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こちらのseesaa版は、これまでの記事のアーカイブとして残します。
今後とも、よろしくお願いいたします。

2014年01月01日

「地下鉄(メトロ)に乗って」大人の始まりは自覚から




あけましておめでとうございます。
昨年のお正月は、
正月企画として「アベンジャーズ」を取り上げたんですが、
今年の正月企画は作品ではなくテーマ重視で行きたいと思います。


それは“自覚”という言葉。

たとへば…何かの折に例え話として

「大人が勉強を楽しいものだと思ってもいないのに
『勉強しなさい』というのは虐待と一緒です」

と説明したとします。

すると、自覚のない親ほど
「わたしは『勉強しなさい』なんて言ってないから大丈夫!」
と安心します。

酷い人はキレたります。

なぜキレるのか?って、
「そんな例えを出すってことは、
わたしが虐待してるって言いたいんでしょ!?」
という受け取り方をしてしまうから。

物事の受け取り方、物事からの学びとり方が
一方的過ぎるから、そこから派生させて
広い意味で自分に当てはめてみることができないんですね。

ここで言う自覚というのは、
自分が子どもに「勉強しなさい」と言っているかどうか?
とか自分が勉強を楽しいと思っているかいないか?

だけではないんです。


「大人が勉強を楽しいものだと思ってもいないのに
『勉強しなさい』というのは虐待と一緒です」


さて、あなたはどのようにここから派生させていくでしょうか?

「自分が楽しいと思っていないことを
子どもに無理やりやらせるのは虐待」

お、イイ感じですね〜。
型どおり。守破離の守、学ぶは「真似ぶ」とはこういうことですね。

少し発展してみましょうか?
型は意識しなくて良いので、そこにある原理を
考えると何が見えてきますかね?


「そう言えば…自分が言われて嫌なことを人に言っちゃダメって
子どものころから言われている基本だよな…
つまりそういうこと?」

おお!?もっとイイ感じになってきましたね。



年末年始は民放各局、深夜の映画が
とても充実します。
今年は、福岡では「ラッシュアワー2」と
「燃えよドラゴン」がカブるんですよ。
W録画ができないわたしはここで苦渋の選択を
迫られるわけですね〜。
ああ、神よ、なんてムゴイことを(笑)なんて…
幸せに年末年始を感じています。

年末の映画も充実していました。
その中で放送された邦画を観ました。


「地下鉄(メトロ)に乗って」

衣料品の営業マンの長谷部(堤真一)は
地下鉄の駅で父(大沢たかお)が倒れたという伝言を聞きます。

彼は地下道を歩きながら、暴君だった父と口論して家を飛び出し、
そのまま事故で帰らぬ人となった兄のことを思い出していました。

そのとき、彼の前を亡き兄に似た人影がよぎります。
必死で追いかけて行くと…

そこはにはオリンピック景気に沸く
昭和39年の東京の街が広がっていました。

それがきっかけで、何度も現在と過去を行き来するようになります…



なんだかこう書くと、よくあるタイムスリップもの
みたいですよね。

しかし、わたしは深夜に始まったこの映画を
観ようと思っていたわけじゃないのに、
ついつい引き込まれて最後まで観てしまいました。

浅田次郎さん原作の小説が映画化されたものらしいですね。


長谷部は過去で父と出会い、
その人生の転機になるような様々なポイントを
観ることになります。

長谷部は暴君だった父を恨み
家を飛び出して縁を切っていました。

そんな長谷部が、兄が死んだ夜、
父が愛人のところに会いに来て泣く場面に出くわします。

戦争に出たときの青年の父は
生きて帰ったら母と結婚し、子どもを三人作って
長男はどこそこの大学に入れて学者にする
二男は堅い仕事につけさせて、
三男はたいてい出来が悪いから自分のそばに置いておく。

なんて夢を語り戦場に行ったのですが
戻ってきて本当に男の子が三人できたら、
その夢のとおりになるように、
子どもたちに押し付けてしまったんですね。

こうならないといけない!と。
それも親ごころです。それが正しいと思っていた。
それが子どもたちにとって一番幸せな道だと
真剣に思っていたから、厳しくそうなるように接していた。

