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2016年09月15日

ドラマ「仰げば尊し #8 (最終話)」自分に対しては聞きわけよくなっちゃダメ



大人しい。大人しくしておく。
子どもみたいなことをいわない。

聞きわけがいいということですね。

わがまま放題言っている子どもは大人に怒られます。
「聞きわけがないこと言うんじゃないの!」
「大人しくしなさい!」

あるいは、思春期、十代後半、青年期意向の
年齢の子や大人に対しては
「子どもみたいなことを言ってるんじゃない!」とか、
「成長しろよ」

なんて言い方もありますよね。

確かにわたしも、大人であること、
大人としてより良い大人に成長することを
重要視しています。

このブログのテーマである幸せ力も
精神的に自立する、感情的に自立する
という非常に厳しいレベルでの“大人度”を
目指している部分があります。

大人であればこそ、自分の感情は自分で選び
自身と他者の境界線をハッキリと意識し
自ら今この一瞬に幸せになるという覚悟をし
実際に幸せに生きること、常にその状態をめざし
努力し続ける在り方を“大人”の幸せ力だと思っています。

幸せにしてもらうのではなく、
自ら幸せになることは全ての大人の義務であり責任、
そんな幸せへの覚悟を持てない人間は
大人ではないので結婚も親になることも本当はゆるされない。

とはいえ、そんな基準を設けてクリアしたうえで
結婚したり親になったりした人がどれだけいるか?
わたしだって結婚し子どもが生まれてから
徐々にこのように言えるようになってきたくらいですから
わたし自身がまずもってそんなメチャクチャな基準は
満たせていない。

でもだからこそ、明確な基準を持って、
ビジョンをもって目指すべき方向性を設定し
にじり寄って行こうという意味での指針。

そういう意味での“大人像”なわけです。

ここまで大人であることに固執しているわたしが、
今回言いたいのは、自分の本当の本当の心に対して
聞きわけの良さを、大人らしさ、大人しさを
求めたら、自分がかわいそうだよ…ということです。



年齢の節目節目で身体に変化が訪れます。
前もって知ってはいても、いざ来るとやっぱりキツイですね。
若いころ、健康に生んでもらった幸運にあぐらをかいて
やっていた夜更かしや、不規則なスケジュール組みも
今はできません。わたしの場合は早寝早起きのリズムが
一日崩れると、戻すのに五日以上かかっちゃう…
大人が健康オタクに見えてたことを「若気の至り」だなんて
思っちゃう。

ドラマ「仰げば尊し」 第8 (最終話)

を観ました。

手術から目覚めた樋熊(寺尾聰)に、
渚(石井杏奈)や木藤良(真剣佑)たちが
美崎高校吹奏楽部の、
県大会への切符を手にした事を知らせます。

全国大会を目指すために留学を延期したことも
報告した木藤は「勝手なことをしてすみません」と謝罪しますが、
樋熊は「お帰り」と優しく受け止めるのでした。

美崎高校吹奏楽部の快挙は新聞でも大きく取り上げられ
小田桐(石坂浩二)校長だけでなく、教頭の鮫島(升毅)
喜んでいる様子。

樋熊の復帰を待ち望む生徒たちは、
奈津紀(多部未華子)を通して
病院のベッドから伝えられる樋熊の指示を受けつつ
練習に励んでいました。

そんなある日、奈津紀は樋熊の手術の結果を
医者から伝えられ、部員たちには
樋熊が県大会のステージには立てないことを伝えるのでした…。



樋熊先生が県大会のステージに立てないというのは
医者からドクターストップが入ったからです。

病院でドクターストップを聞かされる樋熊や
青島たち“元”不良グループの面々。

青島(村上虹郎)も木藤も安保(北村匠海)も、
ドクターストップなら仕方がないと大人しく
力を無くす樋熊に静養するように言いますが、
終始、「でも先生は行きたいんだろ?」
と言い続けるのが高杢(太賀)でした。

一番聞きわけのない子…

みたいにみんなからあしらわれてしまいますが、
本当の本当に汲み取らなければならない部分に
一番素直に純粋に反応しているとも言える。

だから大人しく大人らしく、大人な態度ではいられない。

ということなのでしょう。

大人になるとは、聞きわけがよくなることです。

わたしはだいぶ幼いころから
聞きわけのいい子でした。

…妹や弟に起こられそうなので、
言いなおします。

聞きわけがよさそうに見える
大人しさを持っているようには一応見えるかな〜
という子でした?

人の気持ちを無視してまで
自分の我がままを押し通そうとはしない。

人を押しのけて「俺が俺が」とは前に出ない。

いやホント、妹と弟には申し訳ないくらい
内弁慶で家ではその真逆だったのかもしれませんが
(最低ですね・爆)
でも、本当に人を押しのけて喜んで幸せになるメンタルは
持っていないんです。

それは今でも過剰にそうで、自己アピールも
超ヘタクソだと自他ともに認めるしかないあり様。

過剰なわけですから、もうハッキリと
悪い意味で大人しくて聞きわけがいいわけです。

でも、そんな自分でも絶対に本当の本当の部分では
折れないぞという自負があります。

大概のことは聞きわけがいい。
それは周囲から観たらバカじゃないかというくらい
損をしています。実際に無駄に損をしているレベルで
聞きわけがいいです。

でも、分かる人には分かるようです。
「君は絶対に譲らないところでは、
マジで絶対に引かないだろうとわかるよ」
と言って下さるかたもいる。

一言で言えば…妻などにはとっくに見抜かれていますが
「もう、チョ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜頑固!」
なのです。

聞きわけ?ガキっぽい?大人らしさ?
人から好かれない?

そんなことが全て、どうでもよくなるくらいの
自分のコアな部分にかんしては絶対に譲れない!
という自分を自覚している。

だから、損も損には感じないんですね。

それでもわたしはまだ、健康にあぐらをかいているところがあります。
もっともっと、今しか出来ないことに意識を感性を集中して
決断する判断力の制度ももっともっと上げて行きたい。

言うなればその部分に関しては
コアの部分に関してはもっともっと
聞きわけなく成長していきたいと思っています。

この最終回では高杢のお陰で、
さらにそんな「聞きわけのなさへの成長」の速度と
質を上げて行かなければ!とやる気満々になりました。



                 全ての物語のために












posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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