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今後とも、よろしくお願いいたします。

2017年12月15日

ドラマ「陸王 #8」「自分を超える力」を引き出すストセラ人生脚本術



わたしは映画監督を目指していました。
映画作家と言ったほうが正確ですね。

物語を創作して、映像に撮影して、
編集して組み立てる・・・

そういう作業が好きだったんですね。

いや、好きだと思い込んでいた?

いやいや、好きなのは好きなんですが
重い機材をいくつも準備したり使い倒すのは
嫌いだったり、かと言っておもしろくない画は
撮りたくなかったり、
編集も好きなくせに、プロジェクトをスタートさせると
完成前に「もう二度とやりたくねぇ」と思っちゃう。

でも、完成後暫くするとまた
お話作りたくなって、映画を撮りたくなる。

そんなことを繰り返していました。

本当に好きな人は、これをずっとやっていれば
幸せなんだろうと思いますが
わたしはそうではなかった。

もっと他にも、いろいろなことに興味があった。
一番興味が湧いたのは、
ひとつの仕組みとして収益を出して
次の制作費と生活費まで稼ぐ・・・
その仕組みは?

みたいな方向性にありました。

だから、本気で映像作家を目指してる人たちと
なんか違うなと自分に思ってい始めました。

だから、今、
職業映画監督を目指していない自分を
諦めではなく成長として受け止められています。

でも、ひとつだけ、諦めきれないでいるのは
「物語」を紡ぐということ。

わたしは映像コンクールでも大賞ノミネートまでは
行きましたが惜しくも無冠。

そして、映像よりも多く応募したのは
シナリオコンクールでした。

物語を作ることだけは映像を撮らなくなってからも
ひとりで続けていました。

しかし、これも最終選考までは行っても
受賞ならず・・・

それが最終の成績です。

自分でもおもしろいと思えるものを
いくつかかけたこともありますが、
今一歩抜きん出ない。

結局、今も結婚式を撮影して当日披露宴の最後に
スクリーンに投影されて感動してもらって・・・
実際に報酬を今でももらい続けていますし、
シナリオライティング技術は全く別のステージで
応用したことで、優勝なんてビックリする結果が出て
花開いたので何ひとつ無駄にはなっていません。

でも、シナリオコンクールで今一歩、
抜きん出ることができなかったあの感覚。

その理由を、今になってひとつ垣間見た気がしました。



8話では終わりませんでしたね!
毎週、この作品でこれほど楽しみになるとは
思いませんでした。期待しすぎないって
大切ですね〜!

ドラマ「陸王」
第8話


を観ました。

シルクレイ製造機が故障。
シルクレイの製造を再開するためには
1億はかかるとのこと。

最大のピンチに追い込まれた「こはぜ屋」。

窮地に立たされた上に、
銀行員の坂本(風間俊介)からは
「会社を売らないか」と提案されます。

宮沢(役所広司)は
「100年続いたこはぜ屋の暖簾を
手放せというのか!」
と怒ります。

陸王の生産を再開するには、
シルクレイ製造機の造り直しは不可欠。

そんなとき、江幡(天野義久)が、
市民駅伝に参加しないかと提案します。

陸王を履いて参加することで、
誰かの目に止まるかもしれないからと・・・。

それどころではないと
一度は断る宮沢でしたが
ダイワ食品のコーチからランナーたちの
気持ちを本当にわかっていたかと
問われたこともあり思い直し
駅伝参加を決意します。

自分と江幡、そして大地(山ア賢人)、
安田(内村遥)、あけみ(阿川佐和子)と
「チーム陸王」を組み特訓を開始。

ところが大会当日になって・・・



こはぜ屋を買収したいと
申し出てきたアウトドア製品メーカー
「フェリックス」の御園社長(松岡修造)。

彼は敵が味方か!?

ってな感じで、「下町ロケット」や
「半沢直樹」「小さな巨人」などでは
本当にもういいよ!って思うタイミングです。

これはあまり良いことではなくて
飽きてしまって「もういいよ」ってなるんですね。

「陸王」で言えば
まだ後2話は少なくてもあるわけですから
波乱もあと3〜4波乱は起こるのでしょう。

最後の松岡修造の表情も次回予告も
充分にそれを感じさせますよね。

でも、今回わたしは「やっぱりか〜」
とは思いましたがもういいよと
飽きたりはしませんでした。

展開の詳細はわからずとも
山あり谷ありをこれでもかと持ってくるのは
もうわかりきっている。

その自分の感じ方を観ていて
ひとつわかったことがあります。

松岡修造の顔を観て思ったんです。
「もう、宮沢さんをいじめないで」って。

そう、客観的には主人公に試練を与えて
それを乗り越えさせるからこそ
ドラマチックになるということはわかっていても
自分がその主人公に感情移入すると
それ以上いじめて欲しくなる。

わたしが脚本を書いているころに
出来なかった事の一つ。

主人公にもっともっともっと!試練を与えること。
ある程度は与えているけど
どうしても最後の試練が足りなかった。

考えてみれば最終選考まで残った作品だけ、
語りべだった主人公の犬と
人間側の主人公をいじめたうえで活躍させ
最後の最後でまた犬をもうひといじめしました。
だからハッピーエンドでもより感動できる・・・

そんな作品でした。

そう、早い話わたしの作品は
詰めが甘い作品が多かった。

舞台の脚本を何本か書かせてもらって
好評だったのですが、
それらは登場人物全員で
最後を上手にまとめながら大団円を迎える。

そんな作品でも歓迎されたんです。

上手くまとまるのが・・・

でも、映像作品や小説などは
やっと救いの手が伸びた・・・
というところからが本当の試練、
本当のクライマックスになっていく。

これは作家の方も手を抜けませんよね。
「イヤイヤ、それどう解決するの!?」
って思わせておいて、ちゃんと観客を感動させる。

わたしがシナリオライティングの知識や技術を
応用して優勝した大会は、
大手企業から中小企業が電話応対の品質を競う
ビジネススキルの大会でした。

シナリオライティングは応対スクリプトに
応用したのはもちろんですが、
わたし自身の物語にも組み込みました。

わたしは無名の選手・・・
誰にも目につけられていないという立場を利用して
目立たず勝ち残り、最後にチャンピオンに挑戦する。
そこには、予想もしない試練ももちろんある。

そんなストーリーを描きました。

普段の業務の合間にチャレンジすることですから
息抜きにゲーム感覚で楽しみたかったんですね。

案の定、一次審査、地区大会・・・
毎回、競合を目の当たりにして
試練の連続でした。
でも、目立たず勝ち越した・・・

と言えば聞こえはいいですが、
ようするに目立った成績ではないけど
なんとか残っているということです。

でも、そうやって主人公になっていると
楽しいわけですよ。

ところが、大会直前・・・楽しいじゃ済まない
本当の試練がやってきます。

風邪をひいたのです。大会まで数日・・・
慌てて直しました。熱もない・・・でも、
声が、声だけがどんどんかすれていきます。

運の悪いことに風邪のウィルスは消えても
あとから喉が潰れてほとんど声が出せないという
致命的な状況に陥りました。

わたしはその大会にかけていたわけでも何でもない。
本音は社内で出たがる人がいない
人前で電話応対を披露するなんてヘンな大会なら
まあ、普段の仕事を離れて少しだけ
周囲の人とは違った経験ができるから楽しもうと
思っていただけ。

だから、その時も「しまったな」とは思いましたが
社内の周囲の人たちが心配する中で
わたしは苦笑いしながらその状況を楽しんでいました。

「ホントに映画みたいになってきたな(笑)」

という気持ち。

だったら、ここでどんな打開策が出せるか?
大会前日、声はどんどん出なくなっていました。

終業後の練習もそこそこに早めに帰宅。

風呂で身体を温めながらふと思いました。

わたしは、この大会がホールの舞台の上で
壇上に上がり模擬電話応対をするという形式だと
わかってから、自分がつくったスクリプトを
映画を撮っていたころにお世話になっていた
劇団の友人夫婦に読んでもらって録音していたのです。

