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2015年07月03日

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」その2  わたしたち自身に刷り込まれている教育



教育は洗脳ではありません。

でも、洗脳という側面が全くないかというと
そうとも言えないと思っています。

例えば、わたしも妻も、故意に
息子に自分たちの価値観を押し付けようとは
していません。

それでも、自分たちの常識の中で
納得いくかいかないかという
判断はあるわけですし、
息子との対話の中でも
その価値観に左右された話を
しているということは大いにあるでしょう。

また、生活すること自体が
判断や決断の連続だとすると、
当然そこには自分なりの価値観が
介入しているわけですから、

そういう親の在り方を観ていて
自然と子どもに刷り込まれるということもあります。

そして、親ではなく
地域や国の常識という価値観による影響
というのも常に付きまとっています。

ですから、特定の誰かが子どもに
特定の価値観を故意に刷り込もうとはしなくても、
周囲の文化や両親の習慣が
子どもに刷り込まれることに影響を及ぼしている。

つまり洗脳されている。
とは言えなくもないわけです。

だからこそ、わたしたちは
教育の重要性も教育の怖さも
知っていなければならないのだと思っています。



せっかく歴史的になかなか登場しないような
作品に巡り合えたので、
もう一度取り上げさせていただきます。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

主人公マックス(トム・ハーディー)が捕まった組織を
牛耳っていたイモータン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)。

映画の中では説明らしい説明はないので、
きっとそういうことだろうと予想するしかないのですが、
イモータン・ジョーは、女性たちを囲い
自分や自分の息子たちの子どもを
生ませていたようです。

その子たちは全身白塗りにされて、
ウォー・ボーイと呼ばれ、
ジョーを崇拝するように洗脳されていました。

子どもの頃からそういう環境で
育てられているので、
純粋にジョーを信じ、尊敬し、崇拝してしまうのです。

彼に直接声をかけられるだけで
感動して泣いたり興奮したり…

つまりジョーは彼らにとって教祖や神なわけです。

彼らは勇敢な死は特別な復活への
勲章のように思っているので
爆弾を抱えながら突進します。

純粋な子どもの頃から教育を受けているからこその
悲しい結果です。

しかし、本当に魂は教育によって完璧に騙せるのか?

そうではあって欲しくない。
純粋だからこそ悲しい信仰をもってしまうけど、
その純粋さはやはり、思いやり・優しさの源であって欲しい

ウォー・ボーイたちの扱いを観ていると
そういう願いも込められているように感じます。



そんなウォー・ボーイの一人、ニュークスという青年がいます。
マックスを輸血袋と呼び、女たちを追う、ジョーの手下ですが、
彼の心に次第に異変が現れます。

今回の映画を寓話たらしめている要素の一つです。

純粋だから、良いも悪いもないまま教えられたことを
まっすぐ受け入れてしまっている。

でも、純粋だからすぐにマックスを信用して
マックスに殴られたり、
ヘマをやらかしてジョーに見られて落ち込んでいるときに
優しくしてくれた女性のことも信じてしまう。

物事の善悪も分からないほど純粋。

だから、教育というのは非常に尊くて
また怖ろしいことでもあるわけですよね。


先日、ある方と話を聞いていると
初老のイイ大人の男性がちょっとした行き違いで
自分の感情を抑えらず、イライラされていました。

お話の内容に耳を傾けていると、
その男性の御子息たち…と言っても
成人して家族も持っている男性たちですが、
彼らはその初老の父親でも手を付けられないほど
短気なんだとか。

血の気の多い御家族なのでしょう。

しかし、血の気が多いとか短気な性格だからと言って
自分の感情を客観的に見つめる目を
持たなくて良いわけではありません。

感情は物事のとらえ方によって変わるものだ…
その感情を選んだのは自分自身だ…

と分かるのが大人です。

それが、お父様が「イライラさせられる!」
というモノの見方をされるので、
お子たちは残念ながら、
自分の感情は自分で創りだしているなんて
視点すら持ちようがない。

これも教育、刷り込み、洗脳の一種ですよね。

だからわたしたち人間には教育が大切。

でも、教育というのは
大人が子供にすることだけではないですよね。

自分で自分を成長させることは出来る。

つまり、自分で自分を教育することも出来るわけです。

その視点さえ持てれば。


親だろうが、子どもがいなかろうが、
全ての大人に教育を考える義務がある。

なぜなら自己成長しなくて良い大人なんて存在しないからです。



                   全ての物語のために











posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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