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2013年11月21日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン4 #3 集団感染(Isolation) 」あなたにできることは?




先日、夜、住宅街を歩いていると、
2階建てアパートの2階の端の部屋の玄関が開き
けたたましく女性の叫び声が響きました。
高校生くらいでしょうか。
勢いよくドアを開けて出てきた女性は、
何事かを部屋の中に叫びました。
すると、中から出てきたもう一人の女性…
母親と思しき年配の女性が、
奇声を発しながら、扉をドンドン叩きました。

ショックで見上げていると2人と目があったので、
わたしは目をそらして、歩きました。

2人もわたしに見られたことで、
争いの勢いを削がれたようでした…。


あらん限りの力を尽くして生きなさい…

NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」特別版で、
宮崎駿監督の引退宣言までのドキュメンタリーが
放送されました。

夏に放送されたときは
映画「風立ちぬ」完成までを追った内容でしたが、
今回は視点を変えて再編成されていました。

毎日生活に追われていっぱいいっぱいになっていると、
自分にできることをやりつくせているのだろうか?

なんて考える暇もないという人も多いと思います。
そういう人は、目の前にあることに一生懸命になれている人でしょう。

一方で、「自分はこのままでいいのだろうか」
「他にやれること、やるべきことがあるのではないのだろうか」
と考えたり、このように言葉にはならなくても、
漠然とした不安を抱えたまま、どうすれば良いか分からず、
日々を過ごしている人も多いでしょう。



FOX制作の超人気ドラマ

「ウォーキング・デッド」シーズン4

第3話 「 集団感染 (Isolation) 」を観ました。

カレンとデイビッドの無残な焼死体を発見したタイリースは、
犯人を捜し出せと保安官であるリックに詰め寄ります。

犯人は感染を広めないために殺したのでしょうが、
結局は発症者が続出してしまいます。

彼らを救うためにダリルやミショーンたちが、
まだ薬があると思われる獣医科大学へ向かう中、
発症者は隔離。

子供たちは別の場所へ待避させることになります。

ハーシェルは危険を顧みず、
そして心配するマギーやリックたちの反対を押し切って
発症者の看護に当たろうとするのでした。


カレンの焼死体を見たショックでタイリースは感情的に取り乱します。
グレンが発症したことを知り、マギーも精神的に参ってきます。

しかしマギーの妹は言いました。

役割に集中して…。
何が起きても対処するの。そうしなきゃ…。



どんどん状況は悪化の一途をたどる中、
何度も死線を越えてきたリック一味。

しかし、ウォーカーや人間を相手には戦えても、
インフルエンザにはどう立ち向かっていいのか分からない。

水を飲むのも、息をするのも命がけの環境で、
みんな必死で自分の精神を支え、
お互いを支え合っていました。


わたしが見たあの母娘は、ひどく感情をあらわにしていました。

テレビなどで見る演技にはない凄みがあった。

どうしても自分では変えられない状況というのがあります。
というかそういうことの方が多いのかもしれません。

それでも、癇癪を起して態度や暴力に訴えると、
状況は余計に悪くなります。

どんどん自分をも苦しめていきます。


ドラマの中では、みんながお互いの為に
「何か出来ることはないか」と、一生懸命です。

ハーシェルははじめ抗生物質を調達に行くダリルたちに
自分も一緒に行こうと言います。

しかしハーシェルは片足しかありません。

ダリルは「走らないといけないような状況にもなるだろう」
とハーシェルの申し出を断ります。

外にでればいつウォーカーたちや心無い人間との
戦闘に遭遇するか分かりません。

みんながみんなのために命がけです。


そんな状況のなかで、自分に与えられた役割をまっとうしたくても、
目の前にある役割が、本当に自分とって正しい選択なのか
わからない。

みんなのためだと思ってしたことが結局意味がなくて
苦しむ者もいれば、
何かをしたくてもそれが何なのかわからない者もいる。

そんな中で、自分にしか出来ないことを見つけた
ハーシェルが行動に出ます。

娘のマギーや、リックは「命取りだ」と止めますが、
ハーシェルは言います。

これはわたしが選べることだ。わたしが変えられるかもしれないことだ。
「死に方くらいはわたしに選ばせて欲しい」と。

自分の役割を見つけることで、人は生きようとする。
生きている実感をえるのでしょう。

死に方くらいは選びたい・・・。
これは決して後ろ向きのメッセージではなく、
「命の使い方」は自分で見極めろということだと思います。

自分の命をどう使うのか、
どう世の中に貢献するのか・・・

手探りをしながらそれを求めるのはとても面倒だし、
探したところで見つかるのか保障は全くありません。

癇癪を起こしたくなる時だってあるでしょう。

癇癪を起したくなったら、
目の前の状況を明らかに見て、
今自分が何を出来るか?

から考えて、その役割をしっかりと全うすることに集中する。
それが正しいのかはわからなくても、
ひとまずやれることから動いていれば、
本当に自分にしか出来ないこと、自分がやりたいことがわかるときがくる。

「ウォーキング・デッド」は現実ではありえない(今のところは)
設定を描いたエンターテインメントドラマですが、
究極の状況に追い込まれた人たちがどう生きていくのか・・・
を描くことで、わたし達の実生活上の様々な状況で
自分のことに置き換えて考えられる普遍的なテーマを
浮き彫りにしてくれますね。



                      全ての物語のために









posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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