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2016年11月02日

「グラスホッパー」その2 生きている実感を簡単に化学的に感じる方法



例えば、漫画やアニメに多いのかな?

極限状態やギリギリの状態に自分を追いこんで
「生きている実感」を感じる…

という表現が出てくることがあります。

例えば、オリンピックなどを見ていると
体を酷使して全身全霊で
競技に挑む選手たちの姿に
魂の躍動を感じることもあります。

心理学の勉強をしているときに、
リストカットをしていたことがある
という人とお話しさせて頂いたことがあります。

その人は、自分が生きていることの
確認のようなものだった…
と語っておられました。

なら、ギリギリの状態や極限状態、
過酷な状況に追い込めば、
生きていると実感できるのでしょうか?

わたしたち 人間はそうやって
命や生を実感するものなのでしょうか?



またいつか見たくなることもあるかもしれない。
伊坂幸太郎さん原作の映画って、
そういう作品が多いですね。見やすいのかな。

「グラスホッパー」

再び取り上げます。

主人公の鈴木(生田斗真)が虫も殺せないほどの
優しい男なのに、のっけから大量殺戮で始まる
激しい映画でもあります。

ところどころ、アクションやサスペンスで
盛り上げてくれるのは、
追われる鈴木だけではなく、
脇を固める殺し屋たちです。

鯨(浅野忠信)や蝉(山田涼介)たち。

二人とも体を張った見応えのある
格闘シーンを見せてくれます。

どちらも精神的に壊れている部分もあり
そこにドラマもあり見せ場もある。

山田涼介さん演じる蝉は登場シーンから
日本の犯罪系の映画によく出てくる
“壊れた人”です。

まるでキーンという耳鳴りがしているのを
消そうとするかの如く、人を殺していく。

そんな蝉は、仕事の後は決まって
シジミを買ってきて、
水の中でぷくぷくしているシジミを見ています。

そうしていると、生を感じるのだとか…

「グラスホッパー」予告編はこちら

20年ほど前になりますが、
わたしは中国武術にハマッていました。

3年ほど、毎週日曜日には4時間、
ほかの日にも2時間近くは
体力づくりや練習に費やしていました。

1度だけ、心身ともにコンディションが
良好だなと思いながら練習をできた日が
ありました。

あまりにもコンディションが良すぎて
体を目いっぱい使えたのか
普段4時間する練習の
3時間30分くらいで、全く動けなくなりました。

わたしは体育館の床に突っ伏してしまい。
先生にマッサージをされて
何とか動けるようになりました。

あの時は動いているときも
動けなくなって突っ伏していた時も
全身全霊で世界と一体になって生きている
という感覚を味わっていました。

アスリートや芸術家、
バリバリ働くイケイケドンドンなビジネスマンなど
極限状態まで自分を追い詰めて
生きている感覚を味わっている人達の感覚とは
あの感覚に近いのかな?

と、想像はできる体験でした。

が、まあ今のところ
人生で一回しかない体験ですし、
性格上いつもいつもあんな風に
自分を追い込みたくもない。

じゃあ、生きてるって感じるほどの感覚を
持てていないのか?というと、
そんなことはない。

そもそも、生を感じるのに
自分を追い込まないといけないわけでもないはず。

そういうときに生を感じるのは
確かに一つの現象ではあるのでしょうが、
そもそも、今こうやって毎日生きているのですから
生きている事実に対して「生きてる」って
感じていないことの方がおかしいですよね。

この映画を見ていて、はじめは
蝉が殺し屋をやっているのは、
生を感じるためかと安っぽい解釈をしていましたが、
蝉の内面のドラマが描かれる部分で
そうではないことがわかってきました。

耳鳴りが消えるのがどんな時か?
それがわかるシーンがあります。

それは、蝉なりに生きていることを
幸せを伴って感じられる瞬間だったのでしょう。

それが何かは、作品を見て頂くとして、
生きていることを実感することは
難しいことではないと思います。

自分が生きている今をどう受け止めているか?

生きている実感が感じられないのは
目の前のことに追われ過ぎていたり
流され過ぎていたり…

感じる余裕がない。

というのもあるでしょうが、
そういうときにも、その忙しさ自体がもう
生きている証だとも受け取れますよね。

そもそも野生動物なんて
「ああ、生きてるって感じ」なんて
思ったりしないでしょう。

でも、もっとも魂の根源的な部分で
本当に生を感じて生きているのは
野性動物なのかもしれません。

だったら、「生きている実感がない」と
哲学的なことを考えられること自体がもう
幸せなこと。

そのことを自覚して、目の前のことに集中したら…

例えば、ただかき込んでいた食事も
「今噛んでいる食感」
「今味わっている味」
そういうモノに集中する。
余計なことは考えない、あるがままの今を
全て感じる感性。

生きているって感じるってそういうことだと思うんです。

いまわたしは、正座で足のしびれを感じながら
キーボードを打って、隣では息子が宿題をしている。

この瞬間にここにいることをありのまま感じる。

「なんだ、つまらない」と思われるかもしれませんが、
じつはこの一瞬一瞬の感じ方、その感受性が
幸せを幸せをして受け取れるか?
感謝を感動的に感じとれるか?

という感受性にダイレクトにつながっています。

別に、今に今に感謝しろとか、
生きていることに感謝しろとか、
そういう綺麗事や大それたことを
言っているわけではありません。

ただ、いま目の前にあることをそのまま感じる。

いいことばかりではありませんよね。
痛みや苦しみや、それから逃れたいという感情
そういうものもそのままそういうものだと味わう。

閉じている感覚を意識して開かないと
なかなかどうして、
感じとれることって
限られているのもわかると思います。

感覚の活性化として、
当たり前の化学的な方法です。


                 全ての物語のために
















posted by ストーリーセラピスト at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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