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2018年05月31日

アニメ「弱虫ペダル GLORY LINE #21 リミッター」人の上に人、人の下に人



わたしはお金の面で
だらしない部分があります。

ギャンブルをやって借金で
首がまわらなくなるとか、そんなに
大げさな話ではありませんが、
貯金が上手くできない。

お金を残すとか守るということが
下手くそなんですね。

一方、妻はその辺が天才的。
押し入れや収納の管理の仕方も
テトリスみたいで天才的ですが
お金の管理もそんな感じで
ロジカルなのでしょうか
わたしには雲の上の存在に見えます。

わたしの場合は、だから自分には向いていない。
という話ではなく、

妻のように天才的ではなくとも
わたしの問題として、
あるお金をどう振り分けていくのか?

という部分は自制心の問題ですから
精神的に未熟だということになる。

ところが、妻は気性や持って生まれた性格も
もちろんありますが短気です。

それだけなら普通の性格の話ですが
腹を立てながらしゃべっていると
どんどん腹が立ってきて
長時間不機嫌に過ごしてしまうことがある。

もう少し手前でそういう自分に気づいて
自分の感情のかじを別な方向に
切ればいいのにとわたしなどは思うのですが
それがなかなかできない。

感情的な部分、特に穏やかさを
自分で保つ工夫をする・・・

こういう部分では圧倒的に
わたしが秀でています。

それが平均以上なもんだから
妻は短気とはいえ、平均的なのに
わたしとの対比で余計に自分でも
そう見えてしまい損している面もあるようです。

さて、わたしと妻はどっちが
「レベルの高い人間」なのでしょう?



どうやら第4期は全25話、残すところ
あと4話となったようです。つまり、
インターハイゴールまではいきません。
また半年で第5期やってくれるかな〜!?

アニメ「弱虫ペダル GLORY LINE」
第21話「リミッター」


を観ました。

インターハイ、2日目のゴール直前。

新開悠人は入部当初の
葦木場とのことを思い出していました。

箱根学園の自転車競技部の中でも
エーススプリンターだった兄、
隼人の存在は大きく、

俺は俺、という気持ちが強かった悠人は
部内で孤立していました。

先輩と衝突し、独自の
生意気な意見を持っている悠人に
葦木場は勝負を持ちかけます。

勝負は葦木場の圧勝、
勝負中の葦木場の言葉とその強さ、
そしてレース後の葦木場の
面倒見の良さから
悠人は葦木場を慕うようになります。

そんな葦木場に山岳賞を取りに行け
と言われ拒んだせいで
葦木場が山岳賞をとるために無理をしました。

悠人はそのことを悔やんでいました。

そのとき、とうとう葦木場が
総北の今泉、京都伏見の御堂筋から
遅れを取り始めます。

悠人も足をゆるめて葦木場と並びます。

しかし、そこで葦木場が明かしたのは…

そしてゴール手前数百メートル。

三校の強烈なスプリント争いの中、
総北の今泉は自分のリミッターを外すため
もがいていました…。



悠人は自分のクライマーとしての実力、
自転車競技の実力に自信があったんですね。

その自身が傲慢さになって
先輩たちを見下していた。

自分より自転車でレベルが低い人を
尊敬できないし、
そういう人たちから学べることも
ないと思っていた。

それだけ自転車のことしか見えてない、
自転車競技の強さのことしか考えていない。

そういう意味では純粋なのかもしれませんが、
まあ、普通は小中学生でもわかります。

視野が狭すぎる。了見が狭すぎる。
人としてのレベルが低過ぎる・・・と。

でもこうやってわたしたちは
自分と他者であったり
他者と他者とを比べて
レベルが高いだの低いだのと
競い合ったり、ランク付けをしたり、
見下したり、へりくだったりしています。

誰よりも誰が上で誰が下なんて
誰かに決める権利があるの?

と、ありがちな道徳的な話が
したいわけではありません。

わたしもよく使う表現で
『ステージが違う』という言い方があります。

人間的、精神的なステージが違う・・・と。

つまり、精神的な成長、成熟度だったり、
情緒的にどれだけ大人か?

ということをでのレベルを観てしまう。
感じてしまうんですね。

そういう意味でのレベルは存在すると
思っています。

でも、その上位下位の基準は
絶対的に私的なんですよね。

そこは忘れちゃいけない。

極端な話ではなく、
生まれたての赤ん坊の無垢さが
究極の精神的な成熟のかたち
だという見方もあります。

そもそもこんなことをあーだこーだと
考えているうちはまだまだひよっこで、
とにかく今、自分のすべてをあるがまま
味わえるようになって本物だという人もいる。

ぜーんぶ、そこに基準が入ってきて
レベルの上下が作られてしまいます。

誰かが誰かより秀でているのは
それが何かによってはそうです。

つまりズズーイっと視点を引いて引いて
神様の視点で観てみると
誰もが誰よりも秀でていて
誰もが誰よりも劣っている。

人を見下すことも、自分を卑下することも
そう考えると、
あまり意味がないとわかりますよね。

ではどういう時に有効なのか?
それはひとえに自分という個人を
昨日の自分より成長させようとするときに
人のことも観察し参考にするため。

わたしは今はそう結論づけています。
現段階のわたしはね。


             全ての物語のために












posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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