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2016年08月13日

小説「恋物語(コイモノガタリ) ひたぎエンド 西尾維新 著 講談社」可愛くてカッコイイ嘘つき



イチローみたいになりたい。

とは思います。

いや、メジャーリーガーとかスター選手とか
そういうことに興味があるわけではありません。

そもそも、野球なんて見ないし。

そういうことではなくて、
コツコツと、そして淡々と、自分のやるべきことを
積み重ねて、気がついたら圧倒的な結果を出している。

“本物”を感じますよね。
努力する天才。

じゃあ、実際のわたしはコツコツと淡々と
やるべきことを積み重ねられているのか…?

(笑)まあ、お恥ずかしいですが
わたしの中身は怠け心満載で、
わたしの行動はその怠け心に大いに影響を受けています。

きゃ〜!恥ずかしい。

それでも、何か一つくらいは、
淡々とコツコツと愚直に続けて行くものを持ってみよう。
しかも、生活のために行くしかない会社の仕事…
みたいなことではなくて、
やらなくても誰も困らないし責任もないけど、
自分でやると決めてやり続けること。
そんなものと持ってみよう。

このブログを始める時はそんな気持ちを持って始めました。

わたしはイチローにはなれない。

どうしようもなく怠けたい自分をしっているし、
本当に怠けたい、心底怠けたいわけですから
もうその時点でイチローとは違う。

でも、本気で怠けたい気持ちを満たして
逆にやりたいことがあるときは思いっきりやれる人生を目指すなら
それはそれで“本物”にならなければなりません。

本物になろうとしなければなりません。

本物になろうとする。その姿勢の見本であり
愛すべきキャラクターが語りべを務める
大好きな物語があります。



西尾維新さんの「物語シリーズ」にハマったのは
小学生の息子がTSUTAYAでアニメの予告を観て、
借りてみたいと言ったのがキッカケです。
その息子がシリーズの中でもっとも気に入っている話の原作

小説「恋物語(コイモノガタリ) ひたぎエンド」
西尾維新 著 講談社


を読みました。

物語シリーズ、セカンドシーズンの最終巻、
という位置づけだそうです。

元日、詐欺師・貝木泥舟は、
京都の有名な神社にいました。

初詣の参拝客を観察しに来たのか何なのか?
語りべである貝木本人が詐欺師で
彼の言うことは全て「かもしれない」でけむに巻かれ、
結局何が本当なのかわかりません。

そこへ、戦場ヶ原ひたぎから電話が入ります。
2年前、戦場ヶ原が高校1年生のときに
貝木が詐欺にかけ、一家の財産を絞りとり
家族を離散させた戦場ヶ原家の一人娘。

「偽物語 上巻 かれんビー」で、
戦場ヶ原と阿良々木暦から、
二度と彼らの町に入るなと言われ、
携帯は戦場ヶ原に破壊された貝木。

よもやそんな戦場ヶ原が新しい貝木の
携帯番号を突き止めて連絡をしてくるとは…
しかも彼女は貝木に言います。

「騙して欲しい人がいる」と。

嘘が癖になっている貝木は
「どこにいるの?すぐにそっちに行くわ」という
戦場ヶ原の問いかけに、とっさに「沖縄」
と返答してしまったせいで
沖縄の空港で戦場ヶ原と待ち合わせます。

事情を聞くと、戦場ヶ原とその恋人の阿良々木は
3月の卒業式の日に蛇神と化した千石撫子に
殺されることになっているのだとか…
だから、中学2年生にして神となり神社に祭られている
千石撫子を騙して、阿良々木とできれば自分の命も
助けて欲しいというのです。

貝木泥舟は考えた末、赤字覚悟で見ず知らずの
千石撫子を騙すことを決めるのでした…



これまた非常に読みごたえのある話、
そして怪異譚でした。
アニメも見応えがありましたが、
語りべが貝木本人で、アニメでも当人の
ナレーションは入るのですが、どうしてもカットせざるを得ない。
地の部分が全部ナレーションみたいなものですから当然ですよね。
(このシリーズは全てそうなのですが…)

それが、詐欺師・貝木泥舟の語りとなると
一味違うわけですね〜

なぜでしょう。貝木泥舟は小悪党です。
人を騙して金を巻き上げる。

そんな貝木は冒頭のあたりで語ります。
自分をも騙し騙し生きていると。

西尾維新さんは「100パーセント悪趣味で書かれた小説です」
と言っていますが、この貝木の自分をも騙しながらという
在り方の裏にある、自分に騙される前の自分というのが
効果的に滲みでてくる作りになっているわけです。

だから、貝木の人とそいての心が滲み出て、
貝木がとても可愛らしく、そしてとてもカッコイイ男に見える。

読者がそう思うことこそ、語りべである貝木の思うつぼ…

というスタンスで書かれてもいるのでしょうが、
読んでいる方もそれが心地いい。

人から嫌われることを恐れず…いや、そう在ろうとし、
一匹狼でいることを好み…いや、好んでいると自分に言い聞かせ、
淡々と“騙し”続ける。

ところが、彼が為すことは結局、
彼なりの正義を貫いた結果…ということも実は多いようです。

それでも言い訳はせず、むしろ嫌な人間になりきっている。

「偽物語 下巻 つきひフェニックス」で、
貝木泥舟と大学の同期だったという陰陽師の
影縫余弦が、自分と貝木と、もう1人の同期
忍野メメの考え方の違いを説明する場面がありました。

本物と全く変わらない偽物と、純粋な本物。
どちらが価値があるか?

ということに対して、
影縫はもちろん本物に価値があるといい、
忍野は当価値だと言う。
そして、貝木はというと偽物の方が価値がある
と言ったのだと、影縫は説明していました。

本物になろうとする意志があることが
何よりも価値があるんだと言っていたと。
「どうしようもない小悪党なのに
言うことだけはカッコイイ」とも言っていました。

まさにそんな考えの貝木の生きざまが
本人は隠しながらも滲み出ているような一冊。

キャラ自身が一人称で語るという作品の中で
これほどまでにそのキャラクター性を感じる作品も
珍しいかもしれません。

ブラック・ジャックやキャプテン・ハーロックや
ルパン三世のような“本物”ではない貝木。

でも、本物で在ろうとするその姿勢が
時にいじらしさ可愛さをかもしつつ、
その潔さにカッコイイとしびれもする。

自立した精神を持とうとすることが幸せ力の基本。
人に依存せず、自分の感情は自分で責任を持つ。
それが、このブログが目指す幸せ力のポリシーみたいなものです。

そうなることが目的というより、
そう在ろうと、そこに近づこうとする在り方。

本物になろうとする在り方。

面白おかしく、天の邪鬼的にねじれているけど
一つの見本・手本として、またわたしのリストに
ひとつのキャラが加わりました。


               全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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