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2016年09月21日

小説「暦物語(コヨミモノガタリ) #10 こよみシード 西尾維新 著 講談社」物語性のない日常を支える物語



わたしの生活の基盤となっている仕事は
サラリーマンです。

決められた時間に、決められた場所に行って、
与えられた役割に従った業務をしています。

その仕事が「向いている」
と言ってくれる人もいます。

確かに、同僚たちや他部署の人たちが
上手く事を運べずに、ねじれにねじれたり
こんがらがってしまった案件を
解きほぐし紐解いて、真っ当な形に修正する…

そういうことをしているわけですから
「凄い」と思ってくれる人もいます。

年間8000件以上、10数年で
10万件以上のお客さんの相談に
のってきたわけですから、
それなりに経験を積んではいます。

でも、自慢はそういうところではありません。
誇りにもなりますが、
自分でも「凄いな〜」「ありがたいな〜」
と胸を張って思えるのはそういうことではないんです。

わたしは、ここ数年、無遅刻無欠勤です。
数年前に一度体調を崩し相対したことがありましたが
その日までも、ずっと無遅刻無欠勤でした。

「ああ、なるほど。あなたの自慢は皆勤賞ですか」
「あなたの自慢は健康ですか」

まあ、外れてはいないんですが、
それもちょっと違います。



西尾維新さんのデビュー作がOVAで
アニメ化されているそうです。
そのデビュー作を読み始めました。
近々紹介することになると思います。

小説「暦物語(コヨミモノガタリ)」 西尾維新 著 講談社
第10話 「こよみシード」


を読みました。

一月中旬、大学センター試験からの帰り道、
阿良々木くんは斧乃木余接と偶然出会います。

聞けば彼女は、暴力陰陽師の影縫余弦に頼まれて
ある探し物をしているのだと言います。

阿良々木くんは勉強で忙しいのですが、
放って帰るのも気が引けてしまい
結局、探し物を手伝うことにしました。

阿良々木くんが何を探しているのかと
余接に聞くと、余接もわからないと言います。

それでも『ひと目みればわかるもの』だと…



阿良々木くんは、この探しものの後、
なぜ余接が自分に手伝わせたのか?
疑問に思い、後日ふと羽川翼に話をします。

そのときの羽川の言葉…

「何も起きない、事件性のない、
物語性のない状況っていうのは、
案外、誰かの気遣いとか、
によって支えられてるものだよね」
(P375より引用、改行はブログ筆者による)


阿良々木くんは人ごみの中で
少女である余接に「乗って」
周囲を見渡すという目立ちすぎる姿で
探し物を手伝ったりしていました。

その様子から羽川には、
余接の思惑が分かってしまったのです。
その時期にその町で起きていたこと、
これまでの物語シリーズでも
クライマックスのひとつとして描かれた出来事。

そのクライマックスは長編として描かれましたが
この短編がそこに関わるなんて、
この話のラストの羽川の謎ときまで
全く想像できません。

何事もなく…何事もなかったように
スルーされる日常。

そういう日常を送れるのは、
実は誰かが気遣ってくれているようなことに
支えられている。


わたしが無遅刻無欠勤…皆勤できているのは
わたしが当たり前にそれをできているのは
影に妻や息子の存在があります。

この10年間に何度か…本当に数えるほど何度か
ですが、電車が止まって、妻の運転で
車で送ってもらったこともあります。

それがなければわたしの皆勤記録は
崩れていました。

当時息子は保育園、妻も仕事をしていました。
二人とも自分たちは遅刻して、
わたしが遅刻しない様に送ってくれたわけです。

遅刻しない、休まない。

言ってしまえば『当たり前』のことです。

遅刻したり、休日でもないのに休むというのは
「何事か」が起きてしまった非日常です。
当たり前ではない出来事です。

当たり前のことを当たり前にできている。

そこには必ず支えてくれている
誰かの存在がある。

日常を日常として生活できているということの裏には
必ず支えてくれている人たちが沢山いる。

わたしが自慢したいのは、
日常を日常として生きていられるということです。

不満や不安などマイナス面を知らなければ
喜びや感謝などのプラスの感情も感じられない。

でも、平穏無事という、当たり前が
その両方を支えているからこそ感じられるものですよね。
プラスもマイナスも。

自分が生きていること、部下や従業員が
当たり前に出社してきてくれること、
それは「当たり前」を支えている人たちの
もしかしたら大きな犠牲の上に成り立っている。

それは決して「当たり前」ではなくて
「有り難い」ことであるはずですよね。


                  全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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