2017年07月05日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7 #12 覚悟(Say Yes)」俺たちはどうでも良い、未来のために



子どものころ、無邪気だったころは
今を生きている・・・なんてことは
まったく無意識で、
自然と今を生きていられたんだなと、

今はよくわかります。

思春期に入り、いろいろなことを考え、
無情や無慈悲、いろいろなことが
無意味に感じられたりして
虚しくなったりもして、
そこからまた、
いろいろ思考を巡らせて、
今度は“哲学”をし始める。

自分とは何者か?何のために生きているのか?

でも現実と思考とのギャップに戸惑ったり
現実を受け止めるのにせいいっぱいで
自分が感じていたはずの
大切な“哲学”を考えても仕方がないとばかりに、
いつしか忘れていく。

忘れていけない人は現実と気持ちに
折り合いをつけられずに引きこもったり・・・

どちらにしても“今ここ”を生きられなくなる。

もしかしたら成長には必要な時期なのかも
しれないけれど、やっぱりそういう時期を
過ごせること自体が平和に生きていることの証
ですよね。



日本のドラマ一気観はクールダウンするために
「99.9 刑事専門弁護士」は少しずつ
観るようにしています。その代わり、
こっちを一気に観ちゃったりして(笑)

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7」
第12話「覚悟(Say Yes)」


を観ました。

ジェイディスが率いるコミュニティと
共に救世主と戦おうと交渉したリック。

ジェイディスが要求した条件は銃の調達。

調達に出たリックとミショーンは
道中で手付かずの廃墟を発見します。

一方、アレクサンドリアでは、
ロジータがなかなか動き出そうとしない
仲間たちに苛立ちを募らせていました。

そんなロジータをいさめようするタラ。

そんなタラの中にも葛藤が生まれています。
タラだけがしっている秘密・・・。

リックとミショーンが見つけた施設は
遊園地のようですが、
元、軍人と民間人のウォーカーが
大量にさまよっていました。

元軍人のウォーカーたちは、
肩にマシンガンを背負っているのでした・・・



リックとミショーンは2人だけで
ウォーカーたちを倒し
彼らの銃を奪おうとします。

そこで起きた事件で、
すっかり気をそがれたミショーンに
リック言葉をかけるシーンがありました。

「俺たちのことはどうでもいい。
ジュディスやグレンとマギーの子供たちの
未来のために・・・」

自分たちは危険を省みずに
どんどん前に進もうとしています。
救世主たちの規模を考えると
彼らとの決戦で何が起こるかわからない。

ミショーンはリックを失うことを
恐れていました。
そんなミショーンに自分たちが今、
何のために生きているのか、
今何を大切にしているのかを確認して
元気を取り戻してもらうために
力強くリックが伝えます。

このリックの語る言葉が
感覚として腑に落ちるようになったのは
紛れもなくわたしが父親になったからです。

それもごく最近。
もう息子は12歳だというのに
わたしが父親らしい感覚を自覚できたのは
本当にごく最近です。

今ここ。

今この瞬間に全てがある。
なのに、自分たちのことよりも未来?

昔のわたしならそう思っていたでしょう。

でも、今ここに全てがあることの意味こそ
リックたちの生き方そのものなんですよね。

今ここには全てがある。
全て・・・つまり過去も未来もある。

リックはそれをわかっているから
あれだけのリーダーシップを発揮して
今をいつも全力で生きている。

田舎道に車を停めた、
車中でのやりとりです。

お金のかかっているシーンではありません。

でも、胸に熱く
突き刺さってくるシーンでした。

やはり、このシリーズは日本のドラマとは
次元がいくつか違いますよ〜!


         全ての物語のために








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2017年07月04日

ドラマ「99.9刑事専門弁護士 #3」大人のいつか



セルフマネジメント

日本語で言えば、
自分の目標を叶えるための段取り

とでも言うのでしょうか?

いつなにを為したいのか?

