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2016年09月17日

小説「終物語(オワリモノガタリ) 上  そだちロスト 西尾維新 著 講談社」身を犠牲にしてあなたを支え続けているアナタ



過去は変えられます。

起きた事実は変えられなくても
起きた事実に対する認識は変えられます。

いや、むしろ変わらないとおかしい。

子供のころも、思春期も、
社会人になってからも、いろいろな失敗をし、
傷つき、後悔も、反省もいっぱいしました。

でも、それらが全部正解だった!!

と思える経験を一度でもしていれば
わたしの言わんとすることは分かってもらえるはず。


わたしは思春期の頃から、
親しくもない女子たちが遠目から
わたしを見てクスクス笑っていることに
気づいていました。

中学でも高校でも大学でも職場でもです。

バカにされてる…

ずっとそう思っていました。
ある日、職場でそんな風にわたしを見ていた女性が
わたしに声をかけてきました。

「あなたは私のエンターテインメントです」って…
「はい?」と、初めはやはりバカにされているのか?
と思いましたが、その頬の赤らめ方はどうも腑に落ちない。

よくよく聞くと、「ファンなんです」という告白でした。
(自慢…です・笑)

それ以来、中学から大学までのあの視線は
ファンとしての視線だったのだと確信を持つことにしました。

実は大学時代にその視線を送っていた女性も
クラスで顔をかわせる機会が増えるにつれ
とても好意的な挨拶をしてくれるようになったので
「もしかしたら…」とは思っていたのですが、
この職場での経験で、もうそういうことにしちゃえ!
と自分の中で決めたのです。

バカにされているという理解から
わたしのファンだったんだという理解へ
180度、過去の認識が変わった瞬間の一例です。



幅広い人たちの間で好評化が続いている
劇場用アニメ「君の名は」
あまりの評判に、ついに見に行くことに決定しました。
来週、見に行きます!やった!!

小説「終物語(オワリモノガタリ)」 上巻
第三話 「そだちロスト」 西尾維新 著 講談社


を読んでいます。

第二話で、老倉育に毎日のように、数学を教わっていた
中学一年の夏休みを思い出した阿良々木くん。

そして、その調査に付き合った
忍野扇の誘導のようなサポートもあって
老倉が自分に・・・正確に言えば
警察官である自分の両親に、
助けを求めていたのだと気づきます。

そのことを、羽川に話すと、
羽川からもっともでシンプルな疑問が
投げかけられます。

阿良々木くんは、両親が警察官であることを
ひた隠しにしています。

それなのに、中学一年で知り合った老倉は
なぜ阿良々木くんの両親が警察官であることを
知っていたのか?と。

その秘密は第三話の冒頭であっさり明かされます。

いろいろなことを忘れている阿良々木くん。
忘れられていたことが直接の原因ではないにしろ
いろいろなことが重なり傷つき、
誰かに向けなければどうにかなってしまいそうなほどの
憎しみの矛先を阿良々木くんに向けてきた老倉。

阿良々木くんは、その日の放課後、
再び不登校になった老倉の家を訪ねようとしますが、
忍野扇がついていくと言い出し、
扇に対して尋常ではない警戒心を抱いている羽川が
「それなら私がついていくから」と…
扇VS羽川で、どちらが阿良々木くんと
老倉を訪ねるかでのバトルが始まってしまいます。



老倉との過去の出来事を忘れていた阿良々木くんは
薄情なヤツだと自分を責めます。

それに対して、世界の委員長・羽川翼がまたも
含蓄のある言葉で諭します。

「過去の自分を悪者にすることで、今の自分を守ってるだけじゃ、
結局いつまでも同じことを繰り返す――想像してみて?
いつまでも未来の自分に責められ続ける人生を。そんなの楽しい?」
(P297より引用。改行はブログ筆者による)


わたしはそれほど自分に自信を持っていません。
部分的には、迷惑なほどの自信を
周囲に感じさせるようなこともあるようですが
それは非常に稀です。

ですから、いろいろな失敗をし、
傷つき、後悔も、反省もいっぱいてきました。

あの時こうしとけばよかった。
あの時のオレはなんてバカだったんだ。
あの頃の自分が恥ずかしい…。

でも、これまでの人生でそれらの全てが
「正しかったんだ!」
という認識に変わった瞬間があります。

それは、息子が生まれた日。

世界の見え方が一変しました。
それまでに味わった苦い経験も
もちろんいい経験も、全てがなければ

しかもそれは、わたしだけではなく
妻はもちろん、わたしたちに関わる全ての人、
その全ての人に関わる全ての人たちも…

そんな全てがなければこの子は生まれてこれなかった。

そう思ったら、自分の苦い経験なんて
感謝こそすれ、否定する種類のものではない。

そんな話を、これまでも色々な人にしてきましたが、
特に子どもを持ったことがない人には
なかなか理解してもらえません。

「ふ〜ん。そんなもんかね〜」

という感じです。

仕方がない。わたしも子どもができたときに
初めて実感したことですから。
かといって、子どもを持つ大人の誰もが
そんな風に思うのかというとそれもまた違うし。

でも、この羽川翼の「想像してみて?」
ならばどうでしょうか?

「いつまでも未来の自分に責められ続ける人生」
を想像してみて、
「そんなの楽しい?」

未来の自分に責められ続ける人生

凄い視点ですよね。

今の自分が過去の自分を責め「続ける」ということは
過去の自分は未来の自分から責められ「続ける」ということ。

今日も明日も明後日も、過ぎた日の自分を責め続けるなら
昨日も今日も明日も、未来の自分に責められっぱなし。

今日も、今この瞬間も明日の自分に責められている
ということになる。

なんてことでしょう。そんなの楽しいわけがない。
過去の自分を責めると、今も未来も楽しくなくなる。

苦い経験は、当たり前ですが、思い出しても苦いです。
その苦さと向き合うのが嫌だから
過去の自分を責めてしまう。

でも、苦いと思えると言う感覚こそ、
その過去の失敗があるから持てた感覚。
それがなければ今その苦い失敗を経験したかもしれない。
今、そんな思いをしないために過去の自分が
身を犠牲にして今のあなたを支えてくれている。

そう考えたら、やっぱり責めるどころか、
感謝して助けに行きたいくらいになりませんか?

助けてあげればいいんじゃないですか?
無かったことにはできなくても、せめて
報われるという形で。


                 全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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