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2015年02月21日

ドラマ「流星ワゴン #5」子どもへの情報操作の責任



「ted(テッド)」という映画があります。
大ヒットした映画です。

熊のぬいぐるみと、中年の男の友情を描いたコメディです。

わたしは観れていません。

公開当時、特に妻と息子が「見たい!面白そう!」と
盛り上がっていました。

しかし、「ted(テッド)」はR15指定。
15歳未満は連れて行けない作品でした。
性的な表現がドギツイからです。
妻も息子もがっかりです。

年末年始の映画で実写版の「寄生獣」も
話題になっていた映画です。

息子も興味をもっていましたが、
あの作品は成人指定、18歳以下は見れません。
こちらは、暴力描写の問題です。

わたしの息子は間もなく10歳。
確かに、見せて良いものと悪いものがある。

しかし、それにしても、親が子供に対して
情報操作をできるこの国は、
なんて平和なんだろうと思わずにはいられません。

しかし、その情報操作が
大人の意図とは逆の結果を招いていることに
どれだけの大人が気づいていることか…?



TBSの日曜劇場、「とんび」の重松清さんの原作

ドラマ「流星ワゴン」

第5話を観ました。

橋本(吉岡秀隆)は、一雄(西島秀俊)と忠雄(香川照之)の
2人には知っておいて欲しいと言い、
ワゴンを蓼科峠で停めました。

そこは、橋本と健太(高木星来)が命を落とした
事故の現場でした。

橋本は、一雄と忠雄の関係を羨ましがります。
互いに言いたいことを言い合う、親友のような親子。

橋本と健太は一見、仲が良さそうに見えますが、
橋本は健太に対して、傷つけるのでは、嫌われるのではと、
どこか怯えてしまい、強く言うことができないでいるのだとか…。

その理由を、橋本ははじめて2人に明かしました。
そして、広い世界を知らないまま、
あまりに幼くして死んでしまった健太を、
せめて成仏させてやりたいのだと言います。

それには事故の事実、死んだのだという事実を
受け入れることだと…

事故現場でそんな話をしている間、
健太はワゴンで待つように言われていましたが、
実はこっそり抜け出して峠を降りようとしていました。

忠雄が見つけて追いつきますが、
健太は「母親に会いたい!」と激しく抵抗します。

成仏してしまうと、大好きな母親のことを、
忘れてしまかもしれない。
一目でいいからもう一度、母親に会って、
悲しませたことを謝りたい。
そしてずっと自分のことを忘れないでほしいと
伝えたいのだと健太は言います。

健太がこの世に残している未練です。

健太に現実を受け止めさせようと説得していた忠雄は、
健太の思いの強さを知り、説得することを止めます。
そして健太をおぶって駆け出しました。
その先には止まっていたバスに飛び乗る忠雄と健太。

一雄もあわてて追いかけ、仕方なく橋本を残して
3人で健太の母親を探しはじめることになるのでした…。



現実を受け止めろ…

忠雄が健太に現実を見せたことによって
一雄が忠雄を責めるシーンが出てきます。

一雄が健太には惨すぎると抗議したのです。

しかし忠雄は子どもだろうと現実を知るべきだと
厳しく言います。

良い悪いは別にして、健太は現実を知りました。
その結果がどう影響を及ぼすのかは
次回以降の展開次第…


わたしはアニメ「寄生獣」を息子に見せていました。
ある回を妻も一緒に観ていたのですが、
人体が切り刻まれるシーンが出てきて、
妻が消しました。

「もう、観ちゃダメ!」

確かに、微妙なラインです。
今回は妻の気持ちも汲み、
無理やりわたしの主張を押し通すことはやめました。

しかし、これまでに、わたしと息子は
「寄生獣」を話題にしていろいろなことを話す機会を持てました。

一番良かったなと思っているのは、
自分の体にミギーみたいな存在がいれば楽しいし
強くなれると、初めは短絡的に憧れた息子が、
新一がミギーの存在をバラしてしまうと、
ミギーはためらいなく、新一の家族を殺すんだということを知り、
「そんなのは嫌だ」とその危うさを感じ取れたことです。

小学4年生といえば反抗期の年齢ですから、
自分の中の怒りや暴力性とも
必然的に向き合わなければならない歳です。

実写版の「寄生獣」はさすがにまだ見せるつもりは
有りませんでしたが、アニメはギリギリですが
息子の感受性を信じて見せることにしていたのです。

初めは妻も黙っていましたが、
さすがにその時のシーンの描写には耐えかねて
止めてしまいました。

ここは、もうどちらが正しいという次元の話ではなく
親としての心配や親心という部分も
大切にしなければならないので、
無理にわたしの主義を通すところでもないと思いました。

実際には、息子は見たいわけですから、
コッソリ観てくれてもいいとも思っていますけどね。


任天堂もたまにテレビでCMを流しています。
インターネットにつながる最近のゲーム機は
親がネット接続を制限できる機能があります。

確かに、様々なことが厳しく規制されるようになっているとはいえ
インターネットの世界はまだまだ無法地帯です。

そういう機能は必須でしょう。

しかし、親として、大人として、
子どもが触れる情報をある程度であれ制限するのであれば、
そこには脊髄反射的な嫌悪感で判断してはならない
極めてハイレベルの責任が伴います。

