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2015年08月15日

小説…?「人類資金 第0巻 福井晴敏 著 講談社文庫」“わかりやすさ”というルールへの挑戦



相手の言葉で、相手の視点でわかりやすく伝える。

これはサービス業者での接客や電話応対、
あるいは人財育成や子供の教育の現場でも、
さらに、人間関係向上のための
コミュニケーション術でも言われる言葉です。

確かに大切なこと…

でも、エンターテインメントの世界ではどうなんでしょうね?

もちろん、伝わるように、わかりやすく表現する
…というのは大切で、
小難しいことを難しく伝えたって伝わらなければ意味がない。

難しいことを難しく伝えるのは自己満足だ…
というのも実際にその通りではあるのですが、
だからといっても、最近の日本のエンターテインメント作品、
特に映像系、映画やドラマやアニメでは
わかりやすさを追い求め過ぎてしまった弊害が
出てきているように感じます。

日本の映画・ドラマ・アニメの
全てがそうだということではありません。

しかし、一部のわかりやすさに甘えすぎた作品のために
受け手の理解度が落ち、他の作品も
レベルを下げなければならないとか、
社会でも自分で考えることができずに
わかりやすさの型にハマった指示を、
わかりやすく型にハメた対応でしかこなすことができない。

なんていう本末転倒なマニュアル人間が増えているのは、
エンターテインメントの作り手にも責任があると感じています。



福井晴敏さんの小説「人類資金」
最終巻の第7巻は通常版と限定版の
2種類が出ています。
限定版には企画段階でのプロット全文と、
そこに福井晴敏さんの解説付きで
別冊付録がついてきました。その…

小説「人類資金」

第0巻、プロット版を読みました。

第1巻〜第6巻の各巻と
ちょうど同じくらいの厚さの文庫です。

もともと映画を作るために
坂本順治監督が福井さんに持ち込んだ企画。

企画そのものが映画と小説同時進行となっています。
映画製作時のさまざまな制約…

役者さんの年齢やキャラクターと
プロット段階での予定の違い。
役者さんのスケジュールの都合があり
ストーリー自体の前後が変わったり、
予算の都合による設定や状況の変化…

逆に、そうやってできていった映画用の設定が
小説にも取り入れられてもいたり、
ということが解説されていて非常に面白い。

映画&小説両方のメイキング
といった感じの1冊でした。



中でも印象的だったのが、
福井さんが、昨今の“わかりやすさ”
に対する提言をされている箇所。

役者にコントみたいなオーバーアクトをさせたり、
うるさいくらいにカットを割って、
マンガみたいな効果音を入れてみたり・・・

毎週殺人犯を追い詰めて悩みもせず
笑っていられる名探偵とか
設定ばかり奇抜でマンガみたいなドラマとか

こういう創作ものばかりだと
そのうちにツケを払わされる時が来るんじゃないか?

と言うようなことを語られています。

確かに、アニメもドラマも
それから映画も、日本のものには
そういうモノが増えています。

わかりやすさが記号化されて
その記号に即した演技をしないと
わからないだろうとか…

これは特にアニメに多いですよね、今。

シラ〜って引きながら低い声でツッコミ入れるとか
汗がタラ〜っと流れて「・・・」とか
恥ずかしさを隠すのに、
キャラが急にデフォルメされて暴れ出すとか、
多くの作品でやってしまっています。

もしも、そういう演出が
「ドラえもん」や「ルパン三世」
なんかに入ってきだしたらどうでしょう?

違和感がありますよね?

ああもう、いよいよ旧来の良い作品が
わかりやすさのルールに浸食されたな…
ってガッカリしてしまう。

わたしは「ルパン三世VS名探偵コナン」が
大好きですが、「名探偵コナン」単体を
あまり好んで見ないのは、
そういうわかりやすさのルールにのっとってるところが
肌に合わないからです。

それでも「ルパン三世VS名探偵コナン」を
観れるのは、キャラクターの使い方が
本当に上手いから。

実はここ10数年の「ルパン三世」の
毎年のテレビスペシャルも観なくなっていました。
最近のアニメに浸食されている感があるからです。

そういう意味でも
秋に始まる新作テレビシリーズは期待しています。

富野由悠季や宮崎駿、細田守・・・
彼らの作品を見ても、
ルール化されたそういう演出は出て来ません。

きちんとキャラクターに「演技」をさせています。
物語も、良い悪いの勧善懲悪ではなく
登場人物の歩んできた人生を踏まえたうえでの葛藤がある。

だから、そういう作品がまだ多くの人に支持されて
ヒットするというのはまだまだ大丈夫なんだと
思えるのですが、一方ではデフォルメマンガが多い。

ストーリーも演技や演出も簡略的に記号化され
ルール化されたマンガ・アニメと言うことですね。

そしてそれが実写のテレビドラマにも影響していて
ドラマが映画化することで活性化してきた
邦画の世界にも侵食し始めている。

この流れがひどくなると、本当に記号的な表現しか
理解できない感性になってしまいかねないですよね。

人それぞれ、み〜んな違う人間が生きているのが
実社会です。
エンターテインメントはそういう人たちの間に起こる
葛藤や緊張感でドラマが描かれるから
感性や想像力を刺激し、より成長できるわけです。

でも、表現がルール化されてしまうと、
感性も想像力も衰退して、
現実世界で隣の人のことが理解できなくなる。

そういうところには作り手さん達には
敏感になって欲しいところです。

しかし、そういうモノが氾濫し始めている今、
受け手であるわたしたちも
その違いを見分ける、嗅ぎわける、
感じ分ける感覚は必要です。

特に子どもに見せる親の立場にある人は
なおさらです。

「人類資金」はルールと闘う話でしたが、
このルールはエンターテインメントの創作の現場にもある。

実はこれはわたしたちの実生活の中にも
非常に多くあって、「言われたことしか出来ない」
という人たちが増えたのも
この“ルール化”の弊害だと観ることができる。

「人類資金」は分かりやすさが必要とされる
エンターテインメントでありながらも
そういうことに切り込んでいった作品なんですね。

難しいことはわかりやすく、
わかりやすいことは面白く、
面白いことは深く。

わかりやすくて、浅いんじゃ、
味わいも何もなくなりますよね。

風が頬をなでる時に「風が吹いている」と思うのと
そこで何かを感じとれるのとでは
人生の深み=幸せ度はまったく違ってきます。

風が吹いていることすら当たり前すぎて
気付かない子たちを量産しないようにしたいです。


                全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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