2017年07月15日

「インサイド・ヘッド」大人が軽やかに成長し続けるためのお手本たち



もちろん!

「あるがままの自分でいい」

というのは、成長しないままでいい
ということではないですよね。

自分自身をあるがまま受け止める。

これができれば、他者のことも
あるがまま受け止めるとことができるようになる。

でも、そもそも
自分自身をあるがまま受け止める
ということ自体が難しい。

こんな自分じゃダメだ!
もっと頑張らなきゃ!
何度同じミスしてるんだ…
私はなんて気が利かないの?
俺はなんでこうも自分勝手なのだろう…

自分自身に許せていない部分があると
それはそのまま周囲への態度にも
影響が出ます。

あいつはもっとこうあるべき!
あの人は〜すべきではない!

他者は自分の鏡。

他者の欠点を許せないのは
自分の中でもその部分を許していないから。

そんな欠点も全てあるがまま受け止める…
これがなかなか難しい。

難しいことをできるようになるには
やはり成長することですよね。

そして、成長すること自体は意外と
難しい問題じゃないんですよね。



「金曜ロードSHOW!」現在地上波で
全国向けに放送されている唯一の
洋画番組となってしまいましたね。

「インサイド・ヘッド」

を観ました。

田舎町で暮らしていた
11歳の女の子ライリーは、
父親が独立して仕事を始めたことから
サンフランシスコに引っ越してきました。

不安でいっぱいな中
新しい住まいはボロボロ、
入居の日に到着するはずの
家具を積んだトラックは遅れ、
気分を変えようと出かけたピザ屋は
嫌いなピーマンのトッピング一種類だけ。

新しい学校、新しい生活に慣れようとする
ライリーの頭の中では、
ヨロコビ、カナシミ、イカリ、
ビビリ、ムカムカたちが、
ライリーの幸せのためという
共通の目的のために奮闘していました。

ところが、急な変化に大わらわの
感情たちはちょっとした手違いで
司令塔の中からヨロコビとカナシミが
意識の世界へ吹き飛ばされてしまいます。

ヨロコビとカナシミが不在となった司令塔。

ビビリ、ムカムカ、イカリの三人は
なんとかライリーを幸せにしようと
頑張るのですが・・・

一方、司令塔に戻ろうと
ヨロコビとカナシミの大冒険が始まります。

しかし、司令塔へつながっているはずの
ライリーの人格を形成している
オフザケ、ユウジョウ、ホッケー、カゾク
などの大切な島が次々と崩壊していき・・・



さすがディズニー・ピクサー作品です。
裏切りませんね。

監督は大ヒット作「モンスターズ・インク」の
監督さんだそうです。

ひとりの人間の中にあるいくつもの感情を
頭の中の模様として擬人化して描くという
難しいことに挑戦しているのですが、
実にわかりやすく、且つ上手いんですね〜!

