・・



佐久間=アクマは、個人的な
他校との試合を禁じられているにも関わらず
単身乗り込み、スマイルに
試合を申し込みます。

すでに以前とはレベルが違うスマイルにとって
アクマ敵ではありません。

「なぜだ?どこで間違えた!?」

悲痛の声を上げるアクマにスマイルは

「才能がないってことだ」

と非情な言葉を浴びせます。

アクマに同情してしまうシーンです。

2話ほど前に、試合ですぐに負けた
ロン毛のお兄さんがいました。

海に行った彼です。

彼もかわいそうでしたが、
アクマの挫折はもっと激しく
描かれていました。

すべてを卓球に捧げてきたアクマ。
才能がない・・・という言葉を突きつけられて
今後、どうしていくのか?

別に辞めたってかまわないと思います。
もちろん続けてもかまわない。

才能がある人だけがやるべきことですか?
卓球って・・・

そもそも、卓球の才能って何ですか?
アクマは何の才能があれば良かったんでしょう。

卓球で世界一になる才能?
どうでしょうね。
一位にはなれなくても、
強敵としてこれから伸びる人の前に
立ちはだかる才能はあるかもしれない。

悪役レスラーよろしく、
悪役卓球プレイヤーとしてファンを湧かせる
才能があるかもしれない。

あるいは、ドラゴンに気に入られる才能が
あればスマイルに勝てなくても
彼は幸せだったかもしれない。

野球の例えに戻るなら、野球の楽しみ方って
プロになることだけではないですよね。

大人になっても草野球を楽しんで
キラキラしている人たちはいっぱいいますよ。

それを負け組だとか言っている人が
例え世界一のプロ選手でも
その人の人生が負けていると思います。

バカって言うほうがバカなんだ!

の理論ですよ。

そもそも、プロなんて、経済社会あっての
職業じゃないですか。

好きになったとき、そんなことは
関係なかったはずですよ。

最初に目にしたのがテレビの中の
プロ野球選手であれ、近所のお兄ちゃんが
グランドで練習している姿であれ、
ただボールを投げたりキャッチしたり
バットで打って走ったり・・・
そうやって戯れることがおもしろかった。

あるいは、友達と一緒に点を競うのが楽しかった。
野球を通じて友達が増えていくのが
嬉しかった。

純粋な好きって気持ちはそういうところに
しかも人それぞれの種類や色で
持っているものでしょう?

そんな中にはプロになる!が、
どうしても自分の色なんだという人も
いるかもしれない。

それなら、それが本当に
プロ野球選手じゃなきゃダメなのか?
だとしたら、野球の才能やセンスはいまいちでも
他の才能を使ってプロ野球の選手に
なっている人を探してみればいい。

そして、自分にどんな才能があって
どう利用すればプロの世界で欲しがられるか
考えて工夫してみればいい。

プロになれれば野球じゃなくて良いとか
なんならスポーツじゃなくても良かったんだ。
なんて結論がでることもあるかもしれません。

自分が本当にわくわくすることは何か?
自分が得意なことは何か?

ちょっと見かたを変えるだけで
別な才能が芋づる式にみつかっていくし
それが見つかると夢も増えます。

アクマほどもがき苦しむような情熱があるなら
いつでも自分の情熱は健全に
自分を幸せにするために使うべきですよ。

それが結局みんなを幸せにしますから。

わたしは漫画家になる才能も
絵を描く才能も
上には上が、はてしなくいることを
見せつけられて辞めてしまいました。

職業映画監督というのも、ずっとそれだけ
やっていれば本当に幸せだと思えなかったので
目指すのを辞めました。
それも才能の一つでしょ?

でも、映像は撮っているし編集もしているし
人の役にも立っているし、
それでお金、稼いでいますよ。

いつかまた映画をつくる日も来るかもしれません。
本当の意味での夢を諦めたことは一度もない。

他にも多くの人の相談に乗ることで
お金をもらって家族を養っているし、
こうやって毎日文章も書いているし
映画やドラマだって
楽しんで観ています。

もっともっと時間があれば
やりたいことはいっぱいあります。

挫折?なんなら、やりたいことを
一生かけてもオレはやり終えられないんだ
ってわかってしまった瞬間が
一番の挫折でしょうか?

でも、じゃあ何もしないんじゃつまらないから
やりたいことは時間を見つけてはやっちゃう。

なんとか時間をひねり出そうともしちゃう。

一生かかってもやりきれないくらい
やりたいことが出てきてしまったんですから
当然ですよね。

だから、挫折するとおもしろいですよ。
好きなことが倍々で増えていきますからね。


全ての物語のために










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2017年05月10日

ドラマ「母になる #4」結婚したときが夫婦誕生0歳からのスタート



他人の家庭の問題には踏み込めない。

基本的なマナーですね。
基本的でとても重要なマナーです。

インドア派のわたしも例にもれず
家庭内のことをアレコレ詮索されることを
よしとはしていません。

ところが、放っておいてよと
完全に周囲をシャットアウトしているのか?
というと、そうでもありません。

そうでもないどころか、
実は、むしろ第三者の意見を聞きたい!!
ということもたくさんあります。

夫婦の問題しかり、親子の問題しかり。

実際に、どこの家庭でも、
他人が介入しづらい問題だからこそ、
誰にも相談できず、家庭内だけで
抱えっぱなしになっていたり、
無理矢理な結論を出してしまっていたりということも
たくさん起こっているのではないでしょうか?

