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2016年04月05日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #3 赤い彗星」その2 息苦しい世界からチョコンと頭を出してみる感じ



人の思いは人の思いによって伝染する。

わたしは物語…とくにエンターテインメントに
その感動をたくさんもらってきました。

だから、ほかの人にも
もっともっとそういうものに触れて欲しい
と思っているんですね。

だからやれることをやろうと思って
このブログをやっています。

いつか違う形になることが来るかもしれないし
いつか止めてしまうときも来るのかもしれない。

でも、自分が感じたことで
誰かが何かを感じ、
その人がより良い何かに気付くキッカケになったり
その人が感じた何かによって行ったことで
またほかの誰かが何かを感じる…

それが、悪意の感染ではなく、
みんなが幸せになっていくための伝染であって欲しい。

そのために必要なことは、
やっぱり発信する自分がもっとも
心を動かされていることを元に
発信した方がいい。

たぶん、社会を健全にするには
健全な心の循環が必要で
健全な心というのは
健全な心によってより健全に震えて
健全な力になる。

一番つよい健全さを求めるなら
やはり自分の中、自分の源から湧き上がる
衝動に従ったほうがいい。

わたしにとっては、
わたしの中の源を震わせたのが
物語だったんですよね〜!



小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第3巻 「赤い彗星」 福井晴敏 著 角川書店
を再読中です。

主人公バナージが気を失っている間に
幼少期の記憶にまつわる夢を見ている描写があります。

以下、引用しますね。

 父さんの大きな手に抱え上げられ、
バナージは中央に天幕が描かれたタペストリーを見る。
傍らの侍女が捧げ持つ首飾りを収め、
天幕に入ろうとしている女の人。
天幕の上には、
昔の言葉で「私のたったひとつの望み」と書いてある。
前に教わった通りに読み上げると、
父さんは『偉いな。憶えているのか』と嬉しそうに笑う。
 でも、「私のたったひとつの望み」がなんなのかは、
父さんにもわからない……。
『わからないから描く。考える。
これは人間だけに与えられた能力だ。
このタペストリーに描かれたユニコーンも、
いま聞こえている音楽も、
目や耳から入ってその人の心に訴えかけてくる。
五感では感じられないなにか、
いま現在をこえるなにか……。
それは神と呼ばれるものかもしれないし、
人の願望が創り出した錯覚でしかないのかもしれない。
だかその存在を信じ、世界に働きかけることができるなら、
それは現実を変えることだってある。
 わかるか、バナージ。人間だけが神を持つ。
理想を描き、理想に近づくために使われる偉大な力……
可能性という名の内なる神を』
 全部はわからない。
でも大事なことを教えようとしている
父さんの気持ちはわかる。
バナージはじっと父さんの顔を見つめる。
(P34〜35より引用。改行はブログ筆者による)



祖父や父、そして先輩方の年代のおかげで
わたしたちは“豊か”な国に生きています。

捨てるほどある食料を
どれだけ詰め込めるか?
なんて競技をみてワイワイ言っていられるほどです。

昔のように殺し合いが見世物になっているような
野蛮な時代に比べるとずっといい。

でも、一方で、その豊かさを手に入れる過程で
おざなりにされてきたモノがあります。

効率や実利といった数値化できる“結果”ばかりが
追い求められる中、人の思いというものは
“生産性”の枠外に追いやられてきました。

わたしたちひとりひとりの思い。
わたしの心。あなたの心。

本来、社会というのは
人が幸せに生きていくために誕生した
人間の共同体ですよね。

みんなで助け合って生きていこう。

というのがその根源。

それが、いつの間にか立場が逆転して
その共同体である社会を効率よく存続させるために
わたしたちの心が犠牲になり
歯車としての役割しか見いだせずにいる人がいる。

いや、歯車としての役割すら
見いだせずにいる人もいる。

本来、社会の歯車にならないといけないワケではないですよね。
そうなれなければ生きる資格がない。
自分の居場所がない。

…みたいな感覚。

でも、こういう話を持ち出すとどうも
辛気臭くとられることがあります。

わたしは、こういう思考の枠から抜け出すことを
いつも考えています。

確かに人間のための社会のはずが、
いつの間にか社会のための人間…

みたいな、“勘違い空気”が蔓延していますよね。

それは違いますよ、確かに。
でも、みんなで助け合って生きて行こうね
といって寄り集まってできている以上
何かしらの役割も確かにある。

わたしが現時点で思っているのは
この“社会の役に立つ”ということへの
認識の大きさの問題があるんじゃないか?

ということ。
たとえば寝たきりの人も
社会に役立っていると思えるかどうか?
だと思うんです。

認識で言えば、社会と人の役割の逆転を感じたところで
それを結論として意識の中で固定してしまう…。

という思考停止にしてもそうです。

役割が逆転している部分が多くあるのは
確かにそうです。

特に組織の中で働くサラリーマンの社会では
そういう部分は非常に大きいでしょう。

そして、そういう会社に従事するための
学力をつけさせることが“教育”だと思っている
親御さんや、そういう中で生きている子供たち…

彼らにとっても息苦しいことこの上ないはず。

でも、そういいながらも世界は
どんどん進んでいます。

わたしは今更ながらスマホを手にしましたが
これだって、確かに効率化を促進する
いい道具になりますが、
その道具が誕生する源は、
やっぱり人の思いであるはずなんです。

大きく世界を見渡せば、
今この世界も人の思いによって動いている。

かといって、組織維持や
利益追従のための効率化で
犠牲になっている人が多いのも事実。

問題は、そんな社会を見て
「そんなもんだよ」と斜に構えるのではなく
被害者ヅラするのでもなく、
どんな視点にたって何を為すか?

それだけのこと。

それだけのことが難しいから
悩み苦しむんですが、
でも、やっぱりシンプルで、
やるかやらないか…ですよね。


            全ての物語のために












posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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