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2013年05月25日

フジテレビ版ドラマ「家族ゲーム #6」 人は分かり合えない・・・だから



前回「ガリレオ」第2シリーズ 第6章「密室る(とじる)」
を取り上げたときに、伝えるのって難しいですよね〜
という話をしました。

本当に昔から自分が考えていることを
分かってもらうにはどうしたらいいのか?
と考えて、思春期のころはもどかしくて仕方がありませんでした。



1980年代に話題になり、何度も映像化された小説「家族ゲーム」
今、フジテレビのドラマの中でも最も注目されていると言っても
良いのではないでしょうか?

フジテレビ版!2013年版!ドラマ「家族ゲーム」

ここまでくるともう、櫻井翔さんのハマリ役と言えるぐらい
ハマッてるような気がしてきました。

前回第5話の紹介のときにこのブログのタイトルは
「自分と向き合うことの難しさ」
としましたが、
第6話では吉本先生が、お母さんに言ってましたね。

自分とも向き合いましょうよ。・・・って。
慎一に対してはもっと辛らつに突きつけましたね。
慎一自身が目を背けている事実、
彼が守りたいものは本当はなんなのかということを。


さて、今回の第6話は、
兄の慎一も吉本先生の家庭教師を受けることを、
慎一自身に無理やり承諾させるところから始まりました。

万引き現場やナイフで自転車をパンクさせている現場写真を
ちらつかせながら、吉本先生のは恐ろしいくらいの笑顔で
慎一を脅しました。

しかも吉本先生は夏休みの間、
家に住み込むといって家具まで運び込んでしまいます。

吉本先生が家族をぶち壊そうとしている事実をしっている慎一は
何が何でも辞めさせたい。

そして、本物の吉本荒野の母に頭を下げ、
吉本先生の本名を突き止め昔勤務していた中学校の教師たちの
証言を取ってきます。

それは証拠がないまでも、吉本先生が受け持った生徒を
吉本先生自身がイジメて自殺に追いやったということと、
本物の吉本荒野を昏睡状態におちいるほど痛めつけたと
疑うには充分な証言でした。

それら元に、家族会議を開いて吉本先生を辞職させようとする慎一・・・


まだまだ、このドラマはこれから面白くなりそうですね〜

とはいえ、弟茂之くんが、家族に本音でぶつかりました。
涙もろい私は泣いちゃいました(笑)


あれは、家族にも吉本先生にも伝わったんじゃないでしょうか?

そして慎一。
彼も家族に対して感情を表すようになって来ましたね・・・。

次回の予告編も「うぉ〜!!早くみたい!!」と思える感じでした!!



私はエゴの塊でした・・・
いや、今でもそうなのかもしれません。

「分かって欲しい」という欲求は常に持っているような気がします。

しかし、ある時点で気付きました。

私は考え方を理解して欲しかったんじゃなくて、
自分の感じ方全部を相手にも「同じように感じて欲しかった」んですね。

その自分を知ったとき正直「キモチワルイ」と思いました。
どんだけ人に甘えるんだよって。
これは、幼児が母親にたいして自分と親が違う人間だという
ことをまだ自覚できていない心理状態「母子一体感」
という感じ方です。

つまり「甘え」。

反対に他人は自分とは違う、ということがきちんと理解できることを
「離別感」といいます。

昔の私は自分の脳と相手の脳をつないで、
言葉じゃなくて心全部を分かって欲しいと思っていました。

自分が分かってもらうことばかり考えていたんですね。
でも、人がわかり合うというのはそういうことではない。

そういうことを「分かり合う」というのなら、
人は分かり合えないという事実をしっかりと認識することが
必要なんだなと思い至りました。

どうあがいても、自分は自分、人は人です。
ですから最終的には完全に分かり合うなんてできない。
それを無視してどうしても自分のすべてを分かって欲しい
と押し付けるのは、エゴ、身勝手・・・

幼児が親に持っている母子一体感と同じ感情です。


私たちは「絶対孤独」という部分を独り独り持っている。
そこが大人のコミュニケーションの出発点だと思います。

ところが、ある程度大人になってくると、
「どうせ人は分かり合えない」「結局は孤独なんだ」
という想いからくる寂しさから自分の心を守るために、
「じゃあ、初めから親密にならない方がいい」
「分からないんだったらもういい!」

と、背け合ってしまうことがある。


本当は
分かりあえない存在「だから」諦めるのではなくて、
分かり合えない存在「だから」伝え方を工夫してみようと
常に努力するものなんじゃないでしょうか?

そして、「絶対孤独」で寂しいのは自分だけではない。
自分のことを分かってくれないその人も、
「分かって欲しいけど分かってもらえない」ともがいているひとりです。

なら、分かり合えない存在「だから」こそ、少しでも、
1ミリずつでもにじり寄って「分かり合う」に近づこうと努力する。

それがコミュニケーションということなんじゃないですかね?



                    全ての物語のために



















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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