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2016年10月14日

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い 西尾維新 著 講談社」その6 虐待と疎外の違いと共通点



小説を読むというのは、自分自身と対話をすること。

中学だったか、高校だったか、
国語の先生が言っていたような気がします。

わたしは教科としての「国語」は好きではありませんでしたが
そのことだけは妙に腑に落ちて、ずっと残っています。

高校卒業間近まで、小説なんて
教科書以外で読んだこと無かったくせに(笑)

小説にはいろいろな登場人物が出てきます。
彼らが語る言葉、彼らの思考には
読んでいるその人自身が投影される。

物語の中に自分を見つける…なんて言い方もありますが、
共感できる部分があるとかそういうことになるのでしょうか?

わたしは小学時代から息子が生まれる直前までは
マンガはかなりの数を呼んできました。
映画やドラマは今でもかなり観ている方です。

小説に比べるとサラリと、ただ消化するエンタメ…
ただのヒマつぶし…みたいな扱われ方を
することも多いのかもしれませんが、
共感して、物語の中に自分を見つけるのは
どの媒体にも共通した“機能”ですよね。

それが物語の役割でもあるからでしょう。

「クビキリサイクル」はライトノベルと言われる類で
十代向けとして、文芸や一般の推理小説などからすると
マンガに近い感覚で軽視されている向きもあります。

しかし、実際に読んでみると、
確かに十代でも読みやすいかも、と思われる部分は
感じられても、だからと言って内容が軽いとか
内容が薄いと言うモノでもなく、むしろ深かったり
表現の幅が自由なのか、よりその深みを増している
とさえ感じられるものもあります。

西尾維新さんという作家さんは、
そんなライトノベル作家の代表なのかもしれません。



スマホがないころは、本を読んでいてふと思うことが合っても、
思うだけで終わることも多かったのですが、
今は、スマホで簡単にメモを取れるので、
一冊の本を何度も紹介したくなっちゃいます。

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」
西尾維新 著 講談社


次回、もう1回だけ紹介して最後にしますね。

五人の天才と二人の付添人が呼ばれた
絶海の孤島で起きた
連続首切り死体事件。

調査と推理に乗り出したいーちゃんと
玖渚友にも危機が迫ります。

万能の請負人、哀川潤を呼んだので
すぐに解決する…

哀川信者の孤島の主、イリアは
そう信じていますが、謎を解いてしまった
いーちゃんと玖渚は反撃を開始…。

島に集まった人たちは?
そして哀川潤といーちゃんたちが
相まみえることはあるのか?



P188で気になるセリフがあったので引用します。

いじめられていた? それは違うな。
きみは多分疎外されていたんだよ。
疎外と虐待は違うよ。
子供は弱者と嘘つきを虐待し、
異端を疎外するものだからね。
(改行はブログ筆者による)


まず、前提として「いじめ」と「虐待」は
当たり前に同一のものとして扱われています。

そのあたりを理解しないまま大人をやっている
恥ずかしい人間が多い中で
「そんなことは常識」と言わんばかりの文章展開ですね。

このセリフは、主人公のいーちゃんが
自分がいじめられていたという認識をもっていることに対して
ある登場人物が投げかけるセリフです。

いーちゃんはいじめられていたと認識していた。

疎外感を与えるといういじめの方は実際にあります。
“仲間外れにする”と言えば分かりやすいでしょうか?

しかし、このセリフを言っているのは
島に集められた天才の一人です。

異端として、“普通”の人たちから
浮いていたのであろう人物。

その人もまた疎外感を感じていたのでしょう。

大学生のいーちゃんは、ふと過去を振り返ったときに
人生の先輩である一人の“天才”から
自分の過去に対する別の解釈を聞かされる。

それをどう受け入れるのかは、いーちゃん次第ですが
この違う視点を知るということがまず
成長ポイントですよね。

そこから、虐待と疎外の違いを考え始めたり
自分の場合も、あれはたしかに疎外だったのかも…
と受け入れられたら、いじめられていたと言う過去は
消えてしまうことになります。

疎外されていた、あるいは、疎外感を感じていた過去。

という認識に変わる。

これは読者も同じですよね。

わたしもこの場面を読むまで、虐待と疎外を並べて
区別してみたことはありませんでした。

わたしが感じたのは、疎外感を感じている人は
いじめられていると思っていることもある…

という捉え方です。
ここには注意を払う必要はあるのかもしれません。

こういう気づきのひとつひとつが
自分の成長なんだろうと思うと、やっぱり辞められませんよね〜



                  全ての物語のために
















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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