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2019年06月27日

アニメ『どろろ #24(最終話) どろろと百鬼丸』やる気のイメージが正しくないとやる気をもてません

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やる気が出ないとかやる気満々
という言い方をしますよね。

やる気ってどんなモノだとイメージしてますか?

今回考えてみたいのは
そもそも、「やる気」というものに対する
イメージが間違っていませんか?

ということです。

ちょっと自分自身に問いかけてみて欲しいです。
やる気があるときってどんな気分でしょうか?

もし今イメージした気持ちが
「戦意」やそれに近い感覚だったら
そりゃあ、長続きする訳ないです。

そして、それをやる気にしてしまうと
幸せにはなれない気がします。

本当のやる気、幸せに生きていくための
やる気というのはそういうモノではないと
思うのです。

もっと静かなもの、「戦意」を持って
向かってくるような相手でさえ
その「戦意」を殺がれるような穏やかさと強さ
戦意喪失させるような在り方・・・

そういう雰囲気を生み出す力、心持ち。

そういったものの源にあるのが
本当のやる気であり、
幸せで在り続ける努力を生み出すもの
なのではないでしょうか?



きっちり24話でお話をまとめ上げてくれましたね。
作品としてとてもまとまりがあり、
そして芸術品とも言えるくらいエモーショナルな
物語であり映像作品でした。

アニメ『どろろ』
第二十四話「どろろと百鬼丸」
(最終回)


を観ました。

炎に包まれる醍醐の城。

百鬼丸と多宝丸はその中で
激しい死闘を繰り広げていました。

血を分けた兄弟、憎み合う理由もない2人。

どろろはなんとか百鬼丸のもとへ
駆けつけたいのですが
城への通路は全て炎でふさがれていました。

琵琶丸を見つけたどろろ。

琵琶丸は縫の方を彼女が言う抜け道に
通すために彼女を井戸に降ろしていました。

また寿海も百鬼丸に対して、
やりのこしたことがあるようで
城にのぼっていました。

鬼神の眼を宿した多宝丸・・・
彼の中に百鬼丸は自分と同じモノを感じ・・・

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終わってしまった〜!
終わってしまった〜!!
終わっちゃいました〜!!!

さ〜び〜し〜い〜!!!!

こんな気持ちになるとは思っていませんでした。

なんでそうね?
この歳で、どろろと百鬼丸と一緒に
旅をしていたような気持ちになっていたのでしょうか?

恥ずかしいですが本音です。

ここ数年、息子の成長に合わせてというのと
このブログのこともあり
ドラマやアニメをよく観るようになりました。

必然的にたくさんの最終回を
観てきたことになるのですが
こんな気持ちになる作品は珍しいです。

彼らが失ったもの、得たもの
それらを糧にまたステキな未来を
つかんで欲しいと願ってしまいますね。

百鬼丸を初めとした
醍醐家の面々・・・縫の方、多宝丸、
そして景光。

彼らの感情を想像できるほど
追いつけなかったです。

じっくり考えていかないといけませんね。

縫の方はまあ分からなくはないですが
多宝丸、景光は・・・

どんな感情を受け止めていたのか?
特に景光は正気を保っていられるのでしょうか?

でも、百鬼丸の心持ちは
わたしたちには一考に値するものですよね。

百鬼丸が多宝丸に向けた思い。
百鬼丸が景光に向けた思い。

それはまさに彼らの戦意を喪失させるものでした。

特にまだ若い多宝丸はそうでしょう。
彼の性根によってはあるいは
そんなことは無かったかもしれませんが
でも多宝丸はもともと
悪い子ではありませんでしたからね。

父である醍醐が兄である百鬼丸にしたこと。
そのむごさを最初に本能的に
「ひどい」と感じていたのですから。

景光は大人です。

最後に百鬼丸と景光とのシーンがあります。

景光は百鬼丸をあおるようなことを言います。
なにも考えずに聞いていると

「お前はまだそんなことを言っているのか?」
「いい加減目を覚ませよ」

みたいに思ってしまいそうですが
あれはもうすでに
百鬼丸に自分を討たせるための
方便だったのかもしれません。

方便でなかったにせよ方便であったにせよ
どっちの感情をああやって高ぶらせるには
「戦意」が必要です。

方便でなかったのなら
「俺はまだまだ負けん!この先も
鬼神に魂を売ってでも国を繁栄させるぞ!
天下をとるぞ!」
と・・・ストレートな戦意ですよね。

方便だったのなら
景光は相変わらずだと思わせる
自分を憎ませる、
自分を悪役にして我が子に斬られよう
それは自分自身との戦い・・・闘いですね。
それもある種の戦意と言って良いでしょう。

わたしたちが「やる気」をイメージするとき
「よ〜し!やるぞ〜!」
と気持ちをたかぶらせるもの・・・

こういった種類の気分だと思いがちです。

それはつまり「戦意」

でも、戦意喪失という言葉があります。
それはやる気を失うということなのでしょうか?

気をそがれる・・・という言い方をしますよね。
それはやる気をなくしちゃうということなのかな?

百鬼丸は多宝丸の戦意を喪失させました。
でも多宝丸は今まで得られなかった
心の安らぎを得たはずです。

百鬼丸は景光の戦意をそぎました。
景光がそれで幸せになったか?

さあ、それはご自身で観て彼らの心を
想像してみてください。

わたしは彼の命がこの先どうなっていようが
少なくとも鬼や悪魔ではなく
人間としての心に立ち返ったからこその
あの苦しみだったように見えました。

どちらに対してもそのときの百鬼丸には
「戦意」はありませんでした。

でもやる気がなかったとは絶対に言えない。

戦意的な気分をやる気というのなら
むしろやる気を越えるもだったでしょう。

これからを生きていこうとするのなら
きっと百鬼丸はより人間らしい豊かな感情を
感じながら生きていくのでしょうが
それは荒ぶるような激しさではなくて
もっと穏やかな方向へ向かっていくはずです。

それはやる気がないなんて言えない
むしろ鼻息荒いやる気なんかよりも
静かに着実に一歩一歩前進する
そんな生命力や気力を感じます。

多宝丸や景光の戦意を喪失させたのは
そんな百鬼丸の気分ですよね。

そちらの「気」の方が強いでしょ?

そちらの「気」の方が
「やる気」という称号にふさわしいと思いませんか?


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posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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