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2016年06月16日

アニメ「機動戦士ガンダムユニコーン(UC)RE:0096 #11 トリントン攻防」泣かないなんてヤツは信用しない



涙を見せるのはみっともない。
男が人前で泣くのはみっともない。

それは、単なる価値観です。

刷り込みによる価値観。

これまで生きてきた過程で
涙を見せることはみっともないことである
という価値観を刷り込んできた。

「刷り込まれた」という言い方をしないのは
それだと受け身で被害者的な言い方になるから、
わたし自身が好きではないのです。

これはわたしの価値観です。

後天的に自分で刷り込んだ価値観です。

意識して刷り込みました。

わたしは涙を流せる男は好きです。
人のための涙なら。

そして自分のための涙はこらえながら生きる。
どうしてもこらえられない時があって
そんなときは独りで密かに涙を流す。

さらに、景色を観て涙が出たり、
風を感じて涙が出たり…
一心不乱に生きる力を放っている
子どもたちを観て涙がでたり…

そういう感受性がある人がわたしは好きです。

「男が人前でなくなんてみっともない」
なんて言っている大人がいたら
狭いな〜と残念になる。



原作小説を先に読み進めて、そのすぐ後を
毎週のテレビアニメが追従する。
やっぱり読んじゃってると総集編みたいに見えちゃいますね〜
でも、画で見ると、活字とは違う良さがやっぱりあります。

アニメ「機動戦士ガンダムユニコーン(UC)RE:0096」
第11話「トリントン攻防」


観ましたか?

バナージはジンネマンとともに砂漠を渡り
無事に援軍を《ガランシェール》まで連れて行きます。

連邦軍に家族を殺されたジンネマン達の過去を知り、
『ラプラスの箱』をより良く使う方法を探りたいと
願うのでした。

〈ユニコーンガンダム〉のラプラスプログラムが
指示した次の座標、トリントン基地へ向かう
バナージと〈ガランシェール〉隊。

ロニはそのトリントン基地への攻撃を
フル・フロンタルに進言していました。

その頃、リディは〈デルタプラス〉で
ブライト艦長が指揮する《ラー・カイラム》に合流します。

その《ラー・カイラム》にトリントン基地が襲われたとの情報が入ります。
ジオン残党軍がカークスの呼びかけで結集したのでした。

シドニー新湾に現れたシャンブロは
無差別に市街地を破壊しながら進撃します。

ジオン残党の怨念がロニを殺戮に駆り立てていたのです。



小説ほどじっくり描かれませんが
バナージとジンネマンが砂漠を
数日かけて渡るシーンが描かれましたね。

ジンネマンやフラストたちの家族が
連邦軍の兵士たちの“ガス抜き”のために犠牲になり
戦うことしか選べなくなったことを知り、
自分がこれまでにやってきたこと
これからのことなどなど、
いろいろ考えたんでしょうか…

夜空の星を観てバナージが涙を流します。

この作品で問いかけられるテーマのようなものが
語られるシーンでもあります。

ジンネマンの話を聞いて、バナージは
さらに涙を流す。

「分かってますよ…!
男が人前で泣くんじゃないって言うんでしょ?」
「いや… 人を想って流す涙は別だ。
何があっても泣かないなんてヤツを、俺は信用しない」

そのときのバナージとジンネマンの対話です。

涙を弱さの象徴のように言う人がいますが、
そうではありません。

感受性の問題です。

感じる心を閉ざしたら、
その人の世界は寂しいものになります。

もっとも、涙を弱さだと思っている人は
寂しさを感じることですら
「それは弱さだ!」って言っている人かもしれません。

でも、感じる力を持てなければ
優しくなれないし、優しさの伴わない強さは
例え腕力を使わなくてもただの暴力です。

わたしは映画を観て泣いたり
小説を読んで泣いたり
息子の成長を観て泣いたり
息子の成長を観て喜ぶ妻を観て泣いたり

身近なことで沢山泣いています。

涙を観られるのは恥ずかしいと感じてしまうから
こらえもするけど、「こらえたい」と思った時は
目から表面張力で涙があふれるかどうかの瀬戸際…

恥ずかしいけど、みっともないとは思っていません。
なぜ恥ずかしいと感じるのかな?

とは思います。

やっぱり刷り込みです。
幼少のころにケンカで泣かされて
泣いたことをはやし立てられたり、
泣いた方が負けみたいな暗黙のルールがあったり、
それこそ映画やドラマなので
「男なら泣くな!」みたいなセリフをいっぱい聞いていたり。

これまでの人生で出会ったものが自分を創っている。
これは真実ですが、それらをどう受け止め
どう解釈し、どんなカタチに築き上げていくのか?

それは自分で決められるし、
成長するたびに解体して創りなおして行けるものです。

「刷り込まれた」価値観を認識して
正体を見極める。

自分と向き合うとはそういうことでもありますよね。



                 全ての物語のために













posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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