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2017年01月20日

ドラマ「嫌われる勇気 #1」あなたの人生はあなたのもの


「ナチュラル・ボーン・キラーズ」
という映画が出たときは
そのタイトルが衝撃でした。

しかもオリバー・ストーン作品。

「プラトーン」
「7月4日に生まれて」
「JFK」

そんな作品群からは予想もつかないテーマ。

自然と生まれた殺人鬼
生まれながらの殺人鬼

勘弁して下さい。
人は誰でも心を持って生まれてきている。
健全に育つ環境さえあれば
人の気持ちを察せる優しい人間に育つ。

そう在って欲しいと願っているのに
生まれながらの悪人なんて…

という衝撃的なタイトルですよね。

でもそれだけにインパクトは強いです。

冷静に考えれば、生まれながらだろうが
後天的だろうが殺人鬼は殺人鬼です。

人の人生を犯す権利は誰にもない。
「そう生まれついたんだから仕方がない」
なんて言い訳はできません。

でも、そんな悪の話でなく、
だれだって“幸せになるために”
生まれてきたのだとしたら、
それはもう、ナチュラルボーンということですよね。

正義が人の数だけあるのと同じように
その人の幸せもその人のモノ。

そう考えればみんな、
ナチュラル・ボーン・ハッピーメーカー
なんて言ってみるのも、いいですよね。



しまった。うかうかしていたら、
もう第2話目まで放送されちゃいましたね。
いや〜、よくこれドラマ化しましたね…
しかも民法のドラマゴールデンタイムで。
すごい挑戦です。

ドラマ「嫌われる勇気」
第1話


を観ました。

新人刑事の青山年雄(加藤シゲアキ)が
捜査一課に着任します。

係長の半田陽介(升毅)は青山に、
庵堂蘭子(香里奈)と組んで
モデル殺害事件の捜査に加わるように命ます。

先輩刑事、三宅隆俊(桜田通)から
蘭子が携帯電話を持たない主義だと聞いた青山は
事件現場にあてをつけ蘭子を探しに行きます。

青山が蘭子と合流すると、
第二の殺人の連絡が入ります。

第二の被害者もモデルです。

二人が到着したとき、鑑識課の梶準之助(正名僕蔵)と、
刑事の浦部義孝(丸山智己)が遺体を調べていました。

浦部はふたりに周辺の聞き込みに行くよう
指示そしますが、蘭子は無視して遺体を調べ始めます。

そして蘭子は、遺体を確認した帝都大学医学部助教の
相馬めい子(相楽樹)の見解も、安易な妄想だと否定します。

常にマイペース。捜査会議にすら参加しない蘭子に
戸惑う青山が半田に担当を変えてくれと直談判すると
別の任務を与えられます。

青山が訪れたのは帝都大学の研究室。
そこには警視庁のコンサルタントも務める教授、
大文字哲人(椎名桔平)がいました。

大文字は、庵堂の下の配属だという青山に、
庵堂を理解するには、「アドラー心理学」の
考え方に乗っ取った物事のとらえ方を説明し始めました…。



捜査一課も世間も一人の容疑者に
意識が向いている中、蘭子だけは他の人間を
犯人だとにらみ、捜査をしていました。

そして、クライマックスの謎が明かされる場面…

これ、視聴者はついていけるのか?
と正直心配しました。

「嫌われる勇気」の本を何度も読んでいるわたしも
実際にドラマの中のセリフとして聞かされると、
頭と心の両方で咀嚼するのに追いつけない…

伏線の回収として出来事を解き明かす
わかりやすい謎解きだけではなく、
犯人の内面的な謎にスポットが当たります。

普通の謎解きドラマなら犯人の動機は
わかりやすいのですが、
このドラマは、その動機の内面的な仕組みまで
説明しようと試みます。

2話目以降、どうなるのかはわかりませんが
この1話目では、事件の謎解きの他にも
アドラー心理学の内面的な在り方について
随所にちりばめられています。

第1話らしく「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」
という大きなテーマが投げかけられましたので
これからラストに向かってその意味が
解きほぐされていくのでしょう。

最終話までで、どのように語りつくされるのか?
非常に見ものです。


ドラマの中で蘭子のことを大文字教授が
「ナチュラル・ボーン・アドラー」だと言いました。

生まれながらにしてアドラーの考え方を
身に着けていたというんですね。

原作本は、悩める青年と
哲学者との対話劇なので
犯罪とか刑事ドラマとか全然関係ないんですが
刑事ドラマとして描くにあたって
そういうキャラクターがいた方が表現しやすい
ということだったのでしょう。

ただ、そんな生まれながらの天才みたいな
スーパーウーマンみたいな人がドラマという
フィクションの中で出てきてしまうと、
「なんだか自分には無理」となりかねないかな…
という危惧もなきにしもあらず。

ということで「ナチュラル・ボーン・“天才”」
について考えたいと思いました。

これ、結論は簡単です。

わたしの場合は「ナチュラル・ボーン・わたし」
です。だれもわたしの代わりはできない。

あなたも「ナチュラル・ボーン・あなた」です。

こう考えると当たり前でしょう?

蘭子も「ナチュラル・ボーン・蘭子」ではあるけど
アドラーさんではないですよ。

わたしも心理カウンセリングの勉強はしました。
実際にたくさんの人たちと対話を繰り返していますが
アドラー心理学だけに傾倒はしていません。

「嫌われる勇気」は、わたし自身かなり、
腑に落ちる内容でバイブルのように何度も何度も読んで
自分のものにしようとしてはいますが、
あくまで多種ある心理学の中の一つで、
それぞれの派にはいいところも悪いところもある。

その中で、目の前の人に最適な方法があれば
派閥なんて関係ない。
持てる知識の全てを使って最適な対応を
創造していく。

別に心理学じゃなくたっていい。

これまでに自分が培ってきたもの全てが
その材料の対象ですよね。

自分が培ってきたもの全てで勝負すれば
それは自分自身以外の何者でもない。

ナチュラル・ボーン・自分です。

あなたはあなたのために生まれてきた。
あなた自身がどう在れば幸せでいられるか?
人や周囲の状況が変わらなくても
自分がどう在ればいいのか?

このドラマはどんどんそのヒントをくれるはずです。
でも、一回セリフを聞き流したくらいでは
とてもじゃないけど全ては理解できないでしょう。

毎話、一個でも、心にひっかかるものが
あればいいですね。


               全ての物語のために


















posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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