2018年07月18日

アニメ「僕のヒーローアカデミア 第3期 #52 編め必殺技」常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである



映像のコンクールに応募していた頃
「オリジン」というタイトルの作品を
作ったことがあります。

当時はまだ20代でした。

タイトル通り、原点がテーマになっていて
科学者が科学の道を目指し始めた
子どもの頃の原点を取り戻す話です。

結果的に作品としては
コンクールではあまりいい結果は
得られませんでしたが、
そのころから、わたしは
自分の原点を考えるときに
幼少期を思い出すようにしています。

それは、みなさんそうなのでしょうか?

そもそも、自分の生きる思いの原点なんて
意識したことがない?

そう言いながらも実は無意識で
ちゃんと分かっている人がほとんどですけどね。

わたしは今でも
自分の原点を確認するために
過去を思い出し直す作業を
意識して行っていますが
20代、30代まで振り返っていました。

いいや、振り返るのは悪くはないのか?

問題は自分の原点が
何歳までの自分にあたるのか?
それを意識してこなかったことです。



2週間ぶりのお目見えです!待ってました!
第3期2クール目スタート!新しいオープニング、
エンディングも一発で気に入りました!

アニメ「僕のヒーローアカデミア 第3期」
第52話「編め必殺技」


を観ました。

寮生活が始まったA組の生徒たち。
初めての寮で目覚めます。

彼らには、残りの夏休みを使って
中断されていた合宿での目的だった
“個性”を伸ばす訓練と、
その次の段階として予定されていた
必殺技を編み出すことが
同時に課せられました。

“圧縮訓練”です。

A組のみんなが次々と自分の方向性を
定めていくなかで、
腕に爆弾を抱えている出久くんは
腕に負荷をかけれず悩みます。

そんな出久くんに、
オールマイトは言葉をかけました。

「君はまだ私にならおうとしているぞ」

オールマイトの言葉の意味が
よく理解できないままですが
ひとまずは腕のサポート強化のために
開発工房へやってきた出久くん。

扉の前でお茶子、飯田も合流し
3人はサポート科の発目明と
再会します。

相変わらずな発目に振り回される3人。

しかし、何気なく耳に入ってきた
発目の一言がきっかけとなり
出久くんのなかで点と点がつながっていき・・・



原作を読んでいるわたしには
ここも好きなエピソードです。

・・・というか、こういう書き方をしてしまうと
ただのファン、ただのオタクみたいに
思われて逆に説得力を失いかねないのですが
この第3期の各エピソードは全てがそうなんですね。

途中休憩、インターバル。
みたいな部分ががない。

強いて言えば、第3期の最初の1話が
原作にはない部分で
第2期までを振り返りながら
キャラクターを紹介していくという
作りだったので準備話ということで
それに近かったのかもしれません。

言い換えれば、原作がそれだけ
贅肉をそぎ落とされて濃縮されている
ということです。

原作者の堀越さんが体調を崩されたり
スランプになったりせず
今のペースを保たれたら、
アニメ化のペース、単行本の販売と
その中身の濃縮ペースから考えて

アニメが原作に追いつくことはない。

というのが見えてきます。

堀越さんが無理をされないことを
心から祈りつつ、今後を楽しみにしたいです。

さて、今回のお話では
第2期で初登場したサポート科の生徒、
発目明ちゃんが再登場します。

工房に入り浸り思いつくまんま
実験と失敗を繰り返している様子。

それが楽しくてしかたがないという
彼女の様子は常軌を逸していて
天才の域に達しているようです。

サポート科の先生でしょうか?
彼女を観ている先生が
アインシュタインの言葉を引用しました。

常識とは、18歳までに身に付けた偏見だ

と・・・

ネットで調べると、
「常識とは、18歳までに身に付けた偏見の
コレクションである」
という言い回しが一般的なようですね。

この言葉をわたしはこの作品で
初めて知りました。

なるほど。

わたしはよく自分と向き合うときに
幼少の頃から小・中・高校生の頃までの
自分の感覚にフォーカスすることが多いです。

そのアプローチはあながち
間違っていないのかもしれません。

偏見というとマイナスのイメージがあります。

が、そもそもわたしたちは
主観の世界に生きています。

常識なんて人それぞれです。

だとしたら思いっきり素直になって
十代のときに斜に構えていた気分まで
できるだけそのまんま思い出して
世間知らずの少年時代の気分も
リアルに思い出して、それを否定しない。

むしろ喜びながら肯定して
どんどん自分の十代までの偏見を
掘り起こしてみたら、
もっともっと、自分が魂の底から
求めていることや自分らしさが
見えてくるんじゃないでしょうか?

