2017年07月10日

ドラマ「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド #1  異変(Pilot)」日常に潜む非日常を感じるアンテナ



汚いお話になってしまいます。すみません。

わたしは胃腸が強くありません。

先月久しぶりに胃腸炎をやってしまい
仕事を早退しました。

以降、胃がたまにおかしい。

まさか…胃潰瘍?

もっと、違う病気だったらいけないから
病院に行け!と言ってくれる人もいますが、
余裕を見つけられず今のところ行っていません。

普通に日常を送れているから…。

でも、「奇跡体験アンビリーバボー」
なんかを見ていると
ちょっとした油断が命取りなんだ…
って怖くなりますよね。

息子や妻のことならわたしも開口一番
「病院に行きなさい」
と言うでしょう。

それが、自分の日常の延長だと
「大したことないや…」と思ってしまう。

このことは、自分や家族のためにも
一考に値することですね…



誕生日を迎えて42歳になりました。
厄年っていうんですかね…いろいろ変わってくるし
いろいろ覚悟を決めないといけないようで、
いろいろ、いろいろ、本当に起こりますね〜!

ドラマ「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」
第1話「異変(Pilot)」


を観ました。

マディソンはヤク中の息子ニックと
娘アリシアの母親。

そんなマディソンの新しい夫トラヴィスは
別れたばかりなのか元妻ライザと
長男クリスとの面会日についてもめていました。

トラヴィスはニックやアリシアにも
歓迎はされていません。

ある日、ガールフレンドとキメていた
元教会の廃墟で目覚めたニック。

一緒に眠っていたはずのガールフレンドを探しに
階段を下りていくと数人の遺体と
それを喰う様子のおかしいガールフレンドの姿が・・・

飛び出したニックは車にひかれて入院することに。

クスリをやめようとしてやめられないニックは
本当に自分の頭がおかしくなったのか?
と混乱しながらも、自分の見た光景が
幻覚だとはどうしても思えません。

ニックの力になりたいトラヴィスは
彼の話に何かを感じ教会跡の廃墟に向かいます・・・



このドラマは「ウォーキング・デッド」の
スピンオフ作品です。

が、あのテイストを期待すると「違う」んですね。

「ウォーキング・デッド」は昏睡状態で
長い間入院していたリックが
病院で目覚めると、既に世界が一変していた…

というところからのスタートです。

何が起きたか分からないままのいきなりの窮地で
モーガン家族に助けられ、グレンに助けられ
家族や親友に追いついていく中で
状況を徐々に理解していくという進み方です。

わたしたちはいきなりその状況に放り出され
パニック状態の主人公と一緒に世界観を
理解していくことになります。

一報、この「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」は
現代のロサンゼルスの日常から始まります。

“感染者”の目撃情報はネットで各州から
流れてはいるけれども噂のレベル。
政府からの伝染病などの注意勧告も出ていない。
普通の日常。

そこに、感染者が現れたり、死人が蘇ったり
警官が何発撃っても起き上がる犯罪者など…

世界がおかしくなり始め、徐々に
変わっていきます。

「ウォーキング・デッド」本編はもう
シリーズも7作目でサバイバルで生き抜いてきた
強者たちのお話と言ってもいいですが、

「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」は
平和な世界の人たちが、世界の急激な変化に
どう反応していくのか…というお話です。

