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2017年07月25日

スペシャルドラマ「ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編(後)」悟りきったと思った時点で退化している



自分の常識以外の世界に目を向けること
自分の経験則以外のことを信じること

それを苦手な大人がいます。

沢山います。

それはとっても残念なこと。

さとり世代が今回の作品の中でも
取り上げられますが、
「悟った」と勘違いして
わかったつもりになっているのは
さとり世代に限らず
大人・・・いや、オトナモドキの中には
沢山いますよね。

「悟った」ってなんなんでしょうね。

わたしは父が禅をやっている影響で
「悟り」というものがどういうものか
幼少のころから教えられてきたし考えてきました。

「悟り」というのは全てを分かるということではなく
ひとつの気づきであって、一つ悟ったら更に
その上の悟りがある。

つまり、死ぬまで永遠に「悟り切る」という状態はこない。

ですからわかった風な顔をしている大人こそ
何もわかっていない。
悟りということそのものを分かっていないオトナモドキ
だと、わたしは早い時期から捉えるようになっていました。

分かった風な物言いをする大人の言うことは
自分が知らないことなら素直に学び
同時に「本当にそうか?」「本当にそれだけか?」
とも考え始める。

自分自身の気づきについてももちろんそうです。
「わかった」と思ったら次の理解、もっと広かったり
もっと深かったりする認識がないかと感が始める。

そういう視点が持てる人と
自分の常識の殻から飛び出そうとしない人の
違いってなんなんだろうと、常に考えています。



さて、夏休み間近、息子や姪たちが受験生になる前に
もう一度みんなで実家に集まる予定。
いい夏になりますように。

スペシャルドラマ
「ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編」
後編


を観ました。

山路が教員をやめていなくなった!

正和とまりぶは慌てて山路の行方を捜します。

情報は意外なところからもたらされました…
元ゆとりモンスターの山岸です。

ネットで「山ちゃん」と検索すると
山路が故郷のホームセンターで
女性と映っている写真が出てきました。

山路の故郷へ行く正和とまりぶ。

故郷では「山ちゃん」はヒーローでした。
そんな山ちゃんを傷つけてしまったと
自己嫌悪に陥る正和でしたが、
やっとのこと実家を突き止めて
山路の父母に話を聴くと…

実は、東京での失恋がもとで
帰って来たとのこと。
しかも、当の本人は
いきなり久美と娘を連れてきて
両親に駆け落ち宣言。

そのまままた居なくなってしまったというのです。

そのころ山路は坂間酒造を訪ねており…



坂間家は茜にとっては家族じゃなくて社会…
だなんて言いながらも
久美との対比でやはり茜にとっても
家族になりつつあることが見えてきます。

久美も山路の同級生なのでゆとり世代ですが
久美に言わせれば世代論なんて
東京での話だろうという意見でした。

少なくとも久美の田舎では
誰もそんなことを言う人はいないし、
なによりも中卒の久美にとってはそんなことは
気にしている余裕もなかった…

これから母親になろうとしている茜と
久美の対話を聴きながら、世代論なんて
本当にその程度のものなんだろうなと思いました。

さて、そんな久美ですが、
若くして結婚した旦那もまた未熟で
久美に暴力をふるうし、娘にも手を挙げる。

久美は一旦暴力をふるうと手が付けられない夫を
「どうしようもない」と思っている。

さらに、これもリアルなのかもしれませんが、
久美は男とはそういうものだと思っているんですね。

最初は優しいけれど一緒になると
暴力をふるいだすものだと。

だから、山路のこともそうなると諦めている。

寂しい話です。

イケイケな感じのまりぶでさえそんなことはしない。

久美の娘が「山路はそんなことはないよ!」
と母に力説しますが、それをきいたまりぶも
「おじさんもそう思う」と穏やかに言い添えました。

理想と現実のギャップにやられやすい性格
というのもあるようです。

思い描いていた理想を現実が打ち砕いたとき
そのショックに耐えられない。

だから次から理想を持たないようになる。
初めから「こんなもんなんだ」と思っていれば
「ほらやっぱり」と思えるだけなので
傷つかなくて済む。

…という理屈ですね。

そのこと自体は悪いことではないし
むしろ幸せ力のひとつでもあると思います。

過大な期待をして傷つかないための防衛策。
もっと上手になると、過大な期待をしない、
悪くても文句は言わない。
その代り、ほんのちょっとでも良いと
めちゃくちゃ感動できる、喜べる…

そんな風に使えるスキルでもありますからね。

でも、だからと言って世界を決めつけるのとは
やっぱり違いますよね。

もう自分はわかってしまった
悟ってしまったと思っている大人

自分が知っていること以外の可能性を
受け入れようとしない…オトナモドキ

彼らはなぜオトナモドキになってしまうのでしょうか?

彼らが自覚しているしていないに関わらず
怖いからです。

恐れている。

未知のこと、分からないことを恐れている。

分かったと思って分かっていることの範囲内で
生きていれば怖がる必要がないんですね。

久美のように暴力を振るわれても怖くないの?

という疑問も生まれると思いますが、
未経験、未体験の得体のしれない恐怖よりも
既に知っている恐怖の方が人間は耐えやすい。

恐れている自分と向き合うのが怖かったり
認めたくなかったりすると
さらに頑なさを幾重にもまとって
がんじがらめに心の防壁を作ってしまう。

わたしたちにできることは、せめて
その勇気を持てるように語りかけることと
目の前でその壁の外に飛び出す自分を
見せてあげることくらい。

それしかできないけど、
それだけは徹底的にやらないといけないんだろうな
と思っています。

そして、どこかに「それしかできない」
という答えに対しても「もっとあるかも」という
視点は忘れないように。



            全ての物語のために










posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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