かといって、

「〜の奥さんはなぁ」とか
「〜さんのところのご主人なんて」とか
「〜組の〜ちゃんはね」とか

そんなことを言われたって

他人の家のことと比べられても困る!

というのも、ホンネ。

だからこそ、必要な心もちというものがあるんですよね。



ゴールデンウィーク明けましたね。
遠出こそしませんでしたが、お陰さまで
息子も妻も満喫できたようです。

ドラマ「母になる」
第4話


を観ました。

麻子(小池栄子)と再会、
そして突き放されるような別れ。

ショックを受けている様子の
広(道枝駿佑)は、結衣(沢尻エリカ)に
よそよそしい態度で接するようになります。

陽一(藤木直人)や里恵(風吹ジュン)には
今まで通り明るく接しているのに
自分だけに向けられるその態度に
結衣は戸惑っていました。

学校からのお知らせのプリントも
広から全く渡されていなかったことう知り、
広に毎朝渡している手作り弁当も、
実は食べていないことに気づきます。

何とか話をしようと
広にアプローチする結衣。

そして広から「施設に戻りたい」と
本音を聞いてしまいます。

そして結衣は動揺したまま
ひとりで抱え込んでしまいます。

一方、木野(中島裕翔)は、
広の先輩である今偉(望月歩)から、
広が助けてというメッセージを
送ってきたことを聞かされます。

そんな中、莉沙子(板谷由夏)と
西原教授(浅野和之)が、
莉沙子の海外出張を巡って
夫婦喧嘩を始め、

結衣と陽一は仲裁のために
呼び出されるのですが・・・



水橋文美江さんの脚本らしい
どこかほんわかした大らかさがあるドラマです。

テーマはとてもシリアスなのにです。

この柔らかさが水橋文美江さん作品の魅力ですね。

その、水橋作品らしさをこのドラマでもっとも
体現している登場人物が西原教授の家族です。

西原夫婦はとてもいいポジションにいます。

結衣は広が自分によそよそしくなったことを
ひとりで抱え込みます。

陽一も、結衣に対してまだまだ遠慮がち。

そんな2人が、西原夫婦の妻・莉沙子が
海外出張に出かける朝の夫婦喧嘩に
呼び出されます。

夫婦喧嘩じたいは本当のケンカだったようですが、
面白いのはケンカしながらのこの夫婦の
チームワークです。

酷いことをいう夫に結衣たちが
「それは言い過ぎじゃないか…」とつい口を出します。

すると西原夫婦は「言い過ぎるのが夫婦だ」と
同じ主張をします。
言い過ぎるぐら言い合わないでどうするのだ!

…と。

ケンカしながらも夫婦で目配せして
「言いたいことを言い合うのが夫婦」
というメッセージを結衣と陽一に
伝えようとします。

(笑)自分たちのケンカはマジなのに、
マジなケンカの最中にチャンスだ!とばかりに
意思疎通させて友人夫婦のために
チームワークを発揮する。

とっても素敵なシーンですねぇ。

この先、この西原夫婦にも波乱のエピソードが
用意されているのかどうかはわかりませんが、
とてもいい夫婦ですよねぇ。

このエピソードのあと、結衣と陽一は
2人で相変わらず気まずい雰囲気で
歩いて帰っていました。

西原夫婦のやりとりが効いたのでしょう。
「じゃあ、言いますけど…」
と結衣が広の態度のことを話しました。

かといって結衣と陽一の距離が
一気に縮まったりはしません。

2人とも恐る恐る距離を縮めようとしている感じです。


人との距離の取り方も人それぞれあるように
距離の縮め方もその人なりのテンポがありますよね。

西原夫婦と結衣たちは、結婚した時から
夫婦の関係の築き方は違っていました。

殺伐とした言葉を使いあいながらも
なんだかんだ言って、はたから見ていると
結局ウマが合っている西原夫婦に比べ、

結衣たちはお互いデリケードで、
丁寧に優しく2人の関係を築いていました。

自分と他者との距離の縮め方が
人それぞれであるように、
夫婦という単位で観たときも、
距離の縮め方は夫婦ごとに違うものなのでしょう。

わたしたち一人ひとりの成長のテンポが
それぞれ違うように、
夫婦としての成長のテンポも、
夫婦ごとに違うものですよね。

もしも結衣と陽一の問題が
わたしの問題だったら…

西原夫婦のような存在は非常にありがたいです。

でも、わたしたちが西原夫婦と同じような関係に
急いでならなければならないと
焦りは禁物だとも思います。

わたしの成長、妻の成長もそれぞれならば
それらが絡み合って夫婦のしての成長も
わたしたち夫婦独自のテンポになっていくでしょうから。

大切な関係だからこそ急がず
大切に大切に育てて見守っていきたい…。

と、わたしの場合はなるでしょう。

きっと、結衣と陽一もそうなんでしょうね。

それらを見守るためには自分たちの中にも、
そしてできれば西原夫婦のように見守って
くれる周囲のひとたちの中にも
おおらかな受け止め方が求められるんだと
思っています。

真剣ではあるけれども深刻にはならなず。
赤ん坊が寝返りをうっては喜び、
ハイハイしたりつかまり立ちしたり、
しりもちついたり、時には頭もぶつけながら
自力で歩き始めたり…

そういう成長を見守った時のように。

夫婦というくくりで成長を見守って欲しいし、
見守っていきたい。

そんな風にいつも、祈っています。


          全ての物語のために



水橋文美江脚本作品







posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする