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2016年07月09日

小説「偽物語 下 つきひフェニックス 西尾維新 著 講談社」その3 他人と家族の境界線、家族と自分の区別



他者と自分の境界線というものがあります
それと同じように他人と他者の境界線もある。

家族というのは他人ではありません。

しかし、家族というのは自分でもない。
他者ではある。

人は成長過程でこの境界線を
理解していくものなのですが、
わたしたちが人生で思い悩むとき、
それはほとんどがこの境界線が
あやふやになっているときに起こっています。

もちろん、境界線がはっきりしているからと言って
突き放して無関心になるということではないし。
たとえば、愛する人の病を知って
辛くなくなるわけでもないですよね。

ただ、事実を受け止めることしかできないし
そばにいることしかできない。
無力感を受け止めることしかできないこともあるでしょう。

それでも、そばにいることはできるし、
それが何よりだということも言えることもあります。

決して一心同体の同一人物にはなれないし、
相性が合わない、性格が合わない
と衝突したりもするでしょうが、そんなのは当たり前です。

ただし、境界線があるからと言って、
他人に対する礼儀のように、家族に対して遠慮をするのは
それはまた違う。

水臭い…という状況もありますよね。

家族には家族の最適な距離感というのがある。



この物語に振れたことがない人、
これから振れるかもしれない人にはお伝えしておきます。
ネタバレ的な要素もあるかもしれません。
「え〜!先が読めちゃった!」となるかもしれません。
そこをあえて隠すためにストーリーは紹介しません。
また、アニメのDVDの告知では思いっきりネタバレしてたので
まあ、そこがわかっていても存分に楽しめる作品ということです。
…という前ふりを踏まえて、
クライマックスでの主人公阿良々木くんと
敵対するキレイ系正義の味方である影縫さんとのやり取りを
一部抜粋させていただきます。

小説「偽物語」 下巻 「つきひフェニックス」
西尾維新 著 講談社


影縫「おどれがどんな価値観持とうと、
どんな正義感持とうと勝手やけれど――
そんな理想を他人に押し付けんなや」
阿良々木「……他人じゃねえよ」
「他人じゃありません。家族です」
「家族には、僕は理想を押し付けますよ」
「家族なんだから、嘘もつきます。騙します。
迷惑もかけます、面倒もかけます。
借りを作ることもあるでしょう、恩を返せないこともあるでしょう。
でも、それでいいと思ってます」
「影縫さん――正義の味方さん」
「偽物であるということが悪だと言うなら、
その悪は僕が背負います。
偽ることが悪い事なら、僕は悪い奴でいいんです」



自分と他者との境界線とか
「わたしはわたし、あなたはあなた」
という区別の話をし始めると、
「そんなに突き放した考え方をするなら家族じゃない!!」
みたいなショックを受ける人もいます。

わたしもこのブログで良く取り上げる“母子一体感”

「こんなこともわからないのか?」
「ちょっと考えれば分かる事だろう!」
「こんなことは誰にでもできる」
「なんでそんなバカなことやってるの!?」

人の行い、考え方、発言などを目の当たりにして
そんな風にイライラしたり、
手出し口出しせずにいられなかったりする。

これは無意識が自分の体と心と
他者のそれは別のものであるという
区別ができていない状態。

幼児が母親と自分の区別ができていない状態のこと
それが“一体感”“母子一体感”というんですね。

他人だったら放っておけるけど
家族だから黙っていられない。

ということもあるでしょう。
例えば、散らかしっぱなしで使ってもいない。
どう見ても不用品だろう思って、
家族のものを勝手に捨てる。

でも持ち主にとってはとても大切なものだったりする。

これはモラハラにもなりかねないくらい
相手の心を土足で踏み荒らしたことになります。

断捨離のやましたひでこさんも
断捨離のルールとして、
家族でも断捨離するのは自分のものだけ、
勝手に自分のものではないものを捨てないように
注意をしています。

要するに自分の感じ方、価値観を
「お前もそうであれ!」
と“押し付ける”のはダメ。

境界線を土足で踏み越えている状態なんですね。

でも、阿良々木くんは言います。

「家族には、僕は理想を押し付けますよ」

ただ、このシリーズを読んでいると
非常に真っ当なのがわかりますが、
阿良々木くんの家庭では
「お前もそうであれ!」を強要はしない。

「こうあって欲しい」というのは
バンバン口論し合っているけれども
相手の領域を無理矢理侵さない。

つまり阿良々木くんが押し付けているのは
「オレはこうだ!」って事なのではないでしょうか?

「自分はこうなんです」「コレが自分です」
「自分はこれが大事なんです」
を、家族に主張する。
色々言われたって、僕はこうなんです!!
と・・・つまり押し付ける。

でも、そこから
「だから家族も僕みたいになれ!」
「同じように考えろ感じろ行動しろ!」
とはならない。

それが境界線。

「お前がこうあれ!」
という押しつけではなく
「自分はこうだ!」
の押しつけ。

それは、わがままで迷惑な話ですよ。
社会に出たらそれも許されないことも多い。
社会のルールは、「自分はこうだ!」
を誰もが周囲に押し付けるには狭すぎます。

家族だから許される。
家族だから甘えられる。

むしろ、家族の場合、それをしないと
水臭いと言うことにもなりかねない。

健全な家族だと、その距離感で
見守ったり、必要な時に助けたり、
時に厳しく自立を促したり出来る。
お互いの疎ましさすら認めあえて許しあえる。

でも“母子一体感”バリバリの家族は
お互いにかまい過ぎて、許さな過ぎて
疎ましいどころか邪魔で、否定して…
存在を否定して、殺してニュース沙汰…

なんて、現実にテレビで目にしますよね。

そうはならなくても、家族が離縁するほどの
愛憎劇を繰り広げている家庭もいっぱいある。

離婚だ!勘当だ!家出だ!
って…

家族は家族。
身近な大切な人たちです。
例え傷つけあっても、嫌われても家族。
他人ではありません。
でも、自分ではない。

一心同体とくっついてはいない。
常に手をつないでいるわけでもない。
でも、手を差し出せば頬に触れられる距離にいる人。

親しき仲にも礼儀あり。
その礼儀には他人では礼儀に反することを
逆に家族にはやるのが礼儀でもある。

自分、家族、他人。

この距離感は、簡単ではないけれど
傷ついたり、傷つけられたり、
助けたり、助けられたり、
見守ったり、見守られたりする中で
自分を自分で客観視できる人だけが
間違い続けながら徐々に
身につけていくものなのかもしれません。


              全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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