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2016年10月06日

小説「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い 西尾維新 著 講談社」その3 自分の才能を自覚しているか?



生まれたときはみんな才能に恵まれているし
価値のない人間なんていないでしょう。

しかし、成長していく上で自分の価値を見失ったり
自らつぶしたりしていく。
才能も同じです。
才能に気づいて磨く人もいれば、
何が自分の才能かわからないまま
磨くことすらできないでいる人もいる。

中には才能のあるなしに関係なく
努力して、秀でた能力を身につける人もいます。

それはその人が自覚していないだけで
その能力を伸ばそうと選べたことが
実は才能を見つけたことと同じだし、
それを磨こうと努力できることそのものがもう才能…

という見方もあるでしょう。

いずれにせよ、伸ばす能力を決めて、
自覚して伸ばしていけるというのは
それは幸せなことです。

誰にとって幸せかと言うと、本人はもちろんですが、
周囲の人にとっても。

逆に、自分の才能に気づけないままでいること
磨く能力を決められずに、自分の価値を
自ら落としていく人というのは、
本人が面白くないだけではなく、
実は周りにとっては迷惑どころか…暴力です。



昨日の朝、案の定、5時には雨が降り始め
家を出た5:30には土砂降りとなりました。
タイミング悪いな〜と思いながらも電車が
遅れ始める前に乗れたのはやっぱりよかった…

小説「クビキリサイクル」
西尾維新 著 講談社


暫く読めていませんでしたが、
間もなくクライマックスのようです。

絶海の孤島に集められた五人の天才たち。

その島に住む財閥の令嬢が
趣味で天才を島に招待しているとのこと。

工学の天才・玖渚友と
その付添人のいーちゃん、
そして天才たちは、
首なし死体事件に巻き込まれていきます。



『能力に秀でた人間には二種類ある。
選ばれた人間と、自ら選んだ人間。
価値のある人間と、価値を作り出す人間とだ。』
(P82から引用 改行はブログ筆者)


面白い文章だったので、一部引用しました。

このように書かれると、
「価値を作り出す人間ってカッコイイな」とか
「価値ある人間と価値のない人間がいるなんておかしい」
とか、言いたくなります。

別にキレイゴトだとは言いません。

どっちもわたしの感想ですから(笑)

例えば大統領と一人の兵士。
クールな話、国という視点から見ると
大統領一人の命の方が圧倒的に価値がある。

なんて悲しすぎる現実が見えてくるし、
それだけで考えることが山積みになりますから
ここではその視点は一旦置いておきます。

今回わたしが考えたのは、
わたしたち一人一人が社会に対して
周囲の人たちに対して与える価値のことです。

ここで語られる価値もきっとそういうことでしょう。

『選ばれた人間』というのは天才
『自ら選ぶ人間』というのは秀才
ということになるのでしょうか。

いずれにせよ秀でた能力を発揮できるなら
それは人のためになりますから「価値がある」
ということになるのでしょう。

しかし、生まれたときは誰もが天才。
しかし大人になるにつれ、自信を失い。
自分の価値を狭めて行く。

あるいは自分の才能を見つけられず
自分には価値がないと思ったままでいる。

そういう人にもったいないよと言いたいのは言いたいのですが、
わたしも自分の能力を未だに磨こうともがいている身。
正直、頑張ろうやとしか言えません。

それよりも、困るのは、明らかに秀でた才能を持った
“選ばれた人間”であるにも関わらず、
それを自分で自覚しない人たちです。

これが非常に多い。

才能があるということは、苦労せずになぜか出来てしまう…
当たり前のようにできてしまえる…

ということです。

「こんなことも出来ないの!」「簡単だろ!」
「バカかお前は!」「少しは頭つかえよ!」

自分に簡単に出来ることは、誰にでも簡単に出来る。
出来ない人はバカか怠けもの。

そう思っているんですね。

これはもうその能力を持っていない人からすれば
暴力以外のなんでもない。

ところが、こういう自分の才能に自覚のない人に
それはあなたが『選ばれた人』だからだなんて事だけを
自覚させてしまうと、『自分は天才周りは凡人』
みたいな勘違いをしてしまう。

本当はそうじゃないですよね。
生まれたときはみんな天才。
そこに立ち変えればいい。

誰にだって、対して苦労せずに出来ること=才能って
あるはずなんですよ。

あまりにも当たり前に出来てしまうから
才能だなんて思わないだけ。

人がパニックに陥っている時に
「何のんきにしてるんだよ!」とののしられている人は
じつは混乱の中で冷静さを保てる才能があるのかもしれない。

学んだことを上手く活用できずに
「言われたことしか出来ないんだな」なんて
言われながらも、学んだことを後輩たちに教えると
後輩たちはどんどん自分を追いこしていく…

というのなら、教える才能があるのかもしれない。

だから、どの才能に視点を当てるかで
天才と凡人は入れ替わる。

だから誰が優れていて、誰が劣っているかではないんです。
それを分かっていない人の在り方が“暴力”なんです。

秀でている部分と、そうではない部分が
ひとそれぞれ違うだけ。

あなたは周囲に暴力をふるっていませんか?



                   全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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