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2016年03月29日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #2 ユニコーンの日(下)」その2 女心、顔で笑って心で泣いて…



夫婦も年月を重ねると、日々のこまごましたことに
いちいち目くじらを立てるようになってしまい、
そんな自分に反省することがあります。

ちょっとした言葉尻をマイナスに捉えたり
たまたま消し忘れていた電気を
「『いつも』消し忘れてる!」と責めたり…

これって、目の前のこと、
特に表面上に現れていることだけしか
見れていない上に、
自分の感じ方だけにとらわれて
いっぱいいっぱいになっている状態ですよね。

自分の不快感にいっぱいいっぱい。

余裕がなさすぎる。

でも、付き合っていたころ、
出会ったばかりのころって、
もっと違うことを優先していたハズですよね。

顔で笑って、心で泣いて…

元気そうに見せているけど、
今日はちょっと元気ないぞ?

とか、相手の様子や気持ちを含めて
考えてあげられていた。

そういうこと、本当はできる。
自分にそう確認しながら、自己反省です。



テレビアニメのスタートを目前に
角川書店からは、全10巻で終わったはずのこの作品の
第11巻が発売されました。
どうやら、福井晴敏さんのガンダム作品短編集のようです。
どのタイミングで読もうかな♪

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第2巻 福井晴敏 著 角川書店
「ユニコーンの日(下)」

をもうすぐ再読完了します。

バナージに助けられ、メガラニカに到着したオードリー。

会うべき人…ビスト財団当主の
カーディアス・ビストにあいました。

しかし、カーディアスは民間人であるバナージを
メガラニカから追い出します。

初めはバナージも抵抗しますが、
オードリーにも帰れと言われ…

それが、第1巻の終わりの当たりでした。

第2巻では、ビスト邸でもてなしを受けたオードリーが
ひとりで客室にいる時に、客室の羊飼いの絵を見ながら
モノ思いにふける描写があります。
一部引用します。

労働の刻苦を滲ませながらも、
広い世界を映そうとしているまっすぐな瞳。
ふと、バナージ・リンクスという名前が思い出され、
オードリーは奇妙な疼きを胸に覚えた。
好ましい異性というわけではなく、
顔の作りもつぶさには憶えていないのに、
あの手のひらの感触ははっきり肌に残っている。
大義からでも忠誠からでもなく、
ただ感情に任せて張りついてきた手のひらの持ち主は、
この絵に描かれた羊飼いの少年にちょっと似ていた。
おとなしそうでいて、無遠慮に斬り込んでくる瞳の色――。
『君が誰だってかまわない。必要だって言ってくれ』
 耳の奥に残った声が、部屋の静寂を揺らして
頭の中を行き過ぎる。なんてことを言うのだろう。
いまさらながら呆れ、オードリーは小さく苦笑した。
会って間もない、素性もわからぬ相手に
迂闊すぎる物言いだと思うが、あの一瞬、
バナージの目は本気だった。
この絵の少年と同様、
なにかを希求する切実な光がその瞳に宿っていた。
意識して切り離す言葉を出さなければ、
自分はあの光に引き込まれていたかもしれない。
あれからどうしただろう?無事に学校に戻れただろうか?
「必要……だったのかしらね」
 あの手のひらが引っ張ってくれたら、
いますぐここを抜け出すことだってできるだろうに。

(以上「機動戦士ガンダムUC 第2巻より引用※改行はブログ筆者)



オードリーはバナージに「必要だと言ってくれ!」
と言われて強い瞳で、「必要ない」
とハッキリと拒絶して見せました。

反地球連邦政府組織の御姫様と
民間人の高専の学生。

戦争を止められるかどうかという
大局に巻き込んでいい相手ではない。

オードリーの立場からすれば
それがバナージへの責任でした。

でも、ひとりになり、ふと上記のような思考がめぐる…

お姫様とは言え、バナージと同じ16歳の少女。

ひとりの少女としての胸の疼きが
とても良く描かれていますよね。

ようは、バナージの真っ直ぐな思いに
ハートを射抜かれたんじゃないの!?

と、デリカシーに欠けるオジサンとしては
ニヤケてしまったりもします(笑)


「必要ない」

この拒絶は、男には相当辛いものがあります。
このやり取りはアニメでも描かれますが、
やはり痛々しいです。

でも、その冷たくも見える厳しいオードリーの表情の下では
このような乙女心の種が植え付けられていた…

顔で笑って心で泣いて…
と同じですよね。

表面上の反応だけにとらわれていたって、
どんな人間関係も上手くいかない。

本当は自分がどう感じているのか?
本当は相手がどう感じているのか?

それを感じとれる力というのは
本来誰にでもある。

11歳の息子を観ていても思います。

日々の忙しさにかまけて
表面上のことでいっぱいいっぱいになっていることが多い
わたしたち両親よりも、
ずっとずっと、家族全体の“気分”を察知している。

わたしたちは日常にかまけているだけ。

生活に“追われる”といいますが、
本当でしょうか?

もしかしたらそう思い込んでいた方が
繊細な感受性を働かせるという
「面倒なコト」をしなくていいから、
そのための言いわけにしてしまっているんじゃないか?

愛する家族を守りたいのなら、
そんな自分としっかり向き合ってみよう

…と思えますよね。


                 全ての物語のために




















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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