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2016年07月26日

小説「花物語(ハナモノガタリ) するがデビル 西尾維新 著 講談社」嫌ったからって、嫌ってくれるとは限らない



「人を呪わば穴二つ」「人を憎むは身を憎む」

なんて諺(ことわざ)がありますね。

人を憎むというのは、結局自分に返ってくる。

どういうふうに返ってくるかというと、
因果応報で自分も誰かに恨まれるとか、
そういうわかりやすいことではなくて、
自分で自分の心を蝕んでいくんですね。

自分で自分の心を腐らせてしまう。

しかしなんというか、諺というのは、
教訓と一緒に教わっても、
わたしは、むかしから「ふ〜ん」という感じで
右から入って左に抜けていく程度にしか
入ってこなかった気がします。

たま〜に、心に深く残ったりするときは、
自分が何かを経験して、
そのことを痛感しているときに、
「こういうことだよ」と親などから
その言葉を聞いたとき。
それはもう、実感を伴って自分に入ってきます。

それともう一つ。

わたしは、「北風と太陽」という話が大好きなのですが、
教訓が身に染みたのは、それが物語だったからです。

物語の中で、登場人物たちそれぞれに同調しながら
お話の世界に入り込んで、一緒に感じ入る。

だから「ふ〜ん」とスルーせず、心に残る。

物語の悪役は、教訓を残すのにいい立ち位置に
配役として立つことがよくあります。



このシリーズに出てくる悪役の詐欺師は
「このことからお前が(俺が)得るべき教訓は…」
というのが口癖です。

小説「花物語(ハナモノガタリ) するがデビル」
西尾維新 著 講談社


を、読破しました。

物語シリーズの主人公、阿良々木くんたちが
過去にタイムスリップする
怪異×時間旅行アドベンチャー「傾物語」の次に
発表された作品。

今度は、物語の時間軸がずっと先に飛んで、
阿良々木くんたちが高校を卒業した後のお話…。

ということで、またもや阿良々木不在で、
語りべ&主人公が周囲のキャラクターになります。

神原駿河。左手に悪魔の腕を宿した少女。
神原が三年生に進級した始業式の目覚めから
物語が始まります。

物語のテイストも、前作のアップテンポな
SFアドベンチャーテイストから、
静かな青春文学的なテイストに変わります。

ストーリーも緩やかに進むのですが、
文章自体のテンポがよく、スッと入ってくるので、
退屈はしませんでした。

始業式の朝、神原は忍野メメの姪を名乗る一年生
忍野扇に呼び止められ、「悪魔様」の噂を聞きます。

毎晩、左腕を柱に縛り付けて寝ている神原は、
毎朝新聞に目を通し、自分が寝ている間に
悪魔の左手によって誰かに危害を加えていないか
確認するのが日課になっていました。

「悪魔様」は女子高生らしい…

それは自分ではないか?
神原はそれを確かめるために
「悪魔様」への接触を図ります…。



阿良々木くんも、終盤で少しだけ登場します。
他に、おなじみのキャラクターで登場するのは
阿良々木の妹の火憐ちゃん。
そして、阿良々木くんや戦場ヶ原の宿敵、
詐欺師の貝木泥舟(かいき でいしゅう)です。

貝木は、神原が街を出るのを待ち伏せしていました。

初めて貝木と対峙する神原。

しかし、神原のことを「臥煙(がえん)の忘れ形見」
といって「肉を食え」と焼き肉をおごる貝木に
神原は戸惑います。

阿良々木先輩や戦場ヶ原先輩から聞いている
貝木泥舟は、まぎれもなく悪人でした。
愛する先輩や、その妹の火憐ちゃんを苦しめた憎むべき敵。

そう規定していた存在。

しかし、神原の母親、臥煙遠江(がえんとおえ)に
自分に何かあったら、娘を気にかけて欲しいと頼まれていた
と…
気の良い親戚のおじちゃんよろしく世話をやく貝木を
憎みたくても憎めなくなる自分に戸惑いを覚えていました。

そんな神原に、貝木泥舟が言います。

「好きな奴がお前のことを好きになってくれるとは限らないのと同様
――嫌いな奴がお前のことを嫌いになってくれるとは限らないんだよ。
そして嫌われてくれるとさえ限らないんだ」
(P119より引用、改行はブログ筆者による


好きな人が自分を好きになってくれるとは限らない…

これは、思春期に多くの人が経験する苦しさかもしれませんね。

でも、考えてみれば逆もまた然り。

嫌いな人が自分を嫌いになってくれるとも限らない…。

親や兄弟、そして友人(本当の友達)ならそうです。
自分がいくら嫌っても、「じゃあ、こっちも嫌う」
とはならない。

つまりそこには、大きな意味での“愛”がある。

そうなってくるともう、「嫌いだ」っていっているのが
だだをこねている子どものように感じますね。
幼稚なだけ、甘えているだけ。愛に守られているだけ。

それだけでも、う〜むなるほど〜と感慨深い言葉ですが、
更に貝木泥舟氏は言います。

嫌わせてくれるとさえ限らない…と。

嫌いになりたい、憎んでいたい、恨んでいたい…
なのに憎み切れない。

「なんで、そんなに優しくするんだよ!ズルいよ!」

って状況ですね。

嫌うというのは、実は人間関係においては
簡単でチープな方法です。
それこそ、人間関係から逃げるための簡単な方法。

貝木泥舟というキャラクターは、
小学生のわたしの息子も気に入っているキャラクターです。

子どもだから騙しやすいなんて平然と言って
中学生相手に詐欺を働き、金を巻き上げる。

そのくせ、自分なりの正義は持っているようで、
そのギャップに彼の深さやカッコよさが浮き彫りになる。

彼のキャラクターをまねる必要は全然ありませんが、
ここに、自立した大人の在り方、強さの手本を感じますよね。

嫌われるのはまったく問題ない。
ただ、自分を嫌っている相手だろうが、
自分が世話を焼きたいと思えば世話を焼くし、
また、別の話で発揮されますが、
助けたいと思えば助ける。

きっと、嫌われようが恨まれようが
自分が好きなら、好きでいるのでしょう。

そういう潔さがある。

嫌う。憎む。
というのは簡単な解決方法に見えて、
実は何も生みません。

むしろ、相手には害をもたらさないのに、
自分に跳ね返ってくる。
怒りと一緒です。自分の心を苛むだけ。

結局損をするのは自分だったりするんですね。

そんなことに心のパワーを使うくらいなら、
嫌われようがどうしようが好きでいられる自分になれるように
成長することに時間と心の力を注ぐ方がずっとずっと
人として、生産的だと感じます。

そんな示唆をしょっちゅう示すようなキャラクタだから
貝木泥舟は憎めない小悪党として
人気を博しているのでしょう。


                 全ての物語のために








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posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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