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2016年01月05日

「クリード チャンプを継ぐ男」その2 たたかう相手は“もう一人の自分”なのはわかっていたけど…



東京で独立してフリーランスで
カメラマンをしている親友がいます。
仕事のかたわら、自前のカメラを担いで
日本全国飛び回るアウトドア派のマッチョマン。

柔道と極真空手の有段者です。

彼の学生時代の口癖は、
『敵がいないと強くなれない』
でした。

つまり、勝つべき相手という目標を定めて、
その相手を倒すために強くなる…
というのが彼の成長の仕方でした。

わたしは中国武術をやっていましたが、
闘争心というのを気心知れた相手に向けるという感覚が
どうもピンとこない。

そもそも争いを好まない性格。

そんなわたしがなぜ武術なんだ?
ということですが、やはり男なので強くはなりたい。
でも人と比べて強いかどうかは
護身術程度でいいと思っていました。

それよりも、自分の体をコントロールする能力を
つけたかったので、自然と表演武術に興味が向きました。

型を練習して、人前で披露してナンボ。
実戦派の人たちからは
『見世物』なんて言われて馬鹿にされたりもしますが、
わたしとしては『誰よりも強くなってやる!』なんて言って
「K-1」に出たりするわけでもないので、
自分が自分に望む最低限の運動能力と
同時に武術を通して精神修養ができれば満足でした。

そんなわたしに、マッチョ親友は言いました。
『お前らしい』と…。

彼の見立てでは、わたしは他者を敵と見なすのではなく
「自分自身との戦い」により成長していくタイプのだとか…

そんな風に言われて、悪い気はしないのですが
こそばゆさも隠せません。

だって、自分には負けまくっているから(笑)



久しぶりに劇場でいい映画を観ました。
素敵なシーンがたくさんあって、最後まで見ると
本当にこの映画を好きになれる。
観終わった後にプラスの感情が湧き出して止まりません。
なので、

「クリード チャンプを継ぐ男」

ひとまず次回まで、取り上げさせてください。

なかなか日の目を見なかった役者、
シルヴェスター・スタローンが自ら脚本を書き
出演料は極端に下げられても自分が主演することにこだわって
見事歴史的な作品となった「ロッキー」

スタローンのライフワークといっても良いほど
彼の役者生命ともリンクしてくるこのシリーズは
2006年制作の6作目
「ロッキー・ザ・ファイナル」で一応は完結しました。

「クリード」の公開を知ったとき、
わたしが真っ先に確認したのは、
脚本と監督を誰が務めるのか?
でした。

「ロッキー」シリーズは全てスタローンが脚本を書いています。
第1作目と第5作目の監督はジョン・G・アビルドセン。
「ベスト・キッド」シリーズの監督でもあります。
「2」「3」「4」「ファイナル」はスタローン自身が監督も兼任。

特にわたしは「ファイナル」を観たときの感動が凄くて、
映画の枠を超えたとてつもない力を感じます。

ロッキーシリーズ以外でも、
スタローンの脚本作品は大好きで、
スタローンが出演していなくてもチェックしてきました。

ましてやスタローンと共に歩いてきた感のある
ロッキーの物語世界の話ですから、
わたしとしてはスタローン脚本以外に考えられませんでした。

なので、スタローンが脚本を書いていないことを知ってからは
自然とあまり期待しないようになっていました。

しかし、心配は不用でした。

旧シリーズのファンが新シリーズを受け継ぐと
残念な感じになってしまう作品は多々あります。

でも、この「クリード」は、
「ロッキー」シリーズがただのボクシング映画ではなく、
登場人物たちの人生の物語であることを
よく理解している人が作っているのが
ちゃんとわかりました。



