2017年04月12日

「アンフェア the end」いっそのことそれはもう裏切りと呼ばなくても良いのでは?



本当の意味での裏切りって考えようによっては
なかなか起こらないんじゃないかと思います。

たとえば、友達だから信じて
借金の保証人になったら逃げちゃった・・・

となったとき、裏切られた!

と思うことはもちろん簡単ですが、
もともと裏切るつもりだった訳じゃない。
どうしようもなくなったんだろう・・・
と、保証人を頼んできた友人の気持ちに
嘘はなかったんだと信じる・・・

ということもできるし、

仮にはじめから逃げる気で、
はじめから騙す気で保証人を頼んできたんだとしても、
今はそんな生き方をしているけれど、
本当のアイツはそんな奴じゃないんだ・・・

という信じ方もできます。

そう信じている人にとっては
嘘をつかれて借金を肩代わりさせられたことも
騙されたことにはならない。
裏切りにはならない・・・なんてこともあります。

お人好しもはなはだしいと
気分が悪くなるたとえかもしれませんが
まあ、わかりやすいでしょう?

でも、この程度のお人好しではまだ足りない

…という信じ方をしなければならない関係も
身近にありますよね。

だれもが身近に持っています。
そしてそれができるかどうかは
幸せになれるかどうかのボーダーラインでもある。



長い間ふれていなかったせいか
完全に冷めていたんですが、
観れてよかったです。

「アンフェア the end

を観ました。

警察病院占拠事件、
ネイルガン連続殺人事件から、
国家を動かす謎の権力組織のデータを
入手した雪平夏見(篠原涼子)。

そのデータをどう公表するのが効果的か
模索していました。

そんなときある転落死が起こります。

現場で10年前に起きた推理小説事件の時同様、
「アンフェアなのは誰か」
と書かれたしおりを見つけます。

間もなく、転落死体が
ネイルガン連続殺人事件の首謀者、
村上克明検事(山田孝之)であること、
さらに推理小説事件の犯人たちを結び付けた
×(バツ)サイトが復活していることが判明。

何者かが自分を巻き込もうとしている・・・

そんな雪平の前に、ある協力者が現れます。



TVドラマが終わってしばらく経ったころ
DVDをレンタルして一気に見たシリーズ。

確か劇場版がDVDで出た頃かな…

そこまで見たらもう最後まで
つき合うしかないかと劇場に足を運んだ前作。

わたしの中ではそこで終わっていたので
この「the end」が公開されている頃は
完全に冷めた目でいました。

「もういいよ」って(笑)

DVDが出ても見向きもしなかったくらい。

失礼な話です。

今回、番組改編時期に地上波放送され、
妻が一生懸命みている音を
隣の部屋で聞きながら、
「アンフェア」の世界観・雰囲気が
記憶の中に蘇ってきて、
「ああ、やっぱり観てみよう」と思えました。

インターネットなどの評価では
そんなに多大な評価はされていませんが
わたしは最後まで楽しめました。

前作「the answer」がヘビーで
なかなかもう一度みる気になれないのに比べ、
ストーリーのテンポも軽快で
とても見やすかったです。

さて、雪平さん。

相変わらず、裏切られまくっていますね〜

誰が敵で、誰が味方なのか・・・

これがこのシリーズの醍醐味です。
ですがさすがにここまで繰り返されると
「ああ、この人とこの人は裏切りそうだな」

とわかってきますね。

その方が衝撃が大きいから
最後まで引っ張って「ええ!?」って
思わせるんでしょ?

みたいな見方をしちゃいますどうしても。
結果、裏切る人はハズしませんでした。

でも、味方は最後までわからなかったので
どきどきできたんだと思います。

そしてやはり雪平の優しさと強さには
観客として惹かれます。

最後まで信じる。

その雪平も最後の最後、今までとは
違う選択をしました。

「ホラ。またこうやって裏切られる」

という最後の裏切りのシーンで
これまでとは違う対応をする。

そこで観客であるわたしもふと思いました。

いままで雪平を裏切ってきた彼ら彼女ら・・・
は、完全に裏切っていたと言えるだろうか?