彼らの家にいってレコーダーを回した時に
正直引きました。

演劇の声の出し方・・・撮影中もそうでしたが
普通にわたしたちが会話するときとは
明らかに違った発声です。

わたしもそれまでの予選である程度意識してましたが
そもそも喉がガラガラだからなんなんだ?
役者は喉で声は出さない。
彼らが使っているのは腹じゃないか・・・

当日の朝、わたしの勤務先から大会進出社は3名・・・
始業時間より早い時間に会社に集合したとき
誰もがわたしは終わったと思っていたと思います。

昨日よりさらに喉がガラガラ、
声がかすれて聴きとれない。

でも、本番はたったの3分間です。
一日声が出なくたって3分だけ出ればいい。

そしていよいよわたしの出番。
わたしは舞台に壇上に上がって
「最後だ、ぜ〜んぶ出しきれ!ただし喉は無し。
100%お腹からだ!」
観客を見渡しながら文字通り腹を決めました。

そしたらなんとまあ・・・
これが自分の身体を通して出てくる声なのか!
と自分でもびっくりするような声が出る。

歌手や舞台役者は体全体を楽器にして
声を出すと言うが、こういうことか!

会場の空気が変わったのがわたしにも
ビンビン伝わってきました。

そして、3分後、会場を出て控え席に座った時。
「よかったよ!」と会社の人がよってきてくれて
わたしも「もう、結果はどうでもいいです」
とその声は完全にガラガラ。

本当にどうでもよかったんですね。
全部出し切ったから何の悔いもない。
結果はただの結果。
自分に何ができるか?自分の知らなかった
新しい自分を知ることができた。
わたしが思いもしなかった宝は手に入れた。

わたしは文字通りやりきった主人公の気分でした。

だから結果発表も、次々と呼ばれる
入賞者たちの名前を聴きながら人ごとのように
拍手しているだけ。

ところが、最後に第一位、優勝は・・・
の言葉の後にわたしの勤め先とわたしの
個人名が呼ばれた時は「へ?」と何が起きたのか
わからず拍手の中、人ごとのように座っていました。

隣では会社の同僚が奇声を発しています。
そしてその人に突き飛ばされるように立たされて
表彰台へ・・・

なんだぁこりゃ〜。

後になって思いました。
わたしは主人公でありながら、
ずっと自分を突き放して監督や脚本家の視点で
自分の試練を観て楽しんでいたんです。

そらきた、次はどう対処する?
なるほど、まあ何とか乗り切ったね。
おっと!でも今度は絶体絶命だね〜(笑)
まあ、それでこそエンターテインメントだよね。
さあ、どうする?

終始そんな感じでした。

これが、もっと自分の視点しかなく
ただ主観的に没頭していたら、
まさに喉がダメになった時点ではさすがに
諦めていたと思うんです。

まわりも「仕方ないよ」って言ってくれるだろうし。
どうせ誰からも期待されていないわけですから。

でも、それじゃあ面白くないと思ったから
サクセスストーリーを作って
ロールプレイングゲームのプレーヤー兼
物語の総監督として状況に応じて演出していった。

それが余裕を生み、結果打開策を思いつき、
ギリギリで上手くいくかわからないけど
どうせ失うものなんかねぇや!と
思いっきりぶつかることができた。

・・・かなり脱線しましたが、
お話を突き放して、客観的に見る。
神の視点・・・とか言ったりもしますが、

シナリオコンクールに応募していた頃のわたしには
それが足りなかったんですね。
もっと、予期せぬことが起こるよ、
それでも乗り越えるんだよと、
愛するキャラクターたちに試練を与えることができなかった。

乗り越えさせる自信がなかった。
それは自分の自信の弱さの表れだったんだと思います。

自分の余裕のなさ・・・でもある。

わたしがいま、
この日曜劇場の池井戸潤シリーズの
最終のクライマックスで「もういいよ!」と
飽きてしまうのは、最後の踏ん張りを
主人公と同じ視点で観ていて、
しかも主人公が諦めないのに
わたしが背を向けた・・・

みたいな状況になっていたんじゃないか?
それってつまり自分の人生でも
どこかまた最後の踏ん張りが
足りていなかったんじゃないのか?

という可能性に気づきました。

だから今回の「陸王」は最後まで、宮沢さんを
見守りますよ〜。

予期せぬ試練は
ストーリーセラピー人生脚本術にとっては
予定の範疇です。

むしろ自分を超える力を引き出すチャンスでもある。

最後まで楽しみましょう!!


           全ての物語のために












posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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