ところが、長男を失った夜、父は気づきます。
赤ん坊を初めて抱いた日のことを思い出して泣きます。

生まれてきてくれただけでよかった。
生きていてくれるだけで充分だった。
他に何が要ると言うのか・・・

我が子を失って初めて気づいたんですね。
それを観た長谷部も
一方的に父を責めていたことに気づき涙します。

父は親ごころの矛先を、愛の矛先を間違っていた。
初めての自覚。長谷部も初めての自覚。

でも、面白かったのは、
昔、父が「知った風なことを言うな!」と母を殴った父を
憎しみの目で見ていた長谷部が、
自分の妻に「知った風なことを言うな!」と
怒鳴るシーンがあり、長谷部は自分が父と似てきていることに
全く気づかなかったこと・・・


「わたしは子どもに『勉強しなさい!』なんて言っていません」

『勉強しなさい』って言ったらいけないと言われたら、
その言葉を言うのが悪で言わなければいいとだけ解釈する。

これは日本のお勉強への取り組み方が
作り上げた弊害ですよね。

習ったことを覚えてその通りに使う。

それは実際に猿でもできます。
だから猿真似という言葉がある。

人間の脳は、学んだことと学んだことを組み合わせて
新しいものを創っていくことができる。

新しいものの「もの」も物だけじゃないですよ、
思考や仮説や発見…

本をあまり読まない人が「ヘンに影響を受けたくない」
と拒むことがありますが、
それは読まないからヘンな影響を受けるんです。

本当に学べる人は、本だけではなく映画やマンガからでさえ、
自分の経験はもちろん人の経験からでさえ多くを学び
それら全ての学びから自分だけの価値観を発展させていきます。

だから、より“自分”を高めることができる。
ヘンな影響なんて、どんどん受けなくなるのが
本当の勉強です。

だれもが全ての経験を通して成長するんですが、
そのことを自覚している人と自覚していない人とでは、
一つの言葉に触れたときに
そこから多くのモノを学び創りだせる人か
型にはまることを覚えること、勉強だと勘違いしているという
全く違う世界観の差が出てきてしまうんですね。


「大人が勉強を楽しいものだと思ってもいないのに
『勉強しなさい』というのは虐待と一緒です」


と言われて、
「勉強しなさいなんて言ってない!私が虐待してるって言うの!?」
なんて解釈をしてしまう人は、
その次の日には、子どもに向かって
「これはこうしなさい!って教えたでしょ!
何度言ったらわかるの!
習ったことは覚えなさいっていったでしょ!
覚えられないのは覚える気がないからよ!」
なんて言っています。

奥さん、お父さん、たしかにあなたは
「勉強しなさい」とは言ってないかもしれない。

でもね、
「大人が勉強を楽しいものだと思ってもいないのに
『勉強しなさい』というのは虐待と一緒です」
という言葉から、
「あなたが悪い」という相手を否定するメッセージを発すること自体に
罪があるんだということに考えが及ばなければ、
それは、そもそも大人ですらないんですよ。

歳だけとったいかがわしい大人。

わたしはわたし自身がいかがわしい大人であることを
自覚したときから“学び”や“気づき”の速度も
スケールもアップしました。

自分が知らないということを知っている。
無知の知。
すなわち、自覚。

「大人が勉強を楽しいものだと思ってもいないのに
『勉強しなさい』というのは虐待と一緒です」
という言葉と
「あなたが悪い」という相手を否定するメッセージを発すること自体に
罪があるということが結びつく。

もちろん、それは色々なことを勉強しているから
結びついてくることなんですよね。

そういう全く違うところで学んだことが
自分の中でつながっていく快感をどれだけ沢山経験しているか?
自分の中でその快感や感動を自覚しているか?

が、本気で勉強を楽しんでいるか?ということにもなります。

だからわたしは子どもに勉強はおもしろいよ〜っ!
と言って、息子の前で本を読める。
本心だから。

そんなわたしが読んでいる本を、小学校3年生の
息子が取り上げて(大人向けのビジネス書ですよ)
自分が読めるところだけ一生懸命読んで
「コレ大きくなったら僕にちょうだい」って言われた本が
すでに2冊ありますよ(笑)。


自覚がない人は、
「これはこうしなさい!って教えたでしょ!
何度言ったらわかるの!
習ったことは覚えなさいっていったでしょ!
覚えられないのは覚える気がないからよ!」
という言葉や態度が、
「あなたが悪い」と相手を否定する態度に
なっているこということとも
結びつけて考えることができません。

