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2016年04月14日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #4 パラオ攻略戦」その2 悪役を押し付けて自分を守ってる人たち


自分を守ろうとして人を攻撃する人がいます。

自己防衛は人間の本能です。
そして、自己防衛本能と直結しているのが
『怒り』です。

怒りは基本は他者に向けられます。
自分以外のなにものかに。

そうしないと、寂しさや悲しさ、
恥ずかしさ、残念な思いなどに
自分の心が折れてしまうから。

でも、その折れてしまいそうな感情と向き合って
心を整えていくのが人の成長でもある。

ところが厄介なことに、
『怒り』が鎧になることを知った人間は
怒りの中に閉じこもって、
外に出ることを拒む傾向があります。

怒りを武器に周囲を攻撃しているので
自分では『閉じこもっている』なんて
自覚がない。

むしろ、アグレッシブに外に向かって
『開放』しているつもりになっている。

しかも、そこには正義がある。
正義は人の数だけあるのですが、
その事を冷静に受け止めると
『怒り』の鎧を取らなければならなくなるから
それは困る。

だから、『その他』の正義を叩きのめすのです。
そのためにそれらは『悪』として認識される。

自己防衛本能が生み出した悪という対照として…

この、無自覚さ、無知さが争いの原因です。



「ガンダム」という作品は世界観が最初にできていて
わたしたち視聴者が初めて聞くような言葉も
当たり前のように飛び交います。
見ている方は初めはわからなくても、
自然とわかるようになっていきます。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第4巻 「パラオ攻略戦」 福井晴敏 著 角川書店


を再読中です。

バナージは、オードリーを守るため、
独断でユニコーンガンダムに乗り込み、
ネェルアーガマから飛び出しました。

ネオ・ジオン=『袖付き』の総帥
フル・フロンタルに向かっていったのです。

しかし、検討むなしく、
ガンダムの機体ごと捕獲されてしまい、
『袖付き』の基地があるパラオまで
連れていかれます。

『ラプラスの箱』の鍵であるユニコーンガンダム。
しかし、ユニコーンガンダムは、
バナージが乗らないと反応しません。

バナージは捕虜として拘束されるのですが…

連れていかれたのは牢屋は尋問質ではなく、
ガランシエール隊のギルボアの家でした。

ギルボアの妻や子どもたちと交流し、
なにかを学んでいくバナージ。

その頃、連邦軍では…



バナージがギルボアの家に連れて行かれた夜、
夕食時に子どもたちに「連邦の人か?」
と聞かれます。
父ギルボアを英雄視している子どもたちにとって
連邦は憎むべき敵。

やけになっていたバナージは
子どもたちの前でホンネをぶちまけます。
ジオンがどんなひどいことをしてきたか…

正しい戦争なんてないというバナージを
食卓から引っぺがすように外に連れ出したのは
マリーダ・クルスでした。

マリーダはバナージを教会へ連れて行きます。
宇宙へ棄てられ、依る瀬なかった人たちには
“光”が必要だった。

そんな話しを聞かされたバナージは
父が言った言葉を思い出しながら、
人や戦争について考えます。

以下、一部引用します。

 光。内なる神。
可能性や希望といった言葉に置き換えられるなにか。
それはきっと、誰の中にもあり、
人それぞれに異なるものなのだろう。
だからお互いに響き合えるし、時には争いもする。
そして異なるものに対して警戒感を持てば、
自らの戒律や正義を唯一無二のものと規定し、
強化して、生き方そのものを
硬直させてしまう過ちを犯したりもする。
 その瞬間から、人は神を殺し始める。
可能性を殺し、世界を規定し、狭い固定観念に陥ってゆく。
倫理や道徳という重石を一方に置き、
常に揺らぎ続けるのが価値観というものなのかもしれない。
そうでなければテロリストと“規定”したマリーダと
こんな時間を持ち、互いの心を見せ合うこともなかった。
それは愚かという以上に、もったいないことなのだから……。
(P87より引用。改行はブログ筆者による)


人は、心の中に“光”を持っているから
思いやり助け合うこともできる。

でもそれは人それぞれに違いもあって、
違っているものには警戒心を抱く。

警戒するれば、自分を守るために構える。
それが自己防衛本能。
そして、自分の「こうあるべき」というルールを
さらに強く決めつけることで強化して
固定観念化され、一緒に可能性も殺されていく…

そして、人と人が争う。

でも、もともと価値観というものは
変わっていくものですよね。

文化や習慣によって全然違うし
また、個人の成長とともに変わっていくものでもある。

それなのに、その成長の可能性まで摘んで、
「こうあるべきだ」と決めつけてしまった時に
成長は止まり、可能性も消え、
他者と自分の違いを許せなくなる。

国と国の戦争だけではなくて、
わたしたちの日常、身の回りで、
当たり前のように繰り広げられている光景ではありませんか?

しかも残念なことに無自覚に。

よく離婚する人たちが
「こんなはずじゃななった」「失敗した」
と言いますが、失敗の原因は
自分の価値観を守るために頑なになり過ぎたことです。

自分の中では「相手が悪い」「価値観が違った」
と相手や価値観のせいにしていますが、
それも自己防衛本能。

辛辣な言い方をさせていただくなら
「自分の弱さ」「自分の器の小ささ」
に他なりません。

違って当然。変わって当然。
まずはそれを前提にしないと、
自分を固定しすぎて、排除しなくていい人、
もっとも大切であるはずの人を
“わがまま”で排除してしまう。

しかも無自覚に。

本当に気を付けて、
自分の心と向き合いたいところですよね。



               全ての物語のために











posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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