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2016年05月05日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #5 ラプラスの亡霊」その6 甘やかしん坊のシツケ論



息子に言われました。
「チチを攻略するのは、簡単だね」

ゴールデンウィーク(GW)、
2日間、息子といる時間を作りました。

普段、仕事が土日に関係ないため、
土日祝日の休み…息子が休みのときに
一緒にいるのは
妻にまかせっきりなことが多いのです。

息子からはよくいわれます。

なぜ自分が学校や習い事のときに
チチはやすみなのか?
土曜日や日曜日に休んでよ…

うれしい言葉ですが、
仕事上そうもいかない。

しかし、シフト制というのは
まるっきり土日祝日の休みを
避けて平日の休みになるということではなく、
土日祝日に縛られないというだけなので
休みが入るリズムは毎月ほぼ変わらない。

世間がGWでも、わたしはいつもの通り。
GWだから世間の休みとわたしの
休みが重なりやすい。

それで息子とずっと一緒にいてやれたわけです。

さあ、そんな中、息子に言われました。

「チチを攻略するのは、簡単だね」



小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)
第5巻「ラプラスの亡霊」福井晴敏 著 角川書店


〈ネェルアーガマ〉はパラオから
〈ユニコーンガンダム〉とバナージを奪還し、
〈ユニコーンガンダム〉のラプラスプログラムが
次に示した座標に向かいます。

『ラプラスの箱』のありかか、
その手がかりのありかか、
〈ユニコーンガンダム〉が
NT-D(ニュータイプデストロイヤーシステム)を
発動させると次の座標を
示すようになっているらしいのです。

その次の座標というのが
宇宙世紀元年のセレモニーでテロの舞台となった
スペースコロニー〈ラプラス〉の史跡。

その座標の位置に何があるのかはわかりません。

とにかく〈ユニコーン〉をそこまで
運場なければなりません。
そして〈ユニコーン〉はバナージにしか
反応しません。

地球連邦軍の特殊部隊エコーズのダグザを
補助席に乗せ、座標の位置まで行くバナージ。

そのコックピットの中で
バナージはロボットのようだと思っていた
ダグザの人間らしさに気づくのでした。



自分が置かれた状況を真剣に考えるバナージ。
ダグザにもその空気は伝わるようです。

「あまり考えるな」とダグザはバナージに語りかけます。
「こいつを操縦して、調査に協力してくれればそれでいい。
『箱』の正体がなんであれ、おまえのような子供が
自分の未来と引き替えにするほど価値はない」
(P155より引用、改行はブログ筆者による)


『ラプラスの箱』をめぐる争奪戦…。

『ラプラスの箱』はその内容から、
秘密にしておきたい連邦政府と
それを手にしてしまったビスト財団の
力関係に大きな影響を与えています。

『ラプラスの箱』が開かれれば
連邦政府が転覆しかねない…

となれば連邦の的である
ネオ・ジオンの残党=『袖付き』も欲しがります。

つまり、オトナの都合による
パワーバランスを左右するモノ。

そんなことに、子どもが自分の未来を
差し出す必要はない…
子どもに背負わせるようなものではない。

ダグザはそういうことを理解している人のようです。

ダグザの人間としての優しさを
象徴しているシーンです。

オトナの世界を子どもに押し付けない。

子どもの未来、子どもの可能性は
オトナの想像なんてはるかに超えて
無限なんだということを当たり前のように
理解できている”大人”の自然な意見。

…なんだと思います。


わたしは、躾(シツケ)という言葉に
『大人の都合の押しつけ』という臭いを
嗅ぎ取ってしまい、イマイチそれを
払拭できないでいます。

その証拠に、わたしたち親が子どもに
シツケをするときの内容って
時代や文化によって変わるようなことも
多く含まれていないですか?

あるいは、親が恥ずかしいから子どもに
「やめなさい」と言うとか、
親が個人的な好き嫌いで「嘘をつく子は嫌い」
と押し付けるとか…

そういうきな臭さが「シツケ」という言葉に
常にまとわりついている気がして
どうも好きになれないんです。

息子との休日、2日目。
昼間はジョイフル…九州には多くある
ファミリーレストランですね。

関東圏だとデニーズとかジョナサンとか
そういうところでしょうか。
ロイヤルホストなどよりも
もう少しお手軽に楽しめるファミレスです…。

昼間はジョイフルで食事をし、
午後は近所のアミューズメント施設
快活CLUBにビリヤードをしに行きました。

どちらもドリンクバーがあるのですが、
わたしが飲み物を入れるときは、
息子のグラスも見て、空になっていれば
「何を飲みたい?」と聞いて一緒に入れてきてやります。

そういうところが、妻よりも甘いと感じたのか
(実際妻にもたまに言われますが)

「チチを攻略するのは、簡単だね」

とその日の夜、風呂上りに言ったのです。

でも、わたしはコレ、まちがっているとは
全く思っていない。

実は息子がもっと幼いころは、どのくらいのバランスで
この『甘さ』を発揮していいか不安でした。

でも、基本的には難しくは考えていません。
感覚です。

その感覚はわたしが両親に育てられたときのバランス。

でも今、それは結構うまくっているな
…と思えるようになってきました。

なぜなら、息子は「アレとって、コレとって」
と、立っているものは親でも使えと言わんばかりに
わたしに甘えもしますが、
自分が立っているときは自然と
わたしの甘えも聞いてくれる。

ドリンクバーでは自分が飲みたいときは
さっと立ち上がって「チチ、何飲む?」
とわたしのグラスも一緒に満たして持ってきてくれます。

自然とこういうことが出来るようになってきた。

わたしはもともと自分が気が利く方ではありません。
だから「こうしなさい、ああしなさい」というのも
イマイチ自信を持てない。

でも、自分が気づかえる部分を
お手本として見せることなら出来るわけです。

子どもはそれを観て、良いと思ったら自分に取り入れる。

息子は自分で自分を躾けている。
きっと、それでいいんだと思います。



                   全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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