ですから「ウォーキング・デッド」を期待していると
イライラする人も出てくるかもしれません。

わたしはイライラしながら観ています(笑)
本編同様、シーズン1は全6話。

イライラしながらも、一気に次々と観ていきたくなる
という点は共通していますね。

起きていることは、超大異変なのですが、
今まで日常を送ってきた人たちにすれば
「大変なことが起きている!」と急に認識できません。

ウォーカー=ゾンビが現れても
何かに感染しているけれど直るかもしれない病気…
くらいにしか思っていません。

現実に起きたらこんなものなんだろうな…
という感じ。

そういう意味ではリアルなのかもしれませんね。

わたしは胃腸だけではなくて、
腰やら、坐骨神経痛やら、なんだか書いていて
急に歳をとった気分になってきましたが(笑)
ここ数ヶ月で、体に異変が出てきています。

42歳、体の曲がり角。
異変感度をもっと敏感にさせないと
周囲を心配させてイライラさせてしまいます。

もう数日治まらないようなら
本当に病院で看てもらうくらいのことはした方がいい。

日常の中の軽く考えがちな異変。

心配性はまた危険ですが、予防のためにも
アンテナ感度とそれに対する反応は
敏感にしておくに越したことはないですね。


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2017年07月09日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7 #16 遺志を継ぐ者たち(The First Day of the Rest of Your Life)」そのときは、絶対に強くなっている



依存という言葉がわたしは嫌いです。

なぜ嫌いになったかというと
自分の中にある依存心が原因で
人にいっぱい迷惑をかけてきたし
そのたびに自分も傷ついて来たからです。

だから、自分の中にある依存心を
憎むようになった。

怒りの力です。

つまり自己防衛でもある。

でもずっと、自分の依存心を
憎み続けていてもよくない。

それは、しがみついて放さないのと同じ。

自分を憎まず許し、
依存しない自分になれること。

それが次のわたしの成長なのだろうと
思っています。

そう思えるようになったのは
以前味わった依存心による
淋しさや怒り、失望を感じる機会が
またあったからです。

依存するつもりで、
人のお世話になるつもりはないのに、
お世話になっているといざ別れの時がくると
依存していたことに気づく。

そんな経験を今年、この6月、7月で
2度しました。

一つは、直接なんどもお世話になった方。
もう一つは、依然お世話になっていて
また自分に余裕ができたらお世話になりたい
と思っていた学校。

一つ目はわかりやすい、人への依存です。
二つ目は、長い間目標としてきていて
それが心の支えになっていたんですね。

人には心の支えは必要です。
でも、その支えに他者が関わっているなら
自分の都合に合うようには求めるのは
身勝手というもの。

むしろ今まで支えてくれたこと
支えになってくれていたことに感謝こそすれ
相手を攻めるようなことはできない。

未熟だとここで相手を責めます。
これは素直だといってもいい。
そして大人になると分別がついて
責めてはいけないとわかる。

でも・・・心は折れるわけです。
支えがなくなるから。

問題はそこからですよね。
相手を憎まず感謝して、自分も折れない。
そうなれるためにはどうすればいいのか?

実際にここで折れてしまっている人が
たくさん要るからここは重要なポイントだと
感じています。

日本の自殺者数も、ここを一人一人が
乗り越えることができれば
減ると思っています。



いよいよシーズンフィナーレ。
緊張のクライマックスです。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7」
第16話「遺志を継ぐ者たち(The First Day of the Rest of Your Life)」


を観ました。

アレクサンドリアに来たドワイトは
救世主を抹殺するために協力すると言います。

しかし、デニースを殺したのは彼です。

タラは彼を信じられません。

ダリルの怒りも激しく、
ドワイトにつかみかかり
ナイフを突き立てようとします。

でもダリルは最初に出会った時の
ドワイトを知っています。

守るべきものがなくなったと
協力する理由を説明する彼を
殺すことをためらい、結局
彼の作戦に賭けることにします。

そしてニーガン一行が明日、
アレクサンドリアに来ると知らされ、
ゴミ山の住人たちも町に集結し、
救世主を待ち受けることになりました・・・。



っは〜!面白かった〜!!!

実は、第14話から一気に観ました。
家族がいないときに独りで
前のめりになって。

シーズン6からじっくり描かれた
アレクサンドリアやヒルトップ、
そして王国、オーシャンサイド、ゴミ山、
救世主・・・

どのような関係性が出来上がっていくのか?

見応え十分です!

さて、みんなが共闘してニーガンを
倒してくれれば万々歳ナのですが
そうそう簡単にはいきません。

観ていて舌打ちしたくなるほど
リックたちは窮地に追いやられます。

一度、これでもかか言うほど
精神的に痛めつけられて
心が折れたリック。

一時期はニーガンに従順に従い
せっせと救世主に貢ぐための
物資調達に勤しんでいました。

その従順ぶりは仲間たちを心配させるほど。
リックは本当に屈してしまったのか?