昨日の「心の手間」に
ぜひ付け加えたい要素ですね。


           全ての物語のために








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2018年07月17日

アニメ「アンゴルモア元寇合戦記 #1 率土の最果て」やりがい、生き甲斐、あなたらしさを望む人のロードマップ



夜の報道番組の中のひとつのコーナーだったのか
副業時代を特集していました。

日中は普通の仕事をして
夜は将来のためだったり
自分のやりがいのためだったりで
副業をする人たちが登場しました。

いわゆるアルバイトですが、
副業として居酒屋で働く女性は
副業ありきで本職を選び
副業はやりがい目的で
好きなことをしていると言っていました。

この人達は比較的敏感な人たち
なんだろうと思います。

自分が何に喜ぶのか?
それを分かっている。

あるいはそちらに向かって模索をしている。
という状況です。

だから活き活きとしていました。

ところが、まだまだわたしの周囲にも
漠然と就職をして、生活のために
働いてはいるけれど
自分を喜ばせているなんて実感は
持てないでいる人たちの方が多いです。

というか、そういうことすら考える時間を
持てない人、そういうことを考える時間が
自分には必要だと気づくチャンスがない人
のほうが大部分なのかもしれません。

それでも心の底から充実していないものですから
彼ら彼女らの心の向かう先は
その場の快楽に流されていく・・・

飲み会での憂さ晴らしや浮気、不倫などです。

先のことも自分のことも本気で考えるなら
そんなことをしているヒマはありませんよ〜!



今期新番組直前にYouTubeで予告編を観て
録画予約を入れた作品。ブックオフでザッと
原作を立ち読みしたところ、だいぶ構成や
演出を変えている様です。マンガ的な構成から
映画的な構成に。

アニメ「アンゴルモア元寇合戦記」
第1話「率土の最果て」


を観ました。

時は文永11年(1274年)。

鎌倉武士の朽井迅三郎は、
罪人として対馬へ流刑となったようです。

島では歓待を受けますが
流人の歓迎の仕方としては異常です。

流人たちが上機嫌で夕食をとっていると
島を治める地頭代の娘、
輝日がやってきます。

迅三郎が歓迎のわけをきくと
彼女は、流人たちに、
蒙古の大軍勢が対馬へ迫っていると伝え、
死罪となる代わりに命をかけて
対馬のために戦えと命じるのでした。

その夜、輝日が寝床につくと
何者かに襲われます。

異国の言葉を話す族。

対馬の兵たちが手こずる中、
迅三郎は、元海賊の鬼剛丸ら流人達と
牢に火をつけ賊が潜む森を照らし
反撃に出ます!



今期スタートのアニメで、
前々からチェックしていたのは
「はねバド!」「進撃の巨人3」だけでした。

「バナナフィッシュ」「働く細胞」と
この「アンゴルモア」は
放送直前に知って念のため録画しました。

「働く細胞」は面白いアイディアで
息子が気に入ってます。

「バナナフィッシュ」と「アンゴルモア」は
「はねバド!」同様、いい緊張感があって
なんだか得した気分。

今シーズンもまた、ドラマが遅れちゃいそう!

