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2015年08月16日

「キャプテンハーロック」その4 全てを受け入れて前に進む



わたしは親なので、
子どものために自分が我慢することも
無数にあります。

見方によってはそれも一つの
自己犠牲になるのでしょうか?

親になると決めて親をやっているのですから
わたしとしては当たり前だと思ってやっています。

親でなければ我慢しなくてよかったこと…

そんなものは本当に数えきれないくらい
いっぱいあります。

じゃあ、それが苦痛かと言うと、
そうは思いません。

むしろ、そんなものとは比べ物にならないくらい
幸せですから、わたしとしては
我慢している(ようにみえる)ことよりも
もっともっとステキな方を選んでいる。
という感覚です。

これはわたしの捉え方ですが、
結婚は地獄だと思って
奥さんや子供がいる状況を呪っている人もいます。

そういう人は、ただ責任があるからと
責任に縛られている。

自由には責任が付きまといます。

でも、そういう人は責任に縛られて自由じゃない。

このあたりが面白いところです。
例えば収入で言えばわたしの方が低くて
明らかに不自由だとしても
わたしはそれを妻や息子がいるからだとは捉えないし、
むしろわたしの方が自由を感じている・・・

どこが違うのでしょうか?



「人類資金」を全巻読破したあとの
読後感がとてもよかったので、
福井さんの作品にもう少し触れたいな…
でも、防衛や戦争の話じゃなくて、何かないかな?
と思っていたら自然と手を伸ばして再生してしまいました。

「キャプテンハーロック」

をまたまたまた、鑑賞しました。

他の銀河にまで進出し、
数多の植民惑星を開拓した人類。

異星文明との共存もついに果たせず孤独なまま。

いつしか衰退し始めその勢力を失いつつあった人類は、
発祥の地である地球への帰還を望むようになり
5000億を超える人口で、地球居住権を巡る大戦
「カム・ホーム戦争」が勃発。
人類はこの戦争を調停する為、有識者による統治機構
「ガイア・サンクション」を生みだし、
地球は『永遠の聖地として、何人たりとも立ちいる事は許されない聖域』
として封印されたのでした。

そんな時代に反抗し、宇宙の深淵を旅し続ける男が。
不滅の肉体を持ち、100年の長きに渡って
連合艦への襲撃を繰り返す海賊。

広域指名手配S-00999。

その男の名はハーロック。

主人公の青年ヤマは、ハーロック暗殺の命を受け
海賊船・アルカディア号に潜入します。

ヤマは大きな後悔を抱えていて、
罪の償いのために
その仕事を引き受けていました。

そんなヤマの目を通して描かれるハーロック。
ハーロックもまた自分がしたことに苦しむ
独りの男だったのです。



「自分を縛るものと闘え…」

ハーロックは自分に銃を向けたヤマに言いますが
この映画では、ハーロック自身もまた
自分を縛るものと闘っています。

わたしが好きな
映画「銀河鉄道999」や「わが青春のアルカディア」
のハーロック像とは少し違う
“いじけたハーロック”に見えるのはそのせい。

自分が犯した大罪を背負っている。

全てに責任を負うのが自由。

ということは、上手くいかなかったときの責任も
取らなければならない。
そういうことなのでしょう。

でも、ヤマがそうであるように、
ハーロックもまた過去に縛られている。

ヤマとハーロックがそれぞれに
過去を乗り越えて前に進み始める。
その葛藤がドラマを盛り上げています。

劇中ミーメがささやくように言います。

「全てを受け入れて前に進む」

ハーロックもヤマも、きっと
自分がした事だと受け入れて
罪を償うために生きることで、
前に進んでいるつもりだったのかもしれない。

真面目な人はそうなりやすいですよね。

でも、捕らわれることと受け入れることは違う。

逆に、過去を単純に過ぎたこととして、
責任から逃げてフタをしていたら
それもまた過去に縛られているということになります。

ここは当事者には難しいことなのかも知れませんね。

わたしも自分が時々そうなっていることに
気づくことがあります。

そういうときは、罪の意識にさいなまれて
イジケたカタチになっていないか?

とチェックしています。

過去を踏まえるのはいいし、
目をそらすのは違います。

だとしたら、それを踏まえて、
みんなが幸せになれるようにするにはどうすればいいか?

大事なのはその「みんな」の中に
自分を入れることだと思っています。

エンターテインメントの世界や、
本当に生死をわける過酷な現場でない限り、
自己犠牲は美談にはならない。

自分だけが罪を背負って…我慢する
なんていうのはイジケです。

罪を責任と言い換えても同じですよね。

結婚をする、親になる。
全部、責任が伴う。

でも、その事実をどう受け取り
どんな感情を選ぶかは自由なはずです。

決して妻や子供を捨てて
どこかに行ってしまうのも自由ですよなんて
行っているわけではありませんよ。

「もっとこうだったら良かったのに」
「あのとき選択を間違った、ああしとけばよかった」
「このままじゃ、先が不安だ」
「もう未来が無い」

過去のことをいくら後悔しても
今は幸せになれないし、
まだ起きていない未来をいくら心配しても
今は幸せになれない。

でも蓋をする必要はない。

全てをあるがままに観る。

過去は学びになるし、
未来には備えればいい。

そうやって生きていられる今というものを
幸せに感じられるモノの捉え方を身につけ
磨いていく。

それが幸せ力です。


               全ての物語のために











posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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