シリーズ初のリックの屈する姿。

しかし、仲間はそんな彼を見捨てずに
逆に支えて反撃の機を待った。

やっとリックが立ち上がり、
やってきた反撃の時がまさに今でした。

しかし、ことはそんなに甘くない。

あれだけお灸をすえてやったのに
また陰でコソコソ俺にたてつく算段を
立てていたんだな。悪い子だ!

ニーガンはそんな風に身勝手に怒って
また、「お仕置き」をしようとします。

リックの目の前でヒドいことをしてやる。
前より効き目のあることを・・・

リックにとっては前回これでもかと
心を折られたパターンです。

でも今回のリックは・・・

グンッとスケールアップしていました。

目の前の現実が変わったわけでも
リックが急にカンフーの達人になって
どんどん敵をたたきのめせるわけでもない。

変わったのはリックの心。

自分の家族、仲間たちの思いを
すべて信じて、ニーガンに屈しない目を向け
はっきりと言います。

「俺の目の前でやってみせろ」

自分や自分の大切な人たちが犠牲になっても
生き残った誰かがおまえを倒す。

そんなセリフはでてきませんが、
その信念がリックの心を貫いているのがわかる。

まさに手に汗にぎるシーンでした。

「遺志を継ぐ者たち」という副題は秀逸ですね。

リックは一度、心をボッキボキに折られました。

そこから立ち上がったときには
ひとまわりもふたまわりも成長できる。

心の支え。

大切な大切なものです。
人はそれがあるから生きていける。
でも、それがなくなったとき
どう強くなるか?

まだまだ、まだまだ、自分は支えられているし
支えてくれているひとはいっぱいいるし
支えてくれたひとは1人になっても
頑張ってくれることを祈ってくれていたはずだし
未来は常に新しい支えになる。

そのことを受け止められるようになれれば
また立ち上がれるはずです。


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2017年07月08日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7 #15 余地なき選択(Something They Need)」“怒り”の正しい使い方



怒り

という感情には力強さがあります。
パワーがある。

このパワーがあるから、
人間はこきまで発達してきた・・・
という人もいます。

それは間違っていませんが
十分ではありませんよね。

なぜなら、怒りは
他の動物にもある感情だからです。

わたしたち人間もほかの動物同様に
怒りが無ければ生き延びてこれなかった。
コレは事実です。

怒りは、自己防衛本能

自分たちを守るためには
なくてはならない感情だから
本能なのです。

でもわたしたち人間には
知性や感受性、理性などを
最適な方向へと結実させるという
想像力、創造力があります。

精神

というものまで持っているのが
わたしたち人間なんですよね。



シーズン6のラスト、そしてこのシーズン7の
オープニング・・・
これまでに類を観ないほどの凄惨な話でした。
大人でもトラウマになりそうな部分。
子供には本当に見せられない。心理的に
かなり危険な部分です。
このシーズン、残すところあと1話。
今のところ前シリーズとは違う方向に
進んでくれているようですが・・・

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7」
第15話「余地なき選択(Something They Need)」


を観ました。

タラはリックにオーシャンサイドの存在を
打ち明けました。

話を聞いたリックは武器を借り、
できれば協力を取り付け共に戦うために
アレクサンドリアの仲間を引き連れて
オーシャンサイドへ向かいます。

とは言え、タラも命カラガラ、
なんとか逃げてこられたような危険性もある。

タラがひとりでリーダーの
ナターニャたちに説明する計画ですが、
もし受け入れられなければ
力づくでも武器を奪う覚悟です。

一方、1人で救世主の基地に乗り込んだ
サシャは生け捕りにされていました。

サシャの能力を見込んだニーガンは
仲間になるよう彼女を誘い、
ユージーンも申し出を受け入れるよう
サシャを説得します。

しかし、サシャはその先のことまで
お見通しのようで・・・。



このドラマはシーズン1からそうですが、
見る人の心理を高いレベルで考えて
緻密に計算されて作られています。

世に出るプロフェッショナルたちの
作品というのはもともと当たり前のこと
なのでしょうが、
この作品は、レベルというよりも
ステージが違うと言う表現がしっくりきます。