はい。

でこの内容ですが、鎌倉時代の
蒙古襲来を題材にした作品です。

わたしの出身は鹿児島ですが
12歳から福岡に住んで
途中1年東京で暮らした年を除くと
もう30年!福岡で生きてきました。

だから、「軍師官兵衛」もそうでしたが
対馬と博多の蒙古襲来の戦いは
とても気になる題材なのです。

このアニメは特に対馬を舞台にしているようですが
早速、博多からの船旅だったり
輝日が太宰府を通して鎌倉に申し立てたなど
馴染みのある地名が出てきて
それだけでも観るときの本気度が変わります。

ほんの数人の賊とのいさかいを
「いくさ」と表現し、馴染みの者達の
亡骸をとむらっていた輝日に
迅三郎が「こんなのは戦(いくさ)ではない
ただの小競り合いだ」と言い捨てて
戦になるともっと手間がかかると言いました。

さまざまな手間の中に
迅三郎が最後に付け加えた手間は

「心の手間」

でした。

戦となれば心の手間ももっとかかるんだと。

馴染みの人、親しかった人、
大切な人、大好きな人・・・

色々な人の命を奪うのが戦争です。
心の手間・・・つまり、
心の整理なんて追いつかないでしょう。

でもそれをやっていかなかいと
戦での勝敗以前に
自分に負けてしまいます。

だから迅三郎は最後に
「心の手間も」
と付け加えたのでしょう。

幸いわたしたちは昔のような
領土の奪い合いをするような戦が
当たり前の時代には生きていません。

しかし、こんな平和な時代でも
幸せを感じられていない人、
具体的には生き甲斐を
心の底から感じられていない人は
大勢います。

一方で自分が心から求めるものを
自分らしく追求し、活き活きと
日々を暮らしている人たちもいる。

何が違うのでしょうか?

はい、もうおわかりですよね?

「心の手間」です。

自分の心にどれだけの手間をかけてきたか?

どれだけ丁寧に自分の心と向き合い
自分が何を感じるのか?
何をどう捉えるからそう感じるのか?
よりよく感じるにはどう捉え直せばいいのか?
ということを考える手間。

自分の心に手間をかけられない人は
他人の心にいくら気を使っているつもりでも
自分以上に他者を掘り下げることなんて
出来ません。

やりがい、生き甲斐、あなたらしい生き方を求めて、
自分の心に手間を目一杯かけてみましょう。

あなただけの道は
あなただけが知っていますから。

            
全ての物語のために










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2018年07月16日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #16 戦いの果て(Wrath)(最終話)」許せない暴力への反応で大切な人を傷つけないように



思考が暴力的になることがあります。

疲れが溜まっている時、
睡眠不足の時などは
とくにそうなりがちです。

酷い時は自分や家族が
暴力にさらされるような状況を
イメージしてしまい、
自分たちよりも強い敵を
どうたたきのめすか
という想像が止まらないこともあります。

そんなこと起きたら
本当に許せませんが
起きてもいないのに
許せない気持ちでいっぱいになり
興奮状態になっちゃう。

それは自分の疲れのバロメーターとし
そういうときはとにかく大切な
意思決定などは極力避けて
とにかく早く寝るようにしています。

それが、現実には
平和に生きていられるわたしの
心の健康維持です。

しかし、平和な現代日本でも
そんなのんきなことを言っていられない人も
沢山いますよね。

先日死刑が執行された
元某教団の教祖。

そして地下鉄サリン事件の実行犯たち。

あるいはその他の凶悪犯罪も含め
人が起こす暴力によって
大切な人を傷つけられたり失ったりした
人たちも沢山います。

そういうことを考えると
苦しくてたまらなくなってきます。



さて、いよいよ最終話。昨年の秋からスタートした
この作品をわたしは今やっと観れている。
でも、そのおかげで一気見できているんですよ。
こんなの毎週待たされてたら観が持たない!
で、シーズン9は今年の秋からでしょ?
もうすぐですね!