子どもでもわかるように描かれている。

「難しいことを易しく、易しいことを面白く」

ディズニースタジオ作品はいつもそうですが
表現のお手本のような作品です。

主人公は11歳から12歳になる少女。
大人への階段として感情が複雑になる
最初の段階。

そこで、住み慣れた土地からの
引越しという両親にとっても少女にとっても
大きなストレスとなる変化が訪れる。

その大きな問題に対して彼女たちが
何に傷つき、どう受け止め成長していくのか…

その、心の中の模様が感情たちの
面白おかしい大冒険や奮闘ぶりで描かれる。

これを観た子どもたちは
きっと、自分の頭の中や心の状態を
同じように擬人化して
イメージできるようになることでしょう。

まさに、物語のもつ機能をふんだんに使った
とても効果的な物語。

もともと物語というものは、
わたしたちに自分と向き合わせる効果があります。

それをより具体的に作品そのもの、
ストーリーそのものにしてしまったんですね。

子どもたちがそうであるように
わたしたち大人も自分と向き合うツールとして
物語というものに幾らでも触れることができます。

周囲になければ自分で作ってもいい。

物語をイメージすること、空想することそのものが
自分の内側との対話ですよね。

子どもたちが、自分たちの内面を
楽しく空想し出したらもうそれだけで成長です。

そこから様々な物語が生まれ
いろいろな気づきを促していく…

楽しみながら成長できるんですよね。

わたしたち大人も同じです。
ただ、子どもの頃、若いころは物語に触れて
自然とやっていたことを、大人になると
そぎ落としてしまうことがある。

エンターテインメント…ただの娯楽だから…と
それを楽しむときだけ変に割り切って
実生活と切り離してしまう。

もっと子どものように自由にのびのび
自分の日々の生活に取り入れたら
今感じている自分の成長の難しさも
少しは軽くなるはずですよ。

子どもの成長の仕方は
これ以上ないお手本になるはずです。


           全ての物語のために








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2017年07月14日

「ランボー最後の戦場」その3 シンプルに発信されたときは深みを感じるチャンス



iPhone iBook
憧れます。

実際にはちゃんと触ったことはありません。

しかし、洗練されたコンセプトは
デザインを見るだけでわかりますし、
友人知人が使っている様子を
横で見ていても非常によく分かります。

経済的に今の2倍くらいの余裕があれば
わたしも1台くらいiBookは欲しいです。

3倍くらい余裕あれば、スマホも
iPhoneへ変えちゃうかも。

スティーブン・ジョブズは一連の
Iシリーズのコンセプトを創るときに
禅から大きなインスピレーションを
得たようですね。

シンプルさの中に深い哲学がある。
深い趣がある。

禅そのものは仏教ですから
インド、中国などから日本に入って来たものですが
日本の文化と禅との融合は特に
海外の人から見れば芸術的にも
とても洗練されたモノを感じられるようです。

わたしも父が
禅、茶、弓、居合…とやっているのを
ずっと見てきましたし
実家に帰ると全て禅に通じる思想から
父がコンセプトデザインをして建て直された
空間が広がっていますから、
理論や哲学までは分からずとも
凛として清潔感のある雰囲気は
感じとれる方だと思っていますし、
そういう空間が大好きでもあります。

『今ここ』
『今に生きる、ここに生きる』

あるいは

『あるがまま』

という在り方・捉え方・姿勢は
心理学や哲学でも大切にされていますが、
禅の思想にも集約されていく…

幸せ力の行き着くところでもあると思っています。



誕生日当日の日曜日。
昼間に2時間弱、ひとりになる時間ができました。
前日の夜息子の計らいで「オーバー・ザ・トップ」を
鑑賞したわたし。実は「炎の男スタローン」という
文庫本を読んでスタローン熱が上がっていたので

「ランボー最後の戦場」

を観ました。

軍事政権下のミャンマーでは
数十年にわたり内戦が起きていました。

しかし、実情は政府軍による
民間の村での虐殺。

アメリカの牧師協会のマイケルは
医師たちを連れて毎年ボランティアに
来ていました。

その年は、医薬品などを届ける目的地まで
川を渡る計画でした。
そこで、タイとミャンマーの国境近くで
船を所有しているというアメリカ人、
ジョン・ランボーに
船を出して欲しいと頼みに来ます。

ランボーは武器も持たずに
そんなところへ行っても何も変えられないと
断ります。

そんなランボーが持つ雰囲気に
何かを感じたのかマイケルの恋人サラは
諦めずにランボーと話をします。

結局、船で医師たちを途中まで
送り届けたランボー。

しかし数日後、アメリカ政府からの
要請を受けたという男が訪ねてきます。

彼によると、ランボーが送り届けた後
しばらくして医師たちとの連絡が途絶え
救出のためにプロ・・・数人の傭兵たちを
雇ったというのです。

そして、今度はその傭兵たちを
医師たちを降ろしたポイントまで
船で送ってくれと・・・



ある映画情報サイトを観てみると
この映画の評価が5点満点中2.85。

有り得ない低さに
びっくりしてその中身を観てみると
星1つ2つの人と星5つの人とに
くっきり分かれているんですね。

どちらにもいろいろな意見がありますが、
大きく分けると高評価の人たちは
リアリティのある描写による迫力への評価
戦争という現実の描写への評価
そして、スタローンが描こうとした
内容への評価というふうに分かれていました。