それまでに必要な行動を書き出し
順番を決めて、計画を立てて
実際に行動していく。

いつ なにを 為すのか
いつ 為すのか

いつ

目標計画には期限が必要です。

「いつか」ではなくて・・・

でも、「いつか」といえる幸せもある。
大人になってから
将来の夢を語れる幸せもあります。



「コード・ブルー」一挙観の前から
「グッド・パートナー」「重版出来」と
日本のドラマの一気観にハマっていました。
この作品を最後にいったん落ち着こうと
思っています。

ドラマ「99.9刑事専門弁護士」
第3話


を観ました。

刑事事件専門ルームでは、
深山 (松本潤) が 藤野 (マギー) の弁当に
マイ調味料で味付けをして
お昼のひとときが流れていました。

そこに新たな案件が舞い込んできます。

川口建設の金庫に常備していた
非常用資金1,000万円が盗まれ、
経理を担当していた 果歩 (山下リオ) が
逮捕されました。

しかし、彼女は無実を主張。

娘を助けて欲しいと母・冴子 (麻生祐未) からの
依頼があったのです。

被告人が女性であることもあり、
自分の実力を見せたい 彩乃 (榮倉奈々) は
自分が担当したいと申し出て、
佐田 (香川照之) に了承を得ました。

金庫の暗証番号は、社長と専務、
それと経理の果歩しか知らず、
犯行日に、社長と専務は
それぞれ出張に出掛けていたといいます。

さらに家宅捜索では、
果歩のカバンの中から金庫に入れていた
現金の封筒が見つかり、
押入れからは現金1,500万円が見つかりました。

彩乃は果歩に話を聞こうと、
深山と共に拘置所を訪ねましたが、
冴子からの依頼であることを伝えると、
果歩が顔色を変え
「私には母はいません。お断りします」
と拒まれてしまうのでした・・・。



実はこのドラマ、Season2の制作が決定。
来年、TBSの日曜劇場に登場予定です!
きゃ〜!!また楽しみが増えました!

ピンクの三角屋根の家。
幼い果歩の手を引く冴子が、
「いつかこんな家に住めるように
お母さん頑張るね」
と伝えるシーンがフラッシュバックされます。

個人的に胸をつまされる思いがしました。

家を買えるようになったら引っ越そう・・・
いつか・・・

これはわたしが妻と息子にした約束です。

目標には期限が必要です。
一時期は息子が10歳になるまでには・・・
あるときは息子が小学生の間には・・・

そんな風に言っていたにも関わらず
その夢叶わないまま、今息子は中学生です。

妻は諦めています。
わたしの重荷にならないように
気を使ってくれている。
それは諦めているというより
期待で負担を感じさせないように
配慮してくれているということでしょう。

息子はどうなのでしょうか?
まだ信じてくれているのかな?

恥ずかしい話ですが、これはわたし自身が
受け止めるべき自分の足りていないところ。

叶えた目標も、実現した夢も
たくさんあります。

でも、これはそう簡単にはいきませんね。

それでも!大人が口にした「いつか」は
「いつか」ではなく今にしなきゃ。

冴子のようにそれが叶わなくなってしまう人も
いるかもしれません。

でも、わたしはまだまだ健康そのものです。
恵まれた境遇に感謝しています。

大人になって「いつか」なんて言える。
大人になってから将来の夢を語れる。

そのこと自体がもう本当に恵まれている。

だから今はこの「いつか」を、
今に引き寄せ中です!


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2017年07月03日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7 #11 自我を失い(Hostiles and Calamities)」知らない人も独りのキャラクター(人格)として



こんなブログを書いていると
本当に気をつけなきゃならないな・・・

と思うことがいくつか出てきます。

その一つに、「日本人は」とか
「わたしたち庶民は」とか
「〜な人たちは」みたいに
人を一括りにしたようなものの見方を
してしまうことです。

もちろん、文章で人にものを
伝えようとする以上、
それも避けて通れないことなのですが、
気をつけないといけないのは、
自分の思考のクセにしないということ。

例えばお客さんと接するときに
お客さんを一括りにすると
失礼きわまりないですよね?

この人も、その人も、あの人も、
みんなお客さんだけれども
「同じ」人間ではありませんよね。

一人一人、個別の「その人」。

これって、でも忘れがちなんです。
意識していないと。



日本のドラマ、10月からスタートするもの
来年スタートするものにすでに今から
待ち遠しいものが情報公開されています。
10月からはアニメで楽しみにしているものも
あります。そんな中、やっとこの
異様に意識の高いドラマの鑑賞を再開しました。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7」
第11話「自我を失い(Hostiles and Calamities)」


