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2015年09月09日

小説「月に繭 地には果実 中 福井晴敏 著 (幻冬舎文庫)」それでも守られたくて…



台風一過の後、
涼しい日が続いています。

わたしが住む福岡は、
扇風機もいりません。
夜風が入り込むと寒ささえ感じます。

短期集中型の「夏」が終わって、
このまま完全に秋になっていきそうな気配。
残暑という言葉が殆ど不要な2015年9月。

ちょっと、早くもわたしの気分は秋模様か?
と少し戸惑っています。

「夏休みがあっという間だった〜!」

と楽しい日々が過ぎ去る速さを
寂しそうに嘆く息子を見ていて、
小学生当時の自分と重ねているせいかもしれません。

気が付けば、わたし自身が、
ちょっとセンチメンタルな気分にスポンっと
落ち込んでいることがある。

過ぎ去る時への儚さに胸が疼いちゃうんですね…



読書なんて一切しなかったわたしが高校卒業直前に
「ノルウェイの森」を受験先へ向かう新幹線内で読んでから、
大学時代、社会人時代は、知人が面白いという作家の小説を
試しに読んでみてハマる。というパターンばかりでした。
10年前、福井晴敏さんの作品を手に取ったとき、
初めて自分の臭覚で作家を選んだ感覚がありました。
以来、彼の作品は読破し続けている「つもり」でいましたが、
実は存在を知っているだけで、まだきちんと読んだことないよね
というのが数冊あることに気づいて、恥ずかしさ半分
嬉しさ半分で読み進めています。

小説「月に繭 地には果実」 中巻

福井晴敏 著 (幻冬舎文庫)

人が住めないほど戦争でダメになった地球。
再び地球が人の住める世界になる日まで
月で生きながらえてきた人々、ムーンレイス。

彼らを統治する付きの女王ディアナ・ソレルは
平和的に地球帰還を果たそうとして果たせず
口火を切ってしまった戦火の中、
地球の鉱山主の娘で自分と瓜二つの容姿を持つ
キエル・ハイムと入れ替わってしまいます。

突如月の女王としての役目を背負う羽目になったキエル。
そしてキエル・ハイムとして地球側の人々と
生活を共にすることになったディアナ。

3-4年起きて行政業務をこなしては
また、100年〜200年の冷凍冬眠につく…
という生き方をしてきたディアナは、
150年前に自身で環境調査に降り立った地球で
恋に落ちたウィル・ゲイムの子孫と出会い
自分にとっては4年前の思い出と、
現実に過ぎ去ってしまった150年という時の
乖離に胸を痛めるのでした。

そんな、ディアナとキエルの立場を知った
ロラン・セアックとディアナ親衛隊のハリー・オード。
そして、地球帰還そのものに意を唱えていた
ディアナ政権への月での脅威、アグリッパ・メンテナー。

それぞれの思惑が絡み合い、
戦火は意外な方向へ…



自衛隊に秘密諜報組織があったら?
という“if”から誕生したDAISシリーズが
福井晴敏さんの代表作ですが、
遠い未来の月と地球の壮大な話を描いても
そのリアルな語り口は変わりません。

ハラハラしながらページをめくってしまいます。

まるで実際に自分で見てきたことのように
その場の空気感まで伝わるような
文体で描く福井晴敏作品ですが、
2005年、福井晴敏イヤーに数多く出ていた
彼のインタビューによると、
「生活感」をとても大切にしていることがわかります。

特にこの作品は、あまりにも壮大で
現実離れした未来のお話だからでしょうか?
そう言ったわたしたちにもわかる生活感を
大切にして書かれているのだと思います。

この作品を読んでいると、フィクションなのに
普段の生活で自分がいかに
その生活感というか、身近なものの
手触りや感覚をおろそかにしているかを反省させられるほど。

今回の中巻の前半で、キエル・ハイムと入れ替わった
ディアナ・ソレルの手を引いて走るロラン・セアック視点で
下記のような地の文章がありました。

『地球と月の問題は、関係なかった。
自分の庇護を求めている人が、そばにいるという事実。
それだけのことが、それだけのことの方が重要で、
どんな大義や理想よりも意味がある。
少なくとも、今のロランにはそう思えた。』
(-引用-・改行はブログ筆者)

外に出て働くと、組織のことであったり、
お客さまや取引先とのことであったり、
自分たちの商売が社会にどのように貢献しているのか?
という命題であったりを真剣に考えます。
考えないと、仕事が本道に沿って進まないので
必然的に頭が興奮状態になったりする。

家に帰ると、妻や息子の顔を見るだけで
その興奮状態が覚めることが多いのですが、
ふとした時には、自宅でも仕事のことを
考えてしまっていたりします。

家族との時間を過ごしているはずが
心ここに在らず…
という状態になってしまっていることがある。

仕事だから仕方がないという言い訳を
する以前に、自然と考えてしまうことなので
仕方がありません。

家族の幸せとわたしの仕事が直結しているので
切り離せる問題でもない。

それでもやはり、
今目の前にいる息子や妻のことを忘れて
ひとりで仕事のことに思いを巡らせている自分に気づくと
ハッとします。

別に妻や息子に責められるわけでもないのに…

息子は今10歳ですから、
あと10年も一緒に暮らせる時間はないのかも知れません。
なのに、今、一緒にいるこの時間を
味わうことを忘れていた自分に「何やってんの!」
って思っちゃうですね。

『自分の庇護を求めている人が、そばにいるという事実。
それだけのことが、それだけのことの方が重要で、
どんな大義や理想よりも意味がある。』

息子が一人前になり、
親の庇護を求めなくなる日がくる。

それはとても幸せなことなのですが
自分の庇護を求めていた人がいなくなるとき
どんな寂しさに襲われるのでしょうか?

そんなことを考えることすらもったいない
今に集中しろとも思うのですが、
わたしも幸せな家族で育ててもらった人間なので
両親は先にそういう思いを味わったんだなと思うと
やっぱり親って凄いなと思うわけです。

わたしは甘ったれです。

まだ、両親が健在であることを
どこか当たり前の感覚で受け止めている。
2人が元気な間は、
何かあったら逃げ込める場所があるみたいな
甘えが心の底にはあるのでしょう。

でも、今わたし自身が親をやっていて思うのは
庇護を全く求めなくなるよりは
そのくらいの親への甘え心というのは
親孝行の一つでもあるのかなということです。

息子が家を出て親の庇護を求めなくなったり
逆に「親孝行だ」なんて言いながら
親の面倒を見出したりするより
親に助けを求めてくれる。

いい大人になってそれを当たり前にされても
困りますが、親である以上は庇護を求めてほしい
…みたいな(笑)

こんなことを言っている時点で「甘い親」に
ならないように気を付けなければなりませんが、
いつかは親の庇護を求めなくなるのなら
だからこそ、今はしっかりと今の息子を見ておきたい
と思うわけです。

一分一秒を取りこぼさずに。



                全ての物語のために











posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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