ではいったい低い評価の人たちは
どんなところを観ていたのでしょうか?
これも多く分けると、
グロい・・・つまり殺害シーンの描写の
リアリティに嫌悪感を覚えているんですね。
この辺は、人それぞれでしょうから
避難できません。
ただ残念だったのは、低評価をつけた中に
チラホラ見受けられる

「内容が無い」

という意見。

この意見には正直言葉を失いました。

少し、この国の未来が恐ろしくなりました。

確かにストーリーはシンプルです。
残虐な政府軍に囚われた医師たちを
救出に行って戦って終わり。
89分。

なぜ、これほどまでにシンプルなのか?
そこには大きくて深過ぎるテーマが
歴然とあるからです。

内容が大きすぎるからストーリーを
わちゃわちゃいじって内容を
隠してしまうわけにはいきません。

むしろ、「内容しかない」
という表現がピッタリの映画です。

心臓が弱かったり、残酷な描写に
耐えられないという人に
無理に薦めるものではもちろんありません。

でも、戦争、紛争、内戦の
真実を表現している作品です。
それをランボーというヒーローを
登場させることでエンターテインメントとして
少しでも観やすくするように作られている。

「ロッキー・ザ・ファイナル」も
この「ランボー最後の戦場」も
シルヴェスター・スタローンが
ほぼ同時に企画を進め
連続して脚本・監督を務め一気に
作っていった作品です。

見比べてみるとドラマの描き方は好対照。
それでいてメッセージの強さは共通しています。

この感受性やバランス感覚、手腕は
かなりのものです。
ちなみに両方とも原題は
「ロッキー・バルボア」
「ジョン・ランボー」
つまり、役の名前のまんまなんですね。

つまり、その人をそのまま描こうとした。
そしてそれは大成功しています。

とくに、「ランボー」シリーズは
スタローンが「禅」をイメージして
作ってきたシリーズです。
シリーズ2と3では実際に仏像が出てきたり
ランボーが寺院にいたりと
映像でもその傾向が読みとれます。

この作品を紹介した最初の記事でも
紹介したランボーのセリフがあります。

「こんなところに
好き好んでくるヤツはいない。
だが俺たちのような男の仕事はここにある。
無駄に生きるか、何かのために死ぬか、
お前が決めろ」

惨劇を目の当たりにして、
救出を断念して引き返そうとした
傭兵の隊長にランボーが言った言葉です。

『現実は現実として歴然とそこにある。
キミはそれをどう受け止め、
今をどう生きるのか?』

観客へのどストレートな投げかけ。
生きることそのものへの問いかけ。

それを強烈な力を込めて表現する。
必然的にシンプルになる。

シンプルなものに触れた時は
そこにある深みの部分に触れる琴線を
自分の感受性の中に探ってみることを
お勧めします。

今ここに無限にある幸せに気づく
まさにそのために使われる感受性ですから。


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2017年07月13日

「オーバー・ザ・トップ」嫌いか、じゃあそこから始めよう



思春期のころからラブコメや
青春もののマンガも多く読んでいました。

あだち充作品の数々や
「めぞん一刻」「ツルモク独身寮」などは
なんども読んで、その中で繰り広げられる
恋愛模様に強く憧れました。

しかし、現実世界で若者たちが繰り広げている
恋愛模様には疑問を持っていました。

くっついたり離れたり・・・
という在り方にです。

気に入ったからくっつくというのはわかります。
でも、気に入らなくなったら終わり。

それが正直「解せない」という感覚でした。

わたしは幼少の頃から
幸せな家庭で育てられているという理解は
ありましたが両親を観ていて思うのは
「その程度」の気に入る気に入らないで
人はくっついたり離れたりするもんじゃない。
という感覚。

