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2015年12月05日

アニメ「ルパン三世(第4シリーズ) #6 満月が過ぎるまで」凡人がカッコよく生きるには?



わたしが孤高のヒーローにあこがれるのは
自分がカッコよくキメたい願望があるのに
なかなかキメられないからかもしれません。

自分はやっぱり目立つヒーロータイプではない。

孤高のヒーローは、
ストーリー上ではそのヒーローが
主人公となっています。

だから、わたしたち観客からはカッコよく見える。

でも、そのヒーローたちは
多くの場合、その他の登場人物を
彼らの人生の主人公とすると
サポート役であり、主役ではない。

ヒーローたちの善行が
誰かの目に留まる物語もありますが、
誰の目にも留まらず、
わたしたち観客にしかわからないということも多い。

他者からの賞賛や感謝を求めているわけではない。
ただ、淡々と自分の正義に従って生きているだけ。

人知れずに事がおさまるなら
それはそれでわざわざアピールする必要はない。

孤独だけどカッコイイ。

現実のわたしは、人に認めてもらいたいという
願望があります。

褒められると嬉しい。

でも、多くの場合はそんな自分のことなんて
どうでもよくて、誰かのためにやる行動なら
その誰かのためになればそれで終わり。
自分が目立つようにアピールされる時は
ただそれが必然なだけ。

それが誰の功績や助力であったか…
それを周囲がどう受け取っていようがどうでもいい。
本筋の目標が達成された時点でその件は終了。

それを受け入れるのに、
孤高のヒーローたちの心意気を
目標・お手本にしたいと思う。

だから、わたしは孤高のヒーローに憧れる。
ということなんだと理解しています。



なんとなく後回しになっていたのですが、
4話、5話面白かったのでわたしの中で
エンジンがかかってきました。

アニメ「ルパン三世(第4シリーズ)」

第6話「満月が過ぎるまで」


を観ました。

亡き夫の隠し財産の在り処を知っていると
噂されている未亡人エレナ。

その他大勢の隠し財産を狙う輩の中に
当然われらがルパン三世一味もいました。

ルパンからエレナを守るために現れた銭形。

エレナと銭形は、ルパンの手から逃れるために
エレナの山荘へと身を隠します。

しばらく二人だけで過ごしているうちに、
疑心暗鬼だったエレナは
徐々に銭形に心を開いていったように見えます。

しかしエレナはどうしても銭形を信じきる事が出来なかったのか
山荘をひとり飛び出してしまいます。

エレナを追って出た銭形を待っていた真実とは!?



4話目は次元大介、5話目は峰不二子に
各話フィーチャーされた話でした。

今回は銭形です。

もっともポピュラーなTV第2シリーズでも
銭形が本気になればルパンたち全員を
たちまち捕えることはできる…
ということを描いた回がありました。

原作者のモンキー・パンチさんが
初めて監督をつとめた劇場版、
「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」
でも、おちゃらけよりも凄腕として描かれた銭形。

今回も、“カッコイイ”銭形が描かれます。

原作コミックやTVの第1シリーズを観るとわかりますが、
もともと「ルパン三世」は
ルパンと銭形の“奇妙な友情”みたいなものが
作品全体に流れるテーマとしてあります。

多くの話で銭形はただルパンを追いかける
ドジな刑事みたいな扱いになってますが、
本来はルパン一味にも
その実力は認められている一番の“強敵”
なんですよね。

そんなやり手の銭形だから
いつもはドジを踏んでいてもキメるところはキメる。

そしてそれがとても様になる。

…ところが…

ルパンたちや銭形のように、
もともと“やり手”でないわたしのような凡人は
そうはいかないわけです。

キメたいときにキマらないのは当たり前で
頑張っても頑張ってもやっぱりキマらない…

という、まあ、およそヒーローとは無縁の
間抜けさがあるわけです。

カッコつけたくてもカッコつかない
わたしのような凡人はどうすればいいのでしょうか?

…お察しの通り!

いさぎよさです。

諦めるということではありません。
スマートにカッコよくはできないということを
いさぎよく認めて進む。

進むということは、
何度でもトライアンドエラーでカッコ悪くても
泥臭く淡々と突き進むということですよね。

カッコ悪さもその責任も自分で引き受ける。
そういう意味のいさぎよさですね。

多くの人からは見た目通りに
やり手じゃないダメな人、できない人に映るでしょう。
それでも、
自分の視点というのを諦めずに持ち続ければ
やり手の人には気づかないことに気付ける瞬間もくる。

それでもカッコよくはキマらないことのほうがほとんどでしょう。

でもそういう境遇をまるごといさぎよく引き受けたうえで
諦めずにやる。

わかる人にはそのカッコよさがちゃんとわかります。
見た目のカッコ良さではない心意気のカッコよさ。

理解されるためのいさぎよさではなく
理解されないことまでいさぎよく引き受けるカッコよさ。

現実には多くの人から“主役”として
フィーチャーされません。
自分の中で認識できるだけ。

これは、やり手とか凡人とか能力には関係ありません。

だれでも持てるけど、
多くの人が持とうとしない、勇気の話です。
でも、孤高のヒーローと全く同じマインドです。


                  全ての物語のために









posted by ストーリーセラピスト at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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