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2016年03月23日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #1 ユニコーンの日(上)」その3 流される感覚と今を本気で生きる感覚のギャップを意識する。


わたしは現在40歳です。

ジャッキー・チェンが好きなまま、「ガンダム」が好きなまま。
キャプテン・ハーロック、ルパン三世、銀河鉄道999…

子どものころに好きだったものを好きなまま
大人になりました。

鏡を見ると、頭の左右の白髪の量が
ここ数年で極端に増えました。

息子にも「チチ、…白髪増えたね…」
としみじみ言われます。

「大人になりました」

ホンの5年ほど前は、まだこの言葉を
自ら口にするのもはばかられるほど、
自分の幼さを感じていました。

一人前じゃない自分を。

でも、ここ数年は、ジャッキー・チェンが好きでも
ガンダムが好きでも、それらの見かた自体が
大きく変わってきていることを実感しています。

それでもまだまだ、自分の中にある
「甘さ」やあまり好ましくない意味での「のんきさ」
自覚して、幼さを残している自分を知っています。

ただ、これからはその幼さも
単純に未熟者の証として捉えるのではなく
純粋さの象徴としての大事な部分と
未熟さとを見極めて、
自分の中にある核を削り出していく時なのかな…

と感じています。



以前この小説を取り上げたのがいつだったか?
記録を確認していみたら、2013年でした。
もう、2年以上はゆうに過ぎているんですね〜。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
福井晴敏 著 角川書店
第1巻「ユニコーンの日(上)」

バナージは戦争を
遠い世界の出来事としてしか知らずに育ちました。

わたしもそうです。

バナージはスペースコロニー・インダストリアル7の
人工の空の無重力帯に堕ちた少女、
オードリー・バーンを助けた後にオードリーに言われます。

「合わなければならない人がいるから
そこまで連れて行って欲しい」

と…

しかし、そこは民間人は立ち入り禁止地区でした。

そこに行くと決めている瞳を向けてくるオードリーは
自分がそこに行くのは戦争を起こさないためだと
バナージに説明します。

オードリーが発する「戦争を止めるため」
という言葉に、本物の何かを感じるバナージですが、
専門学校に通う一般人の少年に
急にそんなことを言われても「無茶言うなよ」と
返すの精一杯でした。

バナージは、日ごろから普通に学校に行って
みんながそうするからという理由で普通に就職していく…
という流れに流されていることに、
「ずれている」という感覚を持っていました。

一方、オードリーは、時に戦争の首謀者の子であり
時にテロリスト集団の渦中のお姫様であり…
常に戦争を現実のものとして生きてきた少女です。

自分が統治側の身分にいる組織が、
今また戦火を口火を切ってしまう可能性がある。

それを止めるために自ら密航して
「会うべき人に会って話さなければならない」
という思いを胸に、自ら命を懸けて、
すでに行動を起こしその行動の過程で
バナージに出会ったのです。

今まさに、世界のためにすべきことを
自ら考えて行っている瞬間を生きている。

そんな彼女が、
戦争なんて遠い世界の出来事としか思っていない、
普通の生き方に流されている少年・バナージに
「戦争を止めるため、そこに行きたい」
と伝えたわけです。

ここで描かれている対比こそ、
流されてい生きている人と
今を本気で生きている人の対比です。

戦後の貧困の中で生まれて
必死で高度経済成長を担ってきた
団塊の世代が
「君は生き延びることはできるか?」
というメッセージを団塊ジュニアに送った作品。

それが「機動戦士ガンダム」という作品でした。

わたしたちは毎回このアニメが終わって
次回予告を見るたびにこの
「君は生き延びることができるか?」
というフレーズを聞かされました。

そんなガンダムを見て育った世代に向けて
書かれた小説がこの
「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」です。

この小説発売時の特別仕様の帯には
『生き延びることはできた、君は今、何を為すのか?』
という言葉がつづられています。

そして、その下には、作家・宮部みゆきさんの言葉…

「ガンダム?モビルスーツ?
いえいえ、本書は未来の若者たちのための、『戦争と平和』ですよ」

…が、紹介されています。

子供のころに「ガンダム」を見て育った現代の大人と
未来の若者=現代の子供たちのためのメッセージ…

その第一巻で描かれている、
流されて生きている少年と、今何かを為さねばと、
行動を起こしている少女の対比。

わたし自身、組織の中でも外でも
いまだに周囲の人と自分を比べて
このギャップに苦しむときがあります。

ただひとつ違うのは、
これまではすべてにおいて
自分が「流されていきている」側だったのが、
最近になってようやく
反対の立場でのギャップを感じることも
出てきました。

まだ、その比率が逆転するほどではありませんので、
未だ“焦っている”わたしですが、
それでもこれは大きな変化だと感じています。

自分が「何かを為さねばと、本気で行動している」側
にいて、対面する相手が「流されている」側にいる
そのギャップ感じる機会が出始めた。

どんな物事に対してか?

ということにもよるのでしょうが、わたしの場合は、
それが急に起こったわけではないように感じています。

ずっとこのギャップを意識して、
自分が本気で行動している側に立つことを
意識して生きてきたことの積み重ねが
あるとき自然と立場の逆転を作り出した…

そんな風に感じるのです。

もちろん、今この瞬間に決断して
行動できることもあります。

その場合は一瞬で、その対比上での立場を
逆転することができるでしょう。

一方、“親をやっている感覚”みたいなものは
時間がかかります。

いずれにせよ、その立場を認識するためには
自分が今どちらなのか?
を俯瞰して認識できている必要がありますよね。

わたしたちは今、何かを為しているのか?
わたしたちはこれから、何を為すのか?

子どもたちが未来で更なる何かを為すために、
今できることを、
子供たちに魅せていきたいという欲求があります。

かっこ悪く転ぶところを見せてもいい。
そこから起き上がるカッコよさを魅せられればいい。

肩に力を入れない感じでそれを実現していきたい。
わたしが為したいことはそんなイメージです。


               全ての物語のために

















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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