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2016年07月05日

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) 福井晴敏 著 角川書店 #9 虹の彼方に(上)」その3 元気な人が眩しく見えたら…



以前、といっても十数年前、
わたしが自主映画を撮ってコンテストなどに
応募していた頃に、手伝ってくれた友人が
わたしや映画に出てくれた劇団の友人たちを見て
「眩しい」と行っていました。

希望を持ってやりたいことをやっている姿が
眩しいのだと・・・

当時、その友人は疲れていたようです。

そんな彼も、今はデザイン事務所の
アートディレクターです。

いや、アートディレクターの彼と会ったのは
かれこれ6年ほど前だったかもしれないので
今はもっと出世しているのかも。

今や、わたしがそんな彼を見て
眩しいと思ってしまいますね。

希望というモノは
希望をもって頑張っている当人には
内からわき上がる元気の源みたいなモノです。

ところが、希望を見失っている人、
絶望してしまっている人には眩しいもの。
眩しすぎるモノ・・・

今、わたしには友人や希望にあふれて
頑張っている若い人たちが眩しく見える。

しかも、眩しすぎてちょっとしんどい。
コレって、わたし自身の疲れ具合を
示しているのだろうなと思います。



毎週日曜日に放送しているアニメは、
副音声で福井晴敏さんやよゐこの濱口さんたちの
ガンダムトークが聞けるようですね。
弟が録画してくれているのをコピーしてもらったら、
今度は副音声を楽しもうと思います。

小説「機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)」
第9巻 「 虹の彼方に(上)」 福井晴敏 著 角川書店


ついに「ラプラスの箱」の在処がわかり、
フル・フロンタルに先を越されまいと
インダストリアル7、メガラニカを目指す
《ネェル・アーガマ》。

連邦からも追われながら
インダストリアル7目前で
戦火はあがります。

バナージの〈ユニコーンガンダム〉と
フロンタルの〈シナンジュ〉

激しくぶつかり合う二機のもビルスーツ。
その戦いの中で、バナージとフロンタルは
お互いの意志をぶつけ合っていました。



フル・フロンタルは
バナージが示そうとしているような
可能性に触れて、壊れた者もいると言います。

無闇に不定形な、不確実な可能性。
そんなものを無責任振りかざすなということでしょう。

しかしバナージは言います。
中年の絶望をおしつけるなと。

フロンタルのそれは、若さへの嫉妬なのか
わかりませんが、その「眩しさ」が
鬱陶しかったのではないでしょうか?

その感じ方は、今のわたしにはわからなくもない。

先日、ちょっと疲れ気味の自分の気分を
信頼できる上司に話しました。

その上司は「話してくれてありがとう」
と、上司自身の過去と現在を話してくれました。

上司も、今疲れ気味だと・・・

そして数年前にも似たように
気分が疲れていた時期があったというのです。

そんな上司が、最近、新人の研修で
みんなを元気づけるために話をしました。

すると、研修担当のトレーナーやら
その周囲からバッシングを受けているようでした。

なぜか?
「最近、やる気がない」という発言が
問題になっているのだとか?

きっと、その上司は長くやっていれば
やる気がない時期も何度かくるけど、
それでも大丈夫だから…

ということを言ってあげたかったのだと思います。
わたしに対してそう言ってくれたように。

しかし、それが伝わらなかった。

わたしや、この上司は、確かに疲れている。
しかし仕事に対しても人生に対しても
何も諦めてはいない。

絶望はしていないんですね。

だから、フル・フロンタルとは違う。
フル・フロンタルは後進の若者に、
「その若さは一過性のもので、若気の至りだ」
と言います。

諦めや絶望を成長した姿だと思ってしまっている。

もしかしたら、わたしの上司の話を聞いた
新人たちもバナージのように
「中年の絶望を押し付けるな」的な捉え方をしたかもしれません。

研修トレーナーたちから上司の発言について
意見を求められたときに、
伝える事の難しさと同時に、
感じるモノの違いについても考えさせられました。

疲れた中年からは、若さ、希望、は眩しい。
自分が間違っていることを分かっている人には
正しい事ばかり言ってくる人はうっとうしい。

でも、人はずっと気力満点では居られないし
常に正しくもいられない。

気力も充実しているときと
減退している時が繰り返しやってくるわけです。

だから、マイナスの自分に気づいたときに
必要以上に自分はもうダメだと思う必要はない。

フロンタルのように絶望する必要も
それを悟りのように正当化する必要もない。

調子がいい時の輝きはまた取り戻せるから…
あるいは、もっと味や深みを増した輝きとして復活出来るから
大丈夫だよと言ってあげられる。

でも、それを気力が減退している状態で言うと
気力が充分の人たちからは諦めているように見える。

まあ、しゃ〜ないのかな。
とひとまず結論しました。
その上司が言いたかった事は間違っていなかったけど
希望に胸を膨らませる新人の前で語るには
彼らの目にどう映るか?という点で、タイミングがよくなかった。

ブログに書くのも躊躇したくらいです。

しかし、同じように疲れている人
あるいは、もっと疲れている人、
だっているかもしれない。

その人たちが、眩しすぎて目をそらさない程度に
光の種はまた自分の中に見いだせることを
信じられる一抹の糧にでもなれるのであればと
という気持ちと、まあ人前でしゃべるのと
活字で客観的に書いてみるのとでは
また印象も違うだろうという、大雑把な予測で書いてみました。

元気な人が眩しく見えるほど疲れたら、休めばいい。
それは自分が光を失ったということではなくて
輝きを深めるための充電期間なのですから。



                  全ての物語のために








posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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