それも、演出とか脚本とか特殊メイクなど
どれか一つがそうなのではなくて、
作品を構成する要素すべて、
関わる人すべての力で
作品全体のステージがその他の
世に出ているエンターテインメント作品とも
文芸作品とも比べものにならないくらい
数段上のステージの作品になっている。

しかも、特にシーズン5くらいまでは
そのレベルはどんどん上がっていました。
シーズン6あたりからやっと
安定し始めた感があります。

これを作っているのは人間ですよね、
もちろん。

一人一人の物作りへの姿勢が
作品という一点に集まる。

その一人一人の集中力も能力も
最高の形で発揮されているんだろうな
と想像させられます。

今回のお話では、オーシャンサイドの
リーダー、ナターニャだけが
頑なにリックたちの申し出を拒みます。

彼女たちは救世主たちと戦って
男たちを全員殺されたり連れて行かれた
深い傷があります。

だから当然といえば当然。

でも、ナターニャはその怒りを
以前はタラに、そして今回はリックたちに
向けています。

自覚はないでしょうが
自分たちのコミュニティにも向けられています。

まず向けるべき方向が違う。
そして、怒りの使い方も違います。

今シーズンの始まりで、リックはすっかり
心を折られてしまいました。

それでも今は他のコミュニティに声をかけ
共闘しようとしている。

しかも、強く自分の考えを伝えようと
努力はしますが無理強いはしません。
ヒルトップでも王国でも、
そしてこのオーシャンサイドでも。

リックの中にはニーガンに対する
激しい怒りがあります。
それはアレクサンドリアの仲間たちも
みんな同じです。

本当はその他のコミュニティの人々も
同じはずなのです。

怒りに我を忘れて後先考えず
ただ突き進むのも、
頑なに自分の殻に閉じこもるのも
すべては怒りという感情が引き起こしています。

でも、その怒りと向き合い、
その大本にある本当に大切なものと向き合い
冷静さと怒りの力を上手にミックスさせて
集中力を越えた集中力へと浄化させ
自分たちの限界を超えた力を引き出す。

リックがこの作品の主人公として
みんなのリーダーとして回を追うごとに
今でも成長し続けているのは
その理性・知性・精神にあふれているから
ではないでしょうか。

わたしたちも生きている限り
自分の能力を発揮して
起こる問題を乗り越えながら
日々成長して生きていかなければなりません。

リックはいつも家族や仲間の
幸せを願っています。

そこは、わたしたちと何も変わりません。

怒りが湧いたら否定も肯定もいらない。

溺れることなく閉ざすことなく
その怒りを見つめ、
その向こうにある「守りたいもの」
を見定めて、自分の感情と
対話をしてみてください。

そうすれば、怒りの力を
あなたの能力とミックスさせて
みんなが幸せになれる方向へと
パワーを解放できるはずです。


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2017年07月07日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7 #14 密かな断行(The Other Side)」大切にされることで傷をおい成長できる



愛されて育つ子は、他者を大切にできる?

それもケースバイケースでしょうが、
「人がいい」と言われるタイプの人は
平和に育ってきた人が多い。

一つの見方としては事実でしょう。

現にわたしはそちらに入ります。

息子を観ていて、以前より
よくわかるようになりました。

息子も愛されて育っています。
だからか、友達の中でも
「お人好し」の部類に入っているようです。

もちろん、他のお友達を観ていても
みんな微笑ましいくらいなので、
愛されて育っている子は多いようです。

それはやはりすてきなことです。

親子の愛とは違っても、
わたしたちは人から大切に扱われることで
成長できるものです。

ただ、大切にされることで成長する前に
実はひとクッションある。

そのほとんどが、「傷つく」
ということではないかと思っています。



わたしの苦手な梅雨時です。
荷物に傘が増えるだけで、身動きが不便になる。
忙しくなくラッシュじでもなければ、
好きなだけトロく行動出来るから
問題ないんですけどね。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7
第14話 「密かな断行(The Other Side)」