ただ、彼らなりの真実や
彼女たちなりの信条があって、
正義があって結果騙し合いになっていた。

雪平も誰を信用していいのかわからないから
周囲にすべてを打ち明ける訳でもありません。

今作の最後の雪平の決断は
わたしたちが実生活で常に決断して
おかなければならないことなんだよね・・・

というのを再確認させられるお話でした。

最後に裏切られたのに、
裏切られた今まさにそのときに

最後まで信じる

という決断をする雪平。

わたしたちの実生活では相手が
大切であればあるほど
そういう信じかたは必要になります。

結婚相手や親子なんてまさにそういう関係の
象徴ですよね。

実際に今回雪平を裏切った人物も
その人なりに大切なもののために必死でした。

だからある意味雪平の信じたとおり・・・
信じてよかった・・・

という結論を出すこともできる。

出来事、行動を信じるのか
心、存在を信じるのか
思い、可能性を信じるのか

何を信じるかで、その人との間に
何が起ころうとも関係をつなぎ止め
大切な存在であり続けることはできますよね。


         全ての物語のために

















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2017年04月11日

アニメ「終物語 おうぎフォーミュラ #1」人類史上最も醜い式…多数決



理不尽には抗いたい。

そんな気概はあります。

しかし、「考える」も「感じる」もせず。
ただ自然に、瞬間的に、条件反射として
スルーしていることは、
実は沢山あるのではないでしょうか?

わたしがよくテーマにする、

「まともに働く=就職」

みたいな認識。

これもその一例ですよね。

無条件でそういう風に解釈していること。
それは思考停止ですね。

人間脳というものを持って生まれた
わたしたちにとってこの思考停止とは
創造性を放棄するという
人間としての醜さ…と言われても仕方がありません。




4月から予定していなかったアニメが
いくつか始まりました。一つがこれ。
夏…おそらく7月期の新番組として
放送予定と思われる新作に向けて、
BS11で再放送が始まりました。