なぜなら、我が子を否定する気持ちでしかる親なんていない。

我が子のためを思ってやっているんですから
その自分の愛が「否定」につながるなんて想像もしていない。

そして、
「大人が勉強を楽しいものだと思ってもいないのに
『勉強しなさい』というのは虐待と一緒です」
という言葉を
「私が虐待してるっておっしゃりたいの!?」
と自分が責められているように受け取ってしまう人は、
例えば自分の悪い部分を指摘されると、
それだけで自分を否定されたように受け取ってしまいます。

どうでしょうか?あなたやあなたの周りは大丈夫ですか?
人を否定していないつもりで無自覚に否定し続け
自分は人から否定されていないのに否定されていると思い続ける。

まさに負のループ。

ここから抜け出すのは大人の責任です。

その鍵は、自覚。
全ては自分を見つめるもう一人の自分と言う視点から始まる
自覚にある。

だから、わたしは自分が知らないことに気づけてよかった。
と言っても「もう自分は知った」と思ってしまったら、
それは思考停止を意味しますからね。

無知の知は永遠に持ち続けなければならない。
だって、こういうことを自覚すれば、
一気に悟れるわけではないですからね。

自覚っていうのは、本当に難しい。
だからこそ自覚して、自分を見つめながら
「まだ違う、まだ自分を守ろうとしてる。
まだ正当化してる。まだ心の原石にたどりついていない!」
とか、「本当にそれは正しいのか?」

と自問自答を繰り返していけます。

全ては自覚から始まる。
知らないことは罪です。
無知の知を持つということは
永遠の自覚への旅のスタートに過ぎません。

大人の幸せ力、一つのことから
より多くを学びとれる力。
それは無知の知という自覚あってこそ。

2014年、あなたも、わたし自身も含めたみ〜んなの
さらなる成長を期待して、
“自覚することの大切さを自覚する”
ことから始めたいと思います。



                全ての物語のために










ラベル:地下鉄(メトロ)に乗って 大人の始まりは自覚から あけましておめでとうございます テーマ重視で 自覚 大人が勉強を楽しいものだと思ってもいないのに 勉強しなさいというのは虐待と一緒 わたしは 言ってないから大丈夫 自覚のない親 受け取り方 広い意味で自分に当てはめてみる 自分が楽しいと思っていないこと 子どもに無理やりやらせるのは虐待 堤真一 大沢たかお 暴君だった父 タイムスリップもの ついつい引き込まれて 浅田次郎さん原作の小説 習ったことを覚えてその通りに使う 猿真似 日本のお勉強への取り組み 作り上げた弊害 学んだことと学んだことを組み合わせて 本をあまり読まない人 影響を受けたくない 読まないからヘンな影響を受ける 全ての学びから自分だけの価値観 ヘンな影響なんて受けなくなるのが本当の勉強 全ての経験を通して成長する 自覚している人と自覚していない人 一つの言葉に触れたとき 多くのモノを学び創りだせる人 型にはまることを 覚えること、勉強だと勘違い 全く違う世界観の差 あなたが悪い 相手を否定するメッセージを発すること 大人ですらないんです 歳だけとったいかがわしい大人 わたし自身がいかがわしい大人であることを 自覚したときから 自分が知らないということを知っている 無知の知 すなわち、自覚 全く違うところで学んだこと 自分の中でつながっていく快感 快感や感動を自覚しているか 本気で勉強を楽しんでいるか 我が子を否定する気持ちでしかる親なんていない 我が子のためを思ってやっている 自分の愛が「否定」につながるなんて想像もしていない 自分が責められているように受け取ってしまう人 自分の悪い部分を指摘されると 自分を否定されたように受け取ってしまい 人を否定していないつもりで無自覚に否定し続け 自分は人から否定されていないのに否定されていると思い続ける 負のループ 抜け出すのは大人の責任 自分を見つめるもう一人の自分 自分が知らないことに気づけてよかった もう自分は知った 思考停止 無知の知は永遠に持ち続け 全ては自覚から始まる 永遠の自覚への旅のスタート 大人の幸せ力 一つのことからより多くを学びとれる力 無知の知という自覚あってこそ
posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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