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2016年07月13日

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6 #15 巡る因果(East)」無用なストレスは減らせるワケ



どんな瞬間も過去の結果であり未来への過程である…

と思っています。

思っていますというか、
世界が…時の流れが終わりを迎えない限りは、
当たり前にそうであるはずですが、
なぜか、過度に結果を求めたがる空気がある。

と感じています。
どこにそんな空気があるのか?

社会に、というのか、人間界にというのか…
いや、文明社会だけかもしれませんね。
でっかいビルディングが立って
人々がセカセカ、イライラしている
先進文化だけなのかもしれません。

「どうしてこういう結果になるんだ!」
「結果がすべてだろう!」

まあ、締め切りがある仕事などでは
結果がやっぱり大事ではあるのですが、
悪い結果が出た場合、これもまた、
しゃ〜ないことはしゃ〜ないし、
実は、その悪い“結果”のおかげで
新たないい結果が起こった…

なんてことも起こるのですから、
あんまり結果結果言われると
ひねくれ能天気なわたしとしては
「そんなに青筋立てんでもええやねん…」

という気分になります。



最近小説ばかりで、映像作品を紹介していなかったので
久しぶりに映像作品から!!

ドラマ「ウォーキング・デッド シーズン6」
第15話 「巡る因果(East)」


デニースを殺したのは
ダリルが森で遭遇した男ドワイトでした。

人を殺したことがないと言っていた彼が、
ダリルから奪ったクロスボウで
デニースを殺してしまったのです。
しかも、そのことを悪びれもしない。

ダリルは縛られて銃を向けられた状態にもかかわらず、
ドワイトを殺さなかったことへの後悔を口にします。

何とか難を逃れ一度町に戻っていたダリル。
今度こそ奴らを殺すと、
仲間たちの静止を振り切って町を出ていきます。

我を見失っているダリルを心配し、
グレン、ミショーン、ロジータが追います。

同じころ、大切な仲間を守るために
人を殺すことに耐えられなくなってキャロルも
町を出ていました。

キャロルの方はモーガンとリックが捜しに出ます。



何があっても人を殺さないモーガン。

リックやキャロルとは相いれないその在り方で
ずっと孤立していました。

そんなモーガンとリックが二人でキャロル捜します。
お互いに、チャンスを作って
きちんと話し合わないといけないと思っていた二人。

人は変わる。そのチャンスは誰にも奪えない。
モーガン自身が世界を敵視し
誰彼かまわず殺そうとしていたところを
そんな風に助けられて生きなおすチャンスを
得ているわけです。

それを知っているからリックも彼の気持ちはわかる。
でも、それでは町のみんなを危険にさらす。
モーガンがリックたちの意見を理解してもらえないなら
町を出てもらうしかないのかもしれない。
そのような葛藤もリックにはあったようです。

現に、モーガンが町に来る前に出会って
その命を助けた『W(ウルフ)』たちによって、
一度町は襲撃を受け、惨劇が繰り広げられました。

そんな中、性懲りもなくそんな残虐非道な
『W』の一人をモーガンは殺さずに
町のある家の地下室に閉じ込めました。

リックたちからしてみれば、とんでもないことです。
ウォーカーたちよりも恐ろしい
極悪非道の人間たち。

しかし…とモーガンはリックに伝えます。

先日、町がウォーカーだらけになった際、
その『W』が命を投げ出してデニースを救い、
『W』に助けられたデニースによって
瀕死の状態から助けられたのが、
リックの息子カールなのだと。

何が正しいかなんて言えないが
行いは巡り巡るのだと…

そして、リックたちアレクサンドリアの町には、
リックたちが町を守るためにととった行為により
次なる危機が迫ってもいました…

きっと、永遠に正解が出せるような問題ではない問。

それこそが、この第15話のテーマのようです。

もちろん、一事が万事、そんなことを理由に
怠惰でいること、決断しないこと、
行動しないことが許されるわけではありません。

決断や行動はしていかないといけない。
昨日の記事でも書いた「問題の先送り」
その決断の一つです。

その決断の結果が悪かったからと言って
本当にそれが“最後の結果”なのかと言えば、
実はその悪かった結果が功を奏して
未来の素晴らしい結果を引き寄せることもある。

つまり今出た結果なんて確かに
一つの結果ではあるでしょうが、
長い目で見れば経過でしかない。

すべての結果としてわたしたちがこうしている。
…のだとすれば、「結果がすべてだ!」
と息巻くことに何の意味があるのか?

起きたことは起きたこと。
結果だろうが経過だろうが受け入れて
次の決断、行動をしていく。

ベストを尽くしたのならそれでいいし、
ベストすら尽くせなかったのなら
そこから学ぶこともまたあるし、
その学びが新しい未来につながる。

一喜一憂して、無用なストレスをわざわざ感じるよりは
淡々と、前進していく。

それが、わたしの感じる好ましい前進です。


               全ての物語のために
ラベル:ドラマ ウォーキング・デッド シーズン6 #15 巡る因果 EAST 無用なストレスは減らせるワケ どんな瞬間も過去の結果であり未来への過程である 時の流れが終わりを迎えない限り 当たり前にそう 過度に結果を求めたがる空気がある 社会に 人間界に 文明社会だけかも 人々がセカセカ、イライラしている 先進文化だけなのかも どうしてこういう結果になるんだ! 結果がすべてだろう! 悪い結果が出た場合 しゃ〜ない その悪い“結果”のおかげで 新たないい結果が起こった ひねくれ能天気なわたし そんなに青筋立てんでもええやねん… デニース ダリル ドワイト クロスボウ グレン ミショーン ロジータ キャロル モーガン リック 息子 カール 行いは巡り巡る 永遠に正解が出せるような問題ではない 怠惰でいること 決断しないこと 行動しないこと 許されるわけでは 「問題の先送り」も その決断の一つ 決断の結果 悪かったからと言って “最後の結果”なのか 悪かった結果が功を奏して 未来の素晴らしい結果を引き寄せることも 今出た結果なんて 長い目で見れば経過でしかない すべての結果としてわたしたちがこうしている 「結果がすべてだ!」 と息巻くことに何の意味があるのか? 起きたことは起きたこと わたしの感じる好ましい前進
posted by ストーリーセラピスト at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ストーリーセラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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