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2019年02月12日

ドラマ「みかづき #3 翳(かげ)りゆく月」どう考えたって夫婦が最小単位、スタートラインだから



どう考えたって、夫婦からなんですよ。

人の始まりって。

夫婦がいて子ができて
家族ができて

そこからそれぞれの個が
子じゃなくて個が
外の人との関係性・・・コミュニティをつくり
「お互い様」が成り立って生活ができる。

生活という営みが続きていく。

夫婦がなければ命は誕生しないし
家族も形成されないし
家族を形成できない感性の人間が
社会で「お互い様」で生きていけるわけがない。

それはつまり、奪って、犯して、
滅ぼし合って滅びる。

つまり、人間じゃなくて野獣でしかない。
社会は存在できないですよね。

猿でさえ社会を形成するのに
それ以下ということですよ。

ハイエナや狼以下。

そうならないために人間が人間でいるためには
どう考えたって
もともと他人同士である男女が
家族をつくろうという「夫婦」からが
最小単位、スタート地点なんですよね。

もっともっと大切に大切に
もっともっと強く断固として
守り成長する姿勢が大切なんじゃないですかね。

恋愛や結婚を成功だ失敗だって決めちゃう
感覚が現代人は安くて軽いなって
本当に感じています。



実話を元にしたかのようなリアリティを感じるのは
時代の流れを踏まえ、かつ、わたしたちが実際に
生きて感じてきた時代を背景にしているから・・・
でしょうか?でも、他のドラマもそれは一緒だと
思うけど・・・

ドラマ「みかづき」
第3話「翳(かげ)りゆく月」


を観ました。

古書店の店員・一枝(壇蜜)から
ソ連の教育者・スホムリンスキーの著作を
強引に紹介された吾郎。

スホムリンスキーの教育論に
すっかり熱中しもやもやしていものが
晴れたような気がしたと
一枝に感想を語りました。

そんな吾郎に一枝は本の執筆を薦めます。

その気になった吾郎は
塾の仕事の合間をぬって著作の執筆に没頭。

一枝の存在を知っていた千明は
心中穏やかではありません。

やがて吾郎の著作はベストセラーになり、
塾はさらに大きくなって千葉進塾と名を改めます。

一方、蕗子(黒川芽以)の恋愛は
千明の反対以前の問題があって破綻。

千明の母・頼子(風吹ジュン)も…

塾の拡大とは反比例するように
家庭にはきしむような不協和音が
鳴り響いていて…。



吾郎じいちゃんと千明ばあちゃんが
添い遂げるところから始まっているから
安心して良いはずなのに、
2人のすれ違いを観ると辛いですね〜

例えばこれが、どちらかが悪役に
描かれていたら視聴者からすれば
わかりやすいでしょう。

この場合の悪役というのは、例えば
どちらかがDVや虐待をするとか
酒癖、女癖、男癖が悪いとか
酒に溺れる、ギャンブルに狂うなどなどですね。

でも、吾郎と千明の場合はそうじゃない。

どちらも優秀ですよね。

仕事面のお話ではないですよ。
仕事面も優秀です間違いなく。

塾講師としてのカリスマ、吾郎と
塾経営者として敏腕の千明。

でも、そんな仕事面だけではなく
彼らには大人として、
子供たちに愛を注ぐひとりの人間としての
優秀さみたいなものがある。

それは2人とも、ずば抜けてある。

そういう意味で優秀なんですよね。
優秀な大人。
そして、お互いにそのことを認め合えている。
なかなかいないと思いますよね。

ここまで大人として優秀な夫婦は。

いや、いるか、いっぱい。

ただ、塾経営者と塾講師としての
この組み合わせはまた特別で
吾郎と千明という組み合わせが
特別なんでしょうね。

どちらかがサポートならわかりやすいけれども
どちらもサポート役としてではなく
躍進する力、主役力がハンパない。

さて、問題はそれほどまでに優秀な大人である
吾郎と千明がこうも反発し合うのか?

難しいことではないと思います。
本来はシンプルなんですよ。

当事者は感情的に複雑に感じるでしょうが。
(わたしだって自分の家族となると
簡単じゃあないですもん)

千明は吾郎ではないし、吾郎は千明じゃない。

夫婦は一心同体ではない。

こういってしまうと身もフタもないような
ひどい言い方に聞こえてしまうかもしれませんが
大切に思えばこそ相手は自分じゃないことを
ちゃんとわかる必要がある。

そんなの当たり前と思っていても
自分がわかっている以上にわかる必要がある。

そこば難しい部分だから
シンプルだけども難しいということなんですよ。

どうしても意見が対立するとき
お互い歩み寄ればいいのか?

歩み寄れるなら歩み寄るに越したことはないでしょう。

でも、それでお互いに無理が来て
関係を壊すならそれもおかしな話です。

歩み寄りはあってもなくても
自分と相手は違う。

違っている部分を理解しなきゃならないんじゃなくて
違っている部分がある事実を認める。

違っている部分を理解しようとするのは
悪いことではないですが
理解できない価値観の相手がわるいわけでも
あるいは自分の価値観を理解してくれない相手が
悪いわけでもないんです。

もちろん、理解してあげられない自分が悪いわけでも
理解されない価値観を持っている自分が
悪いわけでもないですよね。

違って当然、わからなくて当然。

「夫婦は所詮他人」「夫婦は元々他人」
それは決して後ろ向きな言葉ではなくて
前向きな言葉なんじゃないですかね?

それが、家族となると近すぎて
距離を見失ってしまいやすい。

だから葛藤が生まれる。
その葛藤ごと受け止めて生き続ける覚悟が
他人同士が家族になろうとする「結婚」
ということなのでしょう。

吾郎が折れるか、千明が折れるか、
・・・なんて一辺倒な話でもなく

工夫の使用はいくらでもありますよね。

2人の塾の在り方の方針が合わなかったら
離婚しなきゃならないわけではない。

進学コースと補修コースを選べるようにしたり
補修コースをメインとする姉妹校をつくったり

塾の在り方だって家庭の在り方だって
やりようはいくらでもある。

違いさえ受容できる心の余裕があれば。

こういうことを当事者に言うと
綺麗事じゃない!

と感情的になられるかもしれません。
そんなに都合良く心は整理できない、
ロボットじゃないんだから!

などと言われるかもしれませんが
それだとわが子の未来を強制するような心理と
変わりませんよね。

結局は相手を自分の思い通りにしたい。

その思いを手放せないところがスタートです。
一体感願望。

それ自体は悪いことではないけれど
それは良い関係を築くために
自分が相手への親切を発揮するために
あるいはそういう自分になるための
努力のために使えばいい。

相手を変えるために使う力じゃないんですよね。

吾郎と千明、楽しみじゃないですか?
この後、夫婦としてふたりはどんな選択を
するのでしょうか?

夫婦としてどんな成長を遂げるのでしょうか?
めいっぱい勉強させていただきます。


          全ての物語のために

みかづき.JPG

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posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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