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2016年08月30日

ドラマ「しんがり 山一證券 最後の聖戦 #3」こんな仕事をするためにこの会社に入ったんじゃないって思ったら



わたしは大学を卒業して社会人になったと思ったら
3日で辞表を出しちゃった…という経験があります。

それはあまりにも違いすぎたからです。

仕事の内容が?

いや違います。その会社に限って言えば…というか
その会社とわたしの相性ということになるのでしょう。

これはもう絶対合わない。

「思っていたような仕事とは違った」とか、
「やりたい仕事をするために数年は修行だ」とか、
そういうレベルの話ではなく、なんと言うか
経験した人にしかわからないと思いますが、
DNAレベルでの“違う!”感、拒絶感。

もう、20年近く前のことですが、
今でもあの感じ方、あの選択は正しかったと思っています。

だから、わたしは入ったばかりの会社に
さっさと見切りをつけて辞めてしまうということに
否定的ではありません。

今回はそれを、大前提としたうえで書きます。



わたしの中での夏が終わりました。
息子の小学生最後の夏休みをできる限り楽しい夏にするために
気力体力を充実させて“遊び”に集中させた夏。
突っ走りました。結果、息子にというよりもわたしにとって
とても良い夏だったんだな…。ありがとう。
その間、ドラマは録りためるだけでほとんど観れなかったんです。

ドラマ「しんがり 山一證券 最後の聖戦」 第三話

を観ました。

重大な秘密を抱えたまま突然辞任した、
有原会長ら旧経営陣。

その事態に梶井は憤りを隠せません。

しかし、事態はさらに悪化します。

次々と地検に呼ばれる山一の幹部たち。
そして逮捕者も出る可能性が出てきました。

梶井は逮捕される幹部のケアもしたいと
ギョウカン(業監)メンバーに提案するのですが、
若手の吉岡(林遣都)は複雑な表情を浮かべます。

そんな時、梶井が最も信頼していた
片瀬元副社長が最初の逮捕者となる可能性が浮上します。



ギョウカンの最若手、吉岡も山一證券の事件で
私生活を犠牲にしていました。

わたしの個人的な感覚としては、
結婚相手の勤め先で、その結婚に賛成反対をする
というのは失礼極まりないことです。

でも、世間的にはそうでない人たちも多いのでしょう。
未だサラリーマン神話の感覚が抜けない人たちは
いますからね〜。

吉岡がぶち当たる苦悩とはそういう類のことです。

そんな状況の中で、
梶井が逮捕される幹部のケアまでしようと言いだしたとき
こんなことをするためにこの会社に入ったんじゃない!
と一番憤るのが吉岡です。

なぜ、吉岡が山一證券に入ったのか、
今回の話ではそのあたりも描かれました。

そこには吉岡なりの夢や誇りがありました。

もう、これは憤るしかないです。
もちろん、この事件は、
ちゃんとやっている社員全員が憤るしかない。
そんな事件ですが…。

それでも、「これは誰かがやらないといけないことだ」
と梶井は本来の証券マンとは関係のない仕事をやる。

梶井と連絡を取り合っている報道マンや
その報道マンの会社の様子も描かれますが、
どっぷりとその仕事に浸かっているように見えました。
全身全霊、全力で仕事に身をささげている。

そんな風に一生懸命に仕事に打ち込める人がいる一方で
「こんなことをするためにこの会社に入ったんじゃない」
と憤る吉岡のような人もいる。

ドラマ「営業部長 吉良奈津子」では、
クリエイティブの仕事に戻りたかった奈津子が、
営業部に配属されて、やりたかった仕事と違うと
苦悩する場面もありました。

わたしたちが就職したころ、
社会問題的な扱い方もされていた
「すぐに辞めてしまうワカモノたち」も、
「思っていたような仕事じゃなかった」
と言って辞めて行く人が多かった。

仕事によってはその職種をする前に
修行を積まないといけない場合があります。

その場合は、鍛錬をしてスキルを上げて行く間は
「やりたい仕事」はできないのかもしれません。

しかし、多くの場合は、憧れていた仕事の周辺にある
雑多な仕事、雑多な作業の手伝いをやらされて
「こんな仕事をしたかったわけではない」
「思っていたような仕事じゃなかった」
と思ってしまう。

それで、辞めてしまえるのなら辞めてしまっていいと思います。
辞めてしまえると言うのは、
もうそんな仕事すらしたいと思わなくなった
という程度の気持ちだったとか、
逆に、辞めた方が本来やりたかった仕事をできるとか、
(転職先でできるとか、独立してできるとか)
という場合のことですね。

でも、そういうわけにもいかない場合がありますよね。
多くの場合、生活のためにも仕事というのは必要です。

何かしら仕事をして生活の糧を得なければならない。

そんなとき、その仕事をどんな風に捉えるか?
は後々、本来やりたかった仕事をするときに
大きく関わってくることになります。

いや、現実問題で言うと、
本来やりたかった仕事を本当にできる日がくるかどうか?
に多く関わりかねない大事なことです。

生活のための仕事がアルバイトだろうが日雇いだろうが、
そこには必ず、やりたい仕事をするにあたって役立つ
ことが潜んでいる。

仕事というのは何かしら人のために役だっていること
なのですから、どんな仕事にもそれは共通している。

それは技術的なコトかもしれないし、
在り方とかメンタル的な部分のことなのかもしれません。

あるいは仕事と、その他の時間の使い方など
生活全般においてのスキルなのかもしれません。

はたまた、経験そのものであったり、
将来のためのアイディアの源であったり…

とにかく今という瞬間になにをしているにしても、
「こんなことをしたかったんじゃない」
と思って何も観ないよりも、
本来したかったことにつながる宝がそこには
沢山眠っている。

その視点を持って、それらを可能な限り
受信してやるというアンテナ感度の高さを意識して
目の前の仕事を見渡してみて欲しいと思います。

「こんな仕事をしたかったんじゃない」

という言葉の裏に、「本当はこんなことがしたい」
という思いがあるのなら…ですよ。


                全ての物語のために













posted by ストーリーセラピスト at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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