ニーガンに銃弾を製造したことを
知られたユージーンは
救世主に囚われてしまいました。

ニーガンの一挙手一投足に
ひどく怯えるユージーン。

しかし、逆に手厚くもてなされます。

ニーガンの妻たちの接待まで受けるほど。

ダリルが逃げ出したことで
監督役だったドワイトは罰を受け
再び独房に入れられました。

実はダリルが姿を消したあとに
現在はニーガンの妻をさせられていた
ドワイトの元妻のシェリーも
いなくなっていることが判明したのです。

ニーガンはシェリーの行き先がわかるという
ドワイトに連れ戻すよう命令し
ドワイト再び忠誠を誓わされます。

シェリーを探しに出たドワイトが
そこで出会うものは・・・。



ドワイトがニーガンの信頼を取り戻して
ユージーンと話をするシーンがありました。

ドワイトたち救世主側から見れば、
ユージーンは脱走したダリルや
自分たちに刃向かったリックたちの
仲間です。

これが日本の犯罪もののドラマだったりすると
ダリルが逃げたところに囚われてくる
ダリルの仲間なんて、なんと間の悪い!?

・・・と、言う状況。つまりダリルへの鬱憤を
仲間のユージーンに向けられる。
なんてことにもなりそうな気がしました。

しかし、ドワイトとユージーンの対話は
そんな兆候は一切見られない。

誰それの仲間だから・・・という
同一視みたいなことは微塵も感じないんです。

ドワイトにとってダリルはダリル。
ユージーンはユージーン。

まったく別の人格を持ったひとりの人間、
そういうことが当たり前にわかっている
というふうな空気感でした。

例えば大きな会社につとめていると
いくつもの部署に分かれていると思います。

「経理のヤツら、まるで役所だな」
「技術部はオレたち営業の現場なんて
わからないんだよ」
「営業部の人間は自分のインセンのことしか
頭にないんじゃないか?」

つい、そんなモノの見方をしてしまうことって
人間だからあると思うんですよね。

それが当たり前になってしまっている・・・
なんてことはありませんか?

わたしは正直自分の職場での
思考を振り返ると、
胸を張って、「そんあことはありません!」
とは言えません。

でも、実際に一人一人と面と向かって
つきあって、相手を知れば、
「〜部のやつ」なんて一括りにできない仲に
なりますよね。

人となりを知ってみれば。

それは相手を知ったからそうなる、
というのは自分の都合であって、
相手ははじめからひとりの人間なわけですから
やっぱり一括りにするのは失礼。

言いたいことが言えなくなったら
ブログなんてこうやって書いている意味も
なくなるわけですが、
環境の当たり前、自分の当たり前は、
常に疑ってチェックしていかないと
いけませんね。

まさか、ドワイトに気づかされるとは(笑)


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2017年07月02日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7 #10 瓦礫の牙城(New Best Friends)」奥ゆかしさを感じる隙間をつくる



日本人は奥ゆかしさを持っている。

それは確かでしょう。

たぶん文化的に一人一人の細胞レベルで
先祖代々受け継がれている。
遺伝子レベルで受け継がれている。

それくらい世界に例を見ないくらい
奥ゆかしさの文化を持っている・・・はず。

でも、今の日本の常識をつくっている
カルチャーとそれに流されている
日常の雰囲気からは
その大切な日本人の感受性・・・奥ゆかしさを
なかなか感じられなくなってきていませんか?



日本のドラマを一気観する事にハマって
こちらを再生する事が二の次に
なっていました。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7」
第10話「瓦礫の牙城(New Best Friends)」


を観ました。

救世主との取引現場で、
イキがる男とたびたび衝突してしまう
王国のリチャードは、
エゼキエルが救世主と戦おうとしないことに
納得がいかず攻撃を仕掛けるチャンスを
狙っていました。

そんなリチャードは
同じように戦うことを望み、
王国にかくまわれているダリルに
協力を持ちかけます。

一方、町から姿を消したゲイブリエルの
痕跡を追っていたリックたちは、
ゴミの山に住む集団に囚われていました。

集団のリーダーの名はジェイディス。

リックは彼らに救世主との戦いに
協力するよう交渉をするのでした・・・。



サバイバルホラーだけだと思ったら
大間違い。

とても静かな情緒あふれるお話でした。

リチャードがコツコツと準備をしていた
トレーラーに案内され
武器を渡されてついて行ったダリル。

しかし、リチャードは善良なみんなのため
と良いながら、街の外で独り暮らす
キャロルを囮に使うことを計画していました。

それを知ったダリルは力ずくで
リチャードをとめます。

キャロルはドアをノックされ
またエゼキエルたちのお節介かと
あきれ半分で玄関を開けました。

そこに立っていたのはダリル。

キャロルは仲間が傷つけられたら
救世主たちを殺してしいまう自分を
わかっています。

もうそんな自分になりたくない。
だから大切な仲間から離れ
独りになりました。

それでもずっと心配をしていたんですね。
ダリルと話をしているとその思いがあふれ、
救世主は攻めてきたのか?
みんなは無事か?
涙を流しながらダリルに確かめます。

ダリルは・・・

ダリルは、同じく王国にいるモーガンに
キャロルのことを聞いていました。
仲間の死を知らせればキャロルは一緒に
戦ってくれるというダリルに
モーガンはキャロルの気持ちを
説明してたのです。

