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2015年03月07日

ドラマ「流星ワゴン #7」お父さんは孤独でも家族のために生きる



「母は強し」という言葉があります。
これは本当です。

父親をやっているわたしは、
妻を見ていてよく思います。

でも…、大切なことなので強調しますが

「母は強し」=「父は弱し」

ということではありません。決して!!


(笑)

男はどうやったって、
女性のような気配りは出来ません。

しなやかさ、柔軟さ、細やかさ、
頭の回転の速さ、仕事の速さ、上手さ…

女性の特質はいろいろな面で重宝します。

しかし、母にはできないことがあります。

それは「悪い意味で」我(が)を通すということ。

「母は強し」というのは腹の座り方の表現です。
ですから、言い方を変えれば我を通す力も強い。

男親はその「母」の迫力にビビります。

でも、そこにはどうしてもルールが必要なのです。
母が通してもいいのは「良い意味」での我なのです。

「母は強し」は美談になります。
しかし、母が「悪い意味」での我を通すと、
“酷い母”呼ばわりされます。

“酷い母”と「母は強し」は両立しません。

ところが“酷い父”と「父は強し」は
両立してしまうことがあります。

それはどういうことなのでしょうか…?



和製骨太ファンタジーの傑作

ドラマ「流星ワゴン」

第7話を観ました。

現実世界の忠雄(香川照之)が心配停止します。
蘇生措置によって奇跡的に持ちこたえたものの、
危険な状態に変わりはありません。

残された時間はあとわずか…
「きっと一雄のこと、待ってるのよ」
忠雄を見つめながら、一雄の母・澄江(倍賞美津子)が
一雄の妹・智子(市川実和子)に呟きます。

同じ頃、生霊の忠雄を襲っていた胸の苦しみも
ピタリと止みました。

橋本(吉岡秀隆)が次の分岐点へと出発の号令を出します。

ところが健太(高木星来)がそれをとめました。

澄江の言葉に勇気をもらった健太は、
母親が自分のことを覚えているかどうか、
もう一度会って確かめるんだと決心をしていたです。

「今度は逃げないから」
そう覚悟を示す健太に橋本は言います。

母親に会うということは、
未練を断ち切って成仏することだと…。
未練を断ち切るということは、
全て忘れて成仏することだと…。

うなずく健太を、橋本は微笑んで送り出しますが、
その笑顔の裏に何かが隠されていることを、
生霊の忠雄(忠さん)は感じ取っていました。

その夜、忠雄は橋本を居酒屋に誘います。
そこで忠雄は、橋本に問いつめました。

「お前、ほんまに健太を成仏させたいんか?」

翌朝、橋本をだけをワゴンに残し、
一雄(西島秀俊)たちは健太の母親の家へ向かいました。

成仏するには、夜が明ける前に、
蓼科峠の事故現場へ戻らなければなりません。

しかし、意を決して母親に会おうとする健太の前に、
なぜか忠雄が立ちはだかるのでした…。



ドラマは客観的に描かれていますから、
父・忠さんの気持ちもわたしたち視聴者にわかるように
作られています。

しかし、息子・一雄の立場を想像すると、
忠雄のような父親だとやっぱり嫌です(笑)

しかし、忠雄には忠雄で
正しいか間違っているかは別として、
「家族のために全力」で生きています。

客観的に観れば、忠雄の“全力具合”は
分かりやすい猛進タイプなので羨ましいくらいです。

“彼なりに全力だった”と分かってもらいやすい。

しかし、父親をやっている以上は、
例え穏やかに見えようが、頼りなく見えようが、
本人は必死で大地を踏みしめて立っています。

しなやかでなく無骨でも、
柔軟さのかけらも感じない不器用さでも、
細やかさのない殺伐とした前進でも、
頭の回転が遅くても、仕事が遅くても、下手くそでも、
大地を踏みしめて立っていようとする。
前進しようとする。

器用でないからこそ求められる耐久力も半端ではありません。
ぶつかりまくって擦り切れまくります。

そのためには、我を通さないといけない時があります。
「酷い!」と言われても、自ら悪役を買ってでも
我を通さないといけない時もあります。

男の特権でもあり、損でもあります。

悪い意味の我を通してもいいけど、
最後まで美談にはならないことを
覚悟してやらないといけない。

母の強さにもその覚悟はありますが、
母がその道を選ぶと、子供が幸せになれません。
遠回りをして幸せになれる子もいますが、
それにはとんでもない苦労を背負わせることになります。

だから、母の強さがその道を選ぶ必要が無いように
父の強さが母の強さを支えなければなりません。

しかもそれは支えているとは思われず、
邪魔をしていると思われることもあれば、
排除すべき敵と思われることもある。
そのことを覚悟してでも我を通さないといけない時がある。

我というのは「自分の信念」ということです。

例えば、わたしも多分に“酷い父”になる要素を抱えています。

わたしの信念は、
家族のために、自分の夢を諦めるというのはウソ。
家族のためにこそ、夢を追い続けて見せなければならない!
そして、さらに言えば、家族のためにこそ
「自分のために」生きなければならない!!!

と思っています。

ようするに、はたから見れば「わがまま」です。
ハッキリ言って、家族の風当たりも強いです(笑)

でも、子供に
「夢なんか持たずに堅実に生きなさい」
とはどうしても言いたくないのです。

「それが我ままなのよ!」って言われそうですが、
そこは意地でもダメです。

息子が思春期になれば、
わたしが憎まれることもあるかもしれません。

もちろんわざわざ憎まれる必要はありませんが、
そういう状況になった時に意地を通す覚悟がいる。

そしてこれがまた難しいところですが、
自分が間違っていると気づいた時には
カッコ悪くてもいさぎよく認める覚悟もいる。

そして、そのジャッジは自分でしなければならない。

ようするに、どれだけカッコ悪くなっても、
自分の信念を通せるか。なんですよね。

だからこそ、「母は強し」とは違う意味で
「父も強し」でないといけない。

どっちが強いという話ではなくて、
強さの意味が違うということです。

そこで女性が「いいや!母の方が強い!」と
言ったら、笑って「そうだね」と言えるのも
父の強さです。


今回、第7話では、一雄と橋本が
“大人の決断”をする中、忠さんだけが最後まで、
「わしは、好かん!」と涙を流しながら抵抗します。

しかし、最後の最後で忠さんの想いが叶い
「それでこそじゃあ!!」と
涙を流しながら、両手の拳を突き上げて
ガッツポーズをします。

悪者になりながらも自分の意地を通した忠さんが
最後の最後に一つ報われた瞬間でした。

頑張っているお父さんが見たら
涙なしでは見れないシーンです。


              全ての物語のために









posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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