を観ました。

ヒルトップに来たロジータは
サシャにニーガン殺害をもちかけます。

自分が断ってもロジータは独りで行くだろう。
そう考えたサシャは2人で
救世主の基地に乗り込むことを決意します。

マギーには話さずに町を出る2人。

そんな中、救世主がヒルトップを訪れ、
医師の引き渡しを要求します。

マギーとジーザスを中心に
団結していく住民が気に入らないグレゴリーは、
医師を取られてしまうとさらに信頼を失い
リーダーの座を奪われるのではないか
不安で苛立っていました。

グレゴリーは自分が住民に信頼されることが
重要だと救世主に相談をもちかけ、
医者を連れて行かないように頼むのですが・・・



ロジータは自分の感情が先行していました。
仲間を殺したニーガンが許せない。

サシャはロジータにとっては
恋人を奪った恋敵です。

それだけに2人の関係は
いいとは言えませんでした。

しかし、同じ大切な人をニーガンに
殺されてしまった・・・

そこだけは、思いは同じでした。

だからロジータはサシャを誘ったのでしょう。
しかし、目的地でロジータはサシャの
意外な行動に困惑します。

ロジータはサシャを憎んできました。
「私の男を奪ったオンナ」
なのですから当然かもしれません。

そんなロジータが目の当たりにした
サシャの意外な行動とは・・・
それは言えませんが、
サシャは以前からロジータと
仲良くやっていこうとしていました。

歩み寄ろうという姿勢がずっとあった。

自分に憎しみを向けてくるロジータを
大切にする気持ちがあったんですね。

ロジータは今回のことがきっかけで
彼女の中で何かが変わるはずです。

今後、どのような展開になっていくのかは
まったく予想はつきませんが、
ロジータにとっては人生の転換期に
間違いなくなるはずです。

彼女自身の人間形成に大きく影響するはず。

ロジータは傷つきます。
心を痛めます。

「いったい何なのよ!」


わたしは、学生時代から本の虫で
自己啓発系からメンタル系の本も
よく読んでいました。

それでも、息子が生まれて3年ほどしたころ
心理カウンセラーの勉強をしに行ったとき
衝撃を受けました。

それは、自分に「傷つく」という体験です。

こんなことも知らずに「親」として
生きていこうとしていた・・・

わたしにはそれは危険きわまりない行為に
思えてなりませんでした。

自分のふがいなさ、つまり
自分のダメさという現実に傷つく。

その傷つき方が、裏切りのような
愛なき傷つき方なのか、
それとも愛のある行いによる
傷つき方なのか・・・

そしてそれを、どのように受け止めるか?

で、その人の成長の方向性というのは
決まっていくのだと思います。

その土台、方向性の土台となれるなら
やはり「お人好し」と言われても良い、
息子にはしっかりと愛情を注いでおこう
とロジータとサシャを観て思いました。

残念ながら信用できない人や物事は
たくさんあります。
迷惑メール、詐欺メールなどはもう
そんな悪意や人の弱さの証拠でもあります。

だから、人を疑うこと、簡単には信用しない
という身を守るすべも教えますが
それでも基本は善良、お人好しでいい。

自分が幸せになること、人を幸せにすること
そこには善良さが絶対に必要ですからね。


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2017年07月06日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7 #13  決壊した良心(Bury Me Here)」成長のために自分の感情を揺さぶってみる