アニメ「終物語」
「おうぎフォーミュラ」第1話


を観ました。

直江津高校3年生の阿良々木暦くんは
吸血鬼騒動から約半年後の10月、
2年生の神原駿河から1年生の女子
忍野扇を紹介されます。

何でやら、阿良々木くんに怪異がらみの
相談があるのだとか…。

しかも、忍野メメの姪っ子だと名乗ります。

扇は初めこそ教室の扉に
隠れるようにして阿良々木くんの様子を
うかがっていましたが、
話し始めるとかなり気安く親しげです。

2年先輩である阿良々木くんに
「愚か者ですね〜」とさらりと言ってしまうほど。

阿良々木くんは気圧されながらも
扇ちゃんの相談ごととやらを聴きます。

彼女によると、校舎のある階だけ
間取りが不自然だとのこと。

さっそく放課後に2人で出向いてみることに。

しかしそこには図面にない教室が一つあり。
試しに入ってみた2人は、
そこに閉じ込められることになります。

1時間ほど脱出方法探った結果、
全く動かない教室の時計を観て、
怪異がらみで出現した教室だと
予測を立てるのですが…。



オープニングテーマが流れる前の
状況説明のナレーションで
今回は数の話だと紹介されます。

多数決にまつわる話。
不等式…ならぬ不当式。

人間が発明したもっとも醜い式。

そう言い切って、この終物語がスタートします。


わたしも多数決というのは
子どものころから学校でも
友達と遊ぶ時でも慣れ親しんできました。

しかし、さすがに大人になるにつれ
その不公平さは感じるようになりました。

正しいか間違っているかは関係なく
ただ、人数が多い方が優先される。

100人中51人が「そうだ」と手を挙げれば
他の49人の意見は無視する。

というのが多数決。

これが99対1でも、本当はその1を
尊重しなければならないこともあるはずです。

多数決となった時点でそれはもう理不尽に
切り捨てられる。

そもそも意見が分かれた時にどっちを取るか?
となるのが怠慢ですよね。

どちらでもない第3の答えを考えるべき。

創造力とはそういうことに使うもの。

怖いのは「多数決なら仕方ないね」
と、数が多い方が優遇されて当たり前。

という感覚が刷り込まれてしまうことです。

それは、「数が多いこと=正しい」

という感覚に繋がってしまいますよね。

子どものころから多数決に当たり前に
接していると
「多い=正しい」という式は疑わなくなります。

この無条件に受け入れてしまうこと
全く疑わなくなってしまうことが
怖いし、理不尽だし、醜いですよね。

多い=正しい

まさに不等だし不当です。


「自分の頭で考える」


習慣というものは、行動だけではなく
じつは「思考」にこそ根強く
こびりついています。

それを自覚して、自分の思考の習慣を
客観的にチェックしていきましょう。


          全ての物語のために







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2017年04月10日

「映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」母性は世界を救う



わたしの妻は天才です。

天才的な母性を持っています。

息子が友達と遊んでいるときも、
一緒にいる子どもたち全員の安全を
本能で見守っています。

あまりにも驚異的な出来事で
鮮明に覚えていることがあります。

友人母子がウチにお泊まりに来たとき、
朝食の準備をしていた妻。

わたしは息子たちとリビングにいました。

すると、張りつめた空気の妻が台所から
走ってきました。
ものすごいスピードです。
妻がたどりつく直前に友人の子が味噌汁を
こぼしてしまいました。

さっとその子を抱えて洗面所へ連れて行き
手を冷やさせる妻。

自慢ですが・・・その子の母親も
同じリビングにいたのにキッチンにいた
妻の方が早かったのです。

妻はキッチンから見えていたからと言いますが
わたしからすればこぼした直後にはもう
妻はそこに走り込んできていました。

神懸かっている・・・仰天の出来事でした。



よく考えたら、前作のブラジルへの
引っ越し騒動の映画を観てませんね〜。
先日放送されたばかりの作品を
妻の実家に遊びに行っている息子より先に
観ることになりました。

「映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」

深夜、野原一家が眠っていると
それぞれの夢の中に
巨大な魚が出てきます。

どうやら街の人みんなが
同じ夢を見ている様子。

誰もが見たい夢を見られる世界だと
気づいたカスカベ防衛隊。

風間くんは政治家、マサオくんは漫画家
ネネちゃんはアイドル、ボーちゃんは石・・・と、
思い思いの姿になって楽しみます。

しかし、保育園に転入して来た
謎の女の子・サキの登場により、
ユメミーパワーがどんどん吸い取られ
街の人々は恐ろしい悪夢に
閉じ込められてしまいます。

しんのすけたちはある決意を持って
立ち上がるのですが・・・。



前々作「逆襲のロボとーちゃん」は
お父さんをフィーチャーした作品でした。

そのときほど全編にわたってではありませんが
今回はお母さんがフィーチャーされます。

自分のことよりも我が子のことを思う
母の命がけの思い・・・

昨日の記事で紹介した「晴天の霹靂」に
通じるところがありました。

・・・と、よく考えるとこの作品の脚本には
監督さんと並んで劇団ひとりさんが
クレジットされています。

なるほど!

とても大きなテーマを難しい題材で
表現しようとしているのですが
はじめからとてもわかりやすく描かれています。

劇団ひとりさんのテイストや手腕が
大きく発揮されているのでしょうね。

「優しくしてくれるパパにばかり甘えるな!」

しんちゃんのママ、野原みさえが
懇親の母性を伝えようと子供たちの
夢の世界に入り込みます。

友達を救おうとしながらも倒れていた
しんちゃんも思わず立ち上がり
背筋を伸ばして返事をします。

「はい!」
「好きで嫌われ役をやっているんじゃないの!」
「はい!」

泣きながら爆笑してしまいました。

ウチの話?(笑)