家庭を持った以上は最低限持っているはずの気迫
とでも言うのでしょうか。
幸せな家庭で育てるということは
そういう気迫の純粋培養でもあるんですよね。

だから、周囲の恋愛は
恋愛ごっこに見えていたんですね。

そのぶん、わたしが恋愛を始めるのは
とても苦労しました。

「重い」と言われてしまう。
わたしから観れば、絆を築くのは
当たり前のことなのですが
絆を求めるタイミングや深さや速度が
性急すぎたのでしょう。

今でも、当人たちは決して
思っていないでしょうが
世間の離婚話を観ていると
「簡単」に離婚しているように見えます。

家族の絆ってそんなもんじゃないんですけどね。



基本的には家族でいる時に、
わたしはテレビを占拠しません。
誕生日前日、早めに仕事が終り、
自宅で夕食を終えた夜9時ごろ、
映画が見たくなった・・・と呟いたわたしに
息子が「たまにはいいんじゃない」
と言ってくれました。

「オーバー・ザ・トップ」

を観ました。

妻子と別れ10年。
リンカーン・ホークはトラック運転手として
身を立てていました。

妻の願いもあり、息子の卒業式に
トラックで迎えに行くリンカーン。

妻の心臓の手術の日までに
病院までの道のりを
ホークのトラックで二人旅できて欲しい。

妻のアイディアに乗り、
息子のマイクとは10年ぶりの再会でした。

いきなり現れた父だと名乗る男に
優等生ばりばりの理屈で楯突くマイク。

ホークとマイクの絆を取り戻すための
旅が始まります。

ホークはアームレスリング大会に出て
優勝賞金を元手に運送会社を始めるという
目標を持っていました。

野蛮な父に嫌悪感を示しながらも
次第に笑顔を見せ始めたマイク。

しかし間もなく二人に突きつけられる現実は・・・



シルヴェスター・スタローンの名作です。

この作品を退屈な作品だという人もいますが、
「ロッキー」「ランボー」の2大ヒットシリーズ
とはまた違う彼の代表作。

わたしも大好きで、DVDが出たっときも
ブルーレイが出たときも
出たのを知ってすぐに購入しました。

ヒューマンドラマを作りたかった訳でもなく
アクション映画でもなく、
そのどちらかを期待して観た人には
つまらなく感じられたのかもしれません。

でもエンターテイメントとしては
とてもシンプルで感動的で演技も繊細。
だからこの作品を大好きなひとは多いですね。

前シーズンのドラマ
「ボク、運命の人です。」
でもちょっとだけ紹介されていましたよね。

中高生のころ、この作品から
人生に大切なことをいくつもの学びました。

その一つを紹介します。

主人公ホークのトラックに
渋々乗った息子のマイクは
トラックが走り始めてしばらくすると
気分が悪くなったから停めてと言います。

ホークが車を停めると
飛び出して行ってしまうマイク。

車が行き交う危険なハイウェイを
横切るマイクをホークもびっくりして
必死で追いかけます。

やっとのことつかまえると
マイクから「アンタなんか嫌いだ!」の一言。
ホークは落ち着かせながら言います。

「嫌いか・・・じゃあ、そこから始めよう」

この言葉、リンカーン・ホークの在り方は
すべての家庭人が持つべき覚悟を
とてもわかりやすく魅せてくれていますよね。

息子との絆を取り戻そうとする父親。
嫌われいてもいい、その現実をうけとめ
そこから始めればいいと歩み始める。

今を観て着実に前進する。

至極当たり前。

気に入らない、価値観が合わなくなった、
性格が合わない、生活がすれ違い・・・

だからなに?ですよね。
そんな時期だってありますよ。

ずっと一緒に生きているわけですから。

それが結果ではない。
そうじゃないところからそうなってきたように
また今とは違う状況になっていく。

どんな未来をも受け止める覚悟、誓い。
それが結婚の誓いです。

その未来をできるだけ自分たちにとって
家族にとって、いい方向に向ける努力。

それをやる。
大事なのはつべこべ言わずにやること。
実行することなんですけれど
ちょっとやってみてすぐにやっぱりダメ・・・
と投げ出してしまう。

これはうまく行くまでやり続けるとか
うまくいったら止めていいとか
そういう類の話でもありません。

常に今ここにある現状から
一歩一歩前進していく。

どこへ?