わたしはジジくさいと言われることがあります。

感情を乱すことが少ない。
頓着することが少ない。

だからでしょう。

若いとき・・・
30代くらいまではそれでよかったんです。

若いのに落ち着いてるね。
というのは評価されもするし
若さ=未熟さで怒りにまかせて
取り返しのつかない失敗を
するようなことも避けられる。

でも、取り返しがつかないといえば
時間だってそうです。

落ち着いて、無欲で、アピールが下手で・・・
周囲が20代、30代で手にし、
積み上げて来ているモノを
わたしはスルーしてきたことが多い。

でも40歳を過ぎて、家族もいる
となるとただそれだけはすまされません。

コレまでとは違ったレベル、
違った次元での
ブレイクスルーが必要かなと思っています。

常に成長していかなければならないのに
いつも通り落ち着きすぎていても
成長は少ない・・・

幸運にも感情的な面では
ジジくさいと言われるほど
成熟しているわけですから、
逆に自分の感情のふれ幅を上手に利用して
成長の加速度を上げてみることも
必要なのかも知れないと思いました。



サバイバルホラー作品としてはもちろん
ヒューマンドラマとしても
その他の作品を押しのけて、
高いクオリティを保っています。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン7」
第13話 「決壊した良心(Bury Me Here)」


を観ました。

夢にうなされ、キャロルは
泣きながら目覚めます。

ダリルからはアレクサンドリアの仲間は
みんな無事だと聞かされていましたが、
気になって仕方がないのです。

王国に行きモーガンに「真実を教えて」
と詰め寄るキャロル。

王国が救世主に供給する日、
約束ではメロンを12個渡すはずが、
取引の場に到着すると
荷台に積んであったのは11個でした。

王国を出発する時には確かに
12個あったと説明するエゼキエル。

しかし、取引の意味を理解していないと
攻め寄る救世主は容赦をしらず・・・。



モーガンは、シーズン1の第1話で登場してから
彼なりの葛藤を経て、
大きな成長をしてきた人物です。

乱れる心を落ち着けるすべを覚え
合気道につながる棒術のようなものの
使い手にもなっている。

ただ、問題は無法の時代に
何があっても人を殺さないと言って
極悪人まで逃がしてしまうような
過剰な慈悲めいたものを持っていました。

それがモーガンの信念でした。

しかし、残念なことにそれでは大切な人を
守ることができない。

リックやキャロルたちも、
好き好んで人を殺してきたわけではないし
強くなってきたからと言って
弱い人たちから略奪をするなど
力を誇示するようなこともしていません。

でも、悪意を持って攻めてくる者たちは
確実に存在します。

そんな中でモーガンのように生きていたら
仲間を危険にさらしてしまう。

リックがモーガンと安心して一緒にいられない、
キャロルがモーガンの考えと衝突する・・・

それはモーガンの頑なな主義が原因でした。

そのモーガンがこの話で
大きく感情を乱します。

昔の自分。家族を失い恐怖と怒りに支配され
自分を助けようとしてくれているリックにまで
銃を向けたころの凶暴性が表出し、
自分を傷つけようとするモーガン。

しかし、だからと言って昔の彼でもない。

一度、そこを乗り越えたことがある。

だったら、次の次元でその感情と
向き合うことが出来るはずなんですよね。

感情は理屈ではないけれど
感情も成長も順序立てて起こるものです。

人の成長を説明するとそれは理屈で
説明がつく。

わたしは、これからまだまだ何があるか
わからない。

今は両親も健在で、妻も息子も元気です。

わたし自身も年齢的な身体の曲がり角ですが
健康ではあります。

でも、こんなありがたい状態が
いつまでも続くわけではありません。

刻一刻と全てが変わっていく。

だから、今を大切に味わいつつも
しがみつかず新しい自分へと
成長していかなければならない。

そのためには、もう少し自分の感情に
敏感になって、日頃表現しないような
怒りや闇の部分とも向き合って
その感情のふれ幅を利用して
自分の行動を変え、次の成長を促す。

ということはやっても良いのかも
と思いました。

わかりやすく言えば、感情的な
安全防壁を自分の中に築いてしまわないで
その防壁を取っ払って
もう一皮も二皮もむけろ、脱皮しろ
ということなのではないかと。

今回のお話のモーガンの葛藤は
まさに、モーガンの脱皮の苦しみ・・・

それを表現しているかのようでした。


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