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2016年11月22日

小説「終物語(オワリモノガタリ) 中 しのぶメイル 西尾維新 著 講談社」その2 あなただけの視点が世界を変える



「あ、そういう視点もあるのか」

誰か一人でもそんなふうに感じて、
その人の世界が広がるきっかけくらいになれたら…

そんな思いで、このブログの記事を
書き続けています。

だからと言って、意識して
奇をてらった視点を紹介してやろうとか、
逆に、一般受けしそうな視点で書こうとか、

そういう打算的な意味で
話題を取り上げてはいません。
…たぶん、ほとんど…(笑)

ほぼほぼ純粋に、わたし個人の視点。
わたし個人の解釈。
わたし個人の意見。

そういうものになっているはずです。

多読家ではあるし、心理学も学んでいますし
それなりの下地は自分の外から影響を受けて
出来上がっているのでしょうが、
それでも、自分軸での思いや考えを
綴ってきているはずです。

そもそも、映画だって小説だって、
どんなエンターテインメントだって文学だって
絵画や音楽などの芸術作品だって、
作り手以外の人の目に触れた時点で
何を感じ考えるか?は見た人の自由ですからね。



やはり抜群に読みやすい西尾維新さんの
「物語シリーズ」とんとん読み進めてしまいます。
ちょうど真ん中あたりまできました。

小説「終物語(オワリモノガタリ)」 中巻 「しのぶメイル」
西尾維新 著 講談社


鎧武者との騒動が、ひとまず落ち着き
学習塾跡の焼け跡を離れ、
阿良々木くんは気絶したままの
神原駿河をおぶって移動していました。

怪異の専門家である忍野メメや影縫余弦、
詐欺師・貝木泥舟の元締的先輩、
「なんでも知っている」臥煙伊豆湖との
待ち合わせ場所、浪白公園へ向かって。

しかし、知っているはずのその場所へ
数時間かかってもたどり着けません。
途中、神原も気が付き
道に迷ったことを自覚した二人。

それはあたかも以前、蝸牛の怪異に
遭遇した時の再現のようでもありました。

らちが明かないと諦めた阿良々木くんは
臥煙さんに電話をして助けを求めます。

それくらいは自力で乗り越えてもらわなくては困る
と、一方的に電話を切ってしまうよな
臥煙お姉さんでしたが、
それでもヒントはくれ、そのおかげで
なんとか公園にたどり着いたのは午前3時。

しかしそこに臥煙さんの姿はなく、
その代わりにペアリングが切れて
行方となっていた元吸血鬼、
幼女姿の忍野忍がなぜかブランコの下で
眠っていました…



その公園でもひと波乱あり、その後
なんとか臥煙さんと合流するのですが、
そこで臥煙さんが阿良々木くんたちに
そこまでの経緯を聞かせてくれと言います。

実は、使いの式神・斧乃木余接ちゃんから
経緯報告は受けていたので
何があったのかということは大方わかっているはず。

それでも、臥煙さんは言います。

『同じ話でも、視点が異なれば、それは違う物語になるだろうからね――』
(P156より引用)

…と。

意見も事実も、人が語れば
主観というのはどうしても入りますよね。

同じ場に居合わせた人たちの証言も
食い違ってくるものです。

「HERO」という木村拓哉さんの大ヒットドラマでは
証言がまったく食い違わないことに
違和感を感じて、口裏合わせをしていることが
わかってしまうなんてエピソードもあったくらい。

だから、一つの事実を調べるためにも
できるだけ多くの視点を聞いて
浮き彫りにしていく必要がある。

たとえば二人が争った時に
どちらか一方の意見を聴いて
もう一方の意見を聴かなければ、
それは不公平ですよね。

子どものころに、「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」
とか「男のなんだから」「女の子らしく」とか、
そういう言葉で理不尽を感じた経験が
誰しも多かれ少なかれあるのではないでしょうか?

小説をたくさん読むことの利点の一つに
全編一人称で書かれている作品と、
一本の作品の中でも視点がどんどん変わる作品、
それからたまにですが「神の視点」
なんてものも登場する作品があることです。

つまり、いろいろな視点を疑似体験できる。

映画や漫画でも視点が変わり
いろいろな登場人物に感情移入できるように
計算されて作られているものが多いですが、
それでもその人物を被写体として見せてしまう
という特質があるので、客観的な視点が
どうしても自然発生してしまいますよね?

小説だと、画で見せられない分、
一人称の文体はもちろん、
三人称で書かれていても
視点は登場人物視点が主ですから
その人物の視点に無意識でなりやすい。

わたしたちは個人である以上、
話を聞くほうにも主観というものがある。

多面的なものの見方するために
いろいろな人の意見を聴くというのは
まあ、言われなくとも、もう、当たり前のことでしょう。

で、もう一歩進んで、臥煙さんは
違う「物語」になると言いました。

そこはつまり単純に主観を排するということではなく
主観も一緒に聞くという姿勢ではないでしょうか?

物語として聞くということは、
相手の感情に共感しながら聞く、
共感はできずとも感情も想像しながら聞く
ということです。

つまり多くの人の立場とその感情も勘定に入れて
ひとつの出来事を観てみる。

という姿勢。
人が関わっている以上はそこまで踏み込んで
初めて真実というか、起こったことの全体像が
見えてくるものなのでしょう。

視点というものには、それだけの力がある。
ということですよね。

だからわたしは一つのことを知りたいと思った時、
それについて数冊の本を読みます。

いくつもの視点に影響を受けながら
自分なりの視点を構築していく。

だから、わたしの視点も誰かにとって
何かのヒントになる可能性があると思っています。

わたしもどこかで、あなたの視点の
影響を受けているのかもしれませんね。


              全ての物語のために

















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posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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