今より少しでもいい方向へ。

ただそれだけです。

永遠に?

死ぬまでか、死んでもか、
どちらを選ぶかはおまかせします。

42歳前夜に、12歳の息子も一緒に
この作品を見れたのはまた
いい時間でした。


       全ての物語のために








タグ:オーバー・ザ・トップ 嫌いか、じゃあそこから始めよう 思春期のころ ラブコメ 青春もの あだち充 めぞん一刻 ツルモク独身寮 繰り広げられる 恋愛模様 憧れ 現実世界で若者たちが 繰り広げている 恋愛模様には疑問 くっついたり離れたり 気に入ったからくっつく 気に入らなくなったら終わり 正直「解せない」という感覚 幸せな家庭で育てる 気迫の純粋培養 「その程度」の気に入る気に入らないで 人はくっついたり離れたりするもんじゃない だから、周囲の恋愛は 恋愛ごっこに見えていた 「重い」と言われてしまう 絆を求めるタイミングや深さ 性急すぎた 「簡単」に離婚しているように見えます リンカーン・ホーク シルヴェスター・スタローン ロッキー ランボー ボク、運命の人です。 ドラマ 嫌いか・・・ そこから始めよう 家庭人が持つべき覚悟 在り方 今を観て着実に前進 気に入らない 価値観が合わなくなった 性格が合わない 生活がすれ違い だからなに?です そんな時期だってあります それが結果ではない そうじゃないところからそうなってきたように また今とは違う状況になっていく その未来をできるだけ 家族にとって、いい方向に向ける努力 常に今ここにある現状から 一歩一歩前進していく どこへ?
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2017年07月12日

アニメ「終物語 しのぶメイル #6(最終話)」色々ある大人の世界をシンプルにします



大人の世界にはいろいろあります。

家庭の事情ともなると
他人が不用意には入り込めない。
口出しも簡単にできる問題ではない。

でも、ひとりの人間として、
家庭を持とうという人に対して
わたしたちはどのようにあるべきだと思っているか
そういう意見を言うことはありだと思うし、
必要だとも思っています。

大人は…親は…
家庭を守るべきです。

シンプル、当たり前。

そう仰る方々がいる一方で、
この当たり前のことがどれだけ難しいか…

骨身にしみて感じている人もいるでしょう。

あるいは、
「私はそのつもりでも、夫が(妻が)」とか「子どもが」
とか…

自分は家庭を守ろうとしているのに
家族の誰かがその苦労を台無しにする…
という言い分の人もいるかもしれません。

捉え方がどうあれ。

大人になって家庭を持つと決めた以上は
家庭を守るのは、まずは大人の役目、責任ですよね。

じゃあ“守る”ってどういうことか…?


完結編は全7話で、8月12、8月13日に
2夜連続で2時間スペシャルとして
放送されることが決まっているようです。
(BS11の場合)

アニメ「終物語」
「しのぶメイル」第6話(最終話)


を観ました。

私立直江津高校三年生の阿良々木暦くんの
二学期に入って直後のお話。

委員長、羽川翼が虎の怪異に遭遇して
自分自身と向き合って奮闘している頃、
阿良々木くんは、
臥煙さんとの約束を守るべく、
臥煙さんに言われるがまま、
後輩の神原駿河を呼び出し、
臥煙さんに合流。

途中、ペアリングが切れていた
忍野忍とも合流し
三人は臥煙さんから
今、何が起きているかの説明を受けました。

旧キスショット・アセロラ・オリオン・ハートアンダーブレード
現、忍野忍。

400年以上前に彼女を恨んで
自殺したはずの一人目の眷属が、
復活しつつある。

完全復活してしまう前に退治する。

それが臥煙さんの説明でした。

どんどん復活し力を取り戻していく“一人目”と
一対一の決闘をすることになるのは
“二人目”である阿良々木くんです。

どのように決着をつけるのか?
忍は一人目と向き合うことができるのか?



