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2016年10月12日

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い 西尾維新 著 講談社」その5 サラリーマンの責任ルーレット



責任問題ですよ!
責任の所在をハッキリしなさい!

明らかに間違ってしまったり
失敗をしたりして人に迷惑をかけたら
謝りますよね。

でも、組織の中で対お客さんがある時に
お客さんから見たらその組織に責任がある。

それは組織の人たちも分かっている。
で、その組織の中でどの部署が、
どの人が責任を取るか…

で、もめるわけですね。

こうなってくると、責任て一体何なのよ?
ってだんだん本末転倒感がぬぐえなくなります。
責任という言葉だけにヘンな付加価値がある。
マイナスの付加価値?

そこで、
「いいですよ。お客さんにはわたしが謝りますから」
と手を挙げると、その責任が霧消することがあります。

なんだコレ?

って思いますよね。



ムムッ!小説を読みたいのですが、「これを読みたい!」
という感覚が今鈍っています。時々あります。
そう言えば、この映画観たい!!このドラマ観たい!!
という感覚が鈍っている…原因はストレス過重です。
ワカッテイルノ…

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」
西尾維新 著 講談社


を読破しました。

五人の天才(女性たち)と
二人の付添人(男性たち)が集められた
絶海の孤島。

そこで起こる連続首なし死体事件。

天才たちを集めた島の令嬢イリアは
彼女のヒーローでもある万能の天才で
請負人の哀川潤を呼んだと宣言。

哀川がくるまでは誰も島から出るな
と言い渡します。

しかし、哀川が到着する日というのは
いーちゃんと玖渚の予定では
もう島を出て帰っている頃です。

いーちゃんと玖渚は自分たちの推理で
反撃に打って出るのでした。



P160から引用します。

世の中は理不尽にできてはいるが、
自分でやったことの責任は
自分でとらなければならないようにもできている。
ただ、自分でやってないことの責任も
とらなくてはならない場合がままあるというだけの話だ。
(改行はブログ筆者による)


社会人になったらすぐにぶち当たる壁。
「納得いかない」ということの多さ、
をとてもよく言い表していますよね。

社会人ではなくてもそうかな。
高校生くらいからアルバイトをしている人もいれば
中学生くらいの部活動などでも
似たような思いを経験している人は
いるかもしれませんね。

こういうことが嫌だからリーダーにはなりたくない。

というのもあるのかもしれません。

…というか、できあがった組織。
人に言われてできあがったチーム。
などの中ではわたしは率先してリーダーには
なろうとしません。

だから、人ごとのように言っていますが、
モロにわたしのことですね。

じゃあ、リーダー経験が全くないのかと言えば
そうでもありません。

自分で言いだしたことは自分でやるしかない。

映画を作るときもそうでした。
沢山の人に協力をお願いして、スケジュール調整をして
演技やらなにやら決定権は全て自分にある。

決定権があるだけではなく責任も全て自分にある。

作品の出来…に対する責任もそうですが、
例えば撮影隊が周囲の人たちの邪魔にならないかとか
撮影に来てくれた人がケガをしないかとか…
いろいろなところに責任が生じてくる。

ダブルブッキングをして手伝ってくれる人に
迷惑をかけたこともありました。

撮影隊の他の人が一般の人に迷惑をかけると
(幸いわたしの場合はそんなことはありませんでしたが)
それもわたしが謝らなければなりませんよね。

現場の責任者ということになるのですから。

リーダーになると部下の責任もとるわけです。
そうなると、
『自分でやってないことの責任も
とらなくてはならない場合』
に当てはまるのでしょう。

わたしの場合は自分の考えたアイディアを
実現するためのチームをわたしの声かけで集めるなら
その覚悟は出来ますが、
人が実現したいことの手伝いをしているときに
その責任をお前が取れっていうのが気に入らない。

だから、本当は従業員というのに向かない。
要は、その部分が大人になりきれていない、
ということなのでしょう。

誰かが実現したいことを手伝う。応援する。

それだって立派に自分が下した自分への決断です。
だったらその立場に立つという覚悟は持って
引き受けないといけないのが大人の仕事でしょう。

そうでなければ「言われたからやっている」
「やらされているだけ」という逃げ腰のやっつけ作業になる。

わかっているからこそなかなかそのポジションにはいけない。
やるならちゃんとやらないといけないから…

これって、多くのサラリーマンに共通するメンタリティですよね。

ところが、そのポジションに手を挙げたリーダーたちが
みんな本当にそんな責任感でそのポジションにいるのか?

というと、残念ながらそうでもない。

うまい具合に責任を回避して自分は逃げ回り
手柄のアピールだけは長けていたりする。

じゃあ、その責任は誰に行くのかと言えば
部下であったり、更にその人の上司であったり。

つまり、そういう意味でも
『自分でやってないことの責任も
とらなくてはならない場合』
というのがめぐってくる。

これはもう、どんなに逃げ回っても
サラリーマンである以上はついて回る危険性。
ですよね。

だったら、自ら率先して責任を取るリーダーに
名乗りを上げるのか?
出来るだけ逃げ回るのか?

それはもう、自分が決めればいいと思います。
ただしその決断、その選択に対する責任は自分で負うこと。

それが絶対のルールですよね。


                 全ての物語のために
















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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