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2019年08月15日

ドラマ「べしゃり暮らし #3」自分が知らないところで隣の人は生きづらさを感じているかも

べしゃり暮らし.JPG
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わたしはこのドラマを観ていると
いたたまれない気分になります。

主人公の圭右の在り方が
あまりにも恥ずかしい・・・
見苦しく感じるんですね。

結局、わたしの了見が狭い。

わたしが無知で器が小さいだけなんですよね。

本当はわたしの中にも圭右的な部分があって
それを認められていない。

わたしはこれから自分を広げて深めるために
まだまだいろいろ知っていかなきゃな
と思っています。



ドラマ「べしゃり暮らし」
第3話


を観ました。

圭右(間宮祥太朗)は、
辻本(渡辺大知)との漫才が“楽しい”と実感し、
本気で芸人を目指す決意をしました。

そんな2人、きそばATは、
漫才の日本一を決めるコンテスト

『NMC(ニッポン漫才クラシック)』

の予選に挑戦します。

NMCの予選当日、
恐いもの知らずの圭右は調子に乗って
緊張しまくる他の出場者を笑いとばします。

辻本は慌ててたしなめっぱなしですが、
全く聞く耳を持ちません。

本番がはじまり、舞台に上がる2人。

会場の空気は、文化祭の時とは全く違います。

まったく笑わない客に、
さすがの圭右も焦りを感じているようす。

しかも、いたたまれなくなったのか
とんでもない行動に出てしまいました。

ウケなかったことを客のせいにする圭右。

学園祭に来てくれていた、

るのあーるの梵(浅香航大)と衝突し、
辻本からも「漫才なめんな!」と、
本気で怒られます。

しかし、圭右の失敗を予測していた
デジタルきんぎょの金本(駿河太郎)は、
辻本にあるモノを託していました。

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相変わらず、見ていて痛々しい圭右。

自分の考えばかり
自分の価値観ばかり

周囲の人がどう感じる化なんて
考えも及ばないようです。

だから自分が周囲から
どう観られているか?

なんていう客観的な視点ももてない。

その感じが本当に本当に
観ていて痛々しく見苦しく感じられるように
作られています。

劇団ひとりさんの演出なんでしょうね。

勝手な想像ですが
劇団ひとりさんも少年期、思春期、
青年期を世間と自分のズレ

みたいなものを感じながら
生きて来られたんじゃないかな?

なんて考えちゃいます。

だから圭右みたいなヤツが愛おしい。

圭右は一見お調子者に見えるし
性格的にも本当にお調子者な部分も
あるとは思いますが
きっとみんなと自分のズレに
もがいていると思うんですよね内面は。

そういうのを客観的に観れるようになって
成長していくのが大人になるってことでしょ?

という人もいます。

実際それは正しいし
何一つ間違っていないんですよ。

実際このお話も
圭右は自省してちゃんと成長しました。

だけども、それでめでたしめでたしじゃない。

成長しました。
社会の常識がわかるようになりました。
もう立派な大人です。
みんなの仲間入りです。
めでたしめでたし・・・じゃないんですよね。

どうしたって自分のなかには
世間と相容れない部分を感じちゃう人はいる。

それを世間や常識は
甘えだとか努力が足りないだとか
いろいろいうわけです。

でも本人はどう努力しても
なんか違うって感じちゃう。

生きづらい。息苦しい・・・って。

成長していって本当に周囲と同じように
理解できるようになる部分もあれば
どうしても相容れない部分もでてくる。

そうなると自分の中にある“常識”が
自分の中にある“成長できない自分”を
責め始めちゃうんですよね。

そうやって自分を嫌いになって
自己肯定感が衰退して
自分を傷つけてしまう人も出てくる。

圭右はたぶん周囲の人にも
恵まれています。

もって生まれた性格も
きっといい方に向かっていけると思います。

でもそんな圭右をみて
「アイツはいいよな。周囲に理解者がいて」
って思っちゃう人もいるでしょう。

で、自分にはいないからダメだって思ったり。
そこでダメだなんて思っちゃう自分をダメだって
思っちゃったりして、
自分を傷つけてしまう人もいます。

他人を傷つけるとかもそうですね。

そういう「世間」や「常識」を
刷り込ませる世間も常識もだしその本人も
そうなのですが・・・

もう、これは圧倒的に無知です。

無知という暴力ですよ。

日本は特に無知という暴力が
常識とか空気とか世間とか気合いとか本気度とか
そういう一見キレイでかっこよくて
良いもの正しいもののように扱われて
傍若無人に横行しています。

無知な常識を振りかざす人たちも
その価値観の中で自分を苦しめる人も

どっちも、もっと広い知識を持ち
それを受け入れることができたなら

もっともっと世界は生きやすくおおらかになります。

なんてつまらない狭い考え方に
縛られていたんだ?

ってなるはずなんですよね。

わたしが圭右を観ていて
「見苦しい」と感じるのは
わたしの狭い常識のせいです。

わたしのなかの「こうあるべき」の
範囲を逸脱しているから心地よく受け止められない。

でもそのことについて
こうやって思いを巡らせることはできるし
それができると

「ああ、実は自分もあれで
恥ずかしい思いをしたことがあったな」

って思いいたります。

その恥ずかしさをしっているし
そのときの自分を許せない
自分がそうなることを許せないから
それをやってしまっている圭右を観ていて
腹が立つんです。

そういう風に認識できるのも
知の一つです。

わたしは心理学を学んでいなければ
あるいはその前に父がやっている禅という
前提がなければこういう視点は
持てなかったでしょう。

だから「知る」ということは本当に大事だし
自分が「知らない」ということを知っておく
というのが何よりも大事なんですよ。

息苦しいのは、生きづらいのは
知らないからです。

もう、いいや。
疲れたし、今から知ろうなんて気分も
沸かないし。

また裏切られたらやっぱりかってなるし・・・
だから、もういいや。

って気分になる人もいると思います。

生きること自体がめんどくさい。
という気分になっちゃったり。

でも、実はそんな気分も
実は栄養や運動習慣を変えるだけで
いとも簡単に吹き飛ばせたりすることもある。

だからね。

とにかく無知であることを知る。
認める。

そしてそれはこれからまだまだ
自由に幸せになれるという可能性の
証だということも理解できれば

本当にどんどん自由な心に
なっていけますから。

だから、生きづらいと思ったら
とにかく自分が知らないだけ。

周囲が正しさを押しつけてくるのも
周囲が知らないだけ。

人は変えられなくても
自分が知らないことを知るだけで
世界はこんなに広かったのか?

こんなに自由だったのか!?

って思える瞬間を何度も味わえるようになります。

生きづらいばかりじゃないから。
本当に!


           全ての物語のために

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posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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