切な〜いお話です。

最後の決戦、元吸血鬼の忍ちゃんの
第一眷属と阿良々木くんの決闘。

その直前に、阿良々木くんは
恋人の戦場ヶ原ひたぎと電話で話します。

忍と第一眷属、そして第二眷属である
自分たちの関係性から思うことがあった
阿良々木くんは、戦場ヶ原に聞きました。

もしも、自分よりも条件のいい男が現れたら
そいつに乗り換えるか?

戦場ヶ原は迷いもせず答えます
「のりかえるわね」

その理由を彼女はこういいました
「絶対的な愛なんて信じない。
一番身近でそれを見てきたから」

と…

彼女は数年前に両親が離婚し
母が家を出ていきました。

自分を捨てて出て行った。

そのことを言っているんですね。

子どもにとって親の愛は…特に母の愛は

絶対

なんですよね。

それを守れる覚悟がないなら
子どもはつくれないし、
結婚も出来ないですよね。

完全な他人の男女が家族になる
というのですから
親子の愛も家族の愛も同じです。

確かに絶対というものはないのかもしれません。

でも、愛「する」と決めて
自ら家族をつくる、家族を築くと決めた。

少なくとも自分で決めてそう動いたのですから
その自分との約束を守って見せるのが
もっとも基本的な責任ですよね。

絶対なんてないから自分が絶対そうする。
絶対があるかないか?

そんなことは問題じゃないわけです。
自分がやるかやらないか。

夢や目標を実現する人が、
やると決めたらやりますよね。

それと何も変わらない。

それなのに、相手がこうだから、ああだから…

と言い訳をし始める。

つまりそれは「こうだったら愛せる」
と、愛に条件を付けているんですよね。

そもそも愛に条件はない。

わが子だから、自分が決めた家族だから、
相手がどうあれ自分は愛し抜く。

それだけ。絶対なんて自分が作るものです。
自分との約束を守る。

やるかやらないか。
やれないなら初めからやるな。
やるならやり抜け。

家庭の事情じゃない。
他人が口出すすべき問題じゃないとか
そういう部分の話ではない。

人として、自分自身との約束を守るかどうか。
自分自身の在り方の問題だけなんですよね。


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2017年07月11日

アニメ「アトム ザ・ビギニング #8 ロボレス #9 シックス戦闘不能」日本人の感受性として誇らしいところ



息子が中学生になったので、
また一つ、わたしが中学生の頃からの
夢・・・というには大げさかな

ずっと秘めていたある願望、
未来への願望というか希望を
確認するときが近づいてきました。

もう、その答えを知っている人も
いるのかも知れないし
ネットで調べればわかるのかも知れませんが
わたしは現物を自分の目で見てみたいのです。

いったいの何のはなしか?

わたしは少年時代はマンガ家を目指すほど
マンガ好きでした。

藤子不二雄の「まんが道」などは何十回も読み。
手塚治虫をはじめとしてトキワ荘に集った
仲間たちやその次の世代の人たち
たとえば松本零士作品などから
当時の少年マンガまで、
バンバン読みあさっていました。

中でも手塚作品や「銀河鉄道999」などは
将来的には学校の文学史の教科書に
載ってしかるべき作品だと
確信していました。

あれから30年近くが経っている今、
教科書に載っているのか?
文学史の年表に日本のマンガ文化が
登場しているのか?

