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2016年05月20日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #6 重力の井戸の底で」想像力を放棄するのは楽だけど、幸せにはなれない。



人とケンカをすると寂しくなります。

怒りもわきますが、それは
寂しさから身を守るためだと
自分でわかっているから
わたしは怒りも寂しさも
どっちとも向き合うように心がけています。

相手が他人でも寂しいのに、
夫婦喧嘩だとそのつらさは
他人とのケンカの比になりません。

もっといえば、息子とのケンカは
それよりもずっとずっと寂しい。


怒りの中には「アイツが悪い!」
という自分の主張が中心にありますが、
寂しさと向き合うと、
自分の非も認めなければならないことが
わかってくる。

わたしの場合は、
想像力によって相手を傷つけて、
自分が傷つき、
忍耐と想像力をもって修復していく、
そういうことがほとんどです。

もっともっと想像力があれば
むやみに大切な人を傷つけたりしない
だろうにとも思う。

想像力を持つにも、
やはり深さや大きさという器が
必要なんだなと反省します。

その繰り返し。
少しずつでもその器を大きくできていればいいけどな…



「化物語(バケモノガタリ)」を上下巻
一気に読み終わったことで、
わたしの鞄の中にはこの小説が戻ってきました。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第6巻 「重力の井戸の底で」 福井晴敏 著 角川書店


を読んでいます。

重力の井戸に捕らわれ、
地球へ落下するユニコーンとバナージを受け止めたのは、
ジオン残党=『袖付き』のジンネマン率いる
〈ガランシェール〉隊でした。

〈ガランシェール〉は
アフリカ大陸の西サハラ砂漠へ不時着します。

地球で暗躍していたジオン残党のガーベイ家。
連邦への雪辱を晴らす日を待ちわびていた
彼らにも〈ガランシェール〉が地球に落ちたという
知らせは入っていました。

降下予測値として報告を受けていた一帯で
捜索を始めるマハディ・ガーベイと
その子どもたち。

アルベルトは旧ニュータイプ研究所で
マーサ・ビスト・カーバインを迎えます。

『ラプラスの箱』の正体を知って苦しむリディ。
マーセナス家にいては何もできないと焦るミネバ。

そして、不本意にもティクバたちの父、
ギルボアの命を奪ってしまったバナージは
すべての気力を失い、〈ガランシェール〉の影で、
ただうずくまっているだけでした。

そんなバナージの胸ぐらを掴みあげ、
ジンネマンは、砂漠を数十キロ歩いて
友軍に助けを求めに行く旅について来いと
誘うのでした…。



福井晴敏さんの小説は、
ご自身が映画好きというのもあるのでしょうが、
読むと、映像で見てみたい!

と思わされます。

ところが分量がかなりのボリュームなので
実際に映像化すると、
小説のファンは「あそこが描かれなかった」
と残念な思いになることが多い。

これは、福井さんの小説に限らず、
原作があって映像化される作品の
宿命みたいなものなのかもしれません。

それでも、いろいろな作家さんの
小説と映像化作品を観ているわたしでも
福井さんの作品だとその残念さは他の作家さんの比じゃありません。

それは、小説で描かれる細々したエピソードや
その描写がとても印象的で思い入れが強いからです。

「ガンダムUC」第6巻は、
冒頭からわたしにとっては印象的なシーンです。

西暦が終わった次の暦、
宇宙世紀という時代が到来したといっても
たかだか100年弱。
地球連邦軍には海軍があって、
昔ながらの潜水艦が使われている。

「亡国のイージス」や「終戦のローレライ」のファンなら
ニンマリするかもしれません。

作品全体の中では微々たる分量のページのなかに
宇宙世紀の戦後の潜水艦という狭い空間の中での
人間のドラマが描かれている。

初めて読んだときにとても印象に残ったのですが、
読んでいて映像化されるときには
カットされることも分かり切っていました。

そんな潜水艦ドラマの中で、
若い搭乗員の視点で描かれる
水測長が登場します。

若い搭乗員がソナーで異音を聴き
報告をしても、全く相手にしません。

機械の判断を鵜呑みにして
想像力を放棄しているところがある・・・

と、その水測長は表現されます。

そういう人は、現代のわたしたちの
身近にもいますよね。

想像力を放棄・・・

正直に言いますと、羨ましい。

放棄できるだけの想像力を持っている。

小説も映画も、想像力で補う部分が多い媒体です。
そういうものが大好きなわたしが
想像力を全く持っていないなんてことは
まあ、ないとは思っています。

それでも、全く足りていない。

映画や小説を読むだけで、
想像力が鍛えられて、
身の回りの人を幸せにできるなら
とっくにわたしの周囲は
みんな幸せになっているはずです。

幸せになるならないは当人次第だったとしても
わたしに想像力があれば
もっともっと、人を傷つけたり
寂しい思いやつらい思いをさせずにすむだろに
と本気で思います。

放棄できるほど、贅沢に想像力を畢持ち合わせていない。

だから放棄できる人は羨ましいです。

わたしは、いくら考えても
上手くいかない時は上手くいきません。

むしろ、想像が裏目に出ることもある。

変に気を回して、想像が間違っていて
相手を傷つけてしまう。

いったん裏目に出てしまうと想像に任せずに、
きちんと相手の話を聴きたいと思っても
信頼を失ってしまっていれば
なかなか心を開いてもくれません。

想像力というのも、使いようだなと
そういうときは本当に反省します。

つらくて、傷つけた相手との仲が
修復されるまでの期間には
またぞろ悪い想像ばかりが膨らんで
不安が大きくなり焦ってしまう。

でも、想像力ってそうやって
勝手に思いこんだり決めつけるために
あるものではないですよね。

まずは相手の話を聞いて、
そこから相手の気持ちを想像する。
想像してみたら、
こんどはその感じ方で間違っていないか?
相手に確認して、違っていたらまた話を聞いて
・・・そうやって調整していく。

本来はコミュニケーションとは
そういうものです。

面倒くさいけど、そういうもの。

そこに不安や恐れがあって
そういう感情に翻弄されるから
下手な想像力にたよって
自分を守ろうとして、失敗して
人との関係を悪くしてしまう。

面倒くさいけど、面倒くさいからって
逃げるのは、大切な人たちを
自ら断ち切っていくことになる。

だから、そういうときこそ
想像力(不安による決めつけ)に頼らず、
想像力(相手の気持ちを正確にわかろうとする力)を駆使して
コツコツと向き合っていく必要がありますよね。



         全ての物語のために














posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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