だからでしょう。
みんなの無事を問うキャロルに
ダリルは静かにみんな無事だと
嘘をつきました。

とても静かで間の使い方も上手なシーンです。

映画ではなくテレビドラマとして
描けることの利点をフル活用していますね。

日本のドラマがわかりやすさを
求めるあまりに失いつつあるものを
じっくり着実に、そして効果的に
使ってきます。

やっぱりエンターテインメントでは
叶わないな・・・と思いますね。

エンターテインメントは文化を創ります。

今日本の一般家庭で流れている
エンターテインメントには
どんなものがあるでしょうか?

日曜洋画劇場は終わり、ドラマも減って
バラエティや報道番組の枠が
広がってきていますよね?

その方が視聴率がとれるから。

で、そのバラエティや報道番組で
流れているものからは情緒や奥ゆかしさとは
まったく別世界の雰囲気しか感じられません。

まだまだNHKの朝ドラなど
頑張っているところもあるようですが
そもそもわたしたち視聴者が求めていない
という自体が少し歪みを生んでいる
のではないでしょうか?

日々のストレスをただ発散したい。
静かに人の気持ちに自分のこころを砕いて
相手の気持ちのケアを考えるよりも
自分のことで精一杯。

どこかにその余裕のなさを感じます。
それはきっとわたし自身が
そうなってしまっているからかもしれません。

ドラマや映画でなくてもいいです。
ホンの5分でも、電車に乗るとか、
トイレに座るとかでもいい
スマホではなく本を開いてみるのでも良い。

情緒を感じはぐくむ余裕をつくることを
わたしたち自身の生活に
取り入れていきたいですね。


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2017年07月01日

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION #25 空を仰ぐ(最終話) 」弱さを認めることよりも大切な自分の強さの認め方



わたしたちはマジメです。

ん?そうですよね?

きっとあなたも、あなたが思っている以上に
マジメだと思いますよ。

多くの人たちとお話をさせて頂いていますが
日本人はとくに、根本的なマジメさが
他の国の人たちとは違っています。

インターナショナルな人たちに比べると
幼い部分や無関心な部分、
浅はかで愚かな部分もいっぱいありますが、
クレーマーでも話を聞いていて
マジメだな〜と思ってしまいます。

マジメ・・・「真面目」というより「気真面目」
という表現の方がしっくりくるのかな。

わたし自身も含めてですが
そういう気質は、良い面も悪い面もある。

特に日本人のそういう気質が悪い…というか
もったいないなと思う方向に現れているのが
自分の悪い部分に焦点を当てて
反省ばかりしがちになるという点です。

学校教育のほとんどが減点法なのが
その代表例ですよね。

あと「調子に乗るな!」という叱り言葉にも
よく現れていると思います。

わたしのような楽観的なタイプはとくに
こういう在り方に窮屈さを感じるタイプなので
さらに敏感にそのあたりが見えるのかもしれません。

楽観的な人は、「オレって天才かも」
って思っています。
相手が批判のつもりで
「変わってるね」「変だね」と言っていても
「マジで?」と照れてるような人種です(笑)

要するに「調子に乗るな!」とかもう
可能性をバッサリ否定されているようなもの。

むしろ「調子に乗らせてよ」っていうタイプなのです。

なんだか、前置きだけで脱線していますが
つまりはそういうタイプだから見えている
減点法の残念さ。

それは、自分を認める強さでもあるけれど
そこしか見えなくなると逆に
自分の全体が見えなくなる。

だから、自分の弱い部分を見るのは良いけれど
自分の強みというものもしっかりと認める。

自分の才能も自分に認めてあげるというのも
非常に大事になってくると思っています。

これは、楽観的で「オレって天才かも」って
思っているような人間ですら、
特に日本人で「調子に乗るな」とたしなめられる
文化で育ってきた人たちには
非常に非常に難しいことなんです。

わたし自身も、この自分の強みを認めるという
難しさは未だに日々肌で感じています。



さて、昨年から楽しみにしていて、
今年の1月からスタートした作品。
2クール、半年間の放送を終えましたね。
終えてしまいました!来シーズンが待ち遠しい!

