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2015年09月05日

小説「月に繭 地には果実 上 福井晴敏 著 (幻冬舎文庫)」人の立場を想像して自分の器を広げる



物語に触れるというのは疑似体験するこになります。

もちろん、リアルな体験とは天と地の差がありますが、
未体験と疑似体験も天と地のさがあるといっても
言い過ぎではないでしょう。

それまで想像すらしなかった視野を持てる。
それまでイメージできなかった人の気持ちを考えられる。

それができなかったころ、
考えも及ばなかった自分と比べると、
その成長は大きな成長です。

書を捨てて街へ出よ!
という言葉もありますが、
読んだ後で捨てるのと
読む前から読むという行為を捨てるのとは
ワケがちがいます。

いろいろな所に行って
いろいろな人の人生に触れて
いろいろな経験を出来る人ならいざ知らず
そうでない人は、
少しでも多くの本を読んだ方がいい。

読書による世界観の変わり方を
経験した人にはわかっていただける感じ方だと思います。



過去に何度か読み始めて、そのたびに
数ページで止まってしまっているという本があります。
多くは部屋の片づけなどで、当面は読まないなと判断し
売り払って手元に残らなくなるのですが、
この作者のものだけは、明らかにいつか読む!
と何年も手放せなかった小説…

小説「月に繭 地には果実」 上巻

福井晴敏 著 (幻冬舎文庫)

を読破しました。

かつて、地球を壊滅寸前にまで追い込んだ人類。

一部の者は月に逃れて地球の再生を待ち、
地球に生き残った人々は、
おぞましい滅亡の記憶を封印し
地球を復興させてきました。

二千年の時を経て、月の民は
地球帰還作戦を発動。

決行に先駆けて、月での生活に適用してきた人類が
地球環境で生きていけるのか検査のために
地球に送り込まれた「献体」たち…

その中の一人に少年、ロラン・セアックがいました。

ロランが地球に降り立ってから2年が経とうとしている頃、
2年に渡る交渉が遅々として進まないことに業を煮やした
月の軍隊ディアナ・カウンターは地球への帰還を強行。

月に人間がいるなどという話は
おとぎ話としか考えていなかった地球の民は
突然の「宇宙人」の襲来に牙をむきます。

想定外の攻撃に反撃を余儀なくされた
ディアナ・カウンターと地球の即席の軍、ミリシャ。

誰も望まなかった争いが始まってしまうのでした…。



「終戦のローレライ」(講談社)で
いくつかの文学賞をとった
福井晴敏さんが、
「それは文学界での実績には数えられない」
と言われながらも書き上げた作品です。

内容は文学作品として恥ずかしくないものですが
アニメ作品のノベライズ版と同等に扱われているのでしょう。

なぜか?
これが「ターンエーガンダム」という
テレビアニメの小説版だからです。

しかし、アマゾンのレビューなどを見るとわかりますが
「ガンダム」に対しては全く興味のなかった女性が
この作品を読んで、
「ああ、ガンダムってそういう世界感だったのか!」
と他の作品への理解も深めた例もあります。

つまり、アニメの小説版とか「ガンダム」とか、
そういうことはどうでもよくて
一つの文学作品として完成された作品だということ。


上・中・下 の3冊構成で出版された
この文庫版。

上巻のクライマックスでとても印象的なシーンが
描かれていました。

月の人たちを平和裏に地球に帰還させたいと
願っていた月の女王ディアナ・ソレルが
双子のように瓜二つの地球の鉱山主の娘
キエル・ハイムとともに戦場と化した地上の
街を逃げているときに、
車の窓から見える景色。

子供が泣きながら立ち尽くしている足元には
崩れ落ちた瓦礫から赤い液体が広がり
父親のものか母親のものか判別しない腕だけが
瓦礫の外に姿をあらわにしている。
そして、その周囲には家財道具を背負って
逃げる家族がいたり・・・

引用でしゃありません。
印象に残っているイメージを再現しただけなので
正確ではないと思います。

そのような光景を見ていた女王ディアナは
自分が地球に帰ろうとしたことの結果である
現実を受け止めて、その責任を
全うしようとする度量を、隣に座るキエルが
感じ取るというシーンでした。

自分がしたことで罪のない人たちが
戦争の犠牲者になる…
なんてことが自分の身に起こったら
正直わたしなら何も考えられなくなります。

読みながら、自分がその場にいて
この女王を見ていたらどう思うだろうか?
と想像しました。
たぶん、こんな人でないと
誰も望んでいないこの争いを止められない。
だから、この人には絶対に生きていてもらわなきゃ
と思うことでしょう。

人の上に立つためにはそれなりの
人間としての度量が必要なわけです。

それが一つの国を統治するような
立場の人だと、その求められる
度量、器量の大きさは半端じゃないな…
というのがリアルに想像できるシーンでした。

今のわたしには無理な立場。
手が届かないとか住む世界が違うとか
身分や能力とはまた違った意味で、
精神的な器の大きさの問題で背負いきれない立場。

でも、この物語を読むことで
具体的にどんなことまで考えて
その責任を背負わなければならないのか?
その立場も含めて想像することができたということは
経験として大きなことでした。

もちろん、現実に同じような立場にある人と比べると
その「経験の差」はそれこそ別世界なのですが、
個人の経験値として、漠然とイメージするのと
物語の中で具体的に感覚を伴って
イメージするのとではこれもまた別世界といていいほど
大きな差だと思います。

本当にその人ほどの器には急にはなれないまでも
今まで想像できなかった人の気持ちを
想像できるようになるのですから。



                全ての物語のために











posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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