きっと多くのママたちのハートを掴んだことでしょう。

子どもたちを守るためなら
嫌われたってかまわない

みさえの母性が一組の親子と、
街のみんなの安眠を救います。

わたしにとっても、わたしの妹とや弟にとっても
母親は特別な存在だと思います。

父のことももちろん特別な存在なのですが
”母”というのはやはり異質です。

大地が母なる大地であって父なる大地ではない
というのとどこか関係があるのかもしれません。

誰にとっても”母”とはそういう存在です。
いい母か悪い母かは別として
子どもにとっての存在として
それだけ大きなものなのでしょう。

そしてそれだけの力・・・母性を持っている。

ママさんたちの中には、父親が甘やかすことを
父性の欠如と思い、自分が父性の代わりを!
と思って嫌われ役をやっているという人もいます。

でも、そうではありません。

母は強し。

母性がそうさせているだけ。

母は母です。

それだけ子どもにとって大きなものです。
だから、母親との関係が悪い子は
大人になっても周囲を傷つけやすくなったり
周囲との関係が上手く作れなくなったり
してしまうことがあります。

父と母はまったく別物。

世界中の子にとって母性は必要です。
母の愛があれば、子どもは救われる。

それだけに責任重大ではあります。

それを考えると”責任”の重圧に耐えられない
男性たちもいますが、それは情けない話です。

母親が背負っている責任の大きさに比べたら
父親なんて大したことはありません。

海のような広さで我が子を愛しても
母なる大地の大きさにはかないませんよね。

海も大地の上にあるだけですから。

でも、父親も好かれたくて甘やかしている
のではなくて、甘える甘えないの判断の後の
結果を自分で受け止めることから
逃げられない人生を教えているという役目もあります。

父親も嫌われてもそれをしなければならない
という時もある。

そのことはわかってあげて下さいね。

わたしたち父親も、母の覚悟を理解しましょうね。


            全ての物語のために








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2017年04月09日

「青天の霹靂」本物の花のふりしていきてみない?



本物と偽物は、どちらが価値があるか?

ある者は、断然本物だろうという。

ある者は、等価値だという。

そしてあるものは、偽物のほうだとう。



本物に価値があるというのはわかりますよね。
当たり前ですから。

その他の二人の意見はどういうことなのでしょうか?

そこには、偽物が本物になろうとしている…

という前提があります。

本物のフリをしている。
まだ本物ではないけれど本物になろうとしている。

その気持ちがある以上、価値は等しいという二人目。

そして、本物はもともと本物であり、
本物になろうなんてする必要もない。

だからそこには心意気がない。

ならば、本物になろうとする想いを持っている方が
断然価値がある…という考え方が三人目。

わたしはこの二人目と三人目の考え方が大好きです。

二人ともロマンチストですよね。

アニメやライトノベルが好きな人は、
これがどんな作品のキャラクターたちがいっていることか
もうピンときているでしょう。

西尾維新さん原作の「物語シリーズ」に出てくる
三人の怪異の専門家で大学の同期、
影縫余弦、忍野メメ、貝木泥舟
の三人です。



自分なりに精一杯咲こうとしていて凄くきれい)
劇団ひとりさんの最初の小説「陰日向に咲く」は
とても話題になりベストセラーになりました。
わたしも購入して拝読しました。
上手いな〜と嫉妬。映画もよかった。
この作品は小説は読んでいないのですが
BSプレミアムでの放送を録画しました。

「晴天の霹靂」

を観ました。

浅草の場末のマジックバーで働く、
さえないマジシャンの轟晴夫(大泉洋)。

後輩マジシャンがテレビで話題になるのを
後目に自分は安アパート暮らし。
その安アパートも水道管の破裂で
部屋中水浸しになり住めなくなります。

晴夫はラブホテルの清掃をしていた
父親に育てられました。
母親は晴夫を生んですぐ、
父の浮気が原因で家を出ていったのだとか・・・

そんな家庭に育った自分、
だから自分は惨めな人生なんだ・・・

惨めな自分の暮らしぶりにため息ばかりの
晴夫がアパートに住めなくなり
公園でホットドックを食べようとしていると
警察から電話がかかってきます。

10年以上も関係を絶っていた父親、
正太郎(劇団ひとり)が
ホームレスになった果てに死亡したとのこと。

警察で父の遺骨を受け取り、その帰りに
父が住んでいた橋の下の
ダンボールハウスを訪れる晴夫。

父が大切にしていた赤子の自分を抱いている
父の写真を見つけます。

なんで、自分だけこんなに惨めなのに
生きてるんだよ!