アニメ「弱虫ペダル NEW GENERATION」
第25話「空を仰ぐ(最終話)」


を観ました。

インターハイ1日目の山岳賞争い。

平凡な走りだが執念で食らいつく手嶋と
そんな彼に全力を引っ張り出された真波。

いよいよリザルトラインまで残り400m。

そこに突然のメカトラブル。
真波のチェーンが外れて失速します。

山頂目前で手嶋はついに真波を抜き、
千載一隅のチャンスに憧れの
栄光の世界への光を感じた手嶋。

しかし…

そして、真波はわずか数十秒遅れ、
彼が目の当たりにするのは…



手嶋は自分は弱い、自分は凡人だ・・・
と思い込んでいます。

常にそう言う自分を自覚しているから
凡人が天才に並ぶ唯一の方法として
実直な努力という方法を選んでいる。

そんな手嶋とヒルクライムの天才真波が
インターハイ初日の山岳賞争いをする。

はじめは余裕で「よくついてきますねぇ」
なんて言っていた真波でしたが、
ペースを上げても上げても
手嶋はついてきます。

真波はもう、
手嶋を「弱い」だなんて思っていません。

手嶋にハッキリと言いました。
「あなたは強い」と。

それでも、手嶋は言います。
「持ち上げんなよ。オレは弱いよ」

手嶋のことを弱いだなんて思っているのは
手嶋だけです。
チームのメンバーも手嶋を弱いだななんて
一切思っていない。

個人的には手嶋を見ていてヒヤヒヤします。

親目線なのかもしれません。

「オレは弱い」という自己認識は、
両刃の剣です。

「オレは弱い」から「才能に頼らず努力する」
と言えるのは手嶋ならではの強さです。

自分を認める強さも、地道な努力を
積み重ねるという強さも持っている。

でも、「オレは弱い」と思い込み過ぎると、
才能にはやっぱりかなわないのか…
やっぱりここまでか・・・

と、本当はそんなことはないのに
自分の可能性にフタをして
自分を傷つける行為になりかねない。

ぜひとも
「コレが俺の、誰にも負けない強みだ!」
って、自分を認めてあげて欲しいです。

これはやはりシンプルに親心でしょう。

親じゃないけれど、でも、
わが子のことと照らし合わせると
そう願わずにはいられません。

でも、この物語の手嶋の心配は御無用。

観た人には分かりますよね。

彼が自分を認めるために必要なもの
それは彼の周りに沢山ある。

本当はそれが何かまで書きたいけど
これは、この物語をこれから見る人のために
伏せておきましょう。

なので今回は
わたしが常に思っていることから、
自分の強さを知る、自分の強みを知る、
自分の才能を知るための
手がかりになることをお伝えします。

とってもシンプルです。

それはこう。

「当たり前にできること」

です。

あなたにも在るはずです。
あなたには当たり前にできていることでも
周囲の人ができずにいること。

「こんなの簡単じゃん」
「このくらいちょっと考えればわかるだろ」

とちょっとイラっとしてしまうようなこと。

それって実は出来ない人がダメなのではなく
努力せずにできちゃうあなたには
才能があるということなんです。

これくらいは誰でもできる。

そう思い込んでいるから、
自分の才能だとは思えず出来ない人が
ダメな人に見えてします。

でもちょっと視点を変えてみてください。
だって、わたしたちは生まれてから
歩くことですら一生懸命努力したんですよ。

なのに努力せずにすんなり理解できたとか
人がやってるのを見てればなんとなく出来るとか
それってもう才能ですよね。

現に、それを努力しなきゃ出来ない人
努力しても出来ない人はいっぱいいるんです。

それは技術や行動だけにとどまりません。
視点や、モノの見方、考え方もそうですよね。

だから、自分の弱さを受け止めたうえで
努力を積み重ねられる手嶋は
それこそが手嶋の強みなんですよね。

真波が言うように、それって他の人には
なかなか出来ることではないのですから。

アドラー心理学を分かりやすく説明した
「嫌われる勇気」のなかで「普通であることの勇気」
が紹介されていましたが、

それと同じくらい、自分の才能を認める勇気も
わたしは重要視しています。

それが、わかれば日本の自殺率はもっともっと
下がっていきますよ。


             全ての物語のために










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