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2016年04月01日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #2 ユニコーンの日(下)」その3 わかってもらえないもどかしさを感じたら



わたしは今日本語で文章を書いています。

しゃべるのはあまり得意なほうではないですが、
文章を書くのは好きです。

わたしが日本で書いているので
日本語を読めるあなたに伝わっている。

でも、『どこまで』伝わっているのか?

という点でいえば、それは
読んでいる人それぞれによって
全く違ってくるでしょう。

なぜなら、一つ一つの言葉に対する
認識、感じ方、抱くイメージ…
そういうものは人それぞれだから。

たとえばわたしがここで
『言葉』という単語を使ったとします。

その『言葉』という単語に対して
あなたがどのような理解や解釈をするかは
わたしには計り知れない。

あなたが人の『言葉』を信用して裏切られて
『言葉』=『言葉では何とでも言える…』=『上辺』
というイメージを持っている人かもしれない。

でも書いたわたしは
『言葉』=『言霊』=『魂』
と思っているのかもしれない。

その2人が『言葉』という単語を使って
何かを伝えあった時に、
お互いが伝えたかったことを
その感覚まで正確に理解しあうというのは無理です。

これは例として分かりやすく対比させましたが、
本来は、認識が重なり合う部分や、
まったく相容れない部分の組み合わせが、
人の組み合わせの数だけ…いや、
人の成長を考えれば、
その瞬間ごとの組み合わせの数だけ
存在することになりますよね?

同じ言葉を話しているはずなのに
なぜか通じない!!

なんてことが起こるのは当然です。
ひとりひとり、一つの言葉に対する認識が違うのですから。



原作小説の映像化作品の宿命ですが、
この作品もアニメでは描かれない登場人物たちの
思考がリアリティを持って描かれます。
「ガンダム」という作品を『ただのロボットアニメ』
としてしまうにはあまりにももったいない。
一冊読むだけで、心に響く箇所がいくつも出てくる
学び多き作品です。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第2巻 福井晴敏 著 角川書店
「ユニコーンの日(下)」

再読破しました。

前回紹介した、描写はバナージに助けられたオードリーが
民間人であるバナージを巻き込まないように
「必要ない」と追い払った後、
一人の空間でひとりの少女として、
バナージのことを思い出すシーンでした。

その思いにふけっていた直後、
会うべき人・カーディアス・ビストが
客室を訪れ、その思考は中断させられます。

そして、改めて伝えるべきことを
伝えなおそうとするオードリーが描かれます。

『袖付き』を軍事組織として成長させたフル・フロンタル。
赤い彗星シャア・アズナブルの再来と言われる彼に
「ラプラスの箱」がわたるのは危険…
それをカーディアスに訴えたいオードリーでしたが、
カーディアスは箱の譲渡を中止するつもりはない様子。
その時のオードリーの心情は…

以下、本文を引用します。

軍事組織として先鋭化することが、最良とは思えない。
現状を変えるにしても、変え方というものがあるはずだ。
言葉にすればそれだけのことなのだが、
それだけのことでしかないという自覚が、
オードリーの口を重くした。
自分の立場で戦争を、
軍隊を否定する矛盾は百も承知している。
そういうことではなく、
いまの流れは危険だと伝えたいだけなのに、
危険の中身が説明できない。
自分の直感や感覚を正直に話そうとすると、
なにも言えなくなってしまう。
そのもどかしさ、己の無力に対するいら立ちが渦を巻き、
無為に座り続ける体を震わせた。
言葉なんて使わずに、
自分の思惟を他者に知らしめる方法があったら――。
「あなたは聡明な方だ。立場に見合う責任感も持っておられる。
しかし、まだお若い。
心中はお察しするが、それでは人は説得できない。
本当のニュータイプにでもならない限り」

(※より引用、改行はブログ筆者による)



最後のセリフは言いよどむオードリーと対峙した
カーディアス・ビストの言葉です。

オードリーは伝わらないもどかしさを感じているようですが、
実際には伝わっているのでしょう。

でも、本当の意味で自分が感じていることを
感じているように相手にも感じてほしい…

この時のもどかしさはそういうものですよね。

このもどかしさを感じて、
そういうものだと引き受けられる人や、
引き受けようとしている人は“大人”ですよね。

残念なのは、もどかしさにイラついて
「わからんのか!お前はバカか!」
とわめき散らすような大人が多いことです。


わたしも以前、同じようなもどかしさをテーマに
短編映画を作ったことがあります。

自分そっくりのアンドロイドにAIアプリケーションを
『頭脳』として搭載し、自分の意識をコピーする。

そして、全人類をそんなアンドロイドにして
『頭脳』ごとネットワーク化しちゃおうと企む奴を
悪役として登場させました。

彼の望みは
「分かり合えないことで起こる争いを無くすこと」

一見崇高なことですが、それを無理やり推し進めるのは
結局はエゴ。

分かって欲しい!分かり合いたい!
という思いの押し売りだよね。

ということで、そのアンドロイドや
AIを開発した科学者が
そんなことをさせるために作ったんじゃねぇよ!

と、抵抗する。そんなお話でした。


オードリーの思考の後にカーディアスが言います。

「心中はお察しするが、それでは人は説得できない。
本当のニュータイプにでもならない限り」

ニュータイプというのは最初の「ガンダム」から登場する
“人の革新”という意味で、
宇宙に出るようになった人間は、
それまで使わなかった脳を使うようになり
相手の思惟を寸分たがわず理解しあえるようになる…だろう

という描かれ方をされている存在です。

それは、希望であったり、エスパーであったり、
ただ勘の鋭いエースパイロットであったり、
化け物であったり…

「ガンダム」の世界の中でも奇異なものとして
扱われますが、
お話の中でもほとんど都市伝説化しているような存在。

でも、このような願望は
人間はみんな持っているんですよね。

心理学では一体感願望という言い方を
されることもあるそうです。

前回取り上げた
「ルパン三世(第4シリーズ) 第24話(最終話)」で、
自分の意識を他人の脳に植え付けて
自分の意にそぐわない人間は
みんな自分の人格にしてしまおうとしたダ・ヴィンチ。

あれも、要は同じような願望が
根っこにあるのではないでしょうか。

しかし、この「ガンダム」シリーズでは
そのニュータイプ同士が戦います。

分かり合えるはずのニュータイプ同士なのに…

実際にニュータイプは相手が感じていることを
言葉を超えて感じ取ることができるように
描かれています。

でも、その感じ方が、自分の感じ方と
相容れないと不快感を感じるのか
「なんだこのザラザラした感じは?」
なんて言っていたり、
「土足で人の心に入り込むな〜!」
みたいにキレちゃうニュータイプもいます。

相手がどんな感覚で何を考えているか?
その思惟がそのまま分かったところで
それを受け取った人が
今度はどう受け止めるか…?

という問題が出てくるよね?
ということなんでしょう。

だから、わたしたちは
“みんな違う”ということを了解したうえで
その違いを受け入れる。

結局は、どれだけ違いを違いとして
受け止められるか?
というのが人間同士の成長ということなのでしょう。

本当の意味で“分かり合う”というのは
わたしとあなたは違うよね
ということの了解のし合い方。

それがこれまた“みんな違ってみんないい”
という言葉に言い表されているんだな〜


              全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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