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」
第16話「戦いの果て(Wrath)(最終話)」


を観ました。

思い起こせば第1話が
リックとニーガンの全面戦争の幕開けでした。

これまでのシーズンとは違って、
ほぼ順番通りに、しまも毎話
それぞれの場所での出来事が
映しだされてきました。

たしかに、このシーズンは
この見せかたが一番適切だったと思います。

全面戦争、数日間の話。
今回のラストは、観る側…

わたしたち視聴者が高い視点と
広い視野を持って観ないと
「何これ、こんな終わり方でいいの?」

と錯覚をしてしまいます。

…そう、錯覚です。
これが「ウォーキング・デッド」シリーズの
完全な最終回なら

「何これ。こんな終わり方でいいの?」

です。

「もう人気が無いから、ここで無理矢理
終わらせたってことでいいのね」

という感じです。

でも、そうじゃない。
これはまぎれもなくクリフハンガーです。
(※クリフハンガー=新展開をみせる場面などで
物語を「宙吊りのまま」中断して
「つづく」としてしまう結末。※ウィキペディアより)

次へと続けるための投げかけ。

ネットで「あっけない」ラストだとか、
いろいろ書かれていますが、
それこそ錯覚です。

しかし、クリフハンガーとして考えると
かなり重くて深くてでっかいテーマを
最後に投げかけて終わっているのがわかります。

おいおいシーズン9…どーなるの!?



はい。ストーリーはあえて
紹介していないです。

連続モノのドラマやアニメを
紹介する時のジレンマですが、
今週のお話をネタバレさせずに
あらすじ紹介できたとしても
次週のあらすじ紹介で
今週の結末がわかってしまう…

なんてことがしばしば起きます。

あろうことか、今回の最終話の
あらすじは出だしから最後まで
今まで伏せてきたネタバレの部分を
伏線として、それを上手に
お話に盛り込んで回収していきますので
最初からネタバレ感が出ちゃう。

だから、あらすじは紹介しません。

あえて言うなら、第1話から始まった
リックとニーガンの全面戦争に
それぞれが決着をつけようとする
クライマックスということです。はい。

で、そのニーガンという男ですが、
シーズン6のラストで衝撃的な登場をし、
シーズン7のオープニングで
メチャクチャなことをやりました。

観ているわたしも、
悲しすぎて、怖すぎて、
こいつだけは生かしておけない!と
思いました。

シーズン7を観て行くうちに
ニーガンを許せない気持ちはさらにさらに
強くなっていき、本当に心の底から
ニーガンが泣き叫びたくなるような
酷い殺し方をしないと、こんなヤツが
簡単に死ねるのも、誰も納得しないんじゃないか?

とすら思うようになりました。

ところがカールの意志はリックとニーガンに
和解を求めています。

確かにニーガンのような人間が改心して
酷いことをしなくなることと、
彼に大切な人を奪われた人たちが
彼を許すことができたなら、

争いは止み、平和にはなるでしょう。

でも、そんなことが可能なのでしょうか?
また、ニーガンがシーズン7や
それまでの間に犯していた罪を
許して良いものなのでしょうか?

わたしたちの法律でも死刑制度はあります。
死刑の是非についても賛否両論ありますが、
わたしはやはり…

どんな罪を犯しても許されるなんて世界には
ちょっとついて行けない。

絶対に許されないことだってある。
と思っています。

この、シーズンでは
ブログでも取り上げた通り
「懺悔」や「許し」もテーマになっていました。

このシリーズはそういった大きな問いかけを
次のシーズンへ投げかけます。

答えの出ない問いかけでしょうが、
その葛藤をこの物語はどう見せるのでしょうか?

ちょうどあの教団の元教祖の
死刑執行のニュースとこの最終回を
観るタイミングが重なって
考えずにはいられませんでした。

かと言って、法治国家で“私刑”は絶対ダメ。

それはさらに悲しみ人が増えますからね。

自分の中の暴力性とは向き合う準備は
いつでも必要です。


            全ての物語のために










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2018年07月15日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #15 偽りの顔(Worth)」昨日の友は今日の敵



他部署にいたときには
本当に厄介だった人が
自分の部署に異動してくると
とても頼もしい仲間になることがあります。

そしてまた、その人が他部署に行くと・・・

って心配しても、
本当は同じ会社の中で
同じ目的に向かって頑張っているわけです。

だから、お互いそのことを尊重し合えば
どんな部署にいようが
仲良くやっていけるはずなのですが
組織の中での利害関係が絡むから
厄介なんですよね〜

でも、一度でも“仲間”になったときは
それは今後のためのチャンスにもなりますよね。

自分が試されるステージも増える
ということにもなりますが。



ネットでのネタバレ情報は見ないように
気をつけていますがタイトルを検索しただけで
知りたくない情報が目に飛び込んでくることが
あります。この作品の最終話のことがそうです。
でも、実際には自分で観ないと
わからないものですね。さあ残り2話です。

