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2016年10月16日

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い 西尾維新 著 講談社」その7 人間は本当は凄い、だからわたしもあなたも



バラエティ番組は嫌いではありません。
時間があれば、もっと観たいし観ていたい。

毎年、なんとか「笑ってはいけない」シリーズ
だけは全編を録画して観るようにはしていますが、
それ以外のバラエティは食事の時に
妻や息子が観ていたらその時だけわたしも観る。

という程度です。

ただ、バラエティを代表する
“もっとも多く見られているテレビ番組”
が、日本の平均を作っているな〜とい危機感は
非常に感じているのも事実です。

それをバラエティ番組の弊害だとか、
バラエティ番組を悪く言うつもりもありません。

むしろ、演者さん達の在り方は
本来学ぶべきことがたくさんあるのも知っています。
一年間だけでしたが、わたしもゴールデンタイムの
誰もが知っている番組のカメラの後ろにいました。

画面の中でバカをやっている人たちの
準備中やそのバカを面白く見せるための真剣さ、
それから現場に現れてから終わって去っていくまでの
礼儀正しさは、今普通のサラリーマンをしていて
普通に町で見る光景とは比べ物にならないくらい
きちんとしています。

彼らが作っている番組ですし、
多くの人を引き付けて人気を得ている番組なのですから
その中でやっていることも、番組自体の構成も
本当はストーリーセラピーとしても
充分に参考にできるくらいプロフェッショナルの技が
ちりばめられているのですが、
どうも、世の中ではそれが作られたエンターテインメントだという
認識が希薄なような気がします。

そう思わせないのもまた、プロたる所以なのですが…

それは、番組の弊害ではなく、わたしたちがわたしたち自信を
どう認識しているか?

ということに問題があるのではないでしょうか?



次はどんな小説を読みましょうかね〜
昨日、情報バラエティ番組を観ていたら
冲方丁さんの新作「十二人の死にたい子どもたち」(文藝春秋)
という小説が紹介されていて、とても惹かれてしまいました。
わたしの場合、小説は文庫化されるまでは基本は読まないんですけどね…

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」
西尾維新 著 講談社


ひとまずこの小説は最後の紹介とします。

さて、絶海の孤島で起きた
連続首なし事件。

いーちゃんと玖渚は、その真相を暴き
普通の生活に戻っていましたが…

本来その事件を解決するはずだったのは
劇中何度も名前だけ出てきた哀川潤なる
万能の天才である請負人。

自分の役目を横取りされたその人物は、
黙っているのか?



後日談として登場する哀川潤。
まあ、マンガみたいにメチャクチャなキャラです。

そんな彼のセリフは、それでも印象的でしたので
引用します。

だけどお兄ちゃん、お前は少しばかりサボり過ぎだ。
人間っつうのはもっとスゲエ生き物なんだからよ、
ちゃんとしろよ、ちゃんと
(P373より引用 改行はブログ筆者による)



これはもう、自分に言われているような気がしましたね。

わたしはこの小説に出てきた天才たちのように
ずば抜けてヘン人になってしまうような天才ではありません。

でも、自分も天才だと思っています。
正確に言うと自分も天才だと
「信じようとしている」のかな…

でも、いわゆる凡人たちみんなが天才だと
わたしは信じているので、
ならわたしもそうなのです。

こどもはみんな天才!

なのですから。

わたしたち大人はそのこどもが成長しただけ。
才能が死んだわけでも失われたわけでもない。

才能を技術として磨いてこなかったということはあっても…
才能を信じていないがゆえに能力として
使われることがないということはあっても…

なんの才能もない…ということにはならない。

最近のハリウッド映画やテレビドラマ。
マンガや小説やアニメ。

よくできた物語に触れれば触れるほど、
自分がかつて映画監督を目指していたことを思い
「こんな才能はないな…」と
正直思い知らされることも多いです。

もしかしたら、小説を書いたり、脚本を書いたり、
映画を監督したりということに対しては、
まったく才能がないわけではないけれど
それだけを貫いて作家になれるほどの才能はない。

それが現実なのかもしれません。

でもそれは、職業の名前であって、
物語に共振する自分の中の何かが
とてつもない力を伴って動き出す感覚というのは
いつまでも消えない。

きっと、そこにそのほかの才能と交わって
何かを為す力へと変化させていける。

そんな気配は強く強く残っているので、
なにも絶望はしていないし、夢を諦めたとも思っていない。
思っていないと言うより、全く感じていないんですね。

でも、哀川潤のいうように、
まだ「サボり過ぎ」なのかもしれません。

もっと「ちゃんと」すれば、もっとわたしの中の“気配”が
具体的な形となって、力となっていくのかもしれない。

だとすると、その「ちゃんと」の正体を
見極めて実行すればいいだけということになりますね。

あなたはどうですか?

哀川潤は
「人間っつうのはもっとスゲエ生き物なんだからよ」
と言っています。

語っている相手や自分のことだけを指して
特殊な人間みたいな言い方はしていない。

人間全体の話しをしています。

常識や平均や凡庸が、わたしたち全体の潜在意識が
わたしたちにできることへの認識を下げているだけ
みんなで仲良く「このくらいが平凡」と
思いこもうとしているだけなのかもしれませんよね。



                    全ての物語のために


















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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