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2015年03月13日

ドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜 #8」あなたの存在があの人の人生を変える



自分が頑なに信じていたことが
間違っていたと気づく瞬間があります。

他の見方もできるんだと新しい視点や
可能性に気づく瞬間もあります。

そういうとき、
「世界が違って見える」と言います。

感動すら覚えることがある。

何をすれば、そういう瞬間と出会えるのか?

例えば、本を読んだり、映画を観たり、
そういうことがキッカケになる場合もあります。

でも、もっと身近なところで
わたしたちは沢山経験してきているはずです。

例えば、クラス替えで新しい友達ができたとき。
新しい学校で、新しい友達ができたとき。
あるいは、親戚のお兄ちゃんの家に行って
お兄ちゃんがギターを弾いているのを見たとき。
会社の先輩が、めちゃくちゃカッコよく見えたとき。

わたしたちは、身近に関わる人たちに
とても大きな影響を受けて生きてきました。

今の自分の価値観や信念は、
そういうことの積み重ねの結果です。




フジテレビの月9も、
そろそろ今シーズンのまとめに入って来たようです。

ドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」

第8話を観ました。

ついに、藪下依子(杏)と谷口巧(長谷川博己)の
結納が執り行われることになり、
藪下家に両家が集まっていました。

厳かな雰囲気の中始まる儀式。

しかし、藪下俊雄(松重豊)と谷口努(平田満)は
緊張でしどろもどろ。
その様子がおかしくて谷口留美(風吹ジュン)は
笑いが止まりません。

そんな中、依子は、巧の浮かない顔に
何かを感じていました。

さかのぼること1週間、
依子と巧のお祝いパーティーが開かれ、
島田佳織(国仲涼子)、島田宗太郎(松尾諭)、
鷲尾豊(中島裕翔)が谷口家に揃っていました。

結納が2月14日だと聞いた佳織は、
バレンタインデーに結納ってロマンチックだねと
依子にバレンタインデーの思い出をたずねました。

しかし依子は、今まで一度もチョコを渡したことはない
と答えます。

それを聞いた巧は賢明だと依子をほめ、
バレンタインデーなど製菓業界が仕組んだイベントに過ぎない、
とたださげすむのみ。

鷲尾は、依子の心のどこかに、
誰かにチョコをあげたいという気持ちがあるはずだと主張しますが、
依子はそれを強く否定するのでした。

依子が席を外すと、鷲尾は、巧みに小声で伝えました。

自分はもう依子のことは諦めたけど、
依子はきっと誰かにチョコをあげたいはずだし、
恋もしたいはず。
だから依子と恋をしてあげてほしいと…。



依子もロボットではありません。
母・藪下小夜子(和久井映見)の
お雑煮の味に泣き崩れたり、
娘を思う父の願いを叶えようと頑張ったり…。

人の気持ちを理解する心をきちんと持った女性です。

つまり、ハートはある。

ハートがあるということは、熱があるということです。

熱とは、「こうしたい」という欲求でもあります。


父の望みを叶えたい。
というのもそうですが、もっとシンプルに
「わたしはこうしたい」という個人的な想いのこと。


巧はひねくれているので、
「バレンタインなんて製菓業界が仕組んだイベントに過ぎない」
と豪語しています。

でもこういうところで、
イタイ理系女子と自称高等遊民男という
組み合わせにした面白さが出てくるような気がしました。

巧はマンガやアニメばかりではなく、
文芸の方面にも造詣が深い。

文芸とは人の心の機微を描いたものが多い。

だから、依子も本当は恋をしたいのではないか?
という視点が持てたわけです。

そして、チョコを渡すのをためらい涙を流す依子に
そっとハンカチを差出し、
「あなたが本当にしたいことは、恋だからです」
と、涙のわけを気づかせてあげることができました。

そして、恋愛感情ではなく理念で結婚しようとした自分は
依子の気持ちには答えられないと、
自ら身を引くという選択ができるわけですよね。

これが、依子と似たような理系男子との組み合わせだったら
絶対にこうはなりません。

要するに、理屈や理念で共感できる部分があったけど、
心が動くのは、相手の気持ちを思いやるという部分。

きっとこの後、実はお互いに
自分たちの本当の恋心に気づいていくのでしょう。


わたしたちは、幼少のころにしろ、
大人になってからにしろ、
傷ついたり大きなショックを受けることによって、
熱…「こうしたい」という欲求を
押さえてしまうことがあります。

それは、性格によるところも大きいでしょうが、
何かしらのキッカケがあります。

また大きな出来事はなくても、
「ホントに、あんたはバカねぇ〜」とか
「顔が良いわけじゃないんだから頭を使いなさい」とか
家族は愛情を持って冗談めかして言っていたとしても、
何度も何度もそういわれ続けると
自分はバカなんだ、自分はブサイクなんだという
既成概念が出来上がってしまいます。
そしてその概念にそった行動しか選べなくなります。

一番厄介なのは、自分でもまったくわからないこと。
無意識の反応なので、自覚するのは至難の業です。

藪下依子のような例ならいいですが、
これが、現実の世界ではコメディにならないことが多い。

自分の中での常識外のことをしている人を観ると
必要以上に怒りが湧いたり、
本当はだれも自分のことは気にしてないのに、
みんなに見られている気がして外を歩けなくなったり…。

神経症的な反応になることもある。

そこまで行けば、精神的な病だと分かりますが、
わたしたち普通に社会生活を送っている人間でも
例えば、過去の親とのしがらみの影響で、
今目の目にいる大切な人との関係まで壊すことがある。

人と接していて、
「この人、小さなことにこだわりすぎじゃないか?」とか、
「ちょっと偏っているな」
と感じることがあったら、
気長に、注意深く観察してあげて、
そんな風に頑なに思いこむ必要はないんだと
気付かせてあげることができると、
その人はとても救われることがあります。

それも、友人や恋人、家族という役割の
ひとつでしょう。
ポイントは「教える」ではなく
「気づく」きっかけになる。という視点です。



                 全ての物語のために








posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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