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」
第15話「偽りの顔(Worth)」


を観ました。

やっとカールからの手紙を
読む決心がついたリック。

手紙の内容はニーガンとの和解を
促すものでした。

聖域に戻ったニーガンは、
自分の不在時に作戦を変更し
ヒルトップを襲って死者を出したサイモンを糾弾。

しかし、許しを乞うサイモンの
改心を期待して許しました。

しかしサイモンは即座に
ニーガンの暗殺をドワイトに持ちかけ・・・。

銃弾製造工場では急ピッチで
弾丸が製造されています。

工場を仕切るユージーンが
ふと外に出たとき
そこへ現れたのはダリルとロジータです。

2人はユージーンを拉致しますが
徒歩での移動中に・・・。



ユージーンはリック達の仲間でした。

出会った当初は自分を守るために
科学者だと偽っていたのですが、
そういった嘘やら彼の弱さが
シリーズを盛り上げてくれ、
とても頼れる仲間になっていきました。

ところが前作シーズン7で、
ニーガンに捕獲されてしまい
生きるために服従の道を選びます。

科学者ではありませんが
博識なのはみんなも認めるところ。

そんな彼のせいで今回は
アレクサンドリアを手放すことになったのです。

そして今は、救世主がリック達を倒すための
弾丸づくりに勤しんでいる。

頼りになる仲間は敵に回ると
本当に厄介ですね。

だからダリルとロジータは怒っている。

特にロジータはリック達と仲間になる前から
ユージーンと行動をともにしていました。

古くからのユージーンの仲間です。

複雑な感情はダリル以上でしょう。

この3人の徒歩での移動は、
だから、緊張感がありました。

このままユージーンを連れ戻って
その後はどうなるのだろうか?
など、元仲間で今は敵となった人間を
どう信じればいいのか?
考えさせられました。

でもこれは、元仲間でいる時期に
彼らがどんな関係を築いてきたか?

で全てが変わることですよね。

そこにつきる。
むしろそこだけがお互いの信頼関係や
絆を強めるチャンスです。

それによって袂を分かったあとの
関係性にも大きく影響をしてくる。

こちらがそのつもりでも、袂をわかつと
ガッカリするような態度をとられ
本当に残念な気持ちになることもありますが、
それでも、なおさらそうならないように
関係性を気づくには、
“仲間”である時期というのは大きなチャンス。

仲間になれずとも信頼関係を
築いていかなければならないわけですから
ともに時間を過ごす縁というのが
どれだけ貴重か?

ということですよね。
頑張れユージーン!ロジータ!ダリル!


            全ての物語のために










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2018年07月14日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8 #14 涙のわけ(Still Gotta Mean Something)」わたしはアナタほど強くない



わたしは謙虚です。
ヘンなところが謙虚なようです。

数年前までは逆にヘンなところで
自信家でもありました。

いまでも、ヘンな部分でそうかもしれません。

わたしの謙虚さは
最近自分でも気になっているのですが、
自分を卑下するような方向で
発露することがあります。

そこがヘンです。

でも、わたしはわたし自身や
家族の人生に対しては自信を持っている。

これもヘンです。

卑下するほど自信が無いくせに
わたしたちの人生は大丈夫だと
たかをくくっている。

ヘンだけど、そりゃそうだよねって話です。

だって、人生は螺旋だもの…

ただ、忘れてはならないのは
そのヘンに卑下している時、
あるいはヘンな自信で高揚している時、

そういう時には自分や自分の環境を
客観的に観れなくなっているということです。



あと残すところ数話…
全話、紹介しきれるか!?