そのあたりを確認したいのです。
中学で初めて教科書を開いたときから
自分の子どもが同じ歳になることには・・・

と授業中に妄想していました。

楽しみです。


さて、こちらも1クールで終わってしまいました。
次のシーズンは観る作品がアニメもドラマも
今シーズンほどの量にはならないだろうと
予想しています。

アニメ「アトム ザ・ビギニング」
第8話「ロボレス」」
第9話「シックス戦闘不能」


を観ました。

A106をロボット・レスリングに
エントリーした天馬とお茶の水。

初めてロボレスを目の当たりにした
お茶の水は、その迫力にうろたえます。

天馬の方は
「俺たちのA106に敗北はない!」と
いつも通り強気。

A106の1回戦の対戦相手は
モヒカーン・バッソ。

第1世代=遠隔操作型とはいえ
そのパワーはあなどれません。

しかし、A106は会場中を
静まり返らせてしまいます。

相手にダメージを与えず、
機能だけを一瞬で停止させるという
ロボレス史上類を見ない
勝ち方を見せたのです。

完全自律思考型のA106の姿に
会場だけでなく、出場者たちも熱狂します。

ところがA106のボディは
深刻なダメージを受けていました。

体幹を支えるダイポールレギュレーターが
焼き付いてしまっていたのです。

代わりの部品を探してお茶の水や俊作、
茂斗子たちは奔走するのですが・・・。



「弱虫ペダル」や「進撃の巨人」に比べると
ゆるく感じる作品なので、
後回しになってしまっていました。

でも、いったん見始めるととまりません。

ちょうどシリーズのクライマックスでもある
ロボレスが始まったからでしょうか

ローマのコロッセウムさながらの
闘技場に出て対峙するロボたち。

彼らにはリングネームのようなものが
ありました。

A106は「こころやさしき科学の子」

わたしの世代でギリギリでしょうか?
アニメ「鉄腕アトム」のテーマソングが
自然と歌える世代ならわかりますよね。

モノクロ作品の時代から歌い継がれていた
鉄腕アトムのオープニングテーマで
歌われる歌詞。

手塚治虫の願いが込められた
鉄腕アトムそのものを表した言葉に聞こえます。

心・・・優しさをもったロボット

まだ一般の家に電話もテレビも
冷蔵庫も洗濯機も普及していなかった時代に
このシンプルな発想をあれだけの作品に
展開した手塚治虫というひとは
やっぱり天才だったのかも知れないな・・・

と思いますね。
もちろん海外の小説家の作品も
いくつも読んでいるでしょうから
心を持ったロボットの話だけなら
着想の得ようはあるのでしょう。

でも、ロボットが人間に反乱するという
恐怖ならいくらでも世界中に
フィクションが用意されています。

しかし、心や優しさをもったロボとなると
限られてきますよね。

当時はどうなのでしょう。
フランケンシュタインと、
もしかしたらA.I.の原作なども
すでにあったのでしょうか?

今でこそ、「チャッピー」のような
名作も作られるようになりましたが
アトムのようなテイストのロボット作品は
当時はなかったのではないでしょうか。

でも、他の作品とそのロボットたちの
存在を感じるように比べてみると
もっとも手放しで歓迎できるのは
鉄腕アトムではないでしょうか?

あ、ドラえもんもいいですね。
(笑)

何がいいたいかというと
日本人に受け入れやすいテイスト
なんだろうなということです。

こんなテイストのロボが一番受け入れやすい
なんて日本人の感受性がわたしは好きです。

しかもこれを何十年も前から
子供たちが親しんでいる。

わたしたちの感受性があれば
AIの時代がきても
実はそんなに心配する事は
ないのかも知れないという
楽観的な見方が出来てしまうんですよね。

本当に楽観視するためには
わたしたちも様々な面で
成長しなければならないのでしょうが
世界におけるロボット文化を
平和な方向に導けるのも
大和魂の感性だとしたらやっぱり
誇らしいですよね。


         全ての物語のために







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