ドラマ部分でのテーマやメッセージの
伝え方が上手くてわかりやすい。

その上手さに唸った表現がありました。

人生で目の前に立ちふさがる本当の敵は
常に自分自身なんだということを
ビジュアルでわかりやすく伝える。

どう伝えるのかはネタバレにもなりますから
観ていただくとしましょう。

これがちゃんとラストでも効いてくるんですね。
ロッキーシリーズすべてに貫かれている
ネバー・ギブ・アップ精神にも通じるところでしょう。

ロッキーシリーズは、ボクシングを
人生の縮図として表現しています。

観客が自分の人生に当てはめて
「自分も頑張ろう!」
と思える代表的な作品ですね。

ダイエットを決めたはずなのになかなか続かないとか、
英会話の勉強を「やるぞ!」って一時期おもったけど
いつも3日坊主でやめちゃうとか…

仕事でも、自ら率先して責任が発生するポジションに
就く意思表示をする勇気を出す必要があったり…

決断や実行には常に“もう一人の自分”
との戦いがありますよね。


わたしは、気心しれた人たちと戦えない…
この感覚と、
結局“もう一人の自分”に負けることが多いという感覚は
どこかつながっているように感じています。

わたしが「自分との闘い」という言葉を使うとき
わたし自身のこの言葉への捉え方に
未熟さを感じるのです。

それは“敵”とか“たたかう”という言葉の
受け取り方にあるのかも知れません。

倒すべき敵=否定すべき対象
たたかう=敵をやっつける

わたしの中にどこかそういう捉え方がある。

だから気心知れた知人に闘争心は向けられない。
自分自身を否定すべき対象だなんて思えない。

“もう一人の自分”に負ける。

例えば部屋の掃除をしないといけないけど面倒くさい…
となかなか重い腰が上がらないのは、
怠惰な自分という“もう一人の自分”に負けている。

勇気を出して決断をしないのは分かっているけど
なかなか決断できない。二の足を踏んでしまう…
という場合は“臆病な自分”に負けている。

事実そういう側面もあるのですが、
こんな風に考えてしまうと結局「自分はダメな人間だ…」
って思ってしまうんですね。

これはこれで問題。
潜在意識レベルでダメな自分というイメージに
結果を合わせようとしちゃいますから。

そこで、
自分に厳しく、やるべきことをやれている人を
じっくり観察していると、大きく分けて
2通りのパターンがあることに気づきました。

自分に厳しくできているから、人にも厳しくて
ピリピリしている人。

自分には厳しいのだろうけど、普段はおおらかで
人に対して広くて深い懐で接している人。

どちらが当人が幸せなんでしょう?

当然後者ですよね。

どうしたらそういう人になれるのか?
どうしたらそんな心持ちで生きられるのか?

それを想像すると、自分に厳しいことは前提にあるんですが
それだけだとうまくいかないんです。
ダメな自分を倒すべき敵だとみなしていると
どうもそんな風に大らかに、ニコやかにはいられない。

彼らは、どうやらダメな自分とも
うまく付き合っているようなのです。

否定するのではなくて、
むしろ、それも自分の一部として愛し受け入れている。

「ロッキー」「ロッキー2」の宿敵、
アポロ・クリードは、「ロッキー3」では親友になります。

本気で拳を交えた相手とは尊敬しあえる…

だから、彼らが言う“たたかうべき敵”とは、
否定してしまう相手ではなく、
ぶつかり合うことでお互いを認め合い
尊敬しあう仲になる対象…

ということなのでしょう。

そのことが、この「クリード」を観た後
いろいろ考えて整理できてきました。

自分の甘さというか、
いまいち自分とも本気でぶつかっていない。
どこかにブレーキをかかってしまっていた。

わたしは息子の人生を信じているように
自分自身の人生をもっともっと信じて
自分とぶつかっていいんじゃないか?

やっとわかってきました。

映画を見て成長できる。
しかもそれが大好きな「ロッキー」シリーズの
魂を正式に継承した作品…

やっぱり映画っていいですね〜!!


                 全ての物語のために









posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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