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン8」
第14話「涙のわけ(Still Gotta Mean Something)」

を観ました。

清掃人たちのゴミ山で
唯一生き残ったジェイディス。

ごみ山の中のどこかの
トレーラーの中か?
清潔な部屋でジーンズにデニムシャツ。

これまでのジェイディスとは
全く違ういで立ちで荷造りをします。

トレーラーから出たジェイディスの前には
リックから逃れたニーガンが
ゴミ山の中で縛り上げられています。

ヒルトップでは、エゼキエルが
昨夜の騒動で行方不明になったヘンリーを、
捜そうとキャロルを誘います。

しかし、キャロルはヘンリーの死に
直面するのが怖くて
放っておいてくれと断ります。

リックはまだカールからの手紙を
読む決心がつきません。

ミショーンは読むべきだと強く薦めますが
彼女の制止を振り切って
逃げた捕虜たちを追って出て行きました…。



エゼキエルがヘンリーの捜索に出た後、
モーガンも外に出ようとします。

キャロルはモーガンの様子も心配で
結局一緒に出て行くことに。

やっと勇気を出せたのは
モーガンをおかしな方向へ行かせないため。

しかし、それでキャロルの腹が座ります。
モーガンと2人で歩いていると
ヘンリーの棒術の棒がささったウォーカーが
歩いてきました。

ヘンリーはウォーカーに襲われた…

キャロルはギリギリ覚悟できています。
ヘンリーの死体だろうがウォーカーとなった
彼の姿だろうが、
「私たちは見なければならない」
と言います。

しかし、モーガンは「無理だ」と言います。
自分にはできない、
私は君みたいに強くないんだ…と。



どうしたモーガン!

モーガンがヒルトップに現れたのは
シーズン5でしたか?

合気道の棒術を体得し
頼もしい姿で登場しましたが
彼は殺さずの誓いを立てていました。

どんな悪人も人は変われる。

自分が恩師に出会い救われ
変わることができたことからくる信念。

仲間を守るためには自分が汚れる
という覚悟を持って相手が人間でも
危険人物は殺してきたキャロルとは
ぶつかり合うことになります。

キャロルもそんな自分をこれまでに
何度も責めてきました。

そして、再びみんなの元を離れるキャロル。
しかし、外で救世主たちに襲われ
モーガンに助けられます。

初めてモーガンが仲間を救うために
殺さずの誓いを破った時でした。

それはシーズン6?シーズン7?
忘れました。

しかし、そこからまたモーガンの苦しみが
始まったのかもしれませんね。

今回の話で、ヘンリーの姿を
確かめることを拒み、
キャロルと別れたモーガンは
逃げた捕虜たちを追い始めました。

殺すためです。
そして、同じく捕虜を追っていた
リックと遭遇する…

あれほど強く信念をもっていたモーガン。
キャロルもそれは知っています。

その彼が「私は君ほど強くない」と
精神状態がボロボロになっている。

でも、キャロルもホンの少し前に
ヘンリーの姿を観るのが怖くて
エゼキエルに「臆病だ」と言われたばかりです。

モーガンと何も変わらない。

人の成長なんてそんなものです。
一進一退を繰り返しながら進んでいく。

その中では強さも弱さも全部発露する。

全部その人の人生のタイミングで起こること。

わたしだって「ほぼ」前向きなことを
このブログで書いているつもりですが、
実はあなたよりもずっとずっとズボラで
弱い弱いわたしもいる。

わたしとあなたのタイミングは全く違って当然。

だから自分全体が、他の誰かの全体と比べて
強いだの弱いだの、そんなことは
その瞬間だけの話で、次の瞬間は
それが逆転している可能性だってある。

まさにキャロルはモーガンが心配で
腹をくくったわけですからね。

人生は一進一退と書きました。
それは本当です。
迷いながら一進一退。

でも、それって今というミクロの自分を
観たときのことであって
もっとマクロな視野でその一進一退の
軌跡を俯瞰したら確実に前進している。

しかも、らせん状に登っていますから
同じことで悩んでいるように見えても
本当は以前と同じではないんですよね。

そのイメージだけは持っていましょう。

やみくもに、
自分はあの人みたいに強くはなれない…
なんて落ち込む必要はなくなります。

例えそう思っても、
「なんか、自分、弱ってるな…
今はそういうときか」

と、強さが戻るのを待つ視点が持てますから。

モーガン、ど〜なるの〜!?


          全ての物語のために










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