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2015年10月16日

ドラマ「無痛〜診える眼 #1」正義感と憎しみのボーダーライン



たま〜に、マイナスの妄想ばかりすることがあります。
思考がマイナスになってしまう。

特に妄想となると、街を歩いていて
ちょっと危険な状況に遭遇したり、
目撃したりしたりするとそれがきっかけで始まります。

例えば、歩いている子どもと
歩きたばこのオジサンがすれ違うとき、
ヒヤッとしたりすると、
その煙草をひったくって
オジサンの眼の前にズンッと近づけてやりたくなる。

とか、

そういうことがキッカケでどんどん妄想が膨らみ
もしあれが自分の子供だったら…
とか、自分の子供がオジサンに注意をして
オジサンが逆切れして子供に危害を加えたら…
などとエスカレートしていき、
その時の自分の反撃のイメージも
エスカレートしてきます。

そんなときの自分は妙に興奮しています。

『もし、そんなことになったら絶対に許さんぞ!!』

もちろん、そんなことは現実には起こっていないのに。
現実の世界は平和なのに、
一人勝手に妄想の敵をつくりだして
怒りや憎しみで鼻息を荒くしているわけです。

アブナイ人、イタイ人です。

そんなときわたしは、「あ、また始まった」
と自分を覚ますようにします。

そういう妄想エスカレートが始まるのは
たいてい睡眠不足や疲労状態の時です。

だからまずは、自分の健康状態に感覚を向けて
「お疲れ、早く帰ってゆっくりしよう。
考えるのは疲れを取ってから」
と自分に伝えます。



なんと、近シーズンのドラマは、見たい作品が
同じ時間帯に被るのが多くて悲しい!
「偽装の夫婦」をあきらめて、以前から小説が気になっていた
こちらを観ることにしました。

ドラマ「無痛〜診える眼〜」

第1話を観ました。

住宅街で診療所を営んでいる為頼英介(西島秀俊)。
彼は、患者の病気を外観から見ただけで
正確に診断できる特異な能力をもっていました。

それは一見、素晴らしい能力なのですが、
すでに手の施しようがない状態までまでわかってしまうことは
本人にとっては苦しいことでもあるようです。

そしてその研ぎ澄まされた観察眼は、
為頼に凶悪犯罪者特有の犯因症≠煬ゥせてしまいます。

為頼は診療所の看護師で
義姉でもある井上和枝(浅田美代子)と町を歩いても
道行く人々の病状が見えているのか複雑な表情の為頼。

そんな為頼が和枝と別れた直後、
自転車に乗ってすれ違った男に犯因症を見ます。

男が和枝の去った方に行くのを察知した為頼は、
警察に通報して自分も和枝のもとへ。

和枝に危険を報せて、男がいる公園で付近の人々を
安全な場所に誘導し始めた時に、男が暴れ始めました。

為頼は傷ついた人たちに素早く応急処置を施します。

そして報告を受けた刑事・早瀬順一郎(伊藤淳史)が
到着するのですが、
民間人に向かって刃物を振り回している男を撃つのを
ためらっている警察官からサッと銃を取り上げ、
ためらいなく2発、男に発砲するのでした。

犯人は瀕死の状態となり、為頼の指示により
他のけが人よりも優先で救急車で運ばれます。

通り魔による怪我人たちは
白神陽児(伊藤英明)が経営するクリニックに運び込まれました。

救急隊員から現場での様子を聞いた白神も
為頼に関心を持ちます。

現場で聞き込みをしていた早瀬は、
為頼の通報が事件発生の数分前だったことを知ります。

なぜ事件が起きることを為頼が知る事が出来たのか?

尋常でない何かを感じた早瀬は…。



さすが、厚みのある小説が原作となっているだけあって
丁寧に描かれているようです。

じっくりとお話が進んで行きました。

なかなか見応えありそうな感じです。

犯因症というのは造語なのでしょうが、
怒りにかられる時、憎しみに駆られる時の
あのカッっとなっている感じを表現しているんじゃないかな
と思いました。

ドラマの中でも実際に犯罪者だけではなく
そうはならない人にも為頼の眼には
犯因症が診えていたことが明らかになりました。

正義感からわき上がる怒り、憎しみ…

悪…犯罪への憎しみですね。

その感情に取りつかれているとき、
人は自分は正当だと思っています。

でも、正義感が憎しみを伴った時、
それはすでに正当ではなくなっている。
危険なモノになっているのではないでしょうか?

とくに憎しみに駆られて人を傷つけるという
方向に走ると、復讐・報復なんていう言葉になります。

やられたらやり返す。戦争と同じ。

憎しみの連鎖を断ち切るには
罪を憎んで人を憎まず…
と、どこかで終わらせないといけない。

わたし自身が被害者や被害者家族となった時
そんなことが言えるか?
まったく自信はありません。

でも、自分の中に暴力衝動が湧きあがるとき…
自分の正義が、怒りから憎しみに変わり
独善的になっていくときのあの感情は
自分で察知できています。

大切なのはそこだと思うんです。

カッとなったときに、自分で自分を冷ませるか?

正義感が憎しみに転化するときの
ボーダーラインを感じられるか?

怒りと言うのはそのボーダーラインの合図です。

誰もが犯因症は持っているんだと思います。
自分で、自分が犯因症を出している瞬間を感じとれるか?
それは、自分の暴力衝動と上手に付き合えるかどうか
のボーダーラインでもあるのでしょう。



                全ての物語のために











posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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