それはもう、国が決める教科書に載せる情報と
同レベルの責任の重さです。
(教科書がそれを守られているかは疑問ですが)

例えば、今回の妻とわたしの意見が食い違った場面でも
本来であれば、その回の話を最後まで観て、
それからわたしの意見も聞いて欲しかったのが本音です。

なぜなら、わたしは事前に内容を観ていて、
その酷いシーンの後に、
パラサイトが人間の子の親になったことから
母性が生まれてしまっているということに気づく
とても繊細なシーンが描かれていました。
そこまで見て、その矛盾を感じることで
また息子の中には疑問が湧くはずだと
意図して見せていました。
これは、大人でも難しい哲学的なアニメなので
小学4年生には難しすぎる命題だという意見もあるでしょうが、
本来、エンターテインメントとは、
言葉では説明できないこと、答えのないことを
感情や感受性を含めて感じ、考えるために存在しています。

ですから、「気持ち悪い!」と反射的に
途中で停めてしまうのは、本来は親としては無責任である。

というのが父親としてのわたし個人の意見でした。

しかし、題材がギリギリのモノであること、
そして、妻も何も考えなかったわけではなく
葛藤の末に停止ボタンを押していたのが良くわかったこと、
そして、息子の感受性は、これまでの反応を観ていても
信頼していていいことも現時点ではわかっていること、
みんなが気持ちよくテレビライフを楽しめること、
など、すべてを鑑みて、わたしは主張をひっこめたわけです。

大切なのは、情報を操作する以上はその程度は
親として考えないといけないということです。

本来、現実は現実です。
例えば大戦中には、いくつだろうと関係なく
人間のバラバラの遺体や黒焦げの遺体を
目の当たりにしていたはずです。

現代の子たちが、ゲームと現実の違いを理解できないから
簡単に人を傷つけるという意見が出る場合もありますが、
もっとも大きな問題となっているのは、
“死”を必要以上に日常から遠ざけていることが原因だと
いうことに気づいているひとも多い。

例えば「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」など
特撮ヒーローものは、息子が3歳のころから見せていましたが、
なぜ、生理的に安心して見せられるのか?

善悪の戦闘員たちが殺し合いのバトルを
派手に繰り広げるのにです。

考えたことがありますか?

基本的に、血が出ません。
切られても撃たれても、火花が散ってダメージをくらうだけで
死ぬということもない。

死ぬのは怪獣のような敵だけです。
“死”というものや、負傷の生々しさは一切排除されています。

あれは、「愛と勇気と希望」を伝える物語なので、
表現としてはあれで良いとしても、
“死”を感覚として感じないモノばかりを偏って
見せていては、正常なバランスでの感受性は生まれません。

つまり、見せなくし過ぎて、
逆に生々しさを感じたり、想像したりする感受性が育たない。
という弊害が実は非常に大きいということなんですね。

オモチャの鉄砲は平気で触れるけど、
本物の銃を見たら、背筋が凍るとか、
オモチャの剣では遊べるけど
包丁やハサミ、カッターナイフなど、
本物の刃物を見たら、背中に緊張が走るとか…

ゴキブリはスリッパで叩き殺せるけど、
犬や猫を殺すのとは全然違うということが
感覚でわかるとか…

そういった、人間として当たり前の感受性も
磨かれなくなってしまっているというのは社会問題としての
現実なわけです。

もうすぐ戦争を体験した大人はこの国からいなくなります。
そうなったときに、頼れるのは、
生々しさをイメージして、それはダメだ!と
魂が感じられるかどうか、それは想像力にかかっています。

わたしが子供のころに子供向けの
マンガやアニメを作っていたのは、
戦争や戦後を少年時代に体験してきた大人たちでした。

だから、そういう生々しさや悲劇を、
マンガやアニメの中で本気で子供たちに伝えようとしていました。

「機動戦士ガンダム」しかり、「北斗の拳」しかりです。
今、子供向けの作品で、
そう言った本気の作品がどれほどあるでしょうか?

もちろん、バーチャルの世界にばかり触れて、
実際に人間どうし触れ合う感覚、
温かみを伝え合う感覚の中でしか伝わらないものを
忘れてしまうことも問題です。

アフリカでもアジアでも、
10歳前後の少年少女に、
自分の親をレイプさせ、殺させて
兵士に仕立て上げるということが
現実に今この瞬間も繰り広げられています。

彼の地の少年少女にとっては
大人がそういう世界を押し付けている…
それは受け入れざるをえない現実です。

そんな世界に比べたら、日本は本当に平和です。

でも、子供に見せる現実を
わたしたち大人が操作しているという事実。
そこでは、見せなくしすぎていることでも弊害が起き、
そのことで悲劇もすでに起きている。

もちろん何でもかんでも見せて良いわけではありません。
操作しなければならないのも現実なのですが、
その判断には子供たちの、
人として当たり前の感受性を育む上での
大きな責任が伴っているということは
必ず自覚しておくべきです。



                全ての物語のために









posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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