そう泣き叫んだとき晴れ渡る青空から
稲妻が彼を直撃します。

晴夫が目をさますと、昭和48年。
どうせ帰るとこもないと驚きつつも
ふてくされていると、晴夫の手遊びマジックを
観ていた少年に浅草ホールを紹介され
舞台に出ることに。

なんと晴夫は行方をくらました正太郎の
代役として舞台に立っていたのでした。

やがて晴夫は出会った女性(柴咲コウ)が
自分の母だと知り・・・



タイムスリップして若き日の父と母に会う。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
みたいな感じで始まりますが
お話じたいは全く違います。

シンプルでしたが心が熱くなる感動の物語。

母が正太郎にプレゼントされた紙製の
バラの花を手に言います。

「地味で味気ないけど頑張って本物の花のふりして・・・」

晴夫がまるで自分のことを
言われているようだというとさらに
こう付け加えます。

「自分なりに精一杯咲こうとしていて凄くきれい」

頑張って背伸びをしてフリをする・・・

わたしがとてもロマンを感じるところです。

子供の頃、超合金のロボットのおもちゃを
持っている友達がうらやましかった。

でも、ねだって勝手もらえるものでは
ありませんでした。

当時でも数千円するようなおもちゃです。

わたしは100円のお小遣いを貯めて
300円のガンプラをよく買いました。

軽くてスカスカだけど、超合金よりも
完成したときのフォルムがスマートで
本物を模している。

自分で組み立てて、だんだん本物っぽく
なっていくプラモデルに夢中になりました。

マジシャンにあこがれて手品の道具を
紙工作で作ったり、
田宮模型のラジコンキットが欲しくて
たまらないときも、お小遣いを貯めている間、
工作用紙を使って、欲しいラジコンバギーの
ペーパークラフトを自分で設計して
展開図を手書きで書いて、組み立てました。
小学校で提出したときの先生の反応は
今でも嬉しく、誇らしく思い出します。

とにかく本物になろうとするその心意気が好き
…なんですね。

だからロマンを感じる。

じゃあ、そのロマンを感じるという熱い感情は
どこから来るのか?

それはきっと、自分の中にある
本物になろうとする魂なのではないでしょうか?

憧れがあって、自分もそうなりたいと思う気持ちが
きっと心の奥底のどこかにある。

その気持ちを上手く引き出すことができれば
夢や目標に向かっていく大きな力になりますよね。

逆に、ニセモノをバカにしていて興味がない…
という人はどうか?

すでに本物である可能性が高い。
けれども注意が必要ですよね。

本物は本物であり、また当人も本物たらんと
自分にも厳しいかもしれない。

しかし、はじめから本物だったら本物になろうと
努力する人をひねりつぶして
可能性を摘んでしまうかもしれない。

あるいは、苦労して本物に成長したは良いけど、
自分が本物になっておごってしまったせいで
ニセモノ以下の酷い存在になってしまう。

本物には、ぜひ本物になろうとするニセモノが
本物になろうとすることを見守っていて欲しい。

そしてニセモノたちには、誰もが本物になるタネを持ち
生まれてきただけで、その芽を息吹かせているんだと
確信を持って力強く生きて欲しいと思います。

親になれば、この気持ちは強烈に実感になります。


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2017年04月08日

アニメ「進撃の巨人Season2 #26 獣の巨人」理不尽なことにあらがう本能は誰にでもある



息子は優しい作品、穏やかな作品が好きです。

小学生のころは、「火垂るの墓」を
教室で観ていて、独りだけ涙を流していたそうです。

ガンダムやヤマトもわたしが勧めても
拒否します。

けたたましさ、猛々しさみたいなものより、
楽しい、平和なものが好きなのでしょう。

「勇者ヨシヒコ」や「ポンコツクエスト」
は大好きでも
「グラディエーター」などはきっと好まない。

それはそれで、彼の優しさや感受性を
表しているものですから
大事にしてあげたいと思っています。

でも、人生では年を重ねるごとに
自分の中から猛々しさも引っ張り出して
こなければならないこともあります。

ひょうひょうとしているように見えても
心の中では屈してしまいそうな自分を
奮い立たせないといけないときもある。

そういうことが、今の時代に育つと
少ないのかな・・・なんていらん心配も
してしまったりもしますが、
それは早計。

親など考えもしないところで
子どもは子どもなりに葛藤しながら
お調子者で素直に育っているのだろうなと
そのたくましさがまぶしくもあります。




新シーズン第1話ですが、この作品は
通算で数えるようですね。

アニメ「進撃の巨人Season2」
第26話 「獣の巨人」


女型の巨人との戦闘の後、はがれた内壁。
そこには壁に埋め込まれた巨人の顔が・・・。

「アイツに日光を当てるな〜!」

ハンジは何かを知っているニック司祭を
激しく問い詰めます。
しかしニックは脅しに屈することなく
黙秘を貫くのでした。

遡ること12時間前。

ウォール・ローゼ南区で待機する
コニーやサシャたち104期生のもとに
巨人が多数襲来したと知らせが入ります。

巨人の群れが進むのは
コニーの故郷がある方角。

コニーたちは住民たちに
避難を呼びかけるため、
装備をする間もなく馬で駆けます。

そして、分隊長のミケは・・・。



「Season1」が放送されている頃、
息子はまだ小学4年生くらいだったと思います。

中学生になろうとしている彼は
例によりHDDのなかに録画されていた
新番組をわたしより先に観たようです。

「チチ、あんなグロいのが趣味なん?
趣味悪いね〜」
冗談でそんなことを言ってきました。

後で観てみると確かに、
終わり方が強烈なシーンとです。

正直に言いますとこのアニメの演出には
もの申したい部分もあります。

でもそれは普段のシーンの心情描写などが
浅く感じるというもので、
戦闘シーンに関しては
かなり感じ入るモノがあります。

今回のラストもかなりの実力者であるはずの
分隊長でさえ、
『こんな風に、格好よくはいられなくなる・・・』
というのを表現したかったのかな?
と、疑問を感じながらも
その演技のさせかた、激しさは
最近のアニメにはなかなか観られない
力強さがあります。

Season1を劇場用に再編集された
前後編の総集編は非常によくできていて
特に後編は終始手に汗を握って
観ていました。

立体機動で縦横無尽に駆け回るシーンと
巨人に向かっていくときの激しさ。

そういうものわたしは心地よさ感じている。
このSeason2の初回を観て、
自分がこの作品の何が好きなのか
よく理解できました。

息子には冗談混じりで
趣味が悪いと言われましたが
わたしがこういった作品を好きなのは
理不尽なものに立ち向かう荒々しさ。

多勢に無勢で勝ち目がなくても・・・とか
相手が巨大な権力でも・・・とか
困難な状況にあらがおうとする姿。

それはどのエンターテインメントにも
共通しているし、みんな好きなのでしょうが
この作品はそこが特に力強く描かれているから
好きで観てしまうのでしょう。

簡単に言えば興奮する。
力をもらえる。

とっても単純。

きっとこのお話は、わたしにとっては
アニメーションであのように描いてくれるから
観ているのだと思います。

もし今後息子が、
理不尽や思い通りにならなくて
悔しい思いをしたりという経験を
増やしていけば、そういう感覚も
理解する日がくるのかもしれません。

自然という命の恵みと大いなる驚異の中で
人間が生きている以上、
誰しも持っていないといけない
本